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 日々少しずつ制限されてきた《繋がり》が、ついに完全に断たれたとき。すなわち《大解放》が実施された瞬間も、サンディはハージーブの教室にいた。


 その日はサンディ以外にも多くの幼少者がハージーブの元で学んでいたが、その場にいた誰もが《大解放》を経ても眉ひとつ動かさず、講義を受け続けた。十年もかけて準備してきたのだから、それも当然のこと――サンディはそう思ったが、やがて彼女の前に立つハージーブの表情が微かに曇る。


「みんな、しばらく自習していてくれ。教室からは出ないように」


 そう告げてハージーブは教室から出ていったきり、定刻を過ぎても戻らない。待ち続けることに飽いたサンディは、ついに教室を飛び出した。


 教室のある有重力区画は、巨大でまばらになりがちな宇宙船の中でも比較的人通りの多い一帯である。今も目の前には普段と変わらぬ数の人影があったが、彼らの表情にサンディは激しい違和感を覚えた。


 宇宙船の住民は皆、等しく穏やかな――ハージーブもよく見せるような余裕に満ちた表情を浮かべている。それがサンディにとって当たり前だった。


 だが今そこに目に見える人々の顔は、そのどれもが彼女の常識からかけ離れている。彼らの顔に浮かぶのは戸惑い、苦悶、恐怖、混乱。《繋がり》を完全に遮断した《大解放》に対する、ありとあらゆる拒絶反応であった。


「なんで、どうしてみんな、そんな顔してるの」


 人々の表情を目の当たりにして、サンディもまた混乱した。


 あれほど入念な準備を重ねて、彼らはとうに《大解放》を受け容れる用意が整っていたはずなのに。《大解放》の瞬間も気づかなかったサンディと、いったい何が違うのか。その原因を探ろうにも、《繋がり》を断たれた彼女には為す術がない。


 呆然とするサンディの視界の片隅で、背の高い建物の屋上からふと何ものかが飛び立った。それ・・は区画一帯に生じる重力に従って、サンディから五メートルほど離れた路面に自然落下した。


 床に叩きつけられたそれ・・は一面に赤ともピンクともつかぬ血液や脳漿を撒き散らし、身体からは皮膚を突き破った骨が覗く。

 目の前で飛び降りたのが《大解放》によって混乱した成人男性と気づいてからも、サンディは声を上げることも出来ず、全身を強張らせたままその場から動き出せなかった。やがて戻ってきたハージーブに抱きかかえられるまで、サンディは男性の遺体を凝視し続けていた。


 ◆◆◆


 その後の一年間で、サンディより年長の《自由民》八千人以上は、全員が死亡した。


 死因の半分は自殺、残る半分は強度の精神消耗による衰弱死であった。一度《繋がった》人間が《繋がり》から解かれた際に受けるストレスは、事前の予測をはるかに上回っていた。


「《大解放》が彼らにあれほど強烈なストレスを強いるとは思いもよらなかった。想定外の事態に私たち《繋がれし者》もまた激しく動揺して、彼らの精神に干渉して不安を和らげるという余裕を失っていた」


 実際に干渉しようにも、《繋がれし者》一千人が《自由民》八千人の混乱を鎮めるためには、宇宙船のエネルギーを多大に消費する必要があった。それは下手をすれば宇宙船の動力すら損ないかねなず、そもそもからして為す術がなかったのは《繋がれし者》もまた同様であった。


 もっともサンディにはハージーブの釈明が到底納得出来なかった。


「だからって大人たちがみんな死んじゃうなんて、そんなのおかしいよ!」


 半狂乱になりながらハージーブを詰るサンディは、まだ正気を保っているといえた。


 一年間、毎日のように多くの人々が斃れていく様を見て、幼少者たちが受けた衝撃は測り知れない。《繋がれし者》たちに保護された彼らの中には、情緒不安定や心神喪失状態に陥る者も少なくなかった。そこで《繋がれし者》はようやく精神感応力を行使して、恐慌寸前の幼少者たちを落ち着かせるべく彼らの心に働きかけた。


 だが彼らは、それ以上に干渉しようとはしなかった。《繋がれし者》たちはあくまで幼少者たちの保護者という立場を貫き、その態度がサンディを苛立たせた。


「こんなひどい有様だってのに、どうして私たちがまた《繫がっちゃ》いけないの?」


 この非常事態に、サンディたちを《繫がらない》ままにしておくことは有り得ない。彼女の主張を、ハージーブは穏やかな口調ながらも頑なに拒んだ。


「わかってくれ、サンディ。再び君たちを《繋げて》も、必ずまた《大解放》せざるを得ない。今回の惨事の原因を解明しない限り、そんな危険な真似は出来ないんだ。私たちに出来ることはただひとつ、君たちが君たち自身の力で生きていけるよう手助けするのみなんだよ」


 同世代に比べれば頭ひとつ抜けて聡明なサンディは、ハージーブの言うことが全く正論であることを理解出来た。同時に胸中に湧く、そんな理屈などくそ食らえという感情を押し止めようもなかった。


 なんといっても彼女自身が、まだまだ子供だった。


 一方で《繋がれし者》には、精神感応力を持たない子供に接する経験が不足していた。精神感応力によって《繫がれない》ヒト自体、彼らが母星を発つはるか以前に途絶えて、いにしえの記録でしか確かめることが出来ない存在なのだ。《繋がれし者》は記録をなぞって当時のコミュニケーションを習得しようと試みたが、実体験という裏打ちがない以上再現に及ばずとも致し方がなかった。


 その日以来、サンディはハージーブら《繋がれし者》に対して内なる想いを吐露することはなくなった。そんな内心も《繋がれし者》には筒抜けであるのだから、彼らは何もかもわかった上であのような態度を取るのだと悟ったのだ。


 ハージーブの宣言通り、サンディたち幼少者が健やかに育つためのサポート体制は万全だった。衣食住はもちろんのこと、充実した教育を施した上で積極的な自立を促された。この先は《繋がれし者》が介入しない、《自由民》による社会が構築されなければ、《大解放》で多大な犠牲を払った意味がないのだ。だからサンディが「《繋がれし者》の目が届かない、もっと遠くに行きたい」という想いを抱いたのは、あるいは教育の成果と呼べるかもしれない。


 だが宇宙船という閉じた空間の中では、「遠く」を目指そうにも限りがある。そこで彼女が宇宙船の外に目を向けたのは自然な成り行きであったろう。


《大解放》という混乱によって中断されていた惑星探索作業が、サンディの手によってついに再開されることになったのは、彼女が十五歳の時であった。

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