第三話 アスミナ・エフドロワ

3-1

「……偉大なる観測所長サンドルウェス・ケブエの子として生まれた私は、皆を率いてきたサンディの子らしく、お前も将来は仲間のためにあれと、幼い頃より聞かされて育ってきました。仲間とは即ち、この宇宙船に暮らす人々です。ですが昨今、《自由民》の間には《繫がれし者》を仲間と認めようとしない風潮がある」


 宇宙船内の様々な場所で、プロスペルの顔がホログラム・スクリーンに映し出されている。背後に立つサンディとハージーブのふたりに見守られながら、プロスペルは努めて穏やかに、抑揚の効いた口調で語りかけた。


「《自由民》と《繫がれし者》は根本から異なるという考えがあります。なるほど、《繫がれし者》の持つ《繋がり》は、《自由民》には有り得ない力です。私のように生まれながらの《自由民》であれば、どんなものか想像もつかない。ですが私たちの親――それこそ観測所長サンディの世代は、かつて《繫がれし者》であったことを思い出して下さい。《自由民》は個々に自立して、《大解放》によって激減した人口と活気を取り戻すこと。《繫がれし者》は宇宙船という、我々にとって唯一の世界を維持すること。元々はひとつだった両者は、それぞれの役割を担って二手に分かれたに過ぎません」


 スクリーン上のプロスペルは瞳に暖かな眼差しを湛えて、表情は落ち着き払っている。まだ少年に過ぎないというのに、彼の存在感は見る人を安心させる。やはりサンディの子らしい、プロスペルには人の上に立つ資質があると、アスミナは思う。


「それは決して袂を分かつという意味ではない。なのに両者に齟齬が生じつつある現状は、この宇宙船という閉じた空間の中にあってなんの益ももたらしません。皆さんには今一度、両者は共に手を携えるべき仲間であることを思い出して欲しい。そのために、私は《繫がれし者》になることを選びました」


 きっと今頃、船内のあちこちで議論百出していることだろう。誰もが観測所長を引き継ぐものと信じていたプロスペルが、まさか《繫がれし者》になろうとは、《自由民》には青天の霹靂に違いない。プロスペルにはこれから、彼の決断を支持する者から反対する者、考え込む者、呆然とする者、それでも彼の言うことに耳を傾けようとする者など、様々な反響が待ち構えている。


 だがプロスペルにはきっと、そういった多様な考えを受け止めることこそ望むところなのだ。皆のためを貫こうとする彼は、精神感応力によらない、《自由民》らしいコミュニケーションによって人々を導こうとしている。かつての《自由民》はサンディが示す行動がそのまま彼らを率いることになったが、今ではもう数が多くなり過ぎてその方法は通用しない。プロスペルは《繫がれし者》となることで多くの意見を汲み取って、サンディとは異なる手法で人々をまとめあげようとしている。


「私はここで、必ず星をみつけてみせる。あんたはあんたらしく頑張んな」


 プロスペルが《繫がれし者》となることを船内に公表した演説を、アスミナは球房の中、億千の星の光が浮かぶ宇宙空間に包まれながら聞いた。


 ◆◆◆


 プロスペルが《繫がれし者》となったその裏で、アスミナは球房を手に入れていた。プロスペルに次ぐ成績優秀者としてハージーブ門下を卒業した彼女は、サンディに認められるには十分であった。既にサンディはふたつある球房の内ひとつを観測者専用とすることを取りまとめており、その使用者に観測者となったばかりのアスミナを任命した。


「あなたの情熱は疑いようがない。この船が降りることの出来る惑星を見つけられることを期待してる」


 そう言ってアスミナと握手を交わしたサンディの顔は、この数日で一気に老け込んだように見えた。愛息が自分の後継者とならない現実を受け止めたものの、彼女はこの先の大きな目標を見失ってしまっていた。


「ありがとうございます、観測所長。必ず惑星の発見に努めます」


 アスミナはそれ以上を約束することは出来なかった。自分との出会いがプロスペルの観測所長断念を促したというから、サンディには感謝と同時に少しばかりの申し訳なさがあった。


 球房に移り住んだアスミナは、観測用の様々な機材一式から日々の生活必需品まで持ち込んだ。その中には身体を鈍らせないよう、トレーニングマシンまで含まれる。これまで球房の連続使用時間は一週間と十七時間が最長だったが、彼女はその記録を打ち破るつもりでいた。それどころかアスミナは、球房を終の棲家にする覚悟であった。


 巨大な宇宙船主機体を天頂方向に仰ぎ見ながら、煌めく星々に揺蕩っているかのような球房は、アスミナにとって理想的な環境だった。解放感を極めた部屋は、実際には単身用の居住ブロック一室にも満たない広さであるものの、アスミナには無限の広がりを実感させた。


 宇宙船という、巨大ではあるがどこまでも閉じた環境下は、彼女には息苦しくて堪らなかった。それは《繫がれし者》にも《自由民》にも帰属意識が持てない、彼女故なのだろう。そういえばプロスペルが言っていたことがある。


「《繫がれし者》の候補には僕のほかにもうひとりいたんだ。アスミナ、君だよ」


 何を言い出すのかと目を剥くアスミナに、プロスペルは告げた。


「《繫がれし者》と《自由民》を区別なく、等しく扱うという点において、君は僕以上に公平だからさ」

「公平に嫌ってただけだ。《繫がれし者》も大概だな。今後もお前と同じように《自由民》からスカウトしていくつもりなら、選考基準は見直した方がいい」


 違いない、とプロスペルは笑って応じた。


 プロスペルを皮切りに、《繫がれし者》はいずれ《自由民》出身者に占められていくことになるのだろう。少なくとも自然交配と人工交配の差はなくなるということだ。両者の間に隔たる溝は様々にあるが、手を尽くせばいずれは埋まるものなのだろうか。


 アスミナには関心のないことであった。仮にその通りになったとして、そこに自分の居場所がないという、彼女が抱き続けてきた思いは変わりない。


 球房の中で、果てのない空間に漂っているときこそ、彼女の心は最も平穏だった。


 この瞳に映る数多の星々は、おおよそその何倍もの惑星を従えている。目の前の光点の数さえ肉眼ではとても数え切れないというのだから、それ以上にあるはずの惑星の中に居住可能な惑星がないはずがない。そう思うと興奮のあまりアスミナの身体は火照り、頬は紅潮し、細い両眉が大きく開く。


 デスクは既に彼女専用にカスタマイズされて、卓上からその上の空間までを埋め尽くすように、大小様々なホログラム・スクリーンが常に展開されている。トレーニングマシンで一汗流したアスミナは、シャワーを浴びると髪もろくに乾かさず、デスク脇に設置された現像機プリンターに指を伸ばす。間を置かずに現れたコーヒーと軽食を取り出して、そのままカップ片手にデスクチェアに腰掛けながら、次々と更新されていくスクリーンと周囲に広がる宇宙空間映像との間を忙しなく見比べる。


 観測所との定期連絡やプロスペルとのたまの交信に費やす以外の時間を、アスミナはほとんどそうして過ごした。誰に邪魔されることもなく球房で観測に専念出来る日々は、彼女にとってこの上なく至福の時間であった。


 ひたすらに星の海を眺め続けるアスミナの日々は、十年以上もの間繰り返され続けた。

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