ワイオミング、ヴァルハラ、ヴァルキリー(4)分断せよ、さらば倒れん
「これは……ひどいな」実直そうな猟区管理官は金属とガラスの塊──昨日までは龍一たちのレンタカーだった残骸だ──を見るなり、顔をしかめた。テンガロンハットから覗く後れ毛には白いものが混じり、肌は陽光と強風、それに激務で面やつれを隠せていなかった。だが琥珀色の目は鋭い。「どんな深刻な恨みがあったら、車に対してこんな仕打ちができるんだ?」
「あまり詳しくは覚えていません。あっという間の出来事でしたから」
「わかっているよ。君たちの言葉を疑っているわけじゃない」猟区管理官、ライリー・ベネットと名乗った彼はテンガロンハットを被り直し、表情を改めた。「それで……犯人たちの顔は見ていないんだね? ええと、カン・ジョフン君にエドワード・リー君だったか」
ライリーが確認したのはもちろん偽造パスポートに記された偽名だ。本人たちを知る者には噴飯物の偽名だが、ここに本人たちを知る者はいないので問題は何もない。
「ええ。ハンドルを操るのに必死だったもので」
嘘ではない。真実も話してはいないが。
ライリーは眉間に皺を寄せて、古びた手帳にボールペンで何やら書き込んでいる。システム手帳が苦手なのかも知れない。「ふむ……しかしそうなると、犯人の意図が読めないな。〈ヘルハウンド〉がこの近辺に出張ってきたという話も聞かない」
「ええと、失礼。〈ヘルハウンド〉ですか?」
「そう名乗るバイカーギャングが存在するんだ。メディシンウィール近辺を根城にしていてね。禁猟区で法律違反すれすれの強力な銃器を用いて野生動物を無意味に殺しまくったり、観光客に言いがかりをつけて金品を脅し取ったりするんだ。品下れる連中だよ」
心底苦々しげな口調だった。猟区管理官としては無理もあるまい。
「ところで君たちはこれからどうするんだね? 被害届を出すにしても、ここから徒歩で最寄りの街へ行くにはあまりにも遠すぎる。ジャクソンにだって日本大使館はないよ」
「そのつもりはありません。先を急ぎますんで」
ふむ、とライリーは手帳を閉じた。意外に鋭い琥珀色の瞳が龍一に向けられる。内心では冷や冷やものだった──追われて車ごと崖から落ちたにしてはくそ落ち着きすぎているな、と不審に思い始めたのかも知れない。案の定、隣のアレクセイから向けられる視線がだいぶ痛い。
「車はレッカーで移動するにしても……よかったら、最寄りの街まで私の車に乗っていくかね? 乗るのは荷台になるし、犬とも一緒だが」
「何の問題もありません。ありがとうございます」
願ってもない話だった。もう徒歩はうんざりだ、が龍一の正直な心情である。アレクセイですら、文句一つ言わなかった。
ただでさえ様々な機材で埋め尽くされた荷台をさらに狭くする図体のでかい男2人が乗り込んできてもラブラドール犬は嫌な顔一つしなかった。それどころか、はっはっと息を吐きながらちぎれんばかりに尻尾を振っている。
「人懐っこい犬ですね」
「そうなるまでにずいぶんかかったよ」思い出すのも腹立たしい、というライリーの口調。「前の飼い主が悪くてね。高い金を出して買ったのに狩りじゃちっとも役に立たないからと捨てたんだ。私が引き取った時は栄養失調で飢え死ぬ寸前だったよ」
「……いろんな犬生があるもんですね」龍一は犬の下顎を撫でてやった。
ピックアップトラックが走り出す。さすがに荷台へ機材と、男2人と、それに犬一匹を載せたままではそうスピードは出ない。エンジンもややへたり気味なのか、急勾配を上るのにやっとという有り様だ。
「うぉ……」
龍一は目を見張った。朝陽に照らし出される坂上からの眺めは素晴らしかった──遠方に見える峻厳な山脈と対照的に、崖下には目に眩しいほど鮮烈な緑がどこまでも広がっている。上空を猛禽類らしき精悍な鳥の影──おそらくはハイタカだろう──が鋭く旋回しながら飛び去っていった。あの眼下の大自然に痛めつけられたことを、龍一はすっかり忘れて見入った。
「その反応を見ると、観光客というのは本当らしいな」
ライリーの声に、龍一はぎくりとした。運転席からこちらに向けられた瞳が笑っている。
「済まないね。こういうのは職業病なんだ。人を疑ってかかるのがね」
「……疑われるのは仕方ありません」何しろライリーの疑惑は、故なきことでもないのだ。
「いいさ。私だって生まれた時から猟区管理官だったわけでもない。君たちはその若さで、あの頃の私よりも人間ができているよ」ライリーは愉快そうに笑った。どうやら龍一たちを若い家出人か何かと思っているらしい。好意的な誤解ではあるが、わざわざ解く理由もないだろう。
龍一とアレクセイがほぼ一晩彷徨った(そして殺されかけた)原生林を、ピックアップはわずか数分で通り過ぎてしまった。当分の間は大自然なんてこりごりだ、と龍一は密かに決心した。
やがてピックアップは丘を越え、眼下には周囲を山に囲まれた市街が見えてきた。心地良さそうに眠っていたロビンが、すっと身を起こした。
「何だ、あの街は……?」
「……ようこそ、と言うべきなのかね? 愛しくて憎い我らのホームタウン──ワイオミング州トゥエルブ・リバーへ」ライリーの声は苦さを隠し切れていなかった。「できれば、あの街の最も美しい時期を君たちに見せたかったよ。だがあの街の最も美しい時期は、俺の爺さんたちの世代で終わったんだ」
先日まで龍一たちがいたNYとまではいかなくとも、市の中心部はそれに負けない賑わいだった。いくつもの高層ビルが立ち並び、地方都市とは思えない充実ぶりだ。
だがその周囲は──燻んだ、見るだに心を曇らせる色合いの街並みが同心円状にどこまでも広がっている。まるで牛乳を垂らされた泥水のようだ。
「ずいぶんと……眺めのユニークな街並みですね。どんな歴史があったらこうなるんですか?」我ながらひどい言い草だと思った。ユニークとはそんなふうに使う表現ではないだろう。
「……君たち旅行者にわざわざ話すようなものじゃない」不意にライリーの態度が硬質なものになった。明らかに聞かれたくない質問への反応だ。
「これから泊まる地域の治安状況を把握しておくのは、そんなにおかしいですかね?」
アレクセイの方をあえて見ずに、龍一は問いを重ねた。非礼は百も承知だったが、俺だって単なる好奇心だけで聞いているわけでもない。
腹の底から出すような溜め息を一つして、ライリーは口を開いた。
「アメリカの全ての街がそうだったように、何もかもが最初からこうだったわけじゃない。ここに来るまでに君たちは何を見てきた? 美しい山と川、嫌というほどたくさんいる野生動物だろう。このあたりの風はシャイアンやローリンズより強くないし、山だって崖から落ちたり凍死したりするほど厳しくない。忌々しい狼やグリズリーにケツを齧られる心配もない。このあたりの自然は優しいんだよ。街の人々は皆、ここが好きだからここにいるんだ──私もさ」
龍一は黙って頷いた。寒さに震えながら山中を彷徨ったことを思い出した。俺たちはまだまだ幸運だったってわけか。
「1930年代に金と銀の鉱山が閉鎖されたのが、この街のケチのつけ始めだった。それでもまだ炭鉱と伐採業は健在だった……1940年代まではな。だが新しい環境保護法が制定され、硫黄含有量の少ない他所の石炭が重宝されるようになり、炭鉱も終わった。ほとんどの人が銀行に家を取られて出ていったよ。そして州間高速道路90号線が街の北を通り、観光客が素通りするようになって、観光業が死んだ。それまでは女優のリリー・ラングトリーや魔術師フーディニだってやってきたのにな。信じられるかい?
とどめにここから材木を運び出せる唯一の鉄道分岐線が廃線となり、製材所がなくなった。木を切れない伐採労働者たちが何をすればいいんだい? ひたすら不貞腐れるだけだよ。そして街に残ったものは、最初からあったものだけだった──美しい山と自然と動物たち、そして日々の生活に痛めつけられ、恨みを溜め込んだ人々」
黙っていたアレクセイが初めて口を開いた。「それにしてはずいぶんと賑わっているように見えますが。何か魔法があったのですか?」
「魔法……あながち間違っちゃいないな。サンフランシスコに本社のある大手製薬会社がなぜこの地方を
今度は龍一が溜め息を吐きたくなった。気の滅入る、よくある話ではあった。
「あの一番大きなビルが見えるだろう? あれはエンリル製薬の支社ビルだ。一般には〈ジグラト〉と呼ばれているよ」確かに、遠目には神殿のように見えなくもなかった。いずれにせよ、ワイオミングの一地方都市には不似合いな代物なのは間違いない。「古代メソポタミアの『神の住まい』になぞらえるには、ずいぶん傲岸だと思うがね」
ライリーは結構な博識家らしい。「入ったことはないがあのビル内には、人間一人が生涯で必要とされている全ての施設が完備されているそうだ。幼稚園、学校、大学、職業斡旋機関、結婚式場、不動産屋、そして葬儀場ってな具合にね。だからもっと口の悪い奴らは〈
「〈人類の檻〉……」龍一は口中で繰り返した。何となく耳障りな呼称だ、と思った。
「エンリル製薬……米軍への精神安定剤供給を一手に引き受けている大手製薬企業だね」アレクセイが手早くスマートフォンを操作する。「最近では〈ネクタール〉ライセンス生産の方が売上を増加させているようだけど」
龍一の頭の中で何かが噛み合う音がした。
もちろん、HWや〈ネクタール〉自体は今やありふれた技術と化しつつある。それらを扱っているからといって、その裏に即〈王国〉や〈犯罪者たちの王〉の思惑があると考えるのは早計だろう。だが……。
剣呑なエンジン音が轟いた──獣の唸るような、と表現するのが全く大袈裟ではない、あまりにも猛々しいエンジン音だ。
眼下の、まともに舗装もされていない道路を通過していくのは巨大な車輌だった。突き出た鼻面と角張った車体は、地に伏せた犀を連想させる。何よりそのシルエットは、民間の車輌ではあり得ない威圧感に満ち満ちていた。
「民間の車にしちゃ、ずいぶん物々しい代物だな」
「あれは……
「あれはエンリル製薬の市街セキュリティチームだよ」どこか物憂げな声でライリーは言う。赤の他人から身内の不幸について言及されたような声だ。
「セキュリティ? あれが?」
市民感情を意識してなのか白一色に塗装されてはいたが、軍用車輌特有の威圧感は隠しきれていない。車輌上部には車内からリモコン操作できる機関砲塔が据え着けられており、標的を求めるように左右へ旋回している。それが血に飢えた獣の印象をさらに強めた。
「ご指摘の通り、エンリル製薬は兵士用の精神安定剤を提供していて軍に太いパイプがある。払い下げの車両を『ご厚意』で提供されるなんて、便宜のうちに入らないというわけさ」
理屈はわかったが、それと頷けるかどうかは別だと思った。白昼堂々、市街を走り回っていい類の車ではない。何かが龍一の神経をひどく刺激し始めた。悪いこととなると外れた試しのない、龍一の第六感だ。
龍一の思考を不意の発砲音が断ち切った。拳銃ではない、明らかに自動火器の連射音だった。
MARPの機関砲塔が──火を噴いている。何か明確な目標を見つけたのではなく、単なる威嚇射撃らしい。が、発砲には違いない。ガラスの割れる音と建物の一部が破砕される音が立て続けに響き、一瞬遅れて悲鳴と怒号が聞こえてきた。
「撃った……! 今、撃ったぞ!」龍一は心底愕然としていた。「エンリル製薬とやらがどんな大資本か知りませんが、合衆国内で許される無法なんですか?」
「かの悪名高い
「滅茶苦茶だ……」
あの〈海賊の楽園〉でさえ、ある一定の秩序はあった──〈黒王子〉のご機嫌次第で瓦解する危うい秩序ではあったが。しかしあの街では違う。完璧な秩序と、剥き出しの
ましてやここは米国だ。衰えたりとはいえかつての超大国、先進諸国の一国だ。少なくともここから垣間見えるのは龍一が漠然と思い描いていた「アメリカ」とはずいぶんとかけ離れた、歪んだ光景だった。
3人と一匹を乗せたピックアップは、のろのろと市街へ入っていく。
見るからに水はけの悪そうなひび割れた街路の左右に、へばりつくを通り越して叩き潰されたような平屋やトレーラーハウスが並んでいる。素晴らしい青空の下のいじましい街並みは、龍一の気分を大いに悪くした。裸に近い格好の小さな子供たちがサッカーボールを蹴って遊んでいたが、血相を変えた親たちが飛び出してきてたちまちそれぞれの家へ逆戻りすることになった。ドアやブラインドの陰から、いくつもの猜疑心に満ちた目がこちらを凝視している。
龍一が見てきた中でも一、二を争う惨めな光景だった。しかも、ここが「あの」アメリカだって?
「本当にこの辺りに宿泊するつもりなのかね? 安心して勧められそうな宿は、この辺りでは一軒しか思い当たらないよ。実際、その一軒くらいしかないんだが……」
「いいんです。洒落た三つ星ホテルなんかに泊まる金はありませんから」
それに──龍一は胸中で呟いた。洒落た三つ星ホテルなんかに泊まっていちゃ、この街の「嫌な雰囲気」は突き止められない。
ライリーは頷いた。「わかったよ。じゃ、そこでお別れだな」
「管理官さんの家は街中にないんですか?」
「宿舎は街の外だよ。規則で猟区管理官が個人邸宅を持つのは禁じられていてね。それに、今のこの街を妻と娘に見せたくはないんだ」
引っかかる物言いだった。初めは龍一たちのような怪しげな外国人を家族に会わせたくないのかと思ったが、そういうことでもないらしい。
不意にライリーが舌打ちする。「おっと……『見せたくないの』が来たな。いいか、私が対応するから君たちは黙っていてくれ。絶対に外へ出るなよ。特にジョフン、君は見るからに喧嘩っ早そうだからな」
君の瞳に乾杯、と龍一は密かに呟いた。
今時珍しい、重々しいバイクのエクゾースト音が路上に響き渡る。聞くだに環境に優しくなさそうなガソリン駆動の排気音だった。
ピックアップの周囲を瞬く間に取り囲み、ターンして停まるバイクテクニックはなかなかのものだった。
示し合わせたように薄汚れた黒の革ジャンを着込んだ(この気候じゃ寒いだろうに、と龍一は余計な心配をした)見るからにまともではなさそうな男たちが、嫌な感じの薄笑いを浮かべながらバイクから降り立った。しかもその人数は、地元のチンピラが因縁をつけに来たにしては多すぎた。龍一でさえ何の悶着もなしに切り抜けるのは無理かな、と半分覚悟したくらいだ。
もう一つ、察せられたことがある。こいつらが〈ヘルハウンド〉だ。
男たちの一人、もつれた黒髪を後ろで縛った赤銅色の肌の男が、これ見よがしにボンネットへ肘を乗せた。これでライリーは、男を跳ね飛ばしでもしない限り車を出せなくなった。
「本日もパトロールですか。職務熱心なことですなあ、
周囲で野卑な笑い声がどっと上がった。赤いシャツの制服と記章が見えないはずがないから、これは純然たる嫌味だろう。
ライリーは怯みもしなかった。「私は猟区管理官であって保安官ではない。見間違えるようなら目玉を取り替えるべきだな、ロニー・〈ウッドペッカー〉・ロングホーン?」
ロニーは鼻で笑う。「保安官てなあ、あの飲んだくれのことか? かみさんから小遣い貰って真っ昼間から酔い潰れるのに忙しい負け犬を
「あまり言いたくはないが、私も生活がかかっているんでね。それより、君のやるべきことは真っ昼間から恵まれた肉体を無駄遣いして阿呆な仲間たちと排ガスを撒き散らすのではなく、君を育ててくれたお祖母様のそばにいるべきなんじゃないのか、ロニー・ボーイ?」
ロニーと呼ばれた男の顔から表情が消えた。一番聞かれたくないことを聞かれた時の表情の消し方だ。「余計なお世話だ。それに、婆さんなら3日前に死んだよ。機関砲の音を聞きすぎて心臓が保たなかったんだ」
今度はライリーが息を呑む番だった。「それは……済まなかった」
「いいさ。俺ぁ、謝ってほしいわけじゃねえんだよ」ロニーの声が凄みを増した。「俺が、俺たちが聞きてえのはよ。あのでかい銃を振りかざして化け物みてえにでけえ車で俺たちの街を荒らし回ってるならず者どもを、あんたらお役人たちはいつになったら牢屋へぶち込んでくれるかってこったよ。そうだろうが、みんな!?」
地鳴りのような同意の声が一斉に沸き起こった。ロニーという男、アジテーターとしての素質はかなりのもののようだ。
痛いところを突かれたようにライリーは顔を歪めたが、沈黙はしなかった。「私とてエンリルのやり口を全てよしとしているわけではない。だが間違っているにしても、正式な方法で抗議すべきだ。手に手に得物をちらつかせるなんて論外だ!」
「正当な方法で抗議だと? 手に手に得物だと? 機関砲と装甲車相手に、俺たちが持つ護身グッズがどれだけ『深刻な脅威』だっつうんだ? それとも俺たちの権利は保護区域でのんびり草食ってるバンビ以下だってのか?」
さっきからロビンが全身の毛を逆立てて歯を剥き出しにしているので、龍一は喉の下を撫でてやった。「大丈夫だ、ロビン。威嚇する必要なんてないよ」
何しろ俺はこいつらの何倍も強いからね──そんな内心の声が聞こえたわけでもないだろうが、ロニーは龍一を睨みつけた。「何だ、てめえ? 言いたいことがありそうなツラじゃねえか」
「へえ。なかなか察しがいいな」
龍一の返答と流暢な英語と、ロニーがどちらに腹を立てたのかはわからない。とにかく、彼は赤銅色の顔がどす黒くなるほど顔色を変えた。「ふざけた野郎だな。てめえはどこの誰だ?」
「見ればわかるだろ。怪しい奴だよ」
ロニーの仲間が口を挟む。「なあロニー、よくはわかんねえけど、何かこいつら嫌な感じがするんだよな。きっとFBIの犬か何かだぜ」
ロニーは鼻で笑って返した。「てめえは目玉を裏返して川で洗った方がいいんじゃねえのか? FBIが猟区管理官の車で乗り付けたりするかよ」
なかなか頭の回るチンピラだなと思った。甘く見るのは禁物かも知れない。
通りの向こうから、通行人たちの悲鳴を押し除けるようにして進んでくるのはあのMRAPだった。建物に衝突しても耐えられそうな──どころか、建物を押し崩しそうな分厚いバンパーは、正面から見るとさらに威圧的だった。何より、車上の機関砲塔が左右に旋回するのをやめてこちらに向けられているのには肝を冷やした。龍一でさえ逃げ出したくなるほどだ。
『市民の皆さん。企業敷地内での未登録の集会は禁じられています。ただちに解散してください。指示に従わない場合は企業法に基づき、鎮圧を執行することがあります』
涼やかな女性の合成音声は、〈ヘルハウンド〉たちをさらに激昂させただけだった。
「ふざけやがって……てめえらこそ、そのバキュームカーから降りてこいよ。『アメリカの自由』って奴を全身に叩き込んでやらあ!」
雰囲気が一瞬で険悪になった。〈ヘルハウンド〉たちの大半が、手に手に鉄パイプや刃物や金属バットなど、これ見よがしに得物をちらつかせている。懐には当然のように拳銃を呑んでいるだろうし、もっと物騒な武器を持っていてもおかしくない。騒ぎを見物していた住民たちはたちまち屋内へ消えた──だが、まだ往来には大勢の人間が残っている。
まずいぞ、と思う。一歩間違えば本物の虐殺が起こってしまう。法執行者の目の前で発砲するほどセキュリティ担当者の頭が煮えていなければいいのだが……しかし、どこまでそれを信用できるのか?
とうとう我慢できなくなったのか、ライリーが車から降りた。「みんなやめろ! 迂闊に挑発するんじゃない!」
「うるせえ! てめえはとっとと帰って『バンビ抱っこ園』の巡回でもしてろ!」
ライリーがどれだけ屈強かは知らないが、何しろ多勢に無勢である。反射的に飛び降りようとした龍一に、アレクセイがきっぱりと首を振ってみせた。
「駄目だ、龍一」
「だけど……!」
「君だってわかっているだろう? こんなところで〈竜〉を使ったら、ここに泊まるどころじゃなくなるぞ」
アレクセイの言葉は痛いほど身に沁みた──だからこそ、容易には頷けなかった。流血沙汰でも起こらないことには鎮まらない雰囲気だが、しかし目視していていいのか?
面倒事が後で百倍になるのを覚悟で〈竜〉を使うしかないのか、龍一がそう考え始めた時、
「さてもさても情けないものです! テストステロンを全身からしぶかせた大の大人たちが、白昼堂々往来で睨み合いですか?」
──その声の若さを考慮しても、いささか歯切れの良すぎる声が往来に響き渡った。
いつのまにか──龍一が気配を察し得ないほどいつのまにか、平屋やトレーラーハウスの屋上にいくつもの影が立っていた。米軍払い下げらしき多脚
身に纏っているのは青葉や蔦を巻きつけた
手にしているのは削った鉄パイプや鋼線で作った手製の弓や槍や弩など、銃ほどではないが無害でもない物騒な道具ばかりだ。戦闘のプロには見えなかったが、さりとて素人にも見えない。
「あれは……〈
「知っているんですか? あのヴァル……何たらとかを」
「君たちはアジア圏出身だろう。そちらの方が詳しいんじゃないのか? 言わば合衆国内における〈ヴィヴィアン・ガールズ〉だよ」
〈ヴィヴィアン・ガールズ〉の米国版だって?
龍一は黙って首を振るしかなかった。ひょっとして、俺たちは知らないうちに
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