エピローグ 動き出すシステム

「〈自殺軍〉は失敗したか」〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスの呟きに悔いはなく、むしろ淡々としていた。「監視は続けているのだな? それならそれでよい」

「しかしあの新たな〈竜〉が、計画の支障になる可能性は……」

 若い金髪の女性秘書の懸念に、なくはないだろうな、と彼は頷く。「だがまた全く別の、新しい可能性を開く鍵でもある。それを看過したところに、私の計画の完遂はあり得ない」

「……確かに」

「〈自殺軍〉を使ってできることはあらかた終わった」しばし思考を巡らせた後、ヨハネスは口を開いた。「重武装の犯罪者たちに対抗するための、警察と軍事請負企業の装備増強。下地はほぼ整ったと言ってよい──次の段階に移ろう。〈笛吹き男パイドパイパー〉を再起動させろ」

「かしこまりました。御心のままに、〈犯罪者たちの王〉」

「〈のらくらの国〉にぶつける目算は狂ったが、あの幼竜相手ならどうなるか……私自身も少なからず興味がある」秘書は一礼し、そしてヨハネスは呟く──モニターに映る叶愛花に向かって。「心するがいい。〈笛吹き男〉は〈自殺軍〉とまるで位相の異なる犯罪者たちだ……?」


 図書室の返却カウンターで借りた本を返そうとして──逢瀬奈津美は振り返った。何か妙な胸騒ぎを覚えたのだ。何かいつもと、慣れた図書室の空気が違うように思う。

 実際、行き交う生徒たちがある一角にちらちらと視線を投げている。そちらを見て、奈津美は自分の目以前に正気を疑いかけた。

 叶愛花が山のように本を積み上げ、読書していた。あの叶愛花が!

「か……叶さん!?」

「あ、逢瀬さん。こんにち……どうしたの? 恋敵の生霊でも見たような顔して」

「『源氏物語』の話はしてません!」図書室であるのを思い出して声を顰めたが、それすら精一杯だった。「一体何をなさっているの!?」

 愛花は奈津美の方が自分は大丈夫なんだろうか、と心配になるような真顔を向けてきた。「何って……見ての通り読書してるだけだけど?」

「そ、それはそうなんですけど……何か思うところがあって?」

「うーん、思うところがあると言えばあるけど……個人的に知りたいことがいろいろ出てきて。でも結構面白いよ、今まで考えもしなかったものを調べるって。おかげで最近はやたらと知り合いが増えちゃってさ、や、小学生や中学生にまで手伝ってもらってるんだ」

「叶さん……今度は小学生や中学生にまで迷惑かけてるんですか!?」

「逢瀬さんの中だと、私に新しい知り合いができるのは迷惑前提なんだ……?」

 自分の人生を振り返った方がいいのかな、と腕組みして真剣に悩み始めた愛花を見ているうちに、奈津美の方も内心で(まあ、私や昭島さん以外に知り合いが増えるのは、叶さんにとっていいことなのかな)と思い始めた。どこか少し、寂しくはあるが。

「でもそんなに難しいテーマなんですか?」

「うーん、強いて言えば歴史……ってことになるのかな?」愛花は微笑したが、その微笑自体も奈津美が初めて見るものだった。「これを見過ごして、私は天下を取れない……そんな気がするんだ」


『でも本当によかったの?』

「何が?」

 奈津美が退室した後、腕時計に組み込まれた通信機から話しかける〈セルー〉の声──指向性の高い音波を使用しており、愛花にしか聞こえない──に愛花も小声で応じる。『あの赤星という軍人以外にあるのあんな安請け合いして?』

「実際しょうがないじゃない……それとも何? 捕まってカイボーされた方がよかったの?」

『そうは言わないけどまさか軍を味方につけておければ心強いなんて思ってないでしょうね国家相手の取引なんて検討するまでもない馬鹿話よ忘れたの? 私の模倣素は自衛軍のブラックオペレーション部隊と相討ちになったのよ』

「だからって敵に回す必要もないでしょ。〈セルー〉って意外と無政府主義者アナーキストだね……」

『正確には私の模倣素がね』

「でもそれじゃ、あの時どう答えればよかったの?」


「私、天下を取る予定なんです」

「……ふむ?」

 愛花の言葉に赤星はとりあえず頷き、穂摘は目を瞬かせ、そして藍は腕に抱かれたまま「まだその生きてたのかよ」と呆れ顔になった。

「でも今だと、私が一人で勝手に『天下を取る』って言っているだけなんです」

 自覚あったのかよ、と藍が呟いたので胸の谷間に藍の顔を押しつけて真っ赤にしてやった。

「そのためには私一人が言っているだけじゃ不充分なんです。『叶愛花は、天下人に相応しい人物だ』って大勢の人に認めてもらう必要があるんです」

「なるほど……それで?」

「私は困っている人がいたら、即座に助けたい。必要だから、自分に都合が悪いから、という理由で後回しにしたくない。それをしちゃったら、私は天下人失格だ、と思うんです」

「うん」

「だから赤星さんの下には付けないし、頭も下げたくない。いずれも天下人に相応しくない行為だからです」

「……なるほど。僕は天下人失格か!」

 赤星は破顔した──一度笑うと、ずいぶんと印象が和んだ。傍らの穂摘は目を丸くしている。「そうだな。実際僕は使われる立場だからねえ。赤坂あたりじゃ中佐なんて使同然だからね……いや、それはどうでもいいか」

 やや表情を改めて赤星は頷く。「穂摘少尉、狙撃チームは下がらせていいよ。もう、必要なくなった」

「ごめんなさい。でも、赤星さんたちのことは覚えておきます。いつか私だけではどうにもならない時、頼ることになるかも知れません」

「いいとも。当面はこちらの穂摘少尉を連絡役リエゾンとしよう──日時を決めて定期的に彼女へ一報入れてくれ」

「そうですね。優しそうで信頼できそうな人ですし……赤星さんよりは」

「嫌われたもんだね……」

「陰謀家然と登場しておいて何を言っているんですか」穂摘ははっきりとそう口にした。この人も見かけによらず我が強いな、と思う。

「これで今度こそめでたしめでたし、かな?」

「それでいいのかよ、姉ちゃん?」

 不安げに見上げてくる藍に、愛花はここぞと笑ってみせる。「大丈夫だよ。天下人に試練は付き物だもの……何せ天下人だからね!」

「マジかよ……」


「いや確かに……本当にどうしたらよかったんだろう、って考えるとキリがないけど。最悪の選択肢じゃないんじゃない? あの人たちなりに最大限の譲歩だと思うし」

『そうね済んだことは仕方ないわねまた問題が起こったら対処しましょ。それにしても愛花?』

「うん、やっぱり気になるんだよね。赤星さんも帰り際に言ってたでしょ──〈って」

『そうねそれで?』

「何の理由もなくそんなものがポコポコ生まれてくるわけないでしょ森のキノコじゃないんだから? 〈竜〉を生み出す何かがこの地にはある、そんな気がするんだ」

『あなたがそこまで筋道立てて考えられるのと自分がいかに素っ頓狂な存在なのか自覚あるのとどちらに驚けばいいのか迷うわ』

「やっぱり〈セルー〉私だけに当たり強くない?」ページを繰っていた愛花の手が止まる。「まただ……」

『何が?』

「どの文献を見ても同じ名前が出てくるの。高塔、っていう」


 ──そして運命は動き出す。


(叶愛花の章 幼竜覚醒 完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る