問2.ギャルがトイレに行く回数を求めよ

「断る。悪いが他を当たってくれ」


 僕の解答を受け、出題者である少女は猫目をまんまるに見開いた。


 放課後の図書室。

 大半の生徒は部活動に励み、そうでない者は友達と遊ぶなり、バイトに精を出すなり、恋人と制服デートをするなり、青春とかいうしょうもない事柄のために時間を浪費しているこの時。


 僕は同じクラスのギャルと向き合っていた。

 女子にしては長身の体躯。紺のルーズソックスに包まれた脚はすらりと長く、極端に短いスカートでもなぜか健康的な印象を受ける。ぴったりサイズのワイシャツは第二ボタンまで開けられ、襟ぐりから二つの膨らみが存在を主張していた。

 きわどいところまで露わになっている胸元も、学校指定ではない派手な色のリボンも目を引くが、もっとも印象的なのはブロンドの髪だ。まるで陽の下にいるのが当然かのように、陽光を受けてきらきらと煌めいている。


 対する僕は――僕は窓に視線をやる――窓には、長い前髪で顔を隠し、無駄にでかい身体を縮こまらせた、猫背で冴えない自分の姿が映っていた。


「え、ちょ……マジ? 藤波、勉強教えてくれないの? なんで???」


 だからだろう。目の前のギャルは、信じらんないとでも言いたげに困惑していた。そりゃあ冴えないクラスの陰キャくんに、カーストトップに君臨する自分のお願いが断られるとは思わないよな。


 ことの起こりは、二分ほど前に遡る。

 いつも通り図書室へ自習にきた僕は、もはや定位置となっている窓際の席に座り、問題集とノートを開き、さあ解くぞと思ったところでクラスのギャル――白瀬に話しかけられた。


 扉が開いて白瀬が入ってきた時は、単に誰かと待ち合わせでもしているんだろうと思っていた。図書室には雑誌や漫画なんかも置いてあるし、時間を潰す目的の人間が訪れることはままある。


 しかし、僕の予想を裏切り、白瀬はきょろきょろと図書室を見回すと、僕の姿を見つけてこう言ったのだ。


「よかったぁ。藤波が放課後は図書室で自習してるって話、ほんとだったんだ」


 この時点ですでに僕の頭の中は疑問符でいっぱいだったのだが、僕を見つけるなり駆け寄ってきた白瀬は、更に意味不明なことを言ってきたのだ。


「ねえ、藤波。私に勉強教えてっ?」と。


 状況整理兼現実逃避の回想を終えた僕は、観念して目の前の現実と向き合うことにする。

 と、現実こと白瀬と目が合った。その表情には、どうして勉強を教えてくれないのか、説明をしてくれないと納得がいかない、と書いてある。


 白瀬の手は僕の問題集の上に置かれていて、このままでは勉強が始められない。

 僕は小さくため息をつき、口を開いた。 


「逆に訊くが、むしろなんで教えてもらえると思った? メリットがないだろう。僕に」


「メリットって……。クラスメイトが困ってたら助けるのがフツーでしょ?」


「僕に君たちの普通を押しつけないでくれ。僕は君たちみたいにクラスで幅を利かせてる奴らが、自分にとって都合のいいときだけ話しかけてきて、手を貸してもらって当然みたいな態度取ってくるのが死ぬほど嫌いなんだよ」


 ついでに言うと、同じクラスだから一致団結して……みたいな仲良しごっこも嫌いだ。たまたま同じ部屋に押し込まれて、一年間同じ空間で勉強をするだけの集団で、どうしてわざわざ〝みんな仲良く〟しなくちゃいけない?


 時間は有限だ。高校三年間という限られた時間を、僕は有意義に使いたかった。端的に言うと一人で勉強をしていたかった。

 人と関わるのなんて無駄だ。早く帰ってほしくて敢えて冷たく言い放つと、白瀬は言葉を失った様子でしばし黙り込んでいた。 


 これだけ言えば、諦めて帰ってくれるだろ。

 けれど、僕の予想を裏切り白瀬は図書室を去らず、口を開いた。


「……確かに、教えてもらう立場だってのに、さっきのはナイよね。ごめん」


 しゅんとした様子で頭を下げる白瀬。

 てっきり、「藤波のくせになに生意気言ってんの?」的な返しがくると思っていたので拍子抜けしてしまう。


「いや、分かればいい。では、僕は自習に戻るから」


 だから可及的速やかにここから離れてほしい、せめて問題集の上にのせられたままの手をどけてほしい、そう続けようとした僕の言葉に被せるように、白瀬が言った。


「でも」

 力強い、意思の篭もった声。

「でも、引くわけにはいかないの。お願いします。藤波恭二さん、あたしに勉強を教えてください」


 言うやいなや、頭を大きく下げる白瀬。

 根元まで金の髪が、さらさらと僕の問題集を覆った。

 どうやら、遊びやその場の思いつきで言っている訳ではないらしい。


「……さっきも言ったが、白瀬に勉強を教えても僕にメリットがない。そもそも、どうして僕なんだ?」


 この学校ではテストの度、各学年成績上位三十名の名前が張り出される。僕の名前は入学以来そこに載り続けているので、白瀬が僕の成績を把握していてもおかしくない。

 でも、別に僕は天才じゃない。学年でぶっちぎりのトップという訳ではないし、なんなら、一位以外の順位を取ることの方が多い。

 毎日勉強していてこれなのだ。僕より頭がいい奴はほかにもいるし、っていうか勉強を教えてもらいたいなら、先生を頼るとか、塾に通うとか、ほかに色々方法はあるだろう。


「つまりさ、メリットがあれば教えてくれるってこと?」

 後半の質問には答えず、白瀬が質問を返す。


「メリットの内容にもよるが……」

 僕の言葉を聞いて、白瀬は何か決意を固めるように、ちいさく頷く。


「だったらさ、こういうのはどう? 藤波があたしに勉強を教えてくれるお礼に、あたしは藤波に〝いいこと〟教えてあげる」


 言いながら、机に浅く腰掛けて脚を組む白瀬。

 それに連動してはためく、短いスカート。反射的に顔を逸らしたが、瞼の裏には太ももの白がしっかりと焼き付いてしまった。

 さらに、白瀬は僕の返事を促すように、机に腰掛けたままぐっと身を乗り出した。ワイシャツは第二ボタンまで開けられており、大きな二つの膨らみが、丁度僕の眼前に迫る。この人、上も下も防御力が低すぎないか? 色々なものが見えそうなんだが?


「っ、でも、僕は」

 思わず言葉に詰まる。唾を飲み込んだ喉が鳴って、その音さえ相手に届きそうな距離がひどく落ち着かない。


 いいことってなんだ。つまり、その、そういうことか?

 目の前に座るのは金髪の陽キャギャル。勉強のお礼にそういうことをしちゃうような価値観を持っていても、おかしくはない、のか……?


 いや、落ち着け藤波恭二。仮に。仮に白瀬の言う〝いいこと〟というのが今想像しているような事柄だとして、それは本当に必要なことか?

 恋も青春も全て無駄なこと。この世は学力が全て。

 なら、勉強の時間が減ってしまうような申し出は断るべきだ。そうだろ?

 本当に優先すべきものを再確認し、やはりこの申し出は断固拒否しようと思ったところで、ふいに白瀬が口を開く。


「……がんばってるから」

 ぽつり、と言葉が零れた。


 え、と思わず間の抜けた声が漏れる。脈絡もなく放たれたその言葉が、「どうして僕なんだ?」という少し前の問いに対する答えだと、少し遅れてから気づいた。

 口に出すつもりはなかったのか、白瀬は、はっとして僕の方を見たかと思うと、顔を赤くしてわたわたと言葉を続ける。


「あっ、いや、……ほら、勉強ってさ、頭良すぎる人にきいてもよく分かんなかったりするじゃんっ? どうやって解いたの? ってきいても、見れば分かるじゃんって言われちゃったり。だから、元から天才の人より、がんばって勉強してる人の方が……って、あ、藤波が頭よくないって言ってるんじゃないよ?!」


 あーもうなに言ってんだろあたし、これじゃほんとに断られちゃうよーとか何とか白瀬が続けるが、その言葉は上手く頭に入ってこなかった。

 本当に、びっくりしたのだ。

 てっきり、地味で目立たない僕なら断らなさそうだから、とか、そんなとこだろうと思っていたから。

 びっくりしたし、正直に言って……悪い気はしなかった。

 先ほどまでとは違った理由で、胸が高鳴る。鼓動が再び煩くなり、体温が一、二度上がったような気さえする。


――藤波のおかげで、ほんと助かるよ。


 脳裏に甦った声のお陰で、僕の頭は冷水をかけられたように冷えた。

 息を大きく吸って、吐く。

 何舞い上がってるんだ僕は。人に勉強を教える? そんなことして何になるんだよ。引き受けるべきじゃないだろう。

 とはいえ、もう一度断っても、目の前のギャルは引き下がりそうにない。ならば……


「……わかった」

「ほんとっ?」

 白瀬の顔が、ぱあっと明るくなる。

「ただし!」

 その顔に指を突きつけ、僕はあることを口にした。

「それは白瀬が条件をクリア出来れば、の話だ」

「……条件、って?」


「明日の英語の小テストで、白瀬には満点を取ってもらう」


 勉強を教えるなんてごめんだ。でも、ただ断っても引いてくれそうにない。そこで僕が思いついたのが、この作戦だった。

 ずばり、面倒くさい条件を突きつければ、相手の方から断ってくるだろう作戦、である。


 白瀬が単なる思いつきやその場のノリで勉強を頼んできたのであれば、これで引いてくれるだろう。

 びくん、と白瀬の肩が跳ねる。


「ちょ、さすがに満点はムリだよっ。あいら、英語がいちばん苦手だし。それに、今まで小テストはいつも0点で」

 案の定、白瀬は瞳を潤ませて手をぱたぱたと横に振る。作戦通り。

「これがクリアできないようであれば、この話はなかったことに……」

 思い通りに事が運び、思わずにやけそうになるのを必死で堪え、僕は言った。


 ちなみに、英語の小テストは、英語表現という授業の際毎回行われる単語のテストだ。

 内容は、英単語の意味を日本語で答えるという、単純なもの。

 テストの範囲は事前に知らされ、生徒たちは予習をしてくることになっている。その小テストで、いつも0点って。

 一体このギャルは、どれほど勉強が出来ないのだろうか。


 ともあれ、ようやく落ち着いて自習が出来る。

 いつの間にか白瀬の手が問題集からどけられていた。ここまでのやりとりで遅れた分を取り戻そうと、僕が一問目を解き始めたところで。


「……やる」

 白瀬が、言った。


「やるよ。小テスト、満点とるよ! 寝ないでたくさん勉強する!」

 自分で自分を鼓舞するように、白瀬が元気よく言った。

 しかし、言葉の力強さとは裏腹に眉は八の字を描き、不安そうな表情は隠しきれていない。

 いや、寝ないでやるって……


「……小テストなんて、一〇分もなしに満点取れるようになるだろ」

 心の声が、思わず口から漏れた。

 その言葉を耳聡く聞きつけ、白瀬が僕の手を包み込むように両手で握った。ひんやりとした細くて白い指に包まれ、僕はその手を振り払うタイミングを逃してしまう。


「マジ?! どんな魔法使ってんのっ? 教えて!」

 しまった。そう思った時にはもう遅い。

 明日のテストで白瀬が満点を逃せば、僕は白瀬に勉強を教えなくて済むのに。


「じぃ―――」

 白瀬は僕の手を握ったまま、じぃっと実際に口に出しつつ、僕のことを見つめてくる。


 ああもう。勉強法を教えるまでは、意地でもここを去らない気だなこいつ。

 しょうがない。どうせ勉強法を教えたところで、白瀬がやる気を出して実践しない限り、満点を取ることはないんだ。ここは少しばかり、ヒントを与えることにしよう。

 観念した僕は、明日の小テストで満点を取る上で欠かせない、重要なことを白瀬に訊いた。


「――ところで、白瀬は一日に何回トイレに行く?」

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