問6.一日で単語を1000語覚える方法を求めよ

 白瀬に「勉強教えて」と言われたのが月曜日で、今日はその週の終わり、金曜日だ。

 昨日、一昨日は雑誌の撮影が入ってたとかで、僕たちは二日ぶりに放課後の図書室へと集合していた。


「状況を整理しよう」

 机を挟んで向かい合う白瀬に僕は言う。


「目標は〝学期末マーク模試〟で上位三〇位以内をとり、名前を張り出してもらうこと」


 この学校では、定期テストの他に、毎学期ごとにマークシート形式の模試が行われる。

 定期テストを元に成績をつける都合上、定期テストは七月の上旬に実施される。これより遅いと、終業式までに成績をつけられないからだ。

 しかし、終業式は七月二十日。何も対策をしなければ、テストが終わって開放的な気分の生徒達は、ろくに勉強もせず、ふわふわと十日前後過ごすことになってしまう。


 そこで実施されることになったのが、〝学期末マーク模試〟だ。

 学期末模試が行われるのは終業式の前日、七月十九日。

 成績には入らないものの、進路関係資料として保護者に点数が知らされるので、大半の生徒はそこそこ程度に頑張る、というのがこのテストの立ち位置である。

 マークシート形式のため、採点は即日行われ、翌日の朝には成績優秀者の名前が廊下に張り出されることとなる。


「きょーちゃんせんせー、質問ですっ」

 ビシッと手を挙げる白瀬を指名する。図書室には相変わらず僕たちしかいないため、挙手する意味も指名する意味も特にない。雰囲気である。


「定期テストじゃなくて模試を目標にするのは、勉強できる時間をふやすため?」

「ああ、それもある」


 次の定期テストは七月八日から十二日。

 学期末マーク模試は七月十九日。


 少しの勉強時間でもほしい僕たちにとって、この差は大きい。

 だが、メインの理由はそれではない。


「なあ、白瀬。定期テストは何科目ある?」

「えっとー……九科目、ってあ、そっか!」


 指折り数えていた白瀬が、弾かれるようにこっちを見た。テストの科目数くらいは指を使って数えずに即答してほしいものだが、ともかく。


「そう。定期テストは九科目の合計点で上位三〇番に入らなければならない。正直言って、今からじゃどう頑張っても不可能だろう。だが、学期末マーク模試なら」

「二科目でいい!」 


 僕の台詞を先回りする形で白瀬が言った。

 僕たちの通う高校では、二年生から理系・文系でクラスが別れる。


 理系クラスの人間が解くのは【英語】と【数学】。

 そして、文系クラスの僕たちが解くのは【英語】と【国語】。

 成績上位者は文系・理系関係なくごちゃまぜで張り出される。数学より国語の方が点数が取りやすいから、文系クラスの方が圧倒的に名前が載りやすい。


「これまでの傾向から、二科目合わせて150点以上取れれば、上位三十人に入れるはずだ」


 模試は各科目100点満点で行われれる。

 高校二年生の七月、それも成績には含まれない模試ということもあって、本気で挑む生徒は少ない。そういう事情もあって、定期テストで上位三十人以内を目指すよりはかなり現実的だろう。


「二教科で150点ってことは、国語と英語をどっちも七割ちょっとまであげればいいってことだよね」

 白瀬が言う。確かに、国語と英語の点数をどちらも同じくらい取るつもりなら、どちらも75点ほど取れればいい計算となる。だが。


「いや、白瀬にはこれから一ヶ月半で、英語を確実に九割取れるようにしてもらう」

「?!」

 目を点にする白瀬に、僕は重ねて言った。


「国語は短期間でそう簡単に点が上がらないし、確実に点を取るなら英語の方がいい。英語は暗記さえすれば、誰でも点が取れるようになるからな」

 僕の言を聞き、白瀬は合点がいったとばかりにぽん、と手のひらを打った。


「そっか、だからきょーちゃんは、あいらに英単語覚えてこいって言ったんだね」

 一日で千単語覚えろって言われた時は、「まったく、これだから勉強できる人は! 自分が出来るからって簡単に無茶言って!」って思ったよ~、と白瀬が言う。


「ああ。でも、ちゃんと全部覚えられただろ?」

 問いかける僕に、白瀬は笑顔で返した。

「うんっ。もうばっちり!」

 晴れやかな笑顔。三日前、単語を覚えてこいと指示した時の絶望的な表情が嘘みたいだな。

 そんなことを考えながら、僕は三日前の勉強会を思い出していた。



「白瀬には取り急ぎ、これから一週間で三年分の勉強をしてもらう。手始めに、今日は英単語を1000語暗記して貰おう」

「うん! ……うん?」

 元気いっぱいやる気いっぱいの返事をした後、白瀬は全く同じ単語を、一八〇度違う表情で呟いた。

 その顔に広がるのは、困惑と絶望。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 一日で千語なんて覚えられるわけないじゃんっ! あいらそんなにたくさんトイレ行けないもん(?)」

 トイレ? と首を傾げてから、以前僕が教えた、トイレに入る度に単語テストを解く、という勉強法のことかと思い至る。


「いや、あれは勉強習慣のない白瀬にも出来るように日常生活と結びつけただけで、別にトイレに行かなくても暗記は出来るから」

 思わずツッコミを入れる。と、瞳を潤ませて半べそ状態の白瀬と目が合った。


「でもでも、やっぱり1000単語も一日じゃ覚えらんないって! あいら暗記とかちょー苦手だし。せっかく覚えてもすぐ忘れちゃうし……」

 涙目になりつつ必死で訴える白瀬に、僕は言う。


「すぐ忘れる? そんなの当たり前だろ?」

「え?」

 きょとん、とする白瀬。


「いいか。人間の脳っていうのは、覚えるより忘れる方が得意なんだよ。一時間後には覚えたことの半分以上は忘れてるって話だ」

「でも、それじゃ暗記しても意味ないんじゃ……」

「逆だよ。だからこそ暗記するんだ」


 いいか、と前置きをすると、白瀬が身を乗り出して僕の話に意識を集中した。それを確認して僕は続ける。

「一回だけの暗記だと、一日後には七割のことを忘れてしまう。ところが、二四時間以内に一度復習をすれば、それから一週間経ったあとでも半分のことを覚えてられるんだ」

 白瀬が小首を傾げる。どうもピンときてないらしい。


「つまり、復習をすればするほど忘れにくくなるってこと」

「おお! なるほど!」

 ようやく伝わったようで、さっきまでの涙目から一転、笑顔で頷く白瀬。


「と、いうわけで。これから白瀬には、今日一日で1000の単語を覚えてもらう。そして、これから一週間、毎日この1000の単語を復習することで、記憶に定着させる」

「おんなじ単語を一週間毎日やるってこと?」

「ああ。200語ずつを五日に分けてやるより、よほど効率的だからな」

 でもさぁ、と、白瀬が小声で呟く。


「さすがに1000はちょっと多いっていうか……そりゃ、なんでもやるって言ったのはあいらだよ? でも、1000なんてノートに書き写すだけで一日終わっちゃいそうだし」

 唇を突き出し、言いにくそうに呟く白瀬。自分が勉強を教えてほしいと頼んだ手前文句は言いたくないが、現実的ではないと思ってるんだろう。

 そりゃ確かに、1000もの単語を一日で、ノートに書き写して覚えるのは非現実的だろう。だが――


「いや、単語の暗記にノートは不要だぞ?」

「へ?」

 この数日だけで何度見たか分からない白瀬のきょとん顔。


「暗記にもこれを使うんだ」

 言いながら、僕はその手に握ったスマートフォンを、これ見よがしにふるふると振った。


「え、っと、えーたんごがくしゅーあぷり……?」

 アイコンに書かれた文字を読み上げる白瀬。

「ああ。何も僕だって、一日で1000単語のスペルまで完璧に暗記できるとは思ってない。今回白瀬に覚えてほしいのは単語の意味、日本語訳だ」


 白瀬が達成すべき条件は、学年三十位以内に入ること。

 この条件では、〝何のテストで三十位以内に入るか〟については特定されていない。

 定期考査ではまずムリだろうし、白瀬にはまだ伝えていなかったが、この時点で僕は既に、白瀬の目標を〝学期末マーク模試で三十位以内に入ること〟に定めていた。


 学期末マーク模試はマークシート形式で行われる。筆記の問題は無い。

 つまり、単語のスペルを覚える必要が無いのだ。

 代わりに必要となってくるのが、単語の意味を即座に理解する能力。その能力を育てるのに最適なのが、英単語のアプリだ。

 単語が表示され、その下にその単語の意味を表す日本語が四択で表示されるという形式のもので、五秒以内に選ばないと時間切れとなってしまう。平均三秒程度で選択肢をタップすれば、五分で100単語、一時間弱で1000語を一周できる計算だ。それに。


「あいら、英語なんていっこも知らないと思ってたけど、ばすけっとぼーるとか、さまーとか、知ってるのも結構あるもんだね!」

 早速アプリをインストールし、操作確認がてら少しだけ問題を解いていた白瀬が元気よく言った。


 そう、今回白瀬に覚えてもらう1000の英単語は、全て中学生の学習範囲である。

 1000といっても、「I」だの「you」だの「dog」だのも含んでの数字なので、そこまで大変では無いはずだ。


「最初に1000単語も覚えろって言われたときは、きょーちゃんの鬼! って思ったけど、これならなんとかなりそうかも」

 元気を取り戻した様子の白瀬に、僕は言った。


「学年三十位以内に入るための最初の目標は、中学英語を完璧にすることだ。そのためにも、英単語アプリで単語の勉強を毎日進めてほしい。朝の通学時間に一周目をやり、帰りの電車の中で朝間違えた単語の確認、夜に仕上げの一周……という形でとりあえず試してみてくれ」

 ちなみに、暗記科目は寝る前にやると記憶に定着しやすいらしいぞ、と豆知識も付け加える。


「ん、なんだ、その目は」

 白瀬がこちらを見ていたので、思わず訊ねる。

 眼をつけられた時のような台詞が出てしまったが、そういうわけではない。逆だ。

 白瀬は瞳をきらきらと輝かせて、僕を見つめていた。


「きょーちゃんせんせ、すごいね!」

「何が?」

 困惑する僕に、白瀬が言葉を重ねる。

「なんていうか、あいらのこと考えてくれてる気がするっていうか……。ほら、学校の先生に「勉強教えて!」って言っても、「どこが分からないんだ?」って返してくるじゃん。でも、そもそも分からないところすら分からないから、何したらいいのかも分かんなくて困ってるわけでさ」


 一度目を伏せ、かと思うと、白瀬はまたこちらを見た。

 真っ直ぐな瞳を直視できず、今度は僕が目をそらす。


「でも、きょーちゃんは、何をしたらいいのかはっきり言ってくれるじゃん。それに、きょーちゃんの言うこと聞いたら結果が出るって、あいらもう知ってるし」

 先日の英単語テストのことを言っているのだろう。でも、あの英単語テストで白瀬が満点を取れたのは、白瀬がきちんと勉強をしたからだ。僕は、大したことは何もしていない。


 にもかかわらず、白瀬は言った。

「だからね、ありがとっ! きょーちゃんに先生を頼んでよかった」

 弾けるような、笑顔だった。

 その笑顔は、僕には眩しすぎる。


――藤波のおかげで、ほんと助かるよ。


 頭の中に響く声。もう何年も聞いていない声なのに、まるで本当にその声がしたかのように、鮮明に響く。


「……そういうのは、無事三十位以内に入ってからにしてくれ」

 冷たい口調になってしまったが、白瀬は「それもそうだね」と、笑って流してくれた。流石のコミュ力の高さに、僕はほっと息をついた。



 思い出したくなかったことまで一緒に思い出してしまい、僕は軽く頭を振る。幸い白瀬には気づかれなかったようだ。

 二日ぶりの勉強会は、中一レベルの英文法を教えてお開きとなった。

 事前に単語を覚えてきて貰っていたおかげで、スムーズに文法の説明を行うことが出来た。


 放課後、一緒に勉強できる時間は限られている。

 暗記など自分で出来ることは家でやってもらい、文法の理解など僕が教えるべきことを放課後にやった方が効率がいい。基本スタンスはそれでいくことにした。


 ピコン。

 お風呂上がり。リビングでくつろいでいると、スマートフォンが間の抜けた音を立てる。ろくに友達もおらず、普段は時計兼動画再生機となっているそれ。

 画面をタップすると、チャットアプリに通知を表す数字がついていた。


「お、めずらしいね。おにーちゃんにメッセくるなんて」

「人のスマホを勝手に覗くんじゃない」

 失礼なことを言ってきた妹――柚子にデコピンで制裁を加えつつ、妹の視界からスマホの画面を外す。


「べつに、どうせ企業垢かお母さんからなんだから、見られて困るもんでもないでしょ?」

 おでこをさすりながら言う柚子。ちょっと前までは何をするにしても僕の真似をしてて可愛かったのに、小学校高学年になって急に反抗的になってきた。さっきの五〇〇倍痛い、スーパーウルトラデコピンをお見舞いしてやろうか。


「僕にだって、メッセ送ってくるやつくらいいるっつーの」

 えー、でもさ。と妹が言う。


「おにーちゃんいつも言ってんじゃん。「この世は学力が全てだ。金も友達もいらないんだー」って」

 柚子の言ったとおり、確かに僕は常々「この世は学力が全てだ」と口にしてきた。そして、その考えは今も変わらない。


「まあな。柚子もちゃんと勉強するんだぞ」

 そう言って、妹の頭をわしゃわしゃ撫でる。

 「やめろー」と口で言う割に満更でもなさそうで、しばしそのまま兄妹でじゃれ合う。


 ほどなくして満足した僕は、リビングをあとにして自室へと戻る。小学生の頃からの付き合いになる学習机に着席し、スマホを開いてメッセージを確認した。

 この世は学力が全て。金も友達も要らない。その考えは今も変わらない。変わらないはずだ。


《明日は十時に駅の改札集合ね!》


 見慣れない金髪ギャルのアイコン。可愛らしい絵文字とスタンプ。

「なにやってんだろうな、僕は」

 そう呟きつつ、僕はメッセージアプリに「了解」と打ち込んで送信ボタンを押した。

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