幼竜覚醒(3)鉄鞭、火砲、鋼馬
「それじゃ、真琴ちゃんは……」と愛花は二人の女子中学生に両脇から支えられて歩きながら言った。何しろ先刻の戦闘の余波から立ち直り切れていないのだ。「その龍一って人と知り合いだったんだね?」
「はい。叶先輩は、彼のことをどのくらい知っていますか?」
「愛花でいいよ、直接の先輩後輩じゃないんだから。──ニュースやネットの噂話以上のことは知らないかな。稀代のテロリストとか、〈のらくらの国〉を丸ごと新型爆弾で吹っ飛ばしたとか」
「それは間違ってはいないけど、正確じゃありません。まあ、そう説明するしかないのもわかるけど」息を切らせながら歩く真琴の目が、少し遠くを見る眼差しになった。「最後に見た時、あの人の腕は愛花さんのものと同じになってたんです。だから驚きました。見覚えがあって……どころか、ありすぎて」
「私と同じ腕の人がこの世にもう一人、ね……」
「なー真琴、そろそろあたしたちがどこへ向かってるか教えてくれてもいいんじゃね?」同じく息を切らせながら可乃子が言う。「これ以上行くと、もう街を出ちまうぜ。正直、あんまりこっちには行きたくねーんだ。何せ……」
──彼女たちの前に広がっているのは、どこまでも続くようなフェンスに区切られた荒涼たる
「街の方へ行ったらお巡りさんたちに見つかっちゃうだろ? ただでさえ大騒ぎなんだからさ。……でも、そうだね、説明ぐらいはするか」
真琴はフェンスに沿って歩きながら、何かを探しているらしい。「以前話した、僕が父さん絡みで殺されかけた事件あったろ? あれ以来おかしなアプリが僕のスマホに入ってるんだけど、何週間か前からそれが何かの信号を発し始めたんだ」
「それでここに来たのか? 怖くなかったのかよそんな得体の知れない信号」
「怖かったけど、無視もできなかったよ。だって、あの件で僕は本当に殺されかけたんだからね?」
あの件、とやらを詳しく知らない愛花は「そういうことがあったのか」と思うしかない。
見ているうちに真琴はフェンスの一角にかがみ込み、何やらごそごそやり始めた。
「うん、大丈夫みたい。可乃子、愛花さん、この大きさならどうにかなると思うからついてきて」
可乃子が目を剥く。「お前、フェンスに穴開けたのかよ!?」
「人聞きが悪いなあ。ちょっとだけ開いてた穴を前もって広げておいただけだよ」
愛花は可乃子と顔を見合わせる。「真琴ちゃんて、虫も殺さないような顔して結構な問題児だね……」
「正気そのものってツラしてるのにすごいでしょ? もしかしてあたしたちん中じゃ一番イカれてるんじゃないか、って説もありますよ。主に唱えてるのはあたしだけど」
「二人とも全部聞こえてるから、後で話し合おうね?」
疲労困憊した愛花がフェンスをくぐり抜けるのは一苦労だったが、先に向こう側へ抜けた真琴が引っ張ってくれたおかげで可乃子がスカートに鉤裂きをこしらえた以外は問題なかった。
「それにしても真琴ちゃん、ここにその……私の相談に乗ってくれそうな人がいるの? 人どころか猫の子一匹見当たらないんだけど」
「他に思いつかなかったんです。それにその……」
真琴の言葉が終わらないうちに、轟音と言ってよいエンジン音が響いてスクラップの小山が揺れ始めた。あまりのことに逃げることすら忘れている愛花と可乃子の前で、そいつは覆い被さっていた残骸を埃のように振るい落としながら前進してきて、巨体とは不似合いに滑らかなブレーキ音一つ響かせて止まった。
『いらっしゃい真琴今日はずいぶんとお客様を連れてきたのねもしかしてあなたのお友達?』
「……トレーラーが」
「喋った」
驚きのあまり事実しか口にできないでいる愛花や可乃子とは対照的に、真琴はひたすら苦笑している。
「……あれこれ説明するよりは、直接会ってもらった方が手っ取り早いと思って。ええと、こちらがセルー・マクドナルド……さんです」
『呼び捨てでいいわ正確にはそう名乗るAIね』無機質な電子合成音だが、口調は愛花とそう変わらない少女のものだ。『私は車載搭載型ヒューマン・リンクAIの一系統に過ぎない今の
トレーラーの後部扉が圧縮空気の漏れる音を発し、三人を静かに迎え入れた。
迎撃準備を整える〈自殺軍〉の兵士たちと何度もすれ違う。野戦本部代わりのテントに入るなり〈呼延灼〉は見張りの兵士に聞いた。「あの少年は?」
「起きています」
「座らせろ」
顔にまだ生々しい殴打の痕が残るTシャツ半ズボンの少年が、両手を拘束バンドで縛られたまま連れてこられる。少し暴れようとしたが、屈強な兵士に無理やり肩を抑えられると黙った。
「やっと親玉の登場かよ」緊張してはいるが、怯えてはいない。〈呼延灼〉は内心で彼の評価を改める。
「聞きたいことは一つ。あの娘は何者だ? ただの女学生とは言わせないからな」
「ただの女学生だよ」
傍らの兵士が銃床を振り上げたが〈呼延灼〉は首を振って制した。「こういう時にお定まりの台詞しか出てこないのは遺憾だが、隠し事はためにならないぞ」
「隠し事をするほどあいつのこと知らねえよ。今日知り合ったばかりなんだからな。さもなきゃ、森のキノコみたいに生えてきたんじゃねえのか?」
「……では本当に何も知らない、と?」驚きを禁じ得なかった──それがどの角度から検討しても無理がないことについてだ。
「だからそう言ってるじゃねえか。あんなのがそのへんをほっつき歩いてると思うんだったら、そっちの方がアホだろ」
「……一つ、思い出したことがある」〈呼延灼〉は考え込みながら言った。「あの娘、〈
藍は眉をひそめる。「はあ? ドラゴン……って、アニメとかラノベとかによく出てくる、空飛んで火を吐くでかいトカゲのことか?」
「近頃、裏社会で囁かれている噂があってな。常人の身体能力どころか、物理法則すらねじ曲げた戦闘能力を発揮する者たちがいるそうだ。並の兵士や格闘家、半端な身体増強程度ではまともに対抗すらできんらしい」
「そんな馬鹿な話……いよいよラノベじゃねえかよ」
「ドラゴンはお伽話だが〈竜〉の実在を信じる者は少なくない。私自身、犯罪者どもの都市伝説としか思わなかったが。直接、この目で見るまではな」
だが手がないわけではない、と〈呼延灼〉は呟きながら藍の顔を覗き込む。「格好の餌がある。ここに」
少年は──初めて動揺した。「来るわけねえだろ。今日知り合ったばかりだって言わなかったか? それで助けに来るなんてよほどのアホだろ」
「どうかな? 私の見た限りではあの娘、その『よほどの』の方に属する手合いではないのか」
「……来やしねえよ」
それだけ言って少年は即座に口を閉じた。これ以上喋ったらまずいと判断したのか。聡い子供ではあるな、と思う。厳重に見張っておけ、と傍らの兵士に命じて彼女はテントを出た。
外では既に迎撃準備が始まっていた。エリックは指揮官用のタブレットを手に指示を出しており、その先ではメカニカルな中身を剥き出しにした巨大な金属塊に整備員たちが大勢取り付いている。
「援軍が間に合ったようだな」
「無理を言ってどうにか間に合わせた。実際、生身の歩兵を何人投入しても無駄だろう。どうせなら戦車が欲しいところだが、それができなければ事前の策ではある」
〈呼延灼〉は鼻で笑った──馬鹿にしてではない。エリックをはじめ〈自殺軍〉の兵士たちが最後まで戦ってくれる分には彼女に困ることは何もないからだ。
その戦意の向く先があの小娘、というのがどうにも皮肉な笑いを禁じ得ないが。
(私も他人を笑っている場合ではないな……)
おかしな話だ、と思う。あの小娘が出現して以来、何もかもが狂ってしまった。それとも彼女が全てを狂わせた、と思うのは自分の願望に過ぎず、これは〈自殺軍〉や〈百八星〉が内包していた歪みが表出しただけなのだろうか?
「〈呼延灼〉殿。……〈呼延灼〉殿?」
いつのまにか傍らに〈轟天雷〉が立っていた。いつにないことだった──物思いにふけりすぎて他人の接近を許すなど。よくない、と思う。確実によくない兆候だ。「こちらの準備は全て整いました。どこか、お加減が悪いようですが……?」
「いや、何でもない」気を取り直し、弛んでいるな、と己を叱責する。「〈連環馬〉で出る。前回と違って今度は野戦だ、貴様の〈連環砲〉も本領を発揮できるだろう。準備しておけ」
はっ、とその後ろ姿に頭を下げた時には〈呼延灼〉は野戦本部を後にしている。だから彼女は〈轟天雷〉の視線に気づくこともなかった……そのどこか粘りつくような視線にも。
「……〈呼延灼〉殿はうつつを抜かしておられるな」
「は?」
その声を耳にしたエリックは思わず目を瞬いた──この〈呼延灼〉相手なら影を見ただけでも這いつくばりかねない小動物じみた女が、〈呼延灼〉本人に批判めいたことを言うなど前代未聞だったからだ。
『
淀みない〈セルー〉の合成音声と共に、壁に幾つかの数字や記号が投影される。成人男性の拳を極度に抽象化したようなシンボルと、これまた極度に抽象化された無数の星々の下に並ぶ剣や槍などの武具を象ったシンボルだ。
『それをもっと極端にしたのが〈自殺軍〉よ本来は人工兵士HWの正式実装によってリストラの対象となり職を負われた元軍人の互助組織に過ぎなかったのにしかも近年ではよほど払いのいいスポンサーを見つけたのか潤沢な資金と軍隊顔負けの装備まで得てますます凶暴化しつつある』
「どこか合法的な組織……企業なり政府なりが手を貸している、ってこと?」
『わかっているじゃないそうね複数の犯罪組織と交流があるにしてもそんなものじゃ説明つかないわ各国主要都市への犯罪予測システムの配備は増えこそすれ減る気配なんて微塵も見せないし』
「で、でもそんなのおかしくない? 生きて帰れるわけでもない、大金が手に入るわけでもないのにそんな重大犯罪に関わるなんて……」
『本人はねでも家族は大金を手にできる』
「あ」
ようやく腑に落ちた、と愛花は息を吐き出す。「それが〈自殺軍〉を成立させているシステムなんだね?」
『そうよ人が犯罪を犯す理由は自分のためでなければ大半が家族のためよ政府は資金面から手を回して家族に配当される金を堰き止めようとしているけど上手くは行ってないわね少なくとも家族は犯罪行為に加担してないもの』
真琴が小さく頷く。「龍一さんもよく言ってました。個々の犯罪を狙い撃ちにしても意味はない、大切なのは犯罪を成立させるシステム自体を破綻させることだって。あの人はそれと戦おうとして……負けた」
屈託のある、ありすぎる口調だった。可乃子も口を挟まず黙っている。
『それと気になるのがあなたのその腕のことだけど』
「私の?」
『実際出鱈目だわあなたの腕に間違いはないのに全く未知の構成元素とエネルギー源に置き換わっているどうやったらそんなことができるの?』
「私にわかるわけないよ。最初はヘンな病気かと思ったくらいだもの」
『〈竜〉というコードネームに関して〈百八星〉はかなりの興味を持っているみたい彼らの暗号通信に何度もその単語が使われているもしかしてあなたが事件に巻き込まれたのは全くの偶然ではないのかも知れない』
「ええっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。「じゃ〈自殺軍〉は偶然じゃなくて、私を狙ったってこと? でもだったら、もっと上手いやり方があったんじゃない?」
『個々の兵士は知らなくても上層部は知っていたのかあるいは〈自殺軍〉自体が知らされていなかったのかも彼らはただのテロいつもの請負仕事だとしか思っていなかった可能性もある犯罪組織から犯罪組織への依頼にはよくあること』
うぅむ、と愛花は唸ってしまった。ついでに頭も捻ってしまったが──何かが浮かんでくるわけでもない。幸い、〈セルー〉も真琴も可乃子も黙ってくれてはいた。
しばらくして、愛花は口を開いた。「ありがと、〈セルー〉。まだ全部じゃないけど、いろいろと見えてきたものもあるし、落ち着いて考えたいことも出てきた。でも、今の私が考えるのは別のこと。あの〈自殺軍〉の人たちが大勢の人を巻き添えにして殺して、最後には自分たちも死ねばいいって思っていること。それと藍くんを拐ったことだと思う」
可乃子が目を丸くしている。「パイセンって、たまにはまともなこと言えるんすね……私の知り合いに同じくらい素っ頓狂な奴がいるから余計そう思うんすけど」
「や、やめなよ可乃子、そんな愛花さんがいつもはまともじゃないみたいな言い方!?」
「……確かに先輩って呼ばなくていいとは言ったけど、二人の口調から年上への敬意がいまいち感じられないのはどうしてかな?」
愛花は拳を握った。力が戻っている──体内のナノマシンが全力で動いているのか、全身の傷や電気ショック、筋肉の断裂も治ってきているようだ。
「〈セルー〉、いろいろと面白い話を聞かせてくれてありがとう。でも止めないでね、私は藍くんを助けに行くから」
『最初から止めるつもりなんてないわそもそも私が危険を承知で市内に潜伏し真琴を呼び寄せたのはこういう日に備えてのこと。それに』
AIには珍しい、逡巡のような一瞬の沈黙。『私の模倣素もまた自分よりずっと幼い娘を守るために敵の大型兵器と相打ちになった。彼女が生きていたとしても私と同じ結論を下すだろうから』
コンテナ内の壁にしか見えなかった部分が一部展開し、トレイに載った何かが滑り出てくる。『あなたと話しながら生成しておいたの着てみて』
「これは……ウェットスーツ?」
『ライダースーツであり
「……私の体型を勝手にスキャンしたの!? プライバシーって知ってる!?」
『そんなもの初めから考慮の外よ第一とっくに警察そっちのけで〈自殺軍〉と一戦交えたあなたに言われたくないわねブラとパンツをちらつかせながら戦いたかったら好きにすれば?』
「ありがたく頂戴いたします……」
ん? とそこで愛花は思い当たる。「これ、ライダースーツも兼ねてるの? ってことはバイクもあるってこと?」
『ご明察の通り』
中央に設置されていた棺桶にも似た機械が展開していく。
姿を見せたのは、台座に設置された金属塊だった。装甲車でも繋ぎ止められそうなチェーンと金属のフックで幾重にも戒められている。よく目を凝らすと、それは艶やかな白一色に塗装された大型バイクだということがわかってきた。
いや、しかしこれは――本当にバイクなのだろうか。
まず目立つのが、機体の右側面から
前輪と後輪は縦にも横にも広く大きい。これだけタイヤが大きければ確かに横転はしないだろう――まともに走れるかどうかはともかく。
バイクから砲身が突き出ているというより、砲身を走らせるために前後へタイヤをつけた、と言わんばかりの馬鹿げた造型だった。
「こ、これ……バイクなの?」
『市街戦用特殊二輪〈スナーク〉水素エンジンとロケットブースターを使用し時速四百キロで入り組んだ路地を吹っ飛ばせる戦闘用バイクだけどロールアウトから時間が経っているから闇市場にもかなりの情報が流出している私もぎりぎりまでアップデートは続けていたけど以前ほどのアドバンテージはないわ』
「充分だよ。藍くんを助けに行くための手段としてはね。なくてもどっちみち徒歩で助けに行くつもりだったけど」
愛花は艶やかなバイクの表面を指でなぞる。「相良龍一……仲良くできるかどうかはわからないけど、少なくともこれを私に残したことは感謝してもいいかな」
『あらタイミングのいい。あなたの一番必要な情報が入ってきたわ』
何もない壁の一部に光が生じ、クリアなニュース映像が流れ出した。
『本日午後6時頃、未真名市とさきがけ市の境に位置する
「……完全に迎え撃つ気マンマンじゃん」
『東砂SAですって? 因縁の地じゃないあそこはね私の模倣素が相良龍一と一緒に自衛軍のブラックオペレーション部隊と戦ったところなのよ大した月日も経っていないのにまた占拠されるなんて災難ね』
「でも、行く場所に頭を使う必要はなさそうだね。急いで準備しよう」
──全ての準備が終わる頃には、もう空に一番星が瞬き始めていた。
「真琴ちゃん、可乃子ちゃん、本当にありがとう。もう充分だから、二人はお家に帰りなね」
〈スナーク〉に跨り、スターターをキックするとエンジンは一発でかかった。水素を燃焼させているからか排気音は驚くほど静かだが、出力にはいささかの問題もなさそうだった。むしろその静かな排気音が、マシンに秘められた出力の凄まじさを感じ取らせる。
「パイセンにわざわざ言われるまでもなく帰るっすよ。あたしらにできることは全部しましたからね。話からすれば今夜中にもケリつきそうだし、家帰ってネットのニュースでも待ちますわ」
しっ、と真琴が可乃子の脇をつついて黙らせる。「僕は……大したことしてませんよ。直接戦えるわけでもないんですから。愛花さんみたいに……それに龍一さんみたいに」
「そんなことないって。真琴ちゃんはぼろぼろだった私を助けて、何の義理もないのにセルーに会わせてくれたんだよ。それだけでも凄いじゃない? だってその龍一さんだって、私のことは直接は助けてくれたわけじゃないんだよ?」
「そ……そう、かな?」
愛花は自信たっぷりに笑って親指を立てる。「それに、そんな凄い子に助けられるこの私はもっと凄い……言わば天下人を越えた天下人、『超スーパー天下人』だってことにならない?」
「えっと……『超』と『スーパー』は同じ意味では?」
うわっダサ……と口走りかけた可乃子をまたしても真琴がつついて黙らせる。
見る見る小さくなっていく愛花の後ろ姿を見て、可乃子が深々と溜め息を吐く。
「言動が素っ頓狂なだけならまだしも、これから本物の武装集団相手に一戦交えようってんだから参るよ」
「本当に嵐のような人だったね……」
「でもよ、真琴……何だかちょっとスッキリした顔してるぜ」
「うん……そうかも知れない。次に龍一さんに会った時、どうすればいいかわかった気がするから」
可乃子はふっと笑う。「これであたしも犯罪者の一味かよ……わかったよ。真琴、お前が死体作った時は任せとけ。埋めるの手伝ってやる」
「どうして僕が死体作ること前提なの? 友達ならまず自首を勧めて?」
「ちょっとおおおおおお!? このバイク速すぎないいいいいい!?」
愛花がヘルメットの中で上げる悲鳴さえも、切れ切れになって後方へ流れていく。何しろちょっとスロットルを回しただけで、ほぼ一瞬で時速二百キロ近くにまで加速したのだ。
『何を今さら』溜め息混じりでないのが不思議な調子の〈セルー〉の声。『ジェット戦闘機にタイヤを付けて走らせるような代物が速くなかったらどうするのよそれに落ち着いてそんなに扱いづらくもないでしょ』
「え? ……あれ、本当だ」
愛花は一瞬で冷静さを取り戻していた──いや、取り戻してしまっていた。ライダースーツ自体に内蔵された収縮機能や温度調節機能により、半ば強制的に冷静にさせられてしまっているのだ。パニックに陥る余地自体を摘まれてしまっている、と言うべきか。
『〈スナーク〉のコンセプト自体が入り組んだ市街地での運用だからね年々拡張される都市全体の全体マップなんてどんな自治体も保有してないそんな路地を大真面目に戦闘機並みの速さでぶっ飛ばしたら本職のレーサーだって扱いきれずに横転するわよまして免許すら取ってないあなたに乗り回せるなんて最初から思ってないから安心して』
「……バイクまで貰っておいて何だけど〈セルー〉の私への評価って低くない? それに何度も言うけど私のプライバシーはどこへ?」
『何度でも答えるけどそんなもの考慮の外よ』
ひどい、とメットの内側でつい涙目になる愛花だったが、
「ところでこのかっこいいバイク、何かすっごい機能とか付いてないの? 変形するとか」
『付いてるわよ対装甲目標用の
「まず最初に重火器が出てくるんだぁ……」愛花はがっくりと項垂れる。このAI、支援目的にしてはだいぶ脳筋すぎるのではなかろうか。「そんなものがもし人に当たったらどうなると思ってるの?」
『原型とどめず木っ端微塵になること請け合いね保証するわ』
「保証しなくていいよっ!」ヘルメットの上から頭を掻きむしりたくなった。「ね、もっと穏便に済ませられる機能はないの?」
東砂SAに繋がる複数の車線では既に警察の検問が敷かれ始めていた。防弾盾にボディアーマーを装着した機動隊員たち、車両阻止用のロードスパイク──だが警官たちの表情はいずれも畏れを隠せていない。
「俺たちは〈自殺軍〉の逃亡を阻止しているのかそれとも守っているのか、どっちなんだ?」
「言うなよ。明日の正午までは逃げも人質を殺しもしない、そう奴らが宣言している以上静観するしかないじゃないか。それが気に食わなくとも……俺たちの装備で奴らをどうにかできると思うのか? 腐っても相手はプロの兵士で、軍隊顔負けの重装備なんだぞ?」
「情けねえな……犯罪者どもの口約束を頭から信じるんだったら、それこそ警察なんか必要ねえだろうが」
警官たちの一人が耐えかねたように吐き捨てた瞬間。
彼らの顔面を、不意に時ならぬ微風が撫でた。
「え……?」
一様に困惑して目を瞬いた彼らは、その後に押し寄せてきた衝撃波で一斉に薙ぎ倒された。防弾盾が木の葉のように舞い、設置中だった監視カメラやスピードメーターを載せた三脚がけたたましい音を立てて転倒する。
「な、何だ今の!? おい、今何が通った!?」
「わ、わからん……!」詰所から駆け出てきた警官さえ、たった今目覚めたように左右を見回している。「何も記録されていないんだ、本当に何も!」
「何も通ってないんだったら、じゃあ今のは何だったんだ!?」
『静音モーターと排気排熱のステルス化に加えてスマートタイヤを最大限に応用した
「え? あ、そうなの?」ぷは、とヘルメットの内側で愛花は呼吸を再開。
「す……すっごい機能付いてるじゃない! そうそう、こういうのが欲しかったんだよそれでこそスーパーマシン! 何で教えてくれなかったの?」
『どういたしまして私としてはあなたが電磁加速砲を検問に向けて撃ち出さないか気が気じゃなかったわ』
「お巡りさんに向けて大砲ぶっ放すほど私も頭沸いてないよ!? それじゃ本当に
『あなたにだけ辛辣にした覚えはないわあなた以外の人には辛辣じゃないだけで』
「それ私にだけ辛辣なのを否定してないじゃない!」
何しろ新幹線に匹敵する速度である。さきがけ市との境目、東砂SAに到達するまで本当に瞬く間だった。
「着いたけど……やけに静かじゃない?」
広大な駐車場には〈自殺軍〉が持ち込んだらしきテントや投光器が点在し、何かの整備をしていたのか用途不明な機材やケーブルまでが散乱している。が、人影は一つも見当たらない。
「逃げた……ううん、そんなはずもないか」
『でしょうね警察の包囲を抜きにしてもここで逃げたら末代までの恥晒しってことは彼らも承知しているはず女の子一人に蹴散らされた挙句ろくな抵抗もせずに逃げるなんて勇気があったら民間人を巻き込んで銃撃戦の果てに死のうなんて最初からしないわ』
逆探知を警戒し、一度だけ敷地全体を走査してみる──火器・危険物の反応はない。
「静かすぎるのは……やっぱり変だね。あの駅ビルの中の方が、もっと死に物狂いでかかってきたと思うけど」
『奥の方へ戦力を集中させているのかも知れない悪くない判断ねあなた相手に生身の歩兵を何人けしかけても一蹴されるだけだし』
「もしかして今の私……怪獣か、ホラー映画の怪物ポジションなわけ?」
日はとうに落ち、今や投光器が光を投げかける範囲以外は真の闇だ。だがSAで最大であり唯一の建物──レストランやフードコートを兼ねた休憩所には光が煌々と灯っている。
『罠ね』
「そうだね。どう見ても露骨に誘ってる……」
考えた末に愛花は口を開く。「ここで動けるのは私だけ、囮として最適なのも私だけだよ。さっきみたいに静粛モードでぎりぎりまで近づこう。藍くんの捕まっている位置がわからない以上、手当たり次第に吹っ飛ばすわけにもいかないもの」
『過信は禁物よ隠密行動には最適だけど向こうが万全の態勢で待ち構えていたらステルスだって意味はない』
黙って頷く。正直、恐怖と緊張は否めない──だが何が待ち構えているのかわからないうちから逃げ出す必要もない。藍の命がかかっているのなら尚更だ。
〈スナーク〉車体表面の色を変えながら──制御は全て〈セルー〉にお任せだが──慎重に近づく。周囲に動きはない。水素エンジンからは加湿器くらいの微かな排気音が聞こえるが、この程度なら夜風に紛れて問題はないだろう。
休憩所まで二百メートルを切った……周囲に動きなし、センサー反応なし。
緊張のあまり完全吸汗のはずのライダーグローブまで滑っているような感触。
百メートルを切る。『愛花これ以上近づくと建物からの照明で光学迷彩の維持が難しくなるリアルタイムで影を欺くのは不可能ではないけどかなり手間なのよ』
「わかってる、もう少し……」
調節機能ですら相殺できないほど息が浅く、荒くなっているのを感じる。周囲に動きは──
『愛花!』
〈セルー〉の警告を聞くまでもなかった──全身の毛が逆立つ。
沈黙を保っていたテントの一つが膨れ上がり、弾け飛ぶ。〈スナーク〉の走査を逃れるため欺瞞シートを被って待ち構えていたのか。
静粛モード解除、最大戦速。一連の操作は愛花のものではなかったが、〈セルー〉のものでもなかった──まさに人機一体。
大口径の銃弾、おそらくは12.7ミリ機銃の弾着がアスファルトを突っ走り、射線上の車を数台粉砕した。EV車だからか爆発こそしなかったが、もちろん非装甲車両などひとたまりもない。無数の穴を穿たれ電解液を撒き散らして大破する。
既に〈スナーク〉はその場にいない。タイヤの軋みすら残さず全速力で距離を取っている。
「あれは……何!?」
ヘルメット内に投影された映像に愛花は絶句する。そのようなものの存在を考えたことすらなかったからだ。
人と同じ一対の手足、戦闘車輌が直立したような無骨な機体。本来なら車輌に積んで使用するような大型機銃を携帯用火器のように軽々と扱っているから、
『参ったわね〈スナーク〉だけならまだしも〈のらくらの国〉の技術まで流出しているなんて』
「あれが何かわかるの、〈セルー〉?」
『特殊作戦用アームスーツ〈
「あのぶよぶよは身を守る鎧で、移動手段も兼ねてるってことか……」
『姿勢制御に落下時のサスペンション重火器使用時の反動吸収マニピュレーターとにかく移動と反動に関する厄介事ならあれで全部解決するわね』
休憩所の屋根でももう一つの影が動き出す。歩兵にしてはあまりにも大きく無骨すぎるシルエット、もう一体の〈蛸〉だ。
小脇に抱えるのはこれまた歩兵には装備不能の重火器──蜂の巣にも似た対車輌用の無誘導ロケットポッド。
『建物に接近して爆撃を喰らったらひとたまりもない』
「言われなくても!」
蹴飛ばされたように加速する〈スナーク〉からわずか数メートルの路面をロケット弾が大きく抉り路面の破片を盛大に撒き散らす。
昼間であれば穏やかな憩いの場であろうテラスを粉砕し、窓ガラスを派手に撒き散らしながら食堂に突っ込み、テーブルや椅子をまとめて薙ぎ倒しようやく停止する。
客観的に見ればとんでもない動きをしているはずなのだが、スーツが全力で機能しているおかげかまるで目が回らない。気持ち悪くならないのが逆に気持ち悪いくらいだ──無理にでも愛花自身がバイクを制御しようとしたら、一瞬で転倒するだろう。
『念のため言うけど一瞬でも走るのをやめないでね穴だらけで死にたかったら別に構わないけどこの〈スナーク〉だって私にしては端末の一つに過ぎないし』
「断言してくれなくっていいよ! 〈セルー〉、この建物の見取り図は表示できる?」
『それならお安い御用よ』
網膜に直接3Dマップが投影される。が、
「ちょっと待ってこの進行ルート、行く手に壁があるんだけど!?」
『その電磁加速砲は飾りじゃないのよ吹っ飛ばして進めばいいでしょ? 屋内をバイクで走り回っている人が今さら何を言っているんだか』
「ついでみたいに当て擦らないで!」
どうにでもなれ、という気分でグリップのトリガーに指をかける。
発射音は意外に小さかった──思ったよりは、だっだが。反動も思ったよりは小さかった。だが民間の薄っぺらい建物の壁ではあっても、車どころかトレーラーさえ楽々くぐり抜けられそうな大穴が開くのはなかなか心臓に悪かった。
「……〈セルー〉? 一つ聞くけど、この大砲であの〈蛸〉を撃ったら中の人は耐えられる?」
『取り回しを良くするために砲身を短くしてはいるけど主力戦車でもないアームスーツに命中したら粉々になれるわ中の人とやらが金属でできていれば万に一つの可能性はあるけど』
「百に一つでも賭けたくないなあ……」
予想はしていたががっくりする。駄目だ駄目だ、撃退するにしてもこれじゃ強力すぎる。
そこまで考えて、急に心臓が冷えた。自分のとてつもなく致命的な見落としに気づいたのだ。──人と同じ形をしているんなら、扱うのが銃器とは限らないんじゃない?
空を切るどころか轟音に近い、ぶぉん、という音が響いた。次いで建物全体を揺るがす衝撃。
前方の柱の影から別の〈蛸〉が現れる──じゃらり、と耳障りな音と共に。腕から垂れ下がるのは鈍い輝きを放つ長大な鎖、それも大型車輌による牽引にでも使うような頑丈極まりない鎖だ。巻き上げ機と一体化した
鋼の腕が音立てて鎖を持ち上げ、縦に振り下ろす。
鎖の端が〈スナーク〉のテイルランプを掠め、レジの台を紙細工のように叩き潰した。
『頭を下げて』
咄嗟に〈セルー〉の指示に従う──それが愛花の命を救った。
鎖鞭が今度は真横に振り回されたのだ。三十センチと離れていない豪風が頭上を通り過ぎるのとほぼ同時に食堂内の椅子とテーブルが端から次々と薙ぎ倒される。
『上』
〈セルー〉の指摘はシンプルで恐ろしかった。別の〈蛸〉が、あのゲルで天井に張り付いて待ち構えていたのだ。まるで蚊か蝿のように。
手に握られているのは、これまた鉄の塊にそのまま柄を取り付けたような巨大な斧。
視界が真横に流れ──真横!? 愛花は目を剥きそうになった。〈スナーク〉の前輪後輪が完全に真横を向き、そのまま移動したのだ。
〈スナーク〉のジャイロとサスペンションでも吸収しきれないほどの衝撃。どうにか足を踏ん張り転倒は免れたが、フロントボディの一部が逆袈裟気味に持って行かれた。
「こん……のぉ!」
愛花の突き出した右腕が変形、眩い赤光が迸る。だが〈蛸〉は素早く身を捻ってそれを躱し、しかも天井にへばりついたままでぬるぬると移動して開いたままの天窓へと消えた。あれではまるでヤモリだ。
「何なのあの動き……まるで生き物じゃない!?」
『悪くない喩えね実際あれは生体神経と人工筋肉で両生類の動きをトレースしているのさすがにそんなものをAIに制御させるのは難しいから中に人間を詰めてるんだけど』
「何だかよくわからないけど気持ちの悪い機械だね……」
『あら車載AIからの指示をスーツを介して外部から制御されているあなたも似たようなものだけど?』
「やめてよ女の子とヤモリを一緒くたにするのは!?」
『前』
軽い反動が車体に生じ、その結果を知ったのは爆炎と轟音が周囲を包んでからだった。爆風の煽りを喰らった自販機がまるで紙切れか何かのように容易く飛び、お洒落なデザインのゴミ箱を跡形もなく叩き潰した。
電磁加速された砲弾がほぼ水平に飛び、こちらに直進してきたロケット弾と空中で激突したのだ。
「え、AIは自分の意思で兵器を使用できないんじゃ」
『あなたの最適行動を勝手に先読みして
「ふと思ったんだけど、私がこれに乗っている意味ある?」
『あるわあなたでなかったら誰や何を載せておくの? 通りすがりの人? それともむくむくした可愛らしい仔犬?』
「私って仔犬以下!? いや確かに可愛い仔犬乗っけるよりはずっとマシだけど!?」
爆発に加えて機銃掃射まで始まった。軍事要塞でもない休憩所が大口径機銃弾の掃射に耐えられるはずもなく、まるで砂糖菓子のように建物が端から崩壊していく。
「これ見よがしに重火器を使ったのは罠か……!」
『そうねどう考えても罠ねあなたを
「いくら何でも私一人に大袈裟すぎない!?」
『重火器の支援一切なしに武装集団を半壊させる相手の対処としてはむしろ最善手だと思うけど?』
そんなあ、と愛花はまたしても涙目になるが、すぐ気を取り直す。「でも、一つだけわかったこともあるよ──藍くんはここにはいないね。わざわざ人質として連れてきて放り出しはしないだろうし」
『暗号回線での通信が飛び交っている全部は無理だけど「いざとなったら俺たちもろとも標的を撃て」だけは解読できたわ』
「勘弁してよ……」愛花はげんなりする。その根性は認めるけどとても付き合っていられない。「あの連携を崩さないとどうにもならないよね。〈セルー〉、どうにかできる?」
即座な答え。『重機関銃持ちをA・ロケットポッド装備をB・鎖鞭装備をC・斧持ちDとしてタグ付けしたどれから狙う?』
「そうなると最初の生贄は……えーと、君かな? 決めた。まずこの人から最初に狙おう」
『わかっているじゃないじゃあ反撃の時間ね男の子たちの兵隊ごっこにいやいや付き合うにも限度があるもの』
『くそっ……動体レーダーどころか赤外線でも走査できない。例のステルス状態だ』
かがみ込むような姿勢で建物内を探るのに専念していた、斧を装備した〈蛸〉のパイロット──むろん彼は、自分が愛花に『〈蛸〉D』とタグ付けされていることなど知らない──が舌打ちする。
『対車両戦のはずが対潜水艦戦になったか』間近にいる鎖鞭装備の〈蛸〉Cが応じる。『屋根の上の奴らにも支援を要請しろ。いくら広くても屋内で、しかも相手はバイクだ。複数機のセンサーで探れば丸見えだろう』
『とっくに要請したさ。お前らが欺瞞に引っかかっても確実に仕留めるから安心して死ねだとよ』
今度はCが舌打ちする番だった。『人のことは言えんが、雑な支援だな』
初めからわかっていなくもない問題だった。彼ら〈自殺軍〉は死を恐れない。が、それは彼らが現役時代に叩き込まれた、敵の犠牲を最大限に、味方の犠牲を最小限にするための戦闘術と決定的に相性が悪いのだ。死ぬのは構わんがあいつらのせいで死ぬのは嫌だな、と頭の隅で思う。
『……ヒットした。こちらへ直進してくる』
『先に向こうが痺れを切らしたか』斧を構え直す──それはこちらも同じだ。『同調しろ。一瞬で終わらせる』
〈蛸〉同士が互いに頷き合う。
曲がり角の向こうからバイクの排気音──スマートタイヤと静粛モードのせいか、驚くほど静かだ。
『……死ね!』
寸分の狂いもなく2機の〈蛸〉が同時に得物を振るう──運動管制システムを電子パルスで同調させての、回避不能な同時攻撃。
が、その必殺のはずの攻撃はどちらも空を切った。
目標があまりにも小さすぎたのだ。
『いない……!?』
愕然となる。あのバイクはライダーを乗せず、自動運転でここまで進んできたのだ。では、肝心のライダーはどこへ?
答えはすぐに判明した。
「どうりゃあああああっ!」
雄叫びとともに天窓が木っ端微塵に砕け散り、小さな影が〈蛸〉Dの斧の切先を掠めるように落下してきた。
『……っ!?』
Dのパイロットの悲鳴は悲鳴になっていなかった。小さな影──愛花は落下してきた勢いそのままに〈蛸〉の機体を叩き伏せたのだ。もちろん生身の人間ができる技ではない。まるでケーキの生地のようにリノリウムの床が機体を中心にクレーター状にへこみ、〈蛸〉Dの機体が半ばほどもめり込む。
信じられなかった。榴弾の破片を苦もなく跳ね返し、酸や火炎放射すら無効化し、数階建て程度のビルならオプションなしで落下時の衝撃を無視できるはずのゲル状装甲がまるで役に立っていない。
「ぶよぶよ……」
振り上げられた愛花の拳が何倍にも膨れ上がる。ゲル状装甲に不気味なほど良く似た、半透明のゼリーめいた粘体が腕を包んでいる。
「……パーンチ!」
振り下ろされた拳が〈蛸〉Dの胸部装甲に振り下ろされ、今度こそ完全に機体を床にめり込ませた。もうパイロットの悲鳴は聞こえない──完全に気絶している。
『やるじゃない愛花よく考えついたわね』
「へへ、それほどでも……あるかな? あの装甲、私のぶよぶよとよく似てるな、って思ったから思いついたんだけどねー」
『ええ何一つ問題はなかったわあなたのネーミングセンス以外はね』
「ひど……」
何だ……何なんだこいつらは!?
〈蛸〉Cのパイロットはどうにか戦意を振り絞り、力任せに鎖鞭を横薙ぎに振るった。存在自体を認めない……認められない。こんな奴らに手もなく捻られるなら、俺の、俺たちの人生は何だったんだ……!?
が、愛花は横っ飛びに鎖を躱し、しかも〈スナーク〉の車体にしがみついたままこちらへ突き進んできた。まるで馬の腹にしがみついたまま走らせるような姿勢だ。
上等だ、受けて立ってやる……!
ゲル状装甲に電気信号を送り、事前にプログラムされた形態へと変化させる。背面への防御はもう必要ない、機体前面にゲルを集中させる。同じ手を二度も喰らうものか!
しかし愛花はバイクの上で仁王立ちになり、こちらへ向けて右腕を真っ直ぐに突き出している。その右腕が花弁のように展開し、
「〈セルー〉、止まらないで!」
『言われなくてもあなたが望まない限りね』
右腕の砲口から赤光──それも点での貫通ではなく、面での照射。
〈蛸〉Cのパイロットは声にならない悲鳴を上げた。ゲルの総質量が凄まじい勢いで減っている──赤光をまともに浴びて押しのけられ、次々と蒸発しているのだ。
〈蛸〉の特異性は移動と防御を同時に兼ねたゲル状装甲であり、それを失えば軽武装のアームスーツに過ぎない。
ゲルがあれば無縁だったはずの、視界が歪むほどの衝撃。〈スナーク〉に正面衝突されたのだ。しかもその勢いのまま、彼の機体を鼻先に引っかけながら走っている。鎖鞭を振り回そうにも、この姿勢と近さではどうしようもない。
『聞こえるか!? 今すぐに俺もろともこいつを撃ち……』
彼の叫びの後半は、悲鳴で塗り潰された。視界が一回転し、機体そのものが小石のように宙を舞う。愛花が鎖鞭の端を握り、力任せに振り回したのだ。
「どっ……せぇええい!」
そしてその先では──重機関銃で下階を掃射しようとしていた〈蛸〉Aが驚愕で凍りついている。
『!?』
『や……やめろ! やめろーっ!』
何もかもが手遅れだった。分銅と化した機体が〈蛸〉Aの機体に叩きつけられ、折れ曲がった重機関銃が空を舞う。ゲル状装甲など意味もないほどの衝撃に、〈蛸〉Aは悲鳴すら上げられず屋根から弾き飛ばされた。
『う、うわ、うわ……!?』
どうにか残った〈蛸〉Bだが、乗り手は完全に恐慌状態に陥っていた。それでもどうにか蜂の巣のようなロケットポッドを巡らせるが、
「兵隊ごっこ……お疲れ様でした!」
びぃっ、とそのロケットポッドに、斜め下の赤光が走る。
『え?』
出力を絞り、サーベル状に形成された赤光を右腕から放ちながら、音もなく〈スナーク〉に乗った愛花が走り抜ける。その背後で、ポッド内のロケット弾が一斉に破裂した。
爆炎が晴れ、ゲル状装甲の全てが吹き飛んだ〈蛸〉Bが、がしゃりと膝を突く。ゲルは搭乗員の生命を最後まで守り抜いたが、中のパイロットは衝撃で完全に気絶していた。
どうにもならなかった──意識が途絶える瞬間、〈蛸〉Cのパイロットが感じたのはどうしようもない敗北感だった。こんな奴を迎え撃とうなんて考えた時点で、俺たちは詰んでいたんだ……。
「……やったね!」
愛花は〈スナーク〉に向けて軽く掌を突き出した──ハイタッチのつもりだった──が、バイクが真横にすすすと避けたので不発に終わり不満顔になる。
「でもしまったな……全員気絶させちゃったから、藍くんの居場所を聞き出せないよ。あれだけ無茶苦茶やって人死にが出なかったからまあよかったけど」
『あなたに
「今何気なくひどいこと言わなかった? ……囮って何の?」
愛花が眉根を寄せて問うた瞬間。
「撃て」
休憩所そのものが爆発した。
『……ご指示通り、〈連環砲〉搭載の徹甲焼夷榴弾は全弾撃ち込みました』インカム越しでも緊張を隠せない〈轟天雷〉の声。『これで殺せなければ、奴は本物の怪物ですぞ』
「今さら本物偽物を疑うのか?」〈呼延灼〉は失笑した。「奴が怪物かどうかなど、今さら疑う必要もないだろうが。……ほら」
今や燃え盛る瓦礫の山と化した休憩所から、一つの影が姿を現した。
〈スナーク〉の後方には、パイロットが気絶したままの〈蛸〉が数機、まとめて鎖で縛られて引きずられている。まるで西部劇だな、と思う。
「それでこそだ」
「……こんにちは。また会いましたね」
見覚えのある女──〈呼延灼〉に向けて愛花は挨拶する。以前と違い、黒いライダースーツ姿の彼女は〈スナーク〉と対照的な漆黒のバイクに跨っていた。目に見える武装こそないものの、〈スナーク〉より優に一回りは大きい。まるでサラブレッドを思わせる無骨で優美な大型バイクだ。
「可愛い顔に似合わず、皮肉がきついな」長身の女はライダースーツと同じ黒いヘルメットを弄んでいる。「お優しいことだ。そいつらを無力化しておいて殺さないとは。己が力量を見せつけるのはお前の癖なのか?」
相手が素顔を晒しているので、愛花もヘルメットを操作して顔面だけを見せた。
「悪人だからって死ねばいいと思うほど私も悪人じゃない。でもあなたたちは、自分たちの仲間に対してすら優しくないんだね」愛花は低く呟いた。そしてその声に込められた怒りに、自分でも驚いた。
たぶん、私とこの人たちは根本から相容れないんだ──命に対する価値観がまるで違うんだ。殺されそうになったり藍くんを拐われたりとは無関係に。
「最後の質問をするね。藍くんはどこ?」
「それを知りたければ」〈呼延灼〉が完全に頭部をヘルメットで覆う。同時に漆黒のバイクのエンジンが野太い排気音を轟かせた──地響きのようにこちらの胃袋まで抉ってきそうな轟音。「私を倒すんだな」
「じゃ、遠慮なくそうさせてもらうね」
愛花もそれだけ言い〈スナーク〉を急発進させる。
あのバイクが何なのか聞き損ねたな、〈呼延灼〉はちらりと思う。対峙した〈蛸〉たちによれば、相当高度な戦術支援AIを搭載したスマートバイクらしい。もちろんそんなものをただの女学生が保有しているはずがない。どこかの組織からでも支援があったのか。
だがそれとは別に、彼女は場違いな、ある種の感慨に耽っていた。
こちらの隊列に向け、脇目も振らず一直線に突き進んでくる叶愛花。
──もしやあの娘こそが、自分以上に〈百八星〉の理想を体現しているのではないか。
それは自分がどれほど肉体を強化しても、至ることのできない境地なのではないか……。
馬鹿な、とそれを振り払う。振り払いながら腰から鉄鞭を引き抜いた。さらに思考トリガーをオン、後方で待機していた己の「軍団」を起動させる。
「……〈連環馬〉!」
生垣が爆発するように吹き飛び、金属の塊が駐車場に殺到してきた。
「……潮時だな」近くの展望台から駐車場を双眼鏡で見下ろしていたエリックは重い息を吐いた。「結局、打てる手を全て打った挙句、何もかも裏目に出ただけか」
振り返ってずいぶんと少なくなった部下たちに命ずる。「お前たちは予定通り、さきがけスラムに逃げ込め。さきがけ市と未真名市側と犯罪予測システムは政治上のいざこざでまだ同期できていないからな。〈のらくらの国〉がもうない以上、当面の潜伏拠点はあそこだ」
「はい。しかし……代表は?」
「残るさ。今さら人質を盾にしたくらいで、あの怪物がどうかなるとも思えんが」
しかしテントを覗き込んだ彼はあっと声を上げた──藍を縛りつけていたパイプ椅子が横転しているのみで、もぬけの殻だったからだ。
「……あのガキ!」
「へっ……『手足を縛られた状態で結束バンドを切る方法』なんてな、今なら動画でいくらでも見られるんだよ……!」
自由になりはしたが、それでも藍は全力疾走とはいかなかった。手足を縛られる前に、さんざんあの兵士たちに殴る蹴るされたからだ(殴られ慣れていなかったら、それだけでショック死していたかも知れない)。手足には生々しく拘束の痕が残り、全身の打撲が息をするだけで痛む──が、止まるつもりもなかった。
「何考えてんだあのバカ……! 俺のために、俺なんかのために戦争してんじゃねえよ……!」
「何あれ……!?」
こちらに殺到してくる金属の塊を見て愛花は息を呑んだ。バイク──と呼ぶのもおこがましいような、前輪と後輪に申し訳程度の動力装置を剥き出しのまま取り付け、それに金属の骸骨を絡み付かせたような、異様な走行機械だ。マニピュレーターに取り付けられているのは拳銃や短機関銃、アサルトライフルなどで、重火器の類は見当たらない。が、何しろ数が多い。
「あれが〈呼延灼〉の〈連環馬〉? ……でも原作の〈連環馬〉ってあんなのだっけ?」
「こだわる必要もないでしょそれを言うなら〈呼延灼〉だって巨乳の女じゃないわ」
「〈セルー〉って時々ぎょっとするほど我が強いしぎょっとするほど口が悪くなるよね……それはともかく、機械相手なら容赦はしないから!」
言葉通り、容赦なく〈連環馬〉の群れに電磁加速砲を叩き込む。たちまち数台がまとめて吹き飛ぶが〈連環馬〉はその後からさらに殺到してくる。
「……来る!」
ヴォウン、と胃を揺さぶる轟音。
〈連環馬〉の群れが二つに割れ、夜よりもさらに黒いバイクが矢のように突っ込んでくる。跨る〈呼延灼〉の手が振りかざす、あの鉄鞭。
グリップから右腕を離し、反射的に振るった。がぃん、と耳障りな音を立てて鉄鞭が跳ね返される。が、こちらの右腕も付け根までじんと痺れる衝撃が走る。
一瞬でバイク同士がすれ違う。空いた〈呼延灼〉との間を〈連環馬〉たちが発砲しながら詰めてくる。ダメージこそないが、まともに受けると動きが止まってしまう。
それならと電磁加速砲を発射──できない。トリガーがロックされている。
『砲身の冷却が間に合わないこれ以上の連続発射は危険よ』
「それならっ……!」
右腕を展開、赤光を一閃させる。たちまち十台近くの〈連環馬〉が両断され赤熱した断面を晒して路面に転がった。
加速しようとした瞬間、またしても〈スナーク〉が真横に走る。
何を、と問おうとした瞬間に答えは上空から来た。くぐもった音の一瞬後、大音響とともに駐車場の一画が活火山のように吹き飛んだのだ。
「あの……空飛ぶ大砲!?」
「誘導弾は先の戦闘で使い切って補給もできず、こうも近いとあの小娘だけ狙い撃ちも難しい。このまま撃てば〈呼延灼〉殿を巻き込んでしまう……」
HUDを装着したまま〈轟天雷〉は呟く。「それも……悪くかも知れないですねえ」
普段なら考えもしなかったことである。彼女を〈百八星〉に誘ったのもあの人なら、〈轟天雷〉と名乗るようになった彼女を軽んじる輩に睨みを効かせてくれたのもあの人だ。〈呼延灼〉がいなければ、夜が明けることも日が沈むこともない。少なくとも、それが彼女の中の〈呼延灼〉だった。
それをあの小娘もろとも吹き飛ばす気になっているなんて。私は……嫉妬しているのか?
「そうかも知れないですねえ……」
私の中の彼女は己もろとも敵を撃てと言うに決まっているから。
視界の中で幾重にも
『ああやっぱりいたわねえ』
「!?」
驚きのあまり悲鳴すら出なかった。何しろ誰にも邪魔されたくなくて、今の彼女は〈自殺軍〉とさえ離れていたのだ。〈呼延灼〉としか通話できないはずの秘匿回線に侵入できる誰かがいるはずがない──並みのハッカーやクラッカーの類なら。
硬直したのは口だけではなかった。腕そのものが凍りついたように動かない。
『あらあら侵襲型の脳内埋め込み電子制御デバイスだけでなく〈ネクタール〉まで併用してるの?』半ば感心したように言うのはどう聞いても十代の少女の声だ。『それ多用すると脳腫瘍に加えて内臓疾患まで誘発するんでしょう大して健康でなさそうなあなたが使いすぎるとあと数年で死ぬわよ』
「うっ……るさい余計なお世話だ!」
秘匿回線どころか、脳内の電子デバイスにまで侵入されている。砲弾を発射するどころではない。『
「黙れ! その名は捨てた! 捨てたんだ! 今の私は〈百八星〉の〈轟天雷〉だ!」喉から勝手に獣のような咆哮が迸った。「私の個人情報なんか盗み見てんな! 出ていけ、このクソハッカーのクソアマが! 私の頭からさっさと出ていけ!」
『出ていくわよあなたの上司だけが吹き飛べばね』
迷っている暇がなかった。左腕だけはかろうじて動く。震える手でどうにか腰のポーチから〈ネクタール〉のアンプルを取り出し、躊躇わず自分の首に突き刺した。
鼻血がぬるりと鼻の下を伝う感覚。が、右腕の痺れは嘘のように消えた。思考トリガーをオン、複数のファイアウォールとワクチンを同時に走らせる。汚染の痕跡は──ない。電子デバイスに侵入できる腕前なら、目でわかる痕跡など残さないだろうが。
「ふざけやがって、ハッカーのクソアマ……あの小娘を粉々にしたら、次はお前を」
何かを感じ、〈轟天雷〉は顔を上げた。
視界の中央で〈スナーク〉の砲口が迷いなく、こちらを向いている。
「やられた」自分でも嫌になるほど冷静な声が出た。「個人情報にアクセスできる奴が、私の現在位置だけはわからないなんてこと……」
電磁加速された砲弾が、数メートルと離れていない地面を大きく抉った。
だが、威力はそれで充分だった。〈轟天雷〉は土砂とともに数メートルほど宙を舞い、落下した時には完全に気絶していた。
「〈セルー〉、言われるまま撃っておいて何だけどあの人死んでないよね?」
『榴弾ならともかく徹甲弾ならね脳震盪ぐらいは起こしているかも知れないけどまあ死んでないでしょ』
「じゃあ後はあの人だけだね……言うほど楽じゃなさそうだけどさ!」
実際、〈連環馬〉の群れだけでも実に厄介だった。〈呼延灼〉との距離を詰めようにも無数の車体と無数の銃口から発射される銃弾とがそれを阻むのだ。
左右から同時に〈連環馬〉が襲いかかってくる。いや──よく見れば片方は長剣、片方は鎌状の刃を振りかざして突進してくる。近接戦用の武器まで装備できるのか。
時間差で左右から襲いかかる刃二振り。長剣は避けたが鎌までは避けきれなかった。ヘルメットを掠めた刃が不愉快な音を立てる。ハンドルから手を離し右ストレート、その反動を利用し左足で蹴り。左右の〈連環馬〉がほぼ同時に吹き飛ぶ。
海を割るように〈連環馬〉の群れが分かれ、〈呼延灼〉がその中央を突き進んでくる。ヘルメットの影の表情は怒りではなく──歓喜か。
ヘルメットを脱ぎ捨て、髪先を躍らせる──接近戦にヘルメットでは視界が塞がってしまう。
「〈セルー〉ごめん、後で拾うから!」
『気にしないでスーツを介してモニタリングは続けているから存分にやりなさい』
こちらの意図を解したのか、〈呼延灼〉までがヘルメットを捨てた。歯まで見せた戦意に満ちた笑み。
大音響。純白の〈スナーク〉と漆黒の〈呼延灼〉のバイクが正面衝突したのだ。だが既に、車上に愛花も〈呼延灼〉もいない。
一瞬で両者は十数メートルも跳躍し、一瞬で数十合に及ぶ打撃を互いへ向けて放っていた。
両手両足だけでなく五感・神経系までも強化した〈呼延灼〉は呼吸の必要がない──打撃よりむしろ刃に近い攻撃を瞬く間に数十と繰り出せる。無呼吸!
そのことごとくを愛花は最小限の動きで躱す──水中を泳ぐ魚のようにしなやかな動きに見る者全てを失笑させた無様さは微塵もない。ダンスダンスダンスダンス!
拳だけでなく肘と膝まで動員した打撃が数十と繰り出され、しかしそれらは決定打とはなり得ない──その可能性に両者が思い当たるのは、ほぼ同時。
〈呼延灼〉の右膝部が展開、散弾の発射口を覗かせる。
すかさず愛花が突きを見舞う──膝が爆発。発射口があのぶよぶよのゼリーで塞がれている。ちぎれかけた足で〈呼延灼〉がぐらりと体勢を崩す。
もらった、追撃をかけようとする愛花の思考を何かが掠める。果たして一度使った手で仕留められると思うほど、この女は甘っちょろい相手か?
〈呼延灼〉が右手で左手首を掴み、捻る。左手首が外れ、その間を蜘蛛の糸のように極細の煌めきが繋ぐ。愛花が知る由もなかったが、かつて〈ヒュプノス〉と呼ばれた青年が使っていたのと同じ〈糸〉だ。
極細の煌めきがリボンのように愛花の首に巻きつく。一気に切断──
──赤光がほぼゼロ距離で迸る。サーベル状の光が一回転、それは〈糸〉を焼き切り、その延長線上にある〈呼延灼〉の右腕を断ち切っていた。
呆然とする〈呼延灼〉の眉間を、今度こそ愛花の肘が打ち抜いていた。
もつれ合いながら二人は地表に落下し、〈呼延灼〉の方が背中から叩きつけられる。
しばしの静寂の後。よろめきながら身を起こしたのは、愛花の方だった。落下の衝撃で肩が外れたらしく、だらりと腕を垂らしているが──生きてはいる。周囲の〈連環馬〉も、凍りついたように動きを止めていた。
横たわる〈呼延灼〉に近づく。目を開けるのも難しい様子だったが、気配で愛花に気づいたらしい。
「殺せ」
「嫌です」
掠れた声を、愛花は一蹴した。「藍くんはどこ?」
「……近くの展望台だ」
「結局、お前は最後までそれか」呟いて彼女は咳き込む。「殺してもくれないんだな」
「犯罪者なのにナマ言わないでください。私はこれから天下を取らないといけないので、あなたの戦士ごっこに付き合ってる暇はないんです」
「……やはり、可愛い顔に似合わず辛辣な娘だな」
愛花が踵を返す前に〈呼延灼〉は目を閉じていた。意識を保つのも辛そうな様子だった。
「……殿! 〈呼延灼〉殿!」
自分を呼ぶ大声よりも、寒さで目が覚めた。寒さの理由はすぐわかった──〈轟天雷〉も含めて、自分たちは空を飛んでいたのだ。あり合わせのワイヤーで〈連環砲〉の砲身に括り付けられて。
「〈轟天雷〉?」
「おお、気づかれましたか!」顔中を歓喜で塗り潰した〈轟天雷〉が次に見せたのは──意外にも、今まで見せたことのないような激怒だった。
「何をやっているんですかあなたは!?」
〈呼延灼〉は目を瞬いた。自分の前では借りてきた猫のようだった〈轟天雷〉が、今や子供を盗まれた虎のような形相だ。
「あなたは馬鹿ですかそれとも阿呆ですか!? 戦って死ねば戦士になれるとでも思ったんですか相手が戦士として殺してくれるとでも思ったんですか!? 私たちは……ただの犯罪者なんですよ! 命が惜しかったら逃げればいいし、悔しかったら手勢を連れて仕返しに行けばいいんです!」
その意味について〈呼延灼〉は数秒だけ考え、そして、噴き出していた。〈轟天雷〉が自分を慰めているのもおかしければ、その慰め方からしておかしかった。要するに、何もかもがおかしかった。
「〈呼延灼〉殿……」
「すまん、すまん。そうだな、〈轟天雷〉。私たちはただの犯罪者だったな……それに相応しい生き方をすればいい。悔しければ、仕返しの方法を考えればいいのだ」
ひとしきり怒鳴って頭が冷えたのか、〈轟天雷〉は少なからずほっとした顔になった。「〈宋江〉殿に相談いたしましょう。あの方なら〈竜〉に勝てる方法を必ずや考えつきます」
「……ところで、あの男はどうした?」
ああ……と〈轟天雷〉が見下ろした先には、やはりワイヤーで縛りつけられた〈自殺軍〉のエリックの姿がある。「戦う術もなく、かといって死ぬに死ねない様子だったので連れてきました。私も鬼ではないので。ですが……」
「代表、これからどうするつもりだ?」
その呼び方はやめろ、沈んだ声で彼は言う。「さっぱりわからん。〈自殺軍〉に戻れば銃殺されるだけだが、警察に投降するつもりもない。要するに、思いつかない」
ふむ、と〈呼延灼〉は考え込み、そして自分でも驚く提案をした。「貴様が全くの無能とは思わないが、むしろ貴様の才は〈自殺軍〉の戦略戦術とは食い合わせが悪すぎるのではないか?」
「どういう意味だ」
「このまま〈百八星〉に来る気はないかという意味だ。一度同志になってしまえば、国籍どころか過去の一切など気にしないぞ」
藍はよろめきながら走り続けていた。戒められていた手足どころか、全身がずきずきと痛む──しかしSAの全容が見えてきた瞬間、全身の痛みなどどうでもよくなった。
建物全体を土台近くまで吹き飛ばされ、まだ燻り続けている休憩所。そこここに転がって動かない〈蛸〉。まるで捻じ曲がった卒塔婆のように林立する〈連環馬〉の残骸……そして、その間を右肩を押さえながら歩いてくる叶愛花。
「あ……藍くん」
別人のように張り詰めていた愛花の表情が、安堵でくしゃっとなった。「ごめんね、迎えに行くまで遅くなって……それに藍くんを拐った悪い人たちも逃がしちゃったし。まあ、あの人たちも一番悪い人でもなかったかな。犯罪者には違いないけど」
「何言ってんだよ……!」
知らず、頬を熱い涙が滑り落ちていた。「俺のために、どんだけめちゃくちゃやらかしたんだよ……!?」
「……藍くんのためだけじゃないよ。私自身のためだよ」
しゃくり上げ始めた藍の近くで愛花はしゃがみ、優しく言った。「だって藍くんを見捨てたら、私は天下を目指すどころじゃなくなっちゃうでしょ? 私が天下を取った時、側にいてくれるって約束したんだから」
「本当に何言ってんだよ……どうしてそこまで頑なにブレねえんだよ」
「そうだね。もっと楽な生き方ももしかしたらあったかも知れない。でも、私には思いつかなかったんだ」
愛花はそっと藍を抱き上げた。胸元に抱えられた藍が真っ赤になる。「歩けるよ」
「だめ。今日ぐらいは言うことを聞きなさい」
「ここぞとばかりにお姉ちゃんぶりやがって……」
藍は恥ずかしそうに、そして嬉しそうに目を閉じた。「……うん」
「それにしても、こんだけ大暴れしてどうするんだよ?」
「もちろん……謝るよ。許してもらえないかも知れないけど。だって逃げ隠れでもしたら……」
「天下を取るどころじゃなくなっちゃう、だろ? まったく……」
藍を抱き抱え、歩き出そうとして──愛花は足を止めた。
「……姉ちゃん?」
「何か来る。〈自殺軍〉みたいに敵意は感じられないけど」
何人かの足音が近づいてくる。その足取りから戦意や敵意は感じられないが、しかし。
「漫画やアニメにも触れておくもんだね。現代を舞台にしたフィクションであんまり大暴れすると……国家権力が出てくる。こんなふうに」
よくわかったね、足音の主の片割れ──安物の背広に身を包んだ中肉中背の男が苦笑する。度の強い眼鏡とその下でよく動く大きな目は、SF映画に出てくるコミカルな異星人を連想しないでもない。ただし、姿勢は良い。「そんなに役人臭さがぷんぷんするかね、僕たちは」
「おそらく彼女からは、私たちが役人以外の何者にも見えていないと思われます」もう一人、男の傍らに立つスーツ姿の若い女が静かに捕捉する。雪国の出身なのか、色が白く睫毛が長い。ついでに言うと、男より頭半分ほど背が高い。
「駒城藍くん、それに叶愛花さんだね? 初めまして。僕は情報軍第3課の
「情報軍……陸・海・空・航空宇宙に次ぐ自衛軍5番目の軍ですよね」
「よく知っているね」
「就職先として一応検討はしましたから。結局『ないわ』という結論に達しましたけど」
赤星はちょっと顔をしかめ、穂摘という若い女性士官はもう少しで吹き出しかけた。
「それで全部? 隠れている人たちは紹介してくれないんですか?」
穂摘は露骨に動揺したが、赤星は苦笑するのみだ。「やはりお見通しだったか」
「光学迷彩装備の
「それを言われると辛いな」赤星の大きな目が分厚い眼鏡の奥でぐるりと動いた。「最悪、藍くんの命だけは助けるつもりだった」
「どうでしょうね。その言葉が嘘とまでは言いませんが……一番気にしていたのは私なんでしょう?」
「……君はもう薄々気づいているのではないかね? 自分のような存在がこの世にただ一人ではないことに」
赤星の口調が変わった。傍らの穂摘が気遣わしげに視線を送っている。
「ええ。〈竜〉と呼ばれているんですよね。大体は聞きました、友達から」
「なら話は早い。銃弾の雨を浴びて平然と動き、1トンの鉄塊を頭上に落とされて潰されず、戦車や攻撃ヘリを一切の支援なしに制圧する、そんな存在を看過するわけにはいかないんだよ」
「黙って聞いてりゃ……俺を助けるために、姉ちゃんがどんなに苦しんだと思ってんだよ!」
「そしてそのような存在の、個々の良心に期待できるほど、僕たちの社会は優しくも強くもない」
黙っていられず激昂した藍にも、赤星は淡々と返す。静かに、どこか寂しげに。
「君は監視され、管理されるべき存在だ。だが同時に未成年でもある。行動に一定の制限は付くが……悪くはしない。一緒に来てくれないか」
愛花は黙った。胸の中で蠢くものはあったが──それを赤星たちに言う気は失せていた。これが赤星たちの示せる精一杯の誠意であることもわかっていた。わからざるを得なかった。
赤星も穂摘も、静かに愛花の返答を待っている。
愛花は口を開いた。そして。
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