ワイオミング、ヴァルハラ、ヴァルキリー(5)劫火、天より下りて

「悲しむべきこととは思いませんか! 鍛えられた肉体と先進的なテクノロジーを持ちながら、することは汗臭い筋肉の誇示と、往来での睨み合いとは!」

 歳若さを考慮しても、スピーカーなど必要ない恐るべき声量だった。舞台女優でもやらせたらいい線行くんじゃないかと思うくらいの、朗々とした口上である。龍一は一瞬、おひねりを投げようかと思ったほどだ。

 問題は──ここは舞台ではなくワイオミング州、一地方都市とはいえ天下の大通りであり、周囲を取り囲んでいるのは凶悪な面構えのバイカーギャングばかりであり、しかも彼女たちが舞台女優ではないことである。しかも──今何て言った? 〉だって?

「信じられない……僕は今、生まれて初めて自分の耳を疑っているよ」

 アレクセイの呆然とした声にも頷くしかない。野を越え山を越え海を越え、地球を半周したところで顔馴染みに出くわしたようなものだ。

 呆気に取られているのは龍一たちだけではなかった。周囲のバイカーギャングたちも、悪い冗談にでも付き合わされているように互いの顔を見合わせている。

 リーダーらしき少女の口上は続く。「あなたたちにも言い分はあるでしょう。日々の暮らしの中でうまくいかないことなどいくらでもあるでしょう。ですがこのような不毛な睨み合いと物品の破壊行為を続けているくらいなら、今すぐ家に戻って家族を抱き締め……あ、何をするんです! 不作法な!」

 少女の声が狼狽したのは、お喋りはもういい、とばかりにMARPの機関砲塔が旋回を始めたからである。

 が──その砲口が火を噴く寸前に、投擲された鉄パイプ状の物体が勢いよく砲口に突き刺さった。いや、それはどこから見てもただの鉄パイプだった。

 もちろん、鉄パイプを突き立てられた程度で機関砲はびくともしない。発砲すれば、大口径の機関砲弾はそんなものを歯牙にもかけず吹き飛ばすだろう。

 しかし何の変哲もない鉄パイプは、次の瞬間恐るべき威力を発揮した。長大な砲身は熱されたプラスチックのように内側から膨れ上がり、粉々に砕け散ったのである。

 その場の全員が自分の目どころか正気を疑ったが、なかでも龍一の受けた衝撃が一番激しかった。砲身の爆発と共にきらきらと飛び散った破片は、あまりにも馴染みのあるものだったからである。

 あれは──〈鱗〉だ。〈竜〉最大の防御手段にして武器、〈鱗〉に間違いない。

「ざまあ、鉄屑!」鉄パイプを投げた少女は高らかに笑う。「ブリュ姐! 言っとくけど今のブリュ姐の言動、だいぶ間が抜けてるからな!」

 朗々としたリーダーの少女の声は、急速に勢いを失った。「えー、でもスルーズ……」

「『でも』じゃねえって! あれが何だと思ってんだよ、遊園地のゴーカートか?」

「そ、そうでしたね」ブリュ姐と呼ばれた少女の声は瞬く間に張りを戻す。忙しい娘だな、と龍一は思った。「我が姉妹たちよ、聞きなさい! これは小さな一歩ではありますが、自由と尊厳を勝ち取るための偉大な闘争への第一歩でもあるのです。心するように! ──では昌和しましょう。立ちて戦えスタンドアップアンドファイト!」

立ちて戦えスタンドアップアンドファイト!」変声期前の幼い声が一斉に叫ぶ。

 多脚ローダーを騎馬のように借り、少女たちは手に手に槍や弓矢を持って高所から飛び降りた──ライリーも、〈ヘルハウンド〉たちも呆気に取られてそれを見るしかなかった。目を白黒させているバイカーギャングたちの脇を、吐息がかかるほどの距離で鋼鉄の塊に跨がる少女たちが駆け抜けていく。

 もちろん、龍一も呆気に取られるしかなかった。これは夢か?

 米軍払い下げらしき多脚ローダー〈仔馬ポニー〉がその名にそぐわない猛々しい走りを披露した。よほど行動系ソフトウェアに手が入れられているのか、高所からの着地も着地後の疾走もまるで淀みがない。基本的には音声入力のはずだが、実際の操縦は後ろに乗る少女が手製の操縦装置と有線で行なっているらしい。

 もちろん、攻撃を担当するのは前に跨がる少女である。

「これでも喰らいな!」

 甲高い音声とともに射られた矢が、MARPのタイヤに突き刺さる。荒地を踏破し車体下での地雷の爆風にも耐え得るタイヤはその程度でパンクするはずもない──普通ならばだ。

 だがタイヤは内側から膨れ上がり、くぐもった音を立てて破裂した。破裂の原因──内側からタイヤを食い破った無数の〈鱗〉が四方に飛び散り、陽光に煌めく。

「あれは、まさか……」

「ああ、〈鱗〉だ……」龍一はもはや、自分の顔色さえわからなかった。「俺が使うのと同じ〈鱗〉だ」

 信じられないどころか、信じたくなかった。あの娘たちは竜化すらせずに、限定的とはいえ〈竜〉の力を駆使していることになる。

「どいつもこいつも……バカにしやがって!」完全に無視される形になったロニーが、怒りのあまり顔をどす黒く染めながら懐から手を抜き放った。切り詰めた散弾銃ソートオフショットガンの銃口が少女たちに向けられる。「そんなにこいつを喰らいたいのかよ!」

 ──本来なら、部外者の龍一が好んで関わる必要もないトラブルではある。俺には関係ないと尻をまくるか、何なら黙って見ていてもいい。いや、むしろそうするべきだろう。ただでさえお尋ね者の龍一たちが地元のごろつきと切った張ったをしていたら、命などいくらあっても足りないからだ。

 しかし。目の前のあらゆるトラブルを避けて回ってるだけなら、龍一は最初からこの場にいるはずもないのも事実だ。──などと分別じみた思考を巡らす前に、龍一は目の前の銃身を掴んでいた。

「そういうは……感心しないな!」

「うおおおっ!?」

 ロニーが思わず悲鳴を上げたのは銃身を支点に投げられたからではない。銃身を支点に一回転して、また元通りに両足で着地したからである。もちろん、龍一は狙ってそう投げたのだ。

「ロニー!?」

「おいてめえ、何しやがった!? ……あ、あれ?」

 血相を変えたロニーの仲間たちが間の抜けた声を漏らしたのは、振りかざしたバットの先端が綺麗な切り口を見せて地に落ち、あるいは拳銃の引き金トリガーが呆気なく外れたからだった。言うまでもなく〈糸〉だ。アレクセイの方を見ると「処置なし」という顔で首を振っている。

「おい保安官……いくら余所者だろうと、ここまでコケにされちゃあんたの目の前だろうと容赦はできねえぜ……!」

 歯を剥いて威嚇するロニーは、しかし次の瞬間思わぬ方向からの「攻撃」を受ける羽目になった。

 べちゃり、とその横顔に叩きつけられたのは──腐りかけのトマトだった。

「な……」

 被害を被ったのはロニーだけではなかった。沈黙を保っていた周囲の民家が突然、窓や戸口を開け、そこから大小様々なものが投げつけられ始めたのである。それもジュースやポークビーンズの空き缶、穴の空いた靴下や底の抜けた靴、壊れかけの椅子や端の丸まった雑誌に至るまで、とにかくあらゆる種類のゴミが〈ヘルハウンド〉に降り注ぎ始めた。

「や、やめろ……! お前ら、誰が守ってやってると思ってやがんだ!?」

 ロニーの狼狽混じりの悲鳴は、しかし次の瞬間それに倍する怒号を浴びることになった。

「何が守ってやってるだ、この糞餓鬼どもが! 毎日毎日、我が物顔で臭え排ガスを撒き散らして走り回りやがって!」

「路面を荒らし、看板を壊し、猫を轢き殺して! あんたたちもあのならず者どもも、ぶつかり合ってどこかに失せりゃいい!」

 おやおや、と思わずにはいられなかった。どうやらこの街での〈ヘルハウンド〉の人望は、本人たちが思っていたほどではなかったらしい。

「くそったれが! 逃げるぞ……!」

 結局、彼らは生ゴミの雨を浴びながら排ガスを撒き散らして逃げることになった。現れた時の威勢など欠片もない、コメディの悪役のような逃げっぷりだった。

 MARPの車列もまた、ゆっくりと後退しつつあった。6輪駆動のためタイヤが一つや二つパンクしていても走行に支障はなさそうだったが、これほどの武装と装甲を持ちながら退いていくのだ。惨めな敗走、と言ってもいいだろう。もちろん住民たちは、それにもたっぷりと罵声と生ゴミを浴びせるのを忘れなかった。

 騒ぎが収まり、龍一は〈ポニー〉に跨がる少女たちが──特にあのリーダーらしき少女がこちらを見ているのに気づいた。彼女はとことこと〈ポニー〉を歩ませたが、龍一の目の前まで来ると、感心したことにその上からひらりと降りた。さすがに慣れているのか、見事な身のこなしだ。目の前に立たれると結構な長身であるのがわかった。さすがに龍一よりは低いが、それでも女性としてはかなりの上背がある。

「先ほどはありがとうございました」

「先ほど?」

「ええ。あの銃を持った人をさせたでしょう? カラテかアイキドーかは存じませんが、見事な体術でしたね」

 あの乱戦の中でそこまで見ていたのか。伊達にリーダーとして扱われてはいないらしい。

「申し遅れました。私はブリュンヒルド。この娘たち──〈ヴァルキリー〉を率いております」

 彼女はそう言って、あの造花まみれのカムフラージュネット(当然、偽装効果は一切ない)を脱いだ。

 いい面構えだな、が龍一の正直な感想だった。見事な赤毛を額のところで二つに分け、その下からは秀でた額と、青灰色の瞳が覗いている。整った顔立ちではあったが、目鼻立ちの美しさ以上に本人の内から発する自信と誇りが真っ直ぐな眼差しに顕れていた。リーダーと言われればなるほどと納得するしかない、堂々とした立ち姿の娘だった。

 ネットの下に着込んでいるのはローブのような貫頭衣、それもシーツか何かで有り合わせに作ったらしい粗末なものだ。この気候の中では見ている方が寒そうだが、本人たちが気にしている様子はない。

「君たちは自警組織ヴィジランテなのか?」

「あら。ゲリラ、とはっきり言ってくださって結構ですのよ?」ブリュンヒルドは口に手を当てて上品に笑う。「私たちはどこの政府機関にも属しておりませんし、支援も受けておりません。ただ理不尽な暴力に立ち向かうため立ち上がった少女たちの群れ。お気遣いなさらないよう」

 不思議な感慨があった。彼女たちがどこまで〈ヴィヴィアン・ガールズ〉を知っているかはともかく、聞く分には完全にその思想を受け継いでいるように思えたからだ。カチュアやリュドミラたちが知ったらどう思っただろうか。

 上空を低周波のような唸りが通過し、自然と全員の目が注目する。小さい点にしか見えないが、四重反転クアッドローター特有の宙を滑るような動きは間違いなかった。偵察用ドローンだ。

「できればきちんとお礼を言いたかったのですが、そうもいかないようですね」ブリュンヒルドはひらりと身を翻す。跨がっているのが無骨な〈ポニー〉であるのを除けば、宗教画にでも描かれそうな颯爽とした出立ちだ。

「待ってくれ、君たちにはまだ聞きたいことが……!」

 言いながらライリーが一歩進み出ようとする──確かに法執行官として「そのまま行っていいよ」とはとても言えないだろう。

 だが、その歩みは即座に阻まれた。〈ポニー〉に跨る少女たちが、彼の喉元に手製の槍をぶっちがいになる形で突きつけたからである。

「そのへんにしといた方がいいぜ、おっさん。そのしなびたが恋しかったらな?」

「く……」

「おやめなさい、スルーズ、オルトリンデ」指導者というより姉のような嗜め方だった。「猟区管理官さん、あなたの正義感と職業倫理には敬意を払います。ですが私たちの罪状を咎める前に、取り締まるべき輩はいくらでもいるのではありませんか?」

 これまた法執行官としてはぐうの音も出ない言われようだった。ライリーも思うところはあるのか、渋面で押し黙ってしまってはいる。

「戦いはこれからも続きます。暴力と理不尽が私たち共通の敵なら、いつかまた会うこともあるでしょう。その日まで、どうかごきげんよう!」

 ブリュンヒルドは疾走を開始し、無数の「姉妹たち」がそれに続いた。街の人々の歓声に、彼女は片手を振って応える。まったく、最後の最後まで絵になる娘だった。

〈ポニー〉の大群が走り去った後に残されたのは、呆然とする龍一たち、そしてゴミだらけになった路面だけだった。


「……いろいろと恥ずかしいところを見せてしまったな」

 宿までそれほど遠くないため、3人は車を降りて歩いていた。道行く人々は猟区管理官の姿を見ると気さくに挨拶してくる。それへのライリーの返事がどこか気恥ずかしそうなのは……まあ、疾しさもあるのだろう。

「あなたが謝ることじゃないでしょう」そう言うしかない。実際、トゥエルブ・リバーの抱える問題は個人の責を問うものではないように思えた。

「ありがとう。……だが、これはこの街の偽らざる現状でもある」ライリーの口調が記憶を辿るものになった。

「大勢の人が新市街に移住したが、ここに残った人々もまた多かったんだ。あれは辛い眺めだったな……親を置いていった子も、いがみ合いの末に決別した隣人たちもいた。個人的には廃坑よりも、林業の停止よりも、あれがこの地域にとどめを刺したのだと思っているよ」

 龍一は頷くしかなかった。ここは西部開拓村──それも打ち捨てられた西部開拓村なのだ。

「密猟以外の仕事がないわけじゃない。街に必要な仕事はいくらでもある。ゴミ処理に発電所、それにスーパーの店員……なのに皆、それをやりたがらないんだ」

お前のゴミ処理施設を俺の裏庭に建てるなニンビー、ですか」とアレクセイ。

「ああ。特に働き盛りの若者たちほどそうかも知れないな……なまじインターネットで都会の豊かな生活を知ってしまっていて、辛くて汗と埃まみれの金にならない仕事なんか冗談じゃない、というわけだ。親が政府から貰う補助金を当てにして、高価なバイクを買って乗り回している。しまいには恐喝や強盗にまで手を出す始末だ……彼らの気持ちはわからないでもないだけに、余計やり切れないよ」

 確かにあのロニーとかいう男とは古くからの顔馴染みっぽかったな、と龍一は合点する。

「あの〈ヴァルキリー〉とやらも、この辺りじゃ有名なんですか」

「トゥエルブ・リバーに現れたのは今日が初だがね。言うまでもなくこの国で〈ヴィヴィアン・ガールズ〉の名は最上級の禁忌タブーだ。近々、FBIが捜査チームを派遣してくるという話も持ち上がっている」

 何しろ日本の一都市、六本木という限定されたエリアであれほどの騒乱を引き起こしたのだ。アメリカ国内で同じ事案が発生したら、その混乱は日本の比ではないだろう。

そして龍一にはもう一つ思いつきがあった。ライリーやあのブリュンヒルドと名乗った娘には直接聞きづらい話だったが──あの〈ヴァルキリー〉たちもまた〈ヴィヴィアン・ガールズ〉と同様、元は人身売買ヒューマントラフィックの犠牲者だったのではないか?

「保安官はすっかりやる気をなくしているよ。この街にあるのは本物の混沌で、俺は誰からも必要とされていない、ってね」

 無理もない。名も知らぬ保安官に龍一は少しだけ同情した。

「……ミスター・ベネット。あのMARPから人が降りてきたことは?」

「うん? いや、ないな。街中を走り回って、あんなふうに拡声器を通して話をするだけだよ。それだって君たちも知っての通り、『社則、社則』の一点張りだ。カーナビの方がまだ感情豊かだよ」

「なるほどね」龍一は頷きながら思った──

 やがて行く手にただコンテナを並べて作ったような──いや、実際そうなのだろう──八棟ほどのキャビンが見えてきた。申し訳程度のオフィスらしき建物の横で傾きかけた看板には〈トゥエルブリバー・エイトモーテル〉の文字がある。これがライリーの言っていた「この辺で唯一信用できる宿」なら、他はまあ押して知るべしだろう。

「さんざんな一日になってしまったな……まあ、君たちもそうだろうが」ライリーはくたびれた微笑を見せた。「何かあったら、いつでもオフィスに連絡をくれ。私は大抵外出中だろうが、できる限りのことはするよ」

「ありがとうございます。何から何まで」彼が法執行官だとしても、本来ここまでする義理はないだろう。

 ライリーはもう一度くたびれた笑みを見せ、車へと戻っていった。


「あああああ……文明社会だ!」

 モーテルのキャビンに入り、鍵をかけ、アレクセイと手分けして盗聴器や隠しカメラのチェックをする──お定まりの手順を済ませた後で、龍一は大の字になって床に伸びてしまった。バックパッカー向けなのだろう、色褪せたマット以外の寝具は一切ない殺風景な部屋だったが、贅沢は言っていられない。

 アレクセイも苦笑して、ぎしぎし鳴る椅子に腰掛けたまま、しばらくは何も言わなかった。が、やがてやや改まった口調で聞いてきた。「龍一。これからどうする?」

「どうするって……」

 龍一は迷った。ひとまず腰を落ち着けて考えられるようになったのだ、次に取るべき行動として、まず思いつくのは当初の予定通りジャクソンを目指すことだろう。この街で何が進行していようと、自分たちがそれに拘る理由もない。

 だが──本当にそれでいいのだろうか?

「考えているんだね。あの娘たちのことを」

「ああ。でもそれだけじゃない。何もかもだ」

 バイカーギャングと、戦闘車輌と重火器をこれ見よがしに誇示して市街を巡回する「セキュリティ」チームの対峙。HW生成に不可欠な薬品を国家軍へ納めるエンリル製薬。

 どれも今の「アメリカ」の、そして大小問わず先進諸国で起こっていることの縮図、と言えなくもない。

 だがそれで済ませてはならない、と龍一の中の何かが告げていた。これらを放置して先へ進むことは合理的でも何でもない、もっととんでもなく悪いことを看過するだけなのだ、と。

「なあ、アレクセイ。そもそも当初の、〈島々〉との接触なんて空の彼方へぶっ飛んだようなもんだろう。多少の道草を足したところで、大した違いはないんじゃないのか?」

 アレクセイははっきりと頷いた。「僕もそう思う。それだけじゃない、あの場では説明が難しくて言っていなかったことがあるんだ」

「何だ?」

「何と言ったらいいのか……」珍しく、アレクセイは口ごもった。「あのエンリル製薬支社、確か猟区管理官が〈人類の檻〉と読んでいたあの建物から、何か……ように思えたんだ」

 思わずマットからがばりと身を起こしてしまった。「呼ばれている……って、君以外の〈ヒュプノス〉からか!?」

「そんなはずはない。僕以外の〈ヒュプノス〉は死んだ」自分に言い聞かせているような口調だった。「だけど……よく似たものは感じた。あんな方法で僕にコンタクトできるのもまた〈ヒュプノス〉以外にありえないんだ」

 龍一は腕組みして天井を睨んでしまった。もちろん、そこに答えなど書かれてはいない。

「まずあの〈ヴァルキリー〉たちについて聞き込みを始めよう。あれだけの人気なら知っている人は山ほどいるだろう」

 バイカーギャングは気安く会いに行けるような連中ではないし、何のコネもなくエンリル製薬に赴いてもまずまともに相手にされないだろう。手近なことから片付けていくしかない。

「聞き込みにしても、明日からだね。もうすっかり日が暮れてしまった」

 苦笑混じりにアレクセイが言う通り、窓の外は既に暗くなりかけていた。藍色の空を背景にしながら、なおもくっきりと浮かび上がる黒い稜線のコントラストが美しい。

「昨日の今日で、大騒ぎのうちに夕陽は沈む……か」龍一も何となく窓からの眺めに見入った。一日の労働を終えた人々が、思い通りに行かない人生への鬱屈と、わずかな安堵を顔にこびりつかせて帰路へ着いていく。どんなに惨めだろうと誰もここを離れたがらないんだ、と言っていたライリーの言葉を思い出した。郷土愛など欠片も持たない龍一だったが、寄るべない我が身と比べて彼ら彼女らが少し羨ましくなった。いや、ひたすら羨ましくなった。

 ふと、視界の一角に違和感を感じた。目を転じてわかった──既に夜の色に染まりかけた空を切り裂くように、朱色の線が一筋、真っ直ぐに伸びている。

「流れ星かな?」龍一の視線の先を見てアレクセイが呟く。

「いや……違うみたいだ。もっと別の何かだな」

 街行く人々もそれに気づいたらしい。少なくない数の人々が、空を指差して口々に喚いている。

「龍一、あれは流れ星じゃない……!」何かに気づいてアレクセイが目を見開く。「あれは軍の輸送機だ。あの様子では完全に制御不能状態だ……このままだと山岳地帯に墜ちる……!」

 今や龍一の目にもはっきりと見えていた──機体後方に朱色の炎をまとわり付かせ、紺色の空を切り裂いて落ちていく大型輸送機が。まるでアレクセイの言葉を裏づけるように、炎が一際大きく明るく、機体の三分の二ほどを包み込んだ。

「マジかよ……!?」


 ──それはアメリカどころか、全世界を震撼させる事件の幕開けでもあった。

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