第二話 プロスペル・ケブエ
2-1
宇宙船史上初めて自然交配で誕生した、始まりの子。
観測所長サンドルウェス・ケブエの血を引く、次代の指導者。
プロスペルは産まれたときから、《繋がれし者》も《自由民》も問わずして、多くの人々の注目を集めて育った。サンディに似た容姿は見る者に偉大な母を彷彿とさせ、利発な受け答えは対する者の感心と微笑を誘い、導師の教えを見る見る吸収していく様が周囲の期待を搔き立てる。
圧倒的な期待に応えるだけの資質と、そんな己を鼻にかけない控えめな性格は、大人も子供も魅了されずにはいられない。何につけ先頭に立って行動するサンディとはまた異なる趣きながら、プロスペルには周囲の人々を惹きつける素養が備わっていた。
彼が十歳になる少し前のこと、ハージーブ導師の教室で学ぶ友人たちと共に、将来の夢を語り合ったことがある。
「私の夢は、宇宙船の機関士になること」
日頃、様々な機械を解体しては組み立て直しているという彼女は、当然のようにそう言った。
「俺は
宇宙船内の食事は、様々な原材料を投入された
「プロスペルは観測者になるんだろう? いいよなあ、なんたって観測所長の子だもんな!」
そう言ってプロスペルの肩を叩いたのは、仲間内でもお調子者で通る少年だ。小さく笑い返すプロスペルをよそに、少年は他の面々に向かってにっと白い歯を見せた。
「俺もやっぱり観測者になろうかなあ。だって、もしヒトが住める星を見つけてみろよ。その日からみんなの英雄だぜ!」
宇宙船本来の目的をストイックに追い続ける人々として、観測者は今でも《自由民》の羨望の的だ。
実際のところ、観測室に籠もり黙々と星空を眺め続けるという作業は、想像以上に地道かつ孤独だ。プロスペルは、母から散々聞かされた経験談を開陳したい衝動に一瞬駆られたが、すぐに頭の中で打ち消すだけの節度をわきまえていた。
「観測者って、宇宙に囲まれて何日もひとりぼっちで、たくさんの星をずっと目を凝らし続けなきゃいけないんだよ。あんたにそんな真似出来るの?」
だからそこで観測者の実態を突きつけ、あまつさえその覚悟を疑うような発言に割り込まれて、プロスペルは一瞬胸の内を見透かされたのかと驚いた。
「いつも友達とお喋りばっかりしてるあんたに出来るわけないよね。観測者になるのは私だよ」
そう言って突っかかってきたのは、ろくに手入れもされていないくすんだ金髪に、小柄で痩せっぽちな少女だった。やや三白眼気味の目つきから放たれる視線は、挑発的という表現では物足りない。
薄茶色の瞳からは、軽々しく観測者への憧れを口にすることへの怒りすら窺える。少なくともプロスペルにはそう思えた。
「アスミナ、お前の話なんて聞いてねえよ」
少年に押し退けられて、アスミナと呼ばれた少女の痩身がふらついた。そのまま足をもつれさせ、床に突っ伏した彼女に目もくれず、少年たちは気分を害したといわんばかりにその場を立ち去っていく。
少女の側に跪いて声をかけたのは、プロスペルただひとりであった。
「大丈夫かい、アスミナ」
怪我がないか気遣うプロスペルに、アスミナは鋭い目を向けるだけで、無言だった。埃を払いながらゆっくりと立ち上がった少女に、プロスペルは忠告しないではいられない。
「アスミナが観測者を目指していることは、みんな知ってるよ。でもあの言い方はないだろう」
「……あいつが観測者になりたいなんて、どうせ思いつきに決まってる」
少女の口から吐き出された言葉の裏には、自分は違うという、己の覚悟に対する自負が覗く。
「そんな決めつけなくても」
「他人事みたいな顔してるけど、あんただって同じだよ、サンディの子」
アスミナはプロスペルを名前で呼ぼうとしない。そして彼女が「サンディの子」と呼ぶ口調には少なからず侮蔑が含まれることを、プロスペルは勘づいていた。
「同じって、何が?」
彼女の発言の意味がわからず、プロスペルは問い返す。するとアスミナはふんと小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「あんたは親に言われるままに観測者になるつもりだろう。つまり自分が何をしたいのかもわからない、ただの考えなしだ」
アスミナの嘲弄混じりの指摘は、少年プロスペルには少なからぬ衝撃を与えた。観測所長の子として生まれたプロスペルは、将来は当然観測者になるものとして育てられ、彼もそれを疑いもしなかった。
――やっぱりアスミナは、ほかの友達とは違う――
プロスペルはアスミナと出会って以来抱き続けてきた想いを、さらに強くする。
アスミナは初対面のその日から、プロスペルに剥き出しの敵意をぶつけてきた。それまで面と向かって攻撃的な態度に晒された記憶のなかったプロスペルは、大いに戸惑ったものだ。やがて教室で同じ時を過ごしていく内に伝え聞いたのは、アスミナが同世代で唯一の、そして最後の人工交配で誕生したヒトであること。そのために特定の親はなく、産まれたときから《繋がれし者》の元で育てられたということ。そういった境遇を理由に、同世代からはしばしば見下されてきたということ。
そして幼い頃から観測者を志しているということであった。
アスミナにしてみれば、偉大な観測所長を親に持ち、将来はその座を継ぐことを嘱望されるプロスペルは、嫉妬や羨望を通り越して憎悪の対象であったかもしれない。アスミナに敵愾心を燃やされる理由を察したプロスペルは、しかしだからといって彼女を敬遠しようとは思わなかった。大人も子供も、《繋がれし者》も《自由民》も一様に彼に好意的である宇宙船内で、アスミナはプロスペルにとってむしろ目の離せない存在であった。
「言われてみれば、そうだ。僕は今まで、どうして観測者になるのか考えたことがない」
痛烈な皮肉を叩きつけたはずがあっさりと肯定されて、今度はアスミナが戸惑いを見せる。眉根を寄せるアスミナに、プロスペルは隔意のない、真摯な表情で尋ねた。
「アスミナ。君はどうして観測者になりたいのか、僕に教えてくれないか」
プロスペルの唐突な問いに、アスミナはあからさまに面食らっていた。それから露骨に顔をしかめ、「そんなこと、あんたに関係ないだろう」と言い捨ててその場を離れようとする。
だがプロスペルは食い下がった。
「僕は今までたくさん勉強して、母さんの跡を継いで観測者になるよう、ずっとそう言われてきた。僕もそういうもんだと思ってたけど、でも君が言う通りなんだ。本当に観測者になりたいのかどうか、そう聞かれたら僕はなんと答えて良いかわからない」
「だからなんだよ」
そこでつい足を止めて振り返ったアスミナは、苛立たしげな口調で問い返した。
「私が観測者を目指す理由と、なんの関係があるっての」
「観測者になりたいって友達は、ほかにもたくさんいる。でも大抵は――」
「かっこいいからとか、皆に褒められるからとか、どうせそんな理由ばっかりだ。ふん、くだらない」
彼らの歳ならむしろ相応とも言える志望動機を、アスミナは鼻で笑い飛ばした。
「君が観測者を目指すのは、そんなありきたりじゃない理由なんだろう」
プロスペルの言葉に他意はなかったが、アスミナが薄い眉をぴくりと跳ね上げる。どうやら挑発と受け取られたらしいと気がついて、プロスペルは慌てて否定した。
「勘違いしないで。別に深い意味は――」
「私は、この宇宙船が嫌いなんだ」
プロスペルの弁明を最後まで聞き届けることなく、アスミナは冷たく言い放った。
「宇宙船も《繋がれし者》も《自由民》も、みんな嫌いだ」
咄嗟に応じるべき言葉を、プロスペルは思いつかなかった。宇宙船について好きとか嫌いとか、プロスペルは考えたこともなかった。
宇宙船とは産まれたときから彼を包み込む、サンディが母であることやハージーブ導師に学ぶこと、たくさんの友人に囲まれること以上に、当然すぎる世界そのものであった。だがアスミナは、世界そのものであるはずの宇宙船を何から何まで嫌うという。
「もしかして、その中に僕も入ってる?」
それは何気ない問いであったが、アスミナは一瞬驚いて後、歯軋りしながらプロスペルの顔を睨みつけた。
「そうやってのほほんとしてる、あんたが一番嫌いだよ!」
そう口にしてから、アスミナの顔に微かな後悔の表情が過ぎる。だが少女はそれ以上何も言わず、プロスペルの前から駆け足で立ち去ってしまった。
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