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 調査隊の悲劇的事故の記憶も徐々に薄れてきた頃、ハージーブ導師が逝去した。老衰であった。


《大解放》からしばらくの間、《繫がれし者》の死には葬儀が伴わなかった。その代わり、《繫がれし者》たちは《繋がり》を通じて死者に対して十分な哀悼の意を捧げていたのだが、その有り様が《自由民》には不可解な存在として受け止められていた一因であった。プロスペルが《繫がれし者》となってからは、《繫がれし者》の死者も表立って弔われるようになった。ことにハージーブは、今や《自由民》も《繫がれし者》も問わず人々を導くプロスペル導師の恩師だったこともあり、その葬儀には多くの人々が参列した。


 だが、そこにアスミナの姿はなかった。


 彼女はハージーブに格別の恩義を感じてはいなかった。それどころか《自由民》にも《繫がれし者》にも等しく嫌悪を抱いていた彼女にとって、ハージーブはその内のひとりに過ぎない。球房にいるアスミナの視界は、ハージーブの遺体を収容したカプセルが宇宙船外に射出される様を捉えたが、彼女の目にはなんの感慨も浮かぶことはなかった。


 その後もアスミナは球房に籠もって、惑星の観測に没頭した。彼女は膨大な観測データを観測所に送り続けたが、いずれもデータ分析の段階で撥ねられるばかりで、有人調査が実施されることはなかった。


 人知れず観測を続けるアスミナは伝説的存在を通り過ぎて、やがてその名を知る者すら少なくなっていった。観測に専念したいアスミナにとって、それはむしろ好都合だったろう。球房は決して隔絶した空間ではなかったが、関心事以外の情報を積極的に集めようとはしなかったアスミナは、結果として世捨て人同然の生活を送り続けた。アスミナにとって外部とのコミュニケーションは、不定期に現れるプロスペルの立体映像だけで十分であった。


 有人調査以前であれば数ヶ月に一度はアスミナの姿を見る者もあったが、それ以降となるとまったく皆無となってしまった。それどころか観測報告までが滞るようになって、それもやがてぷっつりと途絶えてしまった。


 ◆◆◆


 アスミナが久々に宇宙船主機体に姿を見せたのは、ハージーブの死から数年後のことである。


「アスミナ・エフドロワ観測者ですね。お初にお目にかかります」


 最早誰も彼女の顔など覚えていないだろう。そう考えていたアスミナを見るなり声をかけたのは長身の、精悍な顔つきの青年であった。


 おそらくアスミナよりもひと回り若い、ヤシオ・タンバーと名乗った青年はそう言って骨太の手を差し出してくる。やむなく握手に応じながら、アスミナは彼の名に聞き覚えがあった。


「もしかして、調査隊の」

「ご存知でしたか。生き残りのひとりです」


 ヤシオの言葉には皮肉めいた声音はない。ただ事実を告げるのみといった青年の面持ちから、アスミナは無意識に視線を逸らした。


「よく私の顔を知っているね。恨み言なら受けつけるよ」


 調査隊が事故に遭った、その責任の一端は、観測データを提出した自分にもある。調査隊員や遺族からは罵声を浴びせかけれてもやむを得ない。何年ぶりかに主機体を訪れるに当たって、アスミナもその程度の事態は覚悟していた。


 だがヤシオ青年はゆっくりと首を振って、彼女の言葉を否定した。


「そんなつもりは毛頭ありません。あなたはあなたの責務を果たしたに過ぎない。ただ、今日であればきっとあなたに会えると思い、お待ちしていました」


 アスミナが球房を出て主機体を訪れた理由――それは偉大なる初代観測所長サンドルウェス・ケブエの葬儀に参列するためであった。


 ハージーブの葬儀は無視を決め込んだアスミナも、プロスペルの親であり、球房を手配してくれた恩人であるサンディの葬儀には、さすがに顔を出さないわけにはいかなかった。サンディの葬儀会場となった船内最大のホールには、彼女の死を悼む人々が長大な列を成していた。アスミナもまたその中のひとりとしてホールを訪れ、カプセル内に安置された死せるサンディに最後の挨拶を済ませたばかりだった。


「わざわざ待ち構えていたとはご苦労だ。そうまでして私に会う理由があった?」

「はい。あなたには直接お伝えすべき話があります」


 青年はそう言って、ホール外の屋外に設けられたカフェテラスを指し示した。その態度は丁寧だが有無を言わさず、アスミナは言われるままに彼の後に続いた。


「私は今、四代目の観測所長を務めています」


 プラヤトが事故死して観測所長が交替したことは知っていたが、さらに代替わりしていたことを、アスミナは知らなかった。


「もう四代目か。時が流れるのは早いな」


 人の手で淹れられたコーヒーを飲むのは、もう何年ぶりだろう。現像機プリンターが再現するコーヒーとは微妙に異なる香りは、アスミナにとって微妙な居心地の悪さに通じていた。


「現在、観測所――いえ、この宇宙船は大きな問題を抱えています」


 同じくコーヒーを注文したヤシオは、だがカップにはひと口もつけない内から厳しい顔で切り出した。


「球房を出られたのは相当久方ぶりでしょう。そのあなたの目から見て、何か気がついたことはありませんか」


 そこまで言うからには、ひと目でわかるほどの変化があるのだろうか。アスミナは怪訝に思いつつ、周囲を見渡した。だがホールそのものや周辺の景色に目立った違和感はない。そのほかに目に入るものといえば、サンディの葬儀に向かう人々を含めた大勢の人々の姿ぐらいだ。


「わからないね。昔に比べれば賑やかになったかなって程度だ」


 だがヤシオはさすがと言わんばかりに頷いた。


「まさにそれです、アスミナ。宇宙船には今、何人が暮らしているかご存知ですか」

「観測所長が代わったことすら知らなかった私が、そんなこと知るわけないだろう」

「船内人口は、もう間もなく一万人に達します」


《大解放》が引き起こした惨事によって二千人弱まで落ち込んだ船内人口は、その後《自由民》の自然交配を元に多産が文化的に根づいたお陰で、急激に回復しつつあった。医療用ナノマシンによる万全の体調管理、そして《繫がれし者》がコントロールする船内では、衣食住はもちろん出産から育児まで十全なフォローが行き渡る。人口減少の要因は見当たらない中、宇宙船は百年経たずして《大解放》以前の人口を取り戻しつつあった。


「《大解放》がやらかした穴がようやく埋め合わせ出来たなら、そいつは結構なことじゃないか」

「一万人という数がそのまま維持されるなら良いでしょう」


 関心なさそうに呟いたアスミナに比べて、ヤシオの顔は険しい。


「これまで多産を奨励されてきた《自由民》の人口が、一万人に達した途端に頭打ちになるわけがない。このペースでいくと二万人に倍増するのも、そう遠い話ではないのです」


 そこまで言い切られると、アスミナとしても聞き捨てならなかった。


「そんな人数、賄えるわけがない」

「はい。実は既に出産制限の方針は打ち出されていますが、子沢山こそ美徳という文化が根づいたこの船で守る者はほとんどいません。罰則の規定も検討していますが、これも効果があるかは疑わしい」

「確かにそいつは大問題だ。放っておけば宇宙船のエネルギーが食い尽くされる」


 テーブルの上にカップを戻しながら、アスミナは言った。


「だけどわざわざ私に直接会って伝えるべき話とは思えない。そりゃ大事だが、通知ひとつで済む話だ。私個人がどうこうという問題じゃないだろう」

「それだけなら確かにその通りです。ですがこの先はあなたにも大いに関わりがある。せめてこうして直接お伝えすべきと考えたのは、私なりのけじめです」


 訝しむアスミナに、ヤシオは言った。


「人口増に対処するエネルギー消費の節約のため、観測所は宇宙船内に配置されている観測席の閉鎖を決定しました。今後の観測は《大解放》以前に倣い、宇宙船従来の機械観測によるデータ収集に切り替えます」


 唐突な通達に唖然とするアスミナの反応を見越していたのだろう。ヤシオはことさらに神妙な顔で告げた。


「球房観測所も、今から一年後をもって閉鎖します。アスミナ・エフドロワ観測者はそれまでに撤収を終えて下さい」

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