2-5

 漆黒の闇に、燦然と輝く星々が散りばめられている。どこまでも広がりを見せる宇宙空間には、目も開けられないほどに眩い光の海から、底の見えない暗黒の領域まで、目を向ける先ごとにひとつとして同じ表情はない。


 暗闇を背景にした数多の光点に包まれながら、プロスペルは球房の中に佇んでいた。


「観測所長になって良いか、ずっと迷ってた」


 こうして星空を眺めていると、幼い頃に感じた足下の覚束ない不安を思い出す。今はもう泣き出すほどではないけれど、この部屋にいつまでもひとりでいろと言われたら、きっと途中で音を上げてしまうだろうと思う。


「でもどうして《繫がれし者》なんだ。観測所長とは百八十度真逆じゃないか」


 ベッドの端に腰掛けて脚を組んでいたアスミナが、不思議そうに尋ねた。彼女の言葉にプロスペルを詰る声音はなく、それは純粋な疑問であった。だからこそプロスペルは、こうして彼女と共にいる時間を心安らかに過ごすことが出来る。


 宇宙空間に浮かんで見えるのは、天井の一部と宇宙船主機体との連絡用エレベーターの昇降筒、そしてせいぜい四十メートル平米余りの床面のみ。頭上を見上げれば、球房を吊り下げる格好となる宇宙船の、巨大な主機体がゆっくりと回転している様が窺える。据え付けのデスクの脇に立って星空に目を向けながら、プロスペルは頬にアスミナの視線を感じていた。


「《繫がれし者》への不信感が、《自由民》の間でそこまで募っているとは知らなかった。僕は《自由民》も《繫がれし者》もどちらも同じぐらい大切な仲間だと思ってる。だから両者の間に亀裂が生じるなんて見過ごせない」

「だからってお前自身が《繫がれし者》になることはないだろう。観測所長として《自由民》たちを説き伏せればいいんじゃないか」

「多分それじゃ不十分なんだ。《自由民》を率いてきた母さんが、息子である僕を《繫がれし者》になることを認める。そうやって《繫がれし者》もいずれは全員が元《自由民》に置き換わる。それぐらいのインパクトを与えて、ようやく両者の根は同じだって信じてもらえる」


 そこまで言って、プロスペルはようやくアスミナに顔を向けた。


「君が植民可能惑星を見つけたって報告を、観測所長として受け取れないのは残念だけど」

「そんなこと気にしないでいいよ。《繫がれし者》なら私の頭の中をいつでも覗けるんだから、わざわざ報告する手間が省けるってもんだ」


 まるで些細なことだと言わんばかりに、アスミナが小さく笑う。つられてプロスペルも笑みを浮かべる。


 星の海に囲まれながらふたりして笑顔を見合わせる中、先に笑みを打ち消したのはアスミナだった。


「私が気になるのは、それが本当にあんたの望み通りなのかってことさ。観測所長にせよ《繫がれし者》にせよ、あんたはいつも周りの人たちが求める通りであろうとする」


 神妙な顔で口にされたアスミナの言葉は、プロスペルを気遣うと同時に、彼の真意を問い質すものでもあった。


 母の意に反したプロスペルは、結局のところハージーブ導師の思惑に乗せられただけなのではないか。それは真にプロスペルの決断と言えるのか。ただ流されてしまっているのと変わりないのではないか。


「大丈夫だよ、アスミナ」


 彼女の危惧するところに対して、プロスペルははっきりと言い切ることが出来た。


「この数日考えに考えて、ようやくわかった。僕は何になりたいわけじゃない。どんな形であれ、この船の住民のために身を捧げたいんだ。生まれたときから『皆のため』と言い聞かされて育った、僕にはそれこそが望むところだと、自信を持って言える」


 プロスペルの言葉を聞いて、アスミナは軽く目を見開いたかと思うと、やがて肩をすくめて苦笑した。


「かなわないね。そんなに優等生な台詞、あんた以外の誰にも似合わないよ」


 するとプロスペルは身体ごと彼女に向き直り、ゆっくりと一歩ずつ歩み寄る。


「君と出会ってから、僕は観測者になるには力不足だと思い知らされてきたよ。そんな僕が観測所長なんかになって良いか、それで皆のためになるのか、ずっと不安だった」

「あんたほど皆のことを考えている奴はいないよ、プロスペル」

「何が皆のためになるのか、僕は知りたい。皆の考えを知って、その上で皆のためになりたい。《繫がれし者》となって皆の精神に感応することは、そのために最善の手段だと思う」


 そう言うとプロスペルは、そのままアスミナの隣に腰を下ろした。


 星明かりに照らされる中、わずかな距離の先にあるプロスペルの顔を、アスミナが静かに見返す。プロスペルも、彼女の視線を受け止める。


「僕が《繫がれし者》になることを素直に祝福してくれる《自由民》は、多分少ないだろう。だけどアスミナ、せめて君には快く送り出して欲しい」

「あんたが考え抜いた末に決めたことだろう。だったら私は賛成するよ」


 アスミナが当然といった口調で答えると、プロスペルはそこでようやく肩の力が抜いて、同時に我知らずほっとため息をついていた。


「ありがとう、アスミナ」

「そんなことを告げるために、わざわざ球房を予約したっていうの?」

「そこはちょっと母さんの伝手を使わせてもらったよ。でもそんなこと呼ばわりはあんまりだ。公表する前に、君にだけは先に伝えておこうと思ったのに」


 軽く肩を落とすプロスペルを見て、今度はアスミナがベッドの端から立ち上がった。天井に両手を向けて大きく身体を伸ばしながら、彼女は視線だけをプロスペルに寄越している。


 アスミナの薄茶色の瞳には、安堵と肩透かしがない交ぜになって浮かんでいた。


「球房には来たかったから、あんたに誘われたときは嬉しかった。まあ、でも私の思い過ごしで良かったよ。もしあんたに子供を産んでくれと言われても、私は応じることが出来なかったから」


 ああ、という言葉をプロスペルは呑み込んだ。


 球房は睦事に使われる方が多いということは、彼も当然心得ている。プロスペルが球房に誘って、アスミナがそう受け取ったとしてもそれは不思議なことではない。


 でも、なぜ――プロスペルの口が半ば開きかけるよりも先に、アスミナは告げた。


「この船の連中は、男は種だけつけて後はほったらかし。女は女で子供は自分ひとりのものみたいな顔している。自然交配で生まれた子なら、両方の遺伝子を受け継いでいるんだろうに」

「大昔、ヒトが《繫がる》前は、男も女も共に親として子を育てるものだったらしいね」

「別になんでも昔に倣わなくてもいいよ。私はいっそ、自然交配を禁じて全部人工交配に戻した方が、《自由民》と《繫がれし者》の溝も埋まるんじゃないかと思うね」


 それは人工交配で生まれたアスミナらしい考えだったが、今さら受け容れられることはないだろう。コミュニケーションとしての性交から自然交配に至る流れは、《自由民》の間では既に当然のこととして根づきつつある。


「なんにせよ私は誰の子も産むつもりはない。私の一生は自分ひとりのために使う」


 アスミナは毅然とそう言い放った。星の海を背にして佇むアスミナの姿は、プロスペルの目にはどこかしら眩しく映る。


 自分の子を産んで欲しいと、アスミナにそう告げるつもりだった。だがその言葉を使う機会はないのだと理解して、瞼を伏せたプロスペルの口の端には、不思議と納得の笑みが浮かんでしまうのであった。

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