第4話

 三たびの覚醒だった。

 今度はどこで目覚めるのか? そして何が起きるのか?

 また見ず知らずの他人の危機に遭遇して、成り行きで救命したあげく、自分が命を落とすのか。

 この奇妙な死と復活のくり返しはいつまで続くのか。

 もう勘弁してほしい。

 小高い丘の上の公園から眼下に住宅街を望みながら、僕は倦み疲れた頭で考えていた。

 見上げると、抜けるような青空と中天に輝く太陽。その位置からすると、そろそろ正午に近い時間帯のようだ。

 ゆっくりと視線を下ろして、形も大きさも不揃いな小箱を雑然と並べたような住宅街を、ぼんやりと眺め回す。

 そのとき僕の視界の端に、不気味に立ち昇る一本の黒灰色の柱が見えた。

 柱の根元には一軒の民家がある。というか、その民家の窓から吹き出した黒煙が、ほとんど風のない虚空の中を、生き物のように蠢きながら空高く昇っていくのだ。

 火事だ。今度は火災なんだ。

 気がつくと僕は駆け出していた。

 緩やかな坂を駆け下りながら、ふと思いついた。

 今、走るのを止めたらどうなんだ。このまま事態を放置したらどうなるのか。

 もしかすると、それによってこの忌々しい生と死の無限ループは終わりを告げるのかもしれない。

(よし、もう走るのを止めよう)

 そう決意して僕は地面を蹴る脚の力を緩めようとしたが……それは叶わなかった。

 自分の意思では止めることのできない心臓の鼓動のように、僕の意思に反して両脚は軽やかに地面を蹴り続け、相変わらず僕の身体は風を切って前に進んでいく。

(おい、止まれよ。止まれ!)

 止まらない。いや、止まれない。

(どうなってるんだ?)

 疑念と焦燥と混乱のうちに、騒然たる空気に包まれた火災現場にたどり着いてしまった。

 気がつくと、僕はごく自然に駆け足から解放され、茫然と直立している。

 結局、救命に結びつく行動でなければ、僕の意思は身体に反映されないというのか。ますます訳がわからない。

 開け放たれた二階の窓から、相変わらず煙がもうもうと吹き出している。

「二階に子供が──!」

 まだうら若い女性が半狂乱の様相で玄関のほうに、にじり寄ろうとしている。

 この家の主婦らしい。そして、彼女を必死の形相で制止する消防隊員たち。

 もはや自分でも説明できない使命感にかられて、僕は野次馬の間を走り抜け、家の中に飛び込んだ。

 背後で

「あっ、待て!」

「引き返せ!」

 という声が聞こえる。

 初めて訪れた家なのに、まるで導かれるように僕は二階への階段を駆け上がった。火元がどこかなんて考えるゆとりなどない。

 煙の立ち込める二階にいたのは、まだ這い這いができるようになったばかりと見える乳児だった。事態が理解できないまでも、身に迫る危険を本能的に察知しているのか、顔を涙でぐしゃぐしゃにして泣き叫んでいる。

 その子を抱きかかえて、僕は窓のところに立ち、階下を見下ろした。

 野次馬の間から期せずしてどよめきが起こる。

 消防隊が広げた救命マット目がけて、僕は子供を放った。

 子供はマットのほぼ中央に落下し、すぐさま消防隊員に抱え上げられた。

 子供を抱いたまま僕も一緒に飛び降りればよかったのだと、今さらのように気づいたのは、子供が無事に母親の腕に抱かれた瞬間である。

 同時に僕は、この生と死の間を巡る環状彷徨リングワンデルンクの意味にようやく思い至った。

 これは強制贖罪なのだ。過去の僕の不行跡に対する報いなんだ。人を助けて助けて、また助けて──そうしないと、死ぬことさえ許されないんだ。

「おい、君も早く飛び降りろ!」

 下から消防隊員が叫ぶ。

 飛び降りるべきか。飛び降りれば、とりあえずこの場面で生命は助かるかもしれない。

 でも、その後どこかで、また救命から死につながる出来事に遭遇するだろう。

 では、ここで炎に巻かれて命を落としたら? またどこかで蘇生したのち、事故か災害に出くわして──

 なんだ。結局同じじゃないか。

 思わず笑い出しそうになったとき、背中に巨大な焼け火箸を叩きつけられたような衝撃と熱感を覚え、僕は窓から半身を乗り出したまま倒れ伏した。

 梁か柱が焼け落ちてきたらしいな、などと断末魔の苦痛の中で考えるそばから、次第に意識が遠のいていく。

 ひとまず、ここで死ぬ羽目になってしまった。無事にあの世に受け入れてもらえるのか。それとも──

(もうそろそろ安らかに眠らせてくれ)


 願いも虚しく、僕は四度目の蘇生を果たした。そして──

 繁華街で両手にダガーナイフを握って暴れる暴漢と、恐怖のあまり硬直してしまっている女子高生の間に立ちふさがり──

 水害に見舞われた町で、濁流に流される人を救い上げ、逆に自分が流されて、底しれぬ暗渠に吸い込まれて──

 大地震による建物の崩壊に巻き込まれて──

 それから──


 幾度かの救命と死の後、覚醒した僕の目の前には一人の女性が立っていた。

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