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 プロスペルはその日以来、積極的にアスミナに声をかけるようになった。


 アスミナにしてみれば明らかな拒絶の意思を示したはずなのに、かえって距離を縮めてくるプロスペルが、不審を通り越して薄気味悪かったに違いない。彼の友人たちもまた、プロスペルの行動に最初は戸惑いを見せたが、やがて心根の優しいプロスペルはみそっかすなアスミナを構わずにいられないのだと解釈されたのだろう。いつしか何も言われなくなった。


「いい加減にしろよ、サンディの子」


 だが当のアスミナだけは、いつまで経ってもプロスペルを邪険にあしらい続けた。


「あんたに話しかけられても、かわいそうに思われてるみたいで気分が悪い」


 ハージーブ導師の講義が終わった途端、アスミナが教室から逃げるように飛び出すと、プロスペルもその後を決まったように追いかけた。


「そんなつもりじゃない。君が観測者を目指す理由を、もっとちゃんと聞きたいんだって」

「理由ならもう話しただろう」

「宇宙船や僕たちが嫌いだから? だからってどうして観測者になりたがるのか、わかんないよ」


 アスミナの上着の袖を掴んでまで追い縋る、プロスペルには自分がそこまでする理由こそわかっていなかった。わかっていなかったが、アスミナが観測者になろうとする理由を聞き出すことは、きっと自分自身にとって必要なことなのだと、それだけは直感的に理解していた。


 するとアスミナはプロスペルの手を振り払うように腕を引き――だが薄茶色の瞳にはやや思案する色があった。


「そんなに聞きたいっていうなら、代わりに観測所長に会わせろよ」


 アスミナの出した交換条件は、プロスペルには代償とも呼べない程度の申し出であった。今までだって多くの友人がプロスペルの居住ブロックを訪ねて、サンディも彼らを歓待している。むしろ熱心に観測者を志すアスミナなのだから、彼の方から招いても良かったぐらいだ。プロスペルはアスミナの要求を快く承諾した。


 しかしサンディと顔を合わせたアスミナが、開口一番に「球房をください」と言い出すのは、プロスペルにはまったくの想定外であった。


 いかに息子の友人とはいえ不躾極まりない口上に、サンディは少しばかり目を丸くした。だがその表情はすぐに興味深げな笑みに取って代わり、彼女は両腕を組んでアスミナの顔を見下ろした。


「いきなりだね。どうして球房が欲しいの?」

「今の球房の使われ方は間違ってる。私があの球房を使えたら、きっとヒトが住める星を見つけてみせます」


 アスミナの物言いはいかにも挑戦的だったが、サンディはかえって嬉しそうに肩を揺らす当たり、プロスペルと同じ血が流れているということなのだろう。サンディはアスミナを快く迎え入れた。


「ふたつの球房は今や住民たちに大人気だ。その内のひとつをあなたに上げるとしたら、よほどの理由がないと誰も納得しないよ」

「でも観測所長がそうと決めれば、みんな言うことを聞くはず」

「だとしても、そのためにはまず私を納得させないといけないね」


 プロスペルとアスミナには現像機プリンターから取り出したレモネードを薦め、自らはコーヒーを口にしながら、サンディは少女との会話を明らかに楽しんでいた。


 甘い香りが匂い立つカップを申し訳程度に一口つけてから、アスミナはサンディの顔を見据えつつ言う。


「惑星の探索なんて、本当は機械や《繋がれし者》に任せた方がずっと楽に決まってる。それなのに球房やそれ以外にも観測席をたくさん作って、ヒトの目で惑星を探そうって言い出したのは、観測所長ですよね」

「そうだよ。いつまでも《繋がれし者》の世話になってばかりいられないって、なんとか自立しようと思いついたのが観測者だった」


 サンディはコーヒーを啜りながら、余裕たっぷりにアスミナを見返している。その目に浮かぶのは、アスミナの真摯な態度を微笑ましく思う表情だけではない。サンディはアスミナの言葉に耳を傾けながら、時折り目の端でプロスペルの顔を見やった。将来の観測所長たる息子に、アスミナのような存在は良い刺激になるだろうとでも考えているのだろうと、プロスペルは母の内心を推し量った。


「《繋がれし者》よりも先に植民可能な惑星を発見する――それは私たち《自由民》が独り立ちするために必要な目標だったんだ。惑星探索という共通の目的があったから、《自由民》は今までなんとかまとまってやってこれた」


 観測者の意義を説くサンディに、アスミナは眉をひそめながら尋ねた。


「でもそれってつまり、観測所長もほかの観測者も、本気でヒトが住める星を探してきたわけじゃないってことじゃないですか」


 アスミナの指摘に、今度はサンディのみならずプロスペルも目を丸くした。それはサンディも含めた歴代の観測者を詰らんばかりの発言であった。サンディは先ほどよりも長い間アスミナの顔を凝視してから、やがて低い声で言った。


「つまり私たちの惑星探索は、単なるポーズだったと?」


 自分の発言が過激であることは、アスミナも自覚しているのだろう。少女は身体を強張らせながら、しかしサンディの眼差しを真っ向から受け止めている。それは自身の正しさを信じて疑わない者の表情だった。


 サンディはなおもしばらくアスミナの顔を見つめ続けていたが、不意に目を細めて小さく笑った。


「世の中、正しいばかりが通用するわけじゃない、といってもきかない顔だね。あなたの言う通りだとして、だったらどうする?」

「私が初めての、本当の観測者になります」


 サンディの問いに対するアスミナの答えは、明瞭だった。 


「私はなんとしてもヒトが住める星を見つけたい。宇宙船に閉じ込められたままは我慢ならない。いつまでもこの狭い空間の中なんて、いつか息が詰まりそう」


 そう言って握り締めた小さな手を胸の上に当てるアスミナは、確かに息苦しそうに喘いでいるように見えた。


「私は観測所長の子とは逆、人工交配で生まれた最後のヒトです。教室にいるのは皆、親がいる《自由民》の子供たちばかりだけど、私にはそんなものはない。もちろん《繋がれし者》でもない。私には宇宙船の外にしか居場所がないんです」


 そう言って身を乗り出すアスミナの横顔から、プロスペルは目を離すことが出来なかった。目の前の少女ほど必死な表情を、彼は今まで目にしたことがなかった。


《自由民》は衣食住を保障されて生活に追われることはない。その気になれば居住ブロックから一切出ることなく一生を終えることも可能だ。そして《繋がれし者》の庇護下という息苦しさを意識することもない今、《自由民》は文字通り自由な活動に専念出来る。


 母サンディたちが築いた《自由民》社会は、誰にとっても自由で幸福なものだと、プロスペルは信じて生きてきた。だからアスミナのように窒息しそうなヒトが存在するなど、思いもよらなかったのだ。


「私なら絶対に、ヒトが住める星を見つけ出してみせる」


 それはつまり、アスミナが自分自身に許された居場所を見出すのと同義なのだろう。


 そこまで誰かに語ったのは、アスミナもおそらく初めてのことであった。ほとんど過呼吸になりそうな勢いで息を激しくして、額に落ちかかった少女のくすんだ金髪を、サンディがそっと手を伸ばして掻き上げた。


「あなたが誰よりも観測者になりたいということはよくわかったよ、アスミナ」


 そのままアスミナの頭の上にまで手を乗せて、サンディは少女の顔を覗き込むように顔を近づける。母の仕草を目にして、プロスペルは秘かに息を呑んだ。それはサンディが親しい相手に対するとき――つまりプロスペルにしか見せたことのない仕草であった。


「導師の元で優秀な成績を修めることが出来たら、私を訪ねなさい。それまでに球房を引き渡す準備は整えておこう」


 サンディの言葉に、アスミナの表情が徐々に興奮に染まっていく。血色の悪い少女の顔が、プロスペルが今まで見たことのない生気に充ち満ちていった。


「あなたのような熱心な観測者がいれば、プロスペルも心強いだろう。ふたりとも、この宇宙船の未来を背負って立つことを期待してるよ」


 そこでサンディはようやく息子に顔を向けた。笑顔の母に対して、プロスペルは曖昧な笑みを浮かべながら「うん」と頷くことしか出来なかった。


 アスミナに向けたような観測者としての期待を、果たして母は自分に抱いたことがあっただろうか。ふとそんな疑問が生じてしまったことを、悟られるわけにはいかなかった。

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