3-2

 観測者アスミナ・エフドロワは、その頃には既に伝説上の存在になりかけていた。


 観測所には定期的に連絡を寄越すから、その際にホログラム・スクリーンや立体映像によって映し出される彼女の姿を知る者は少なくない。だが実際の彼女を見たことがある者はサンディ以外に誰ひとりおらず、アスミナ・エフドロワとは実在しない、仮想人格なのではという噂がまことしやかに囁かれていた。


「そんな噂が立つのも、君が球房に引きこもりっぱなしだからだ」


 苦笑するプロスペルの立体映像に、コーヒーの注がれたカップを手にしたアスミナが唇の端だけ吊り上げてみせた。


「こっちは定期連絡以上の用事は特にないからね。報告は随時上げているし」


 アスミナは決して周囲との連絡まで絶っているわけではない。むしろめぼしい植民惑星候補を見つければ、その都度観測所にデータを送りつけている。もっとも観測所や《繫がれし者》が詳細に分析した結果、今のところ実際に現地調査の段階には至っていない。


「相変わらず球房での生活を満喫しているんだな。しかしそろそろお呼びがかかるかもしれないよ。準備だけはしておいた方がいい」


 プロスペルらしからぬ含みのある物言いに、アスミナが細い眉を軽く跳ね上げた。


「どういう意味だい」

「先日君から送られたデータだが、その内のひとつについてさらなる調査の必要ありとの分析結果が出た。おそらく現地調査隊が派遣されることになる」


 アスミナの目は軽く見開かれ、カップを持ったままの右手も止めて、表情が固まった。その様子を楽しそうに眺めているプロスペルに、アスミナの薄い唇がゆっくりと問いかけるまで、しばしの間が必要だった。


「――本当?」

「本当さ。《大解放》後、初の現地調査だ。いずれ観測所からも連絡があるだろうが、堪らずに伝えに来たんだよ」


 喜色を浮かべたプロスペルの言葉に、アスミナが「よし!」という歓喜の声を上げた。同時にカップを握り締めたままの両手が、力強く握り締められる。弾みで球房の壁に映し出された宇宙空間にコーヒーが飛び散ってしまったのだが、アスミナには最早それどころではなかった。


 アスミナが三十歳になる、直前のことであった。


 ◆◆◆


 プロスペルが《繫がれし者》となることを宣言して、《自由民》は大いに混乱した。だがそれがプロスペル自身の意思であること、観測所長サンディが反対しないことを受けて、反発する者も表立っては声を上げなかった。


 やがてプロスペルに続いて《繫がれし者》となる《自由民》が現れるようになると、両者の意識は変化を余儀なくされた。《繫がれし者》は自然交配から誕生したヒトを取り込んで血の意識を理解し、《自由民》は彼らの血が加わわった《繫がれし者》に対し同族意識を育んでいく。それはある種物理的な《繋がり》とは異なるが、《自由民》の間には広く共有される、今少し時間を経ればいつしか伝統と呼ばれることになる感覚であった。


 サンディはプロスペルが《繫がれし者》となって以来、それまでの行動力がすっかり鳴りを潜めてしまった。そしてその五年後、サンディはとうとう観測所長の座を退いた。彼女の跡を継いだのはサンディを支えていた十二人の内の最年少で、プラヤト・テンパレイという。プラヤトは観測者としてよりも、宇宙船外活動の経験が豊富な男だった。


 アスミナが報告した観測データに基づく、有人調査が必要とされた惑星に趣くのは、プラヤトが率いる七名の調査隊と決まった。調査隊メンバーにアスミナの名はなく、自分も当然調査隊に加わると思い込んでいた彼女は大いに憤ったが、調査船の操作や宇宙船外活動、現地調査に必要な知見の不足を理由に彼女の同行は却下された。「もし植民可能な惑星と判明したとして、第一発見者としてのあなたの名誉はいささかも損なわれない」というプラヤトの説得にもアスミナは納得せず、調査船が出発する直前まで観測所との定期連絡まで絶つ有様であった。


 プラヤトたち七名の調査隊の出発は、宇宙船の住人にとっても重大な関心事であった。惑星の静止衛星軌道上に待機した宇宙船からゆっくりと降下していく調査船は、船内のあらゆる場所で中継され、《自由民》たちは彼らの勇気ある行動に賞賛の声を送った。《繫がれし者》たちは地表に降り立った調査隊たちの行動を把握すべく、精神感応力を最大限に稼働させた。いざという場合には彼らや調査船に対して精神感応力をもって干渉し、予想外の危機を回避するためであった。《繫がれし者》は《大解放》以前に三度の有人調査を経験しており、静止衛星軌道からであれば惑星の地表にまで十分に精神感応力が及ぶことを知っていた。


 球房の中で、アスミナは惑星に目を凝らし続けていた。彼女の周りに展開されたホログラム・スクリーンには、《繫がれし者》を経由して観測所が取りまとめた調査の様子が映し出されている。アスミナはそれらを眺めながら、回転する球房の視界に惑星の姿が入り込む度、食い入るようにその地表に見入った。


 赤茶けた地面が大半を占める惑星は、時折り火山活動と覚しき赤い輝きがところどころに光る。惑星はアスミナの観測データを分析した結果、宇宙船に積み込まれた惑星改造機能で対応可能なレベルと判断されているが、実地調査で覆される可能性は大いにあった。《大解放》以前に三度も有人調査を繰り返されたこと自体が、その証拠だ。果たしてアスミナはこの星に降り立つことが出来るのか。この星が彼女の居場所になり得るのか。この目で見極められないことをもどかしく思いながら、アスミナは惑星から目を離すことはなかった。


 ◆◆◆


「現地調査の結果、本惑星は植民可能レベルに達しないと判断された」


 球房内に佇立するプロスペルの立体映像を前にして、アスミナは無言だった。


「如何せん火山や地震などの地殻変動が活発すぎる。この惑星が植民可能になるには、まだ数千年が必要だろう」


 プロスペルも努めて事務的な表情を保とうとしている。だが彼の頬の肉は少しばかり落ちて見え、憔悴を隠し切れていなかった。


「火山活動の被害でプラヤトを含む四名の犠牲者を出したのは、我々としても痛恨の極みだ」

「それを言うなら、私の観測がそもそも甘かった。危険な惑星に調査隊を出させた責任は、私にある」


 抑揚に欠けた口調で、アスミナは無表情にそう告げた。彼女の表情だけでは、プラヤトたち犠牲者を悼んでいることも、反省も後悔も窺えないだろう。


 だがプロスペルには彼女の内心まで読み取れる。それは《繫がれし者》の精神感応力によるものだが、たとえそうでなくとも彼にはきっと推し量ることが出来たに違いない。


 そして不幸な調査結果を聞いてなお、観測者としての心が少しも折れていないということも。


「いつか必ず、ヒトが住める惑星を見つけてみせる。私にはそれしか出来ない」


 アスミナの薄茶色の瞳に浮かぶのは、静かだが確固たる意志であった。

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