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 宇宙船史上初の出産のために、《繋がれし者》は機械の記録を総動員させて万全の準備で臨み、《自由民》たちも固唾を呑んで見守った。その甲斐あって、サンディは健康な男児を出産した。


 全ての住民から祝福された男児には、生まれたばかりでまだ名はない。それはサンディの役目であり、彼女が母として初めて子供に与えるものだ。


「この子には、私の子供であるという証しを授けたい」


 まだ目も開かないまま乳を飲む赤子の顔を覗き込みながら、サンディが呟いたのはある意味画期的な一言であった。血統への拘りは、人工交配が当然だったそれまでの宇宙船には無縁な発想だった。


 母子を見舞いに訪れたハージーブは、早くも顕在化する彼女の変化の兆しを認めながら、ひとつ提案した。


「ならば君の名前の一部を、子供の名につけるのはどうだろう」

「私の名前?」

「そうだ。君の正式名サンドルウェスケブエは、古代の様式に倣えばサンドルウェス・ケブエとなる。個人を識別するサンドルウェスと、血統を意味する姓ケブエとを組み合わせたものだ。管理された人工交配一色だった以前には、血統は意味を成さなかった。だが今後は自然交配が主流となるだろうし、そうなれば血統も意味を持つ。君の子供の名前に、ケブエという姓を与えるんだ」


 ハージーブの提案を受け容れたサンディは、男児をプロスペル・ケブエと名づけ、彼女自身も以後サンドルウェス・ケブエと名乗った。姓と名を組み合わせた命名はサンディ以降、《自由民》にとってのスタンダードとなる。


 プロスペルの誕生に限らず、サンディの生き様はあらゆる《自由民》にとって指針だった。《繋がれし者》の庇護を離れ、宇宙船本来の目的である惑星探索を復活させ、異性同性を問わぬ多くと交わり、その末に妊娠・出産を果たす。《繋がり》を断たれて未だ不安を抱え続ける《自由民》にとって、サンディは闇夜を照らす灯台の明かりに似ていた。サンディという輝きを見失いさえしなければ、道を踏み外すことはない。そう思わせるだけの巨大な存在として、サンディは既に《自由民》たちに君臨していた。


 一方でプロスペルが生まれて以来、サンディは自分の中に確固たる優先順位が生じたことを自覚していた。


 これまでは共有の価値観に基づいて、《自由民》全員と自分自身の間に差を設けたつもりはなかった。実際には無意識な差異が生じていたとしても、少なくとも意識することはなかった。


 しかしプロスペルは生まれた瞬間から、サンディにとって特別だった。


 プロスペルは生まれながらにして、他の《自由民》と同列には扱えない、別格の存在であった。過去の記録から古代の親子という関係を学んだとき、そこに記された母と子の在り方は、まさに彼女自身の意識の変化に合致していると思い込んだ。


 実際にサンディが古代の親子という関係性を深く理解出来たかといえば、そこには疑問符がつく。彼女がプロスペルに見せた執着は、実のところ所有欲の延長線上に近いだろう。ただサンディがプロスペルに惜しみない愛情を注いだこと――それ自体が《自由民》にとっては大きな変化であった。それまで《自由民》が抱いてきた《繋がれし者》的な共有の価値観はプロスペルの誕生によって緩やかに崩れ去り、やがて私有・親子・家族という新たな価値観に塗り替えられていく。


 プロスペルはサンディに愛されながら、同時に『サンディの子』として誰にも一目置かれながら、健やかに成長していった。チョコレート色の肌や癖の強い黒髪はサンディによく似ていたが、その気質はどちらかといえば穏やかで、何につけ《自由民》の先頭を歩み、彼らを導いてきた母とは対照的であった。


「プロスペルは優しい子だから」


 我が子について語る際、サンディは口癖のようにそう言った。


「今まで私は自分のやりたいことをやって、その後に皆がついてきた。でもこれからどんどん人口が増えると、もうそのやり方じゃ無理がある。これからはプロスペルのように、仲間を慮れる人が指導者となるべきだ」


 その頃には多くの観測者たちが移住可能な惑星の探索に従事していたが、サンディ自身はプロスペルの妊娠の頃から第一線を退いていた。だが観測者のみならず《自由民》たちを取りまとめる立場として、サンディは観測所長であり続けた。《自由民》の最年長者として、そして《自由民》に観測者という指標を示したという点で、サンディは紛う事なき《自由民》のリーダーであった。観測所長という肩書は、いつしか《自由民》の指導者と同義となっていたのである。


 一方でプロスペルの誕生以来、サンディに倣って自然交配による出産は飛躍的に増加していった。《大解放》後の惨事によって急減した人口を回復するために多産が奨励される気風も、その傾向を後押しした。サンディ自身、プロスペルを産んだ後も異なるパートナーを相手にしながら、さらに三人を出産する。もっともサンディとパートナーたちの関係は永続的なものではなかった。《繋がれし者》が万全の養育環境を整える宇宙船内では、父親という概念は母親に比べると醸成されづらいのかもしれない。


 いずれにせよ《自由民》たちは徐々に増え続け、やがてはひとりの指導者の手に余るだろうことを、サンディは見越していた。


 観測所で彼女を支えるのは世代の近い十二名だったが、既に彼らの間でもしばしば意見の齟齬や対立が生じていた。食い違いの原因となるのは意見の相違だけではなく、たとえば男女の性差であったり、身長差、年齢差、肌の色の違いなど、《繋がれし者》であればありえなかった大小様々な差異が引き金となる。たった十二名ですら意見の擦り合わせに苦労して、最後はサンディの鶴の一声で決着をつけることも多いが、その決定に不承不承従う顔を何回も見ている。観測所長ひとりで《自由民》たちを率い続けることの限界を、誰よりもサンディこそ痛感していた。


 もっと多くの意見に耳を傾け、多くの人々の間を取り持ち調整しうる人間でなければ、今後ますます増える《自由民》たちを取りまとめることは出来ない。そしてプロスペルにはそれだけの資質があると、サンディは期待していた。


 六歳になったプロスペルはハージーブ導師の教室に通い出す。この宇宙船において全知に近い《繋がれし者》が《自由民》の子を教育するという形は、住民たちにごく自然に受け容れられていた。教室でのプロスペルはおとなしいながらも優秀で、ハージーブもさすがサンディの子と目を細め、《自由民》たちもこぞって褒めそやす。


 サンディにとって申し分ない成長を見せていたプロスペルは、十歳になったばかりのある日、教室の友人を連れて帰宅する。それまでも何度かプロスペルの友人が遊びに訪れることはあったから、今度もサンディは同じように歓迎した。


「プロスペルのお友達ね、いらっしゃい。お名前はなんていうのかしら?」


 プロスペルと並んで立つ、いささか痩せぎすで血色の悪い少女は、アスミナ・エフドロワと名乗った。アスミナは挨拶もそこそこに、ぼさぼさのくすんだ金髪の下から上目遣いでサンディの顔を窺いつつ、はっきりと告げた。


「観測所長。あの球房を、私にください」

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