瀬川夏姫の章 灰と煤の女王

プロローグ 何もかもが

「ここの景観は本当に素晴らしいんだよ」老人は口を開いた。「今日はあいにくの天気だが」

 呟くように言って、老人は腰かけたまま彼女を──自分の眉間に拳銃を突きつける少女を、やや悪戯っぽい眼差しで見上げた。

 少女の顔は白く、極限まで張り詰めており、そして血の気がない。

 窓の外に稲光が走り、執務机の上の卓上灯以外は照明一つない室内、そして少女と老人の横顔を白く照らし出した。

 一拍遅れて響く雷鳴も、二人は気にした様子すらない。

「とは言え……晴れの日の眺望は無論だが、嵐の日だって決して悪くはない。それどころか、荒れた急流が岩にぶつかり白く飛沫を散らし、跳ねたカワカマスの鱗が雷光に煌めく、その様は……金を払ってもなかなか見られるものではない」

 少女の声は冷ややかだったが、その下で蠢く激情を容易に連想させた。分厚い氷の下で沸騰する溶岩のように。「何が言いたいの」

「こんな醜くて惨めったらしい老いぼれを撃ち殺すには、少々もったいない日だとは思わんかね?」

「思わないわ」銃口はびくともしない。確固たる彼女の意志を示すように。「命乞いなら無駄よ。あなたの〈王国〉も、そしてあなた自身も、今日で店じまい」

「今さら命乞いなどしない。君の期待に添えず申し訳ないが、私はさほど自分の命を後生大事に思っているわけでもないのだよ。だが、私を犬のように撃ち殺すのはまあいいとして、君に何の得が?」

 少女は冷ややかに答える。「得なんてないわ。でも少なくとも、私のちっぽけな感情は満足する。それで充分じゃない?」

「なるほど。何が何でも私を殺したい、か」

 声もなく老人は笑った。正確には笑おうとしたが、それは即座に少女が巡らした銃口によって封じられた。だが笑いを刻んだ陰は口元から消えない。

「いちおうの釈明をしておこう。あの件に関して、私が関与したことはほとんどなかった。アンジェリカの行動に関しては完全に彼女の独断専行だ」

「だから自分には責任がないとでも? 従者の行動にはその主人が責を負うべきじゃない? 彼女がこの世にいない以上、責任を取らせるべき相手はあなたしかいない」

 老人は静かに視線を上げた。怒りも驚きも恐怖も、その表情には欠片も見当たらなかったが、その所作は確実に今までと違う何かを孕んでいた。

「では最後に一つだけ聞こう。?」

 静まり返った室内に、再び雷鳴が轟いた。

 少女は声を上げず、表情一つ変えず、身じろぎすらしなかった──だが老人のその問いは、彼女の中の、限界まで張り詰めていた何かを確実に打ち砕いていた。

「……皆、死んだわ。何もかもあなたのせいよ」

 少女の頬を、音もなく滴が滑り落ちた。「何もかもあなたと……私のせいよ」

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