偽教授接球杯Story-2

 満漢全席——馬鹿でかい長方形の食卓に並べられたそれを見て、真っ先に浮かんだ言葉はそれだった。古雅な意匠の皿に盛られた料理は山の幸あり海の幸あり、点心、麺類、スープ、炒め物、揚げ物、煮物、蒸し物、焼き物と内容も様々で、人間の思いつく限りの食材と調理法が一堂に会したような豪華さだ。中でも目を引くのが、大量の皿が所狭しと並べられた卓上の中央に鎮座する巨大な丸焼きの肉だった。皮の脂が明かりを受けてつややかにきらめく色つやの旨そうなことと言ったら! ここしばらく、ろくな食事をしていなかった私の腹が盛大に音を立てたのは言うまでもない。

 私はふらふらと、吸い寄せられるように食卓に近付いた。かなり大きい食卓なのに、椅子は入り口に面したこちら側と、やたらと長い長辺の先に一つずつしか置かれていない。椅子の前には、小ぶりな酒壺と酒杯がぽつんと置いてあった。女体を思わせる曲線と真っ白く冷たい肌に細い線で花の文様が描かれた、実に美しい一対の瀬戸物だ。これは一級の品に違いないと思い、杯に触れようとしたそのとき。


「きれいでしょ?」


 部屋の向こうから、幼さの残る声がした。反射的に顔を上げれば、つい先ほどまで空だった椅子にいつの間にか子どもが座っている。


呂宿リョシュクにいが来るから、一番きれいなのを用意したんだ。どう? 気に入った?」


 私は一抹の警戒心とともにその子を見つめた。初対面だというのに、なぜこの子は私の名を知っている?


「ああ、そうなのかい。ありがとう、えっと……君の名前は……」


 ひとまず笑顔を作った私に、彼は心からの無邪気な笑顔を返す。まるで私に名を聞かれたことが至上の喜びだと言わんばかりだ。


豆豆トウトウだよ」


 豆豆はにこにこと笑いながら言った。なんとなく聞き覚えのある名前だと私は首をひねった ——だが、この子の顔には見覚えがないし、記憶をたどってもそんな名前の少年には会っていないはずだ。私はそうかと答えるとさりげなく、


「ところで豆豆、私たちどこかで会ったかな?」


 と尋ねた。豆豆の答えは「うん」だ。


「そうか。いつ会ったかは覚えているかい?」

「是」

「どこで会ったかは?」

「是」

「……まいったな。豆豆は頭が良いんだね」

 

 苦笑しながら言うと、首をかしげた豆豆の顔から笑みがすっと消えた。


「なんで? 呂宿リョシュク兄、ぼくにお菓子くれたじゃない」


 その言葉で、何かがパチリとひらめいた。ひと月ほど前、たしかにお菓子をあげた男の子が一人いた――だが、今その子が目の目にいるなどあり得ない。

 私はそうだったかな、と笑ってとぼけてみせた。それに気づいているのかいないのか、豆豆は幼い額に一生懸命なシワを作って、あのね、と切り出した。


「あのお菓子、とっても美味しかった。だから何かをしようと思って」


 お菓子の子ども。そうだ、すっかり思い出した。街角に座っていた、あの薄汚れた少年だ。お菓子をあげるよと声をかければ簡単についてきた。腹を空かせた子どもなど、実にあっけないものだ。


「それでね、何がいいかなって考えてたら、呂宿兄の知り合いだっていう人がいっぱい来て、いろいろ教えて手伝ってくれたの。これ全部、みんなで準備したんだよ」


 豆豆トウトウのこの訴えに堕ちない大人はいないだろう——私はそう思いつつ、腹のうちではさてどうだかと呟いた。純真無垢な表情こそ、罠にかけた獲物をどういたぶろうかと思案する残忍な鬼の格好の隠れ場所というものだ。大人しく、愛らしく、無害な者ほど疑われないのがこの世の常なのだから。それに鬼といえば、この子もこの子を手伝ったというも、きっとこの世の存在ではないはずだ。そしておそらくその全員が、私と多少の縁を持っている。

 それにしても、笑えるほど身に覚えのある顔つきだ。人畜無害を演出する、完璧なまでのあどけなさ! そんな慣れ切った手に乗せられてなるものかと、私は人のいい笑顔を崩さないまま、それはありがとうと告げた。


「それで、私たちはこのご馳走を二人で食べながら、ただおしゃべりをするのかい? それとも豆豆は他に何かしたいことがあるのかな?」

「うん! ぼくね、なぞなぞ遊びがしたいの」

「なぞなぞ?」


 私は思わず聞き返した。豆豆は楽しそうに頷くと、また無邪気に言った。


「ぼくと呂宿リョシュク兄でなぞなぞを出し合うの。ぼくが出して呂宿兄が答えられたら呂宿兄の勝ち、呂宿兄が出してぼくが答えられたらぼくの勝ち。出されたなぞなぞに答えられなかったら負け。その時点で遊びもおしまい。それぞれが相手の大切なものを奪うことができる」

「良いよ。でも、私たちの大切なものっていうのは何?」


 私が聞くと、豆豆の顔から無邪気さが消えた。


「ぼくが負けたら、このおうちから呂宿兄を出してあげる。ぼくたちみんな、呂宿兄のことを忘れて大人しくしてるよ。でも呂宿兄が負けたら、そのときは償いをしてもらうからね。呂宿兄がぼくとみんなから奪ったものを奪い返す」

「それはつまり、私の命を奪うということか?」


 私は芝居をやめて単刀直入に尋ねた。この小鬼が本性を現したなら、こちらも己の本性をぶつけるまでだ。

 果たして豆豆トウトウの答えは、この年頃の子どもにはあり得ない——しかしある程度予想はしていた言葉だった。


「呂宿兄がぼくらを殺すときに奪ったもの全てを、ぼくが呂宿兄から取り上げる。誰かの首を掻き切って血抜きをしたなら呂宿兄の全身の血を、誰かを何かで窒息させたなら今吸っている空気を奪う。誰かの頭を落としたなら呂宿兄の頭をもらうし、誰かに火をつけたならぼくも呂宿兄を燃やす」


 ハ、上等だ。私は椅子に深く座り直し、同意するように頷いた。


「良いだろう。じゃあ手始めに一杯もらってもいいかい?」

「いいよ」


 豆豆はそう言うと、自分の目の前にある私のと同じ酒壺を持ち上げた。彼が酒を杯に注ぐのに合わせて、私も酒壺を傾けた。


 ところが、華奢な首を通って注ぎ口から出てきたのは深紅の液体だった。これには私も驚いた。びくりと体が跳ね、その拍子に赤いしずくが木目に飛ぶ。だが豆豆は私の様子など気にもかけずに平然と酒杯を掲げ、遊戯の開幕を告げた。


「じゃあ、ぼくから始めるよ。よーく聞いてね……


  酒は紅玉あかだまの如し、

  川と流れて人を生かす。

  紅が乾けば人は果て、人が果てれば紅よどみ、

  絶えた流れは戻ることなし。これなーんだ?」

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