観測者アスミナ・エフドロワの球房
武石勝義
第一話 サンドルウェス・ケブエ
1-1
サンディは出産制御に基づいた人工交配によって生を受けた。正式にはサンドルウェスケブエと名付けられた彼女は、生まれたときからサンディという愛称までも定められていた。
彼女が生まれ落ちた宇宙船は、母星を離れて以来二百年に渡る航宙の間、一万人という住民数を厳密に保ち続けてきた。いつ果てるともしれぬ、何世代にも渡る旅を続けるためには、住民の人口はもちろん個々の心身まで統御される必要があった。そのことを、サンディは生まれたときから無意識に理解していた。なんとなれば住民を統御するのもまた住民自身であり、その中にサンディも含まれていたのだから。
住民たちは互いのみならず宇宙船そのものとも精神感応的に《繋がり》、人類も機械も区別のないひとつの超個体群といえる。一万人もの人々を抱えたまま長期間の航宙に乗り出すには、それが最も適した手法であった。個々人から発せられた思念は互いに混ざり合って影響し合い、やがて住民全体の最大公約数的な意思へと最適化されて、再び個々人に降りかかる。そこに指導者は存在しない。住民たちの統一意思は、さながら海中を泳ぐ回遊魚の群れが自然とその行く先を決めるようにして形成されていく。彼らの精神感応的統合を維持するためには無尽の計算資源を備えた機械が必須だったが、それはあくまで不可欠の支援であるに過ぎない。
だからサンディは生まれたときから宇宙船の住民という超個体群の一員で、周囲の思念と交わりながら成長していくことに疑念を感じたことはなかった。何より機械に蓄積された過去の住民たちの記憶、さらに母星の歴史に触れるにつれ、精神感応的な統合がごくありふれた人類の在り方であることを知っていた。
宇宙船が飛び立つはるか昔から、人類は身体の内にナノサイズの医療用ロボットを数え切れないほど組み込んでいる。ロボットは身体の異常を察知すると同時に外部機械に報告し、機械の指示に基づいて適切な処置を施すのだが、その優れた通信機能は人間同士にも適用された。ロボットの通信機能を用いたコミュニケーションは精神感応的な《繋がり》と称され、その発達は紆余曲折を経ながらもやがて全人類を《繋げる》に至る。結果として母星には長期の平和と安定がもたらされたのだから、宇宙船内の住民にも精神感応的統合が適用されたのは当然だろう。現にこの二百年間の航宙で、宇宙船内の住民は極めて平穏な生活を享受し続けてきた。
だが残念ながら、サンディは《繋がり》による船内の平和を味わい続けられないとわかっていた。いずれこの《繋がり》を解消する《大解放》が実施されることが、サンディの生前から決まっていた。
《繋がり》という精神感応的統合を維持するには、それを補助する機械の運用に莫大なエネルギーを必要とする。そして二百年という、当初の想定をはるかに上回る航宙を続ける宇宙船には、これ以上一万人の《繋がり》を維持するだけのエネルギー供給が不足しつつあった。
◆◆◆
「駄目だよ、導師様。ちゃんと言葉を使ってくれないと」
少女のチョコレート色の顔にひときわ目立つ、くりくりと大きな黒い瞳が睨む。九歳となったサンディに注意されて、ハージーブ導師は頭を掻きながら苦笑した。
「また思念で語りかけてしまったか。済まないな、サンディ」
「導師様は《大解放》後も《繫がった》ままなんでしょ? いい加減に言葉に慣れないと、私たちとお喋りも出来なくなるよ」
「サンディとお喋り出来ないのは勘弁だ。気をつけるよ」
少壮のハージーブは、豊かな口髭のせいで実年齢よりも年長に見える。彼は髭の上からもわかるほどに口角を上げて、サンディの癖の強い黒髪をくしゃりとした。
《大解放》に向けた準備は、サンディが生まれる一年前から進められている。中でも最も重視されたのは、コミュニケーションの態様の変化への対応と、それに伴う精神的なストレスの緩和であった。
それまで精神感応的に《繫がって》きた住民たちは、従来は直接思念を交換することで他者と交わってきた。だが《繋がり》から解放されれば発声や表情、仕草などを用いたコミュニケーションが主となる。物心つく前から視覚聴覚を介したコミュニケーションが当然と刷り込まれてきたサンディには、それは大した労苦ではない。だが彼女より年長者は多かれ少なかれ、思念によらないコミュニケーションに未だ戸惑いがある。
思念なら一瞬で済むことが、視覚聴覚を介すれば何倍もの時間がかかる。
思念ならどこにいても連絡が取れるのに、まず視覚聴覚の届く範囲に相手と接する必要がある。
思念なら多数とのコミュニケーションも容易なのに、今後は著しい制限がかかる。
自ら手足に枷を嵌めようという変化を、住民の誰もが異論無く受け容れたのは、彼ら自身がその変化を決断したからである。宇宙船がさらに旅を続けるために不可欠な措置であることを、全ての《繫がる》人々が理解していた。まさに《繋がり》が無ければ、このような大胆な変革は不可能だろう。
「大昔のヒトは、《繋がり》も無いのによく生活出来たなあ」
サンディはハージーブ導師の門下生の一員である。こうして導師に学ぶという様式自体、《繋がり》ありきだった以前なら有り得ないことだ。この十年間の準備期間中に《繋がり》は緩やかだが確実に制限されて、幼い住民は年長者が教育する生活へと既に移行している。
もっともサンディたち幼少者とのやり取りは、彼女より年長の人々にとっても重要であった。生まれながらに視覚聴覚を介したコミュニケーションを身につけた彼女たちとの交流は、《繋がり》に慣れた年長者がその術を修練する格好の機会であった。
サンディの素朴な疑問に、ハージーブは目を細めて答える。
「人々が《繫がる》以前は互いに誤解や齟齬も生まれやすく、そのためにしばしば争いも生じた。人類から争いを完全に払拭した《繋がり》は、やはり画期的というほかない」
「でも、私たちは《繋がる》ことをやめようとしてるよね。それが仕方ないことだってのはわかるけど、《繋がらなく》なった私たちは、大昔のヒトみたいに争うようになるの?」
「そうはならないように、私たちがいる」
ハージーブが言う「私たち」とは、《大解放》の対象外となったごく少数の人々のことを指す。
《大解放》は宇宙船の住民一万人の《繋がり》を完全に解くわけではない。宇宙船の管理運行のために、最低限の人員――およそ千人足らずは《繋がり》を保ち続ける必要があった。彼らは《繋がれし者》と呼ばれ、サンディを含めた《大解放》の対象となる大多数は《自由民》と呼称される。
「宇宙船の管理なんて、機械に任せちゃえばいいのに」
それまで《繫がって》いた人々が《繋がれし者》と《自由民》に別れてしまうなんて、どちらが上か下かという話ではないが、なんだか不公平ではないか。
だがハージーブは小さく首を振って、サンディの不平を窘めた。
「そういうわけにもいかない。機械に丸投げしても宇宙船だけなら問題は無いだろう。だけどサンディ、さっき君が言った通り、《繋がり》を解かれた《自由民》が万一にも取り返しのつかない争いを始めないように、私たち《繋がれし者》は必要なんだ」
《大解放》は、《自由民》となる人々の体内に組み込まれた医療用ロボットの通信機能を、大幅に制限することで実施される。《自由民》たちは原則的に対人通信機能を停止し、医療用ロボットは本来の身体調節機能のみを残す。
だが《繋がれし者》たちには、宇宙船の機械を経由して《自由民》の精神に感応・干渉する権限が与えられることになっていた。
その理由はハージーブが説いた通り、《自由民》の暴走を食い止めるためにある。いかに巨大とはいえ宇宙船という閉鎖的環境の中で、《繋がり》から解かれた人々が長期間平穏に暮らすには、《繋がれし者》による精神感応力の行使が必要と考えられたのである。
「といっても精神感応力の行使は極力控えるべきだ。宇宙船のエネルギーもたくさん消費してしまうし、それでは旅を継続するためのはずの《大解放》の意味がなくなってしまう。サンディ、そもそも私たちが母星を離れて宇宙を旅する目的を、忘れてはいけない」
「それはもちろん、わかってるよ」
サンディはハージーブの言葉に目を見開いて、当然とばかりに胸を張った。彼女は発声だけではない、豊かな表情や仕草も交えたコミュニケーションの取り方を、既に十分体得している。
「ヒトが住めるような星を見つけて、移り住むため。この宇宙船はそういう星を探して、二百年以上も旅してるってこと、忘れるわけないじゃん」
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