幼竜覚醒(2)軍事顧問たち

 空間を走るノイズ、秘匿化された暗号回線にて。

「中佐。送信した動画はご覧になりましたか? 送れ」

『見たよ。最悪だ。あれは間違いなく本物の〈ドラゴン〉だ──あれに比べれば〈自殺軍〉なんて、そこらに火をつけて回るただのチンピラだよ。送れ』

「確かに人間サイズと考えると驚異的な火力ですが……例えば一種の強化兵、私たちがまだ把握できていないHWの新バージョンという可能性はないのですか? 送れ」

『そう考えた方が心安らぐことは確かだがね、穂摘ほづみ少尉。僕たちの任務は最悪の更に下へ備えることにある。特に〈竜〉絡みの案件はね。送れ』

「……中佐の考える『最悪の更に下』の定義をお聞かせ願えますか。送れ」

『説明が難しいな。未真名市が消える、日本列島が消滅する。それだって最悪ですらないからだ。送れ』

「想像もできません……いえ、したくもありません。送れ」

『僕もだよ。いずれ世界中の人々が嫌でも考える必要に迫られる。そうなった時はもう手遅れなんだがね』

 苦々しい溜め息。『いずれにせよ、高塔百合子氏の懸念はとうとう現実のものになった。あと半年もしないうちに、この光景は我々にとってありふれたものになるはずだ。しかもそれを止める手段は、今のところ何一つない……少尉、戻ってきたまえ。手を考える。送れ』

「……了解いたしました、赤星あかぼし中佐。送れ」

『他のどの勢力よりも先に、何としても彼女を確保する。警察よりも〈自殺軍〉よりも、そして〈犯罪者たちの王〉よりもだ。相良龍一がこの国にいない以上、彼女が何かのきっかけで制御を失った時、それを制止できる者が誰一人現存しない。このままでは本当に地球が半分になってしまうぞ──それも文字通りの意味で。帰投を許可する。通信終わり』


【未真名駅ビル〈みまなセントラル〉3階 家具フロア】

〈自殺軍〉の兵士たちにとっては厄日としか言いようがなかった──想定していた警察や自衛軍特殊部隊ではなく、人質たちの中から逆襲に転じる者が現れたのだから。

「……もう3階まで上がってきただと!? 下に配置されていた奴らは何をやってやがるんだ!」

「当てにするな! 通信が途絶したんだ、もうやられたに決まってる!」

 人質たちの奇異の視線を引きずりながら、彼らは焦燥も露わに各フロアの階段・エレベーター前に防衛線を設置している。ポストアポカリプス映画の、大量のゾンビの襲来に備える生存者たちを彷彿とさせる有り様だ。

 二脚に設置された機銃だけでなく、大型の自動機関砲座──ロシア製〈ツィタデーリ〉拠点防衛システムまでもが階段前に設置される。機関砲と対戦車ミサイルがセットになった複合兵器ステーションがモーター音とともに旋回し、小銃を構える周囲の兵士たちが目を剥く。

「こんなもんまで必要か!? ここは屋内だぞ、それとも人間サイズの装甲兵器でも駆け上がってくるってのか!?」

「携帯火器なんかじゃ気休めにもならない──戦車がないのが残念なくらいだよ!」

「……来るぞ、構えろ!」

「どいてどいてどいてーーーーっ!」

 場にそぐわない少女の、元気一杯の声とともに。

 屈強な兵士たちが悲鳴を上げる間もなく数人まとめて宙を舞った。当然、発砲の隙すら得られない。全員、床や天井に叩きつけられた時にはもう気絶しているか、または苦痛で身動き一つ取れなくなっているか、どちらかである。

〈ツィタデーリ〉の砲塔が動く──が、その全火力が叩きつけられる寸前に。

 砲塔に灼熱の線が一直線に走り、次の瞬間、〈ツィタデーリ〉自体が真っ二つに割れた。

「……は?」

「ああもうっ! どうしてそうバンバン撃ってくるんですか! !」

 途方もなく悪い冗談を見せられたように、目を瞬くしかない兵士たちの前で。

 ずたずたになった礼峰学園の制服の上から焼けこげた布切れをマントのように纏い(どうやら、そこらへんのカーテンを引きちぎったらしい)、二つ結びの髪を熱風になびかせた女学生が、声も高らかに宣言する。「逃げるか投降するか、十秒ぐらいで決めてください! これからあなたたちのお仲間、まとめてやっつけないといけないんですから!」


 十数分ほど時を遡る。


「……駄目だ、通じねえ」スマートフォンを弄っていた藍は舌打ちする。「たぶん電波妨害装置ジャマーかなんか使ってやがるな……機関砲や地雷まで持ち込んでる奴らなんだし、今さら驚きもしねえけどよ」

「どうしよう、藍くん……」目の前では愛花が、眉を八の字に下げてこちらを見つめている。「このフロアの兵隊は全員やっつけたけど、あの人たちの仲間が下の階にも大勢いるよ。さすがに私じゃ、ここの人たちを全員庇いながら避難させるのは無理だよ」

 すがりつく目をするんじゃねーよ、と藍は頭髪を掻きむしる。「一番手っ取り早いのは俺たちだけでこっからフケちまうことなんだが……あんた、それだとイヤなんだろ?」

「うん」

「即答しやがって……」藍はがっくりと項垂れる。

「だって、私だけで逃げられないもの。言ったでしょ、私はいずれ天下を取る女だ……って。もしこの人たちを見捨てて逃げたら、私、一生自分に胸が張れなくなっちゃう。天下人だって自信を持って名乗れなくなっちゃう気がするの」

「……あの天下人がどうのって、ネタじゃなかったのかよ」

「ネタじゃないもん」愛花はぷっと膨れる。「藍くんは私の言ったこと、ネタだと思ってたの?」

「上目遣いでほっぺ膨らませるんじゃねえよ! わかったよ!」

 藍は必死の形相で眉間を揉みながら、

「……方法はないでもない。上階の電波妨害装置を壊せば無線が通じるようになるし、警察だって中の様子がわかるようになって、救出作戦もやりやすくなるだろ。問題は、そのためにはお前がまた戦う必要があるんだけど……」

「うん、やるよ。私やる!」

「頼むからちょっとは躊躇ってくれよ……!」藍はまたもがっくりと項垂れる。

「それと……ちょっと待ってろよ」周囲を見回した藍は家具売り場から持ってきたらしいカーテンをずるずると引きずってきた。「お前、これ身体に巻いとけ。今のお前本当にすごい格好してるんだぞ……ブラとパンツをちらちらさせながら戦いたいってんなら話は別だけどな」

「え? ……わあ!」言われて愛花は悲鳴を上げた。いつもブラシを丁寧にかけているのが密かな自慢の礼峰学園制服は、銃弾と切り傷で見るも無惨な有り様である。

「あ、ありがと藍くん……君、やっぱり紳士だね……」慌ててカーテンを身体に巻きつける愛花を見ながら、よかったその辺の感覚は人並みにあって、と藍は内心胸を撫で下ろしている。

「もう止めやしないけどよ、一つだけ言っとくぜ……ヤバいと思ったら逃げろよ。あんたは警察官でも兵隊でも、漫画やアニメのヒーローでもないんだからな」

「うん、わかってるよ。だって、いずれ天下を取る女だもんね!」

「わかってねえじゃねえか……」藍は三度目のがっくりをする。


【〈みまなセントラル〉4階 女性向けファッションフロア】

「くそ、何で死なねえんだこいつ!?」

「擲弾を使え! 小銃弾なんかじゃびくともしねえぞ!」

 仲間に援護されながら交代した兵士が、アサルトライフルの銃身に装着した擲弾筒を放つ。が、

「ふんっ!」

 気合一閃。銃弾を浴びながらも振り回された愛花の腕は、事もなげに顔面へ飛んできた擲弾を弾き返した。間の抜けた金属音が響き、あらぬ方向へ飛んだ擲弾がショーケースを粉砕して飛び込み、一瞬後、爆風が衣服を着せられたマネキンをまとめて薙ぎ倒す。

「嘘だろ!?」

「やめてくださいって言ってるでしょ! どうしてそんな無駄な抵抗ばかりするんですか! どうせ無駄なのに!」

 一瞬で距離を詰めた愛花の掌の中で、アサルトライフルの銃身が飴のように捻じ曲がっていく。それを見て兵士たちもさすがに不利を悟ったらしい。

「後退! 後退だ……!」

 逃げていく兵士たちに愛花はもう目もくれていない。感極まったように、自分の両掌を見下ろしている。

「すごい、こんなに思い通りに身体が動くなんて初めて……! もしかして、これが本当の私? 私、秘められた力に目覚めちゃった?」

 愛花は思わずガッツポーズを取りそうになる。「いける! これなら……この力さえあれば、私、天下を取れる!」

 ──駅ビルの階段を力強く駆け上がっていく愛花は、天井の監視カメラが冷たく自分を見下ろしているのに気づいていない。


【未真名駅ビル 中央ビル管理室】

「もう4階も突破された……あの勢いだと、5階の残存戦力じゃ持ち堪えられそうにありませんよ。しかもこっちの火器は一切通用しないと来てる……!」

「どうします、代表? 各階から戦力を抽出すると、今度は軍や警察の突入に耐え得るだけの戦力を保持できなくなります」

「まさか屋内戦で機甲戦闘を経験することになるとは……今必要なのは対戦車ロケット砲だな。いや、いっそのこと戦車かも知れん」

「苦戦しているようだな。エリック代表」

 対応に苦慮していた〈自殺軍〉兵士たちが一斉に振り返る。足音もなく入ってきたのは──実に場違いな風体の女だった。

 そこがパリやNYのファッションショーなら場違いではなかったかも知れない。だがボディアーマーとアサルトライフルを身に纏った屈強な男たちの中に、特注とおぼしき漆黒のライダースーツに身を包んだ、八頭身以上はありそうな上背のある女が──となると話は別だ。

 奇妙にも女は背に、その長身とほぼ変わらぬ長さの鉄棒のようなものを背負っていた。それ以外には寸鉄すら身に帯びていない──それが火器で全身を固めた男たちの中で、余計に目立っている。

「……あんたか、」エリック代表、と呼ばれたリーダー格の男が顔をしかめる。最も来てほしくなかった相手が来た、と言わんばかりに。

「それとも調子が悪いのか、代表? 事前に提出された訓練プログラムに不備はなく、本作戦のシミュレーション自体にも穴は見当たらなかった。となると貴様の不調を疑わざるを得ないわけだが……指揮官の快不調で作戦内容を左右されるほど〈自殺軍〉の指揮系統は融通が効かないのか?」

「嫌味はやめろ。上手く行っていないことは認める。だが」面白くもなさそうに、エリックは背後のモニターを親指で示す。「こんなものが予想できると思うか? 羊の群れの中から核爆弾を振りかざす個体が現れたようなもんだ」

 作り物めいてさえ見える美貌がモニターに向けられる。「ふむ……この国の軍が、少年兵チャイルドソルジャーを採用しているとは聞かないが」

「少年兵自体、先進諸国の軍では存在自体認められていない。それにあのふざけた強さ、どう見ても少年兵のものではないだろう。何しろんだぞ」

「では特殊部隊か。警察か軍の」

「それも考えにくい。対応が早すぎる。第一、事前に我々の動きを察知し、かつ一般客の間に気取られず紛れ込ませておく情報収集能力と実行力がこの国の治安機関にあれば、作戦開始前に我々は一掃されている。それに特殊部隊ならなおさら、単独行動というのが解せない」

「それもそうだ」淡々と女は頷く。「いずれにせよ代表、作戦は失敗だ。残りの手勢を率いて脱出しろ」

 一同がざわめく──それも隠しようのない不快さとともに。

「では作戦は失敗か」

「失敗だろう。理由はどうあれ、素人の娘一人に蹴散らされているんだぞ。華々しく戦って死ぬどころか、戦って死ねるだけの戦力さえ喪失している。生きて世間の笑い者になりたいのなら話は別だが、そんな勇気がこの場の全員にあるとは思えんな」

 エリック以外のほぼ全員が、腕や胴や足など、衣服で隠された痣と打ち身を無意識のうちに撫でた──上辺の「男らしさ」などよりよほど本質的な強さを、彼らはこの「軍事顧問」から既に思い知らされている。

「……わかった。だがあんたはどうする? 軍事顧問殿。それとも、あんたならあいつをどうにかできるとでも?」

」事もなげに女は答える。「でなければ私も軍事顧問として派遣されている言い訳が立たないからな」

「……皆、聞いたな! 各防衛線を保持しつつ後退、15分以内に地下駐車場へ集合しろ。証拠になりそうな物品及びデータは残らず破壊、消去せよ!」

 エリックの号令で男たちが動き始める中、女もまた長身に相応しい堂々たる足取りで歩き出す。「〈轟天雷〉!」

「……はいっ! はいはいはいはいはいはいはいはい! ただ今参りますぞ〈呼延灼ヒュヤンツァオ〉殿!」

 男たちが目を剥くほどの勢いで〈呼延灼〉と呼ばれた女の半分ほどもない影が凄まじい勢いで床を這い進んできた。まるで定規で測ったように〈呼延灼〉の足元から1メートルの距離で這いつくばったのは──あらゆる意味で彼女とは対照的な人物だった。

 無造作に刈ったもじゃもじゃの癖っ毛と、妙に大きな頭が目立つ女だ。瓶の底のように分厚い眼鏡は最近流行のスマート眼鏡スペックスではなく、ただの瓶の底のように分厚い眼鏡らしい。薬品の染みが目立つ白衣と、あらゆる実験器具が突っ込まれたオーバーオールは何らかの技術者に見えないこともなかったが、それを抜きにすれば何者にも見えない。

「お待たせいたしました〈呼延灼〉殿! あなた様の卑しき下僕にして奴隷、〈轟天雷ホンレイ〉が参上仕りましてござりまする! どうぞ、何なりとご命令を!」

 何が始まったのかと周囲が訝しげに見守る中、〈呼延灼〉が口を開く。「〈轟天雷〉……貴様も私同様〈百八星ベイバァシオン〉から派遣されてきた軍事顧問なのだろう。礼を失せよとは言わんが、あまり這いつくばる必要もないのではないか? 顧問がそれでは威厳に関わるだろう」

「いやとんでもございません何をおっしゃいます!?」小柄な体躯のどこから出るのかと不思議になる大音声である。「〈呼延灼〉殿に比べれば私なぞ月とスッポン! 龍と鯉! 蝶と蜻蛉! 巨獣リヴァイアサンと仔犬! ええとそれに、大国と中国ではございませぬか!」

「知っている比喩表現を並べればいいというものでもないぞ」苦笑めいたものが長身の女の口元を掠める。「準備をせよ。貴様の〈連環砲リャンソウパオ〉の出番だ」

 奇妙な風体の女はがばりと顔を上げた。「はっ! とおっしゃいますと、機甲戦闘でございますか!」

「いや。相手は人間だ」

「はあ、となると勝負は一瞬で付きますな……」〈轟天雷〉はやや落胆したような顔になった。「生身の人間相手となると難しくはあります……照準にも一苦労ですし、何よりも一瞬で蒸発してしまいます」

「そうがっかりしたものでもないぞ。もしかすると、と一戦交えられるかも知れないからな」


【〈みまなセントラル〉 7階 書籍フロア】

 閉店間際まで常に人の絶えない書店だが、今日ばかりは閑散として見る影もない。棚から雪崩れ落ちた上に無数の靴や軍用ブーツで踏み躙られた書籍の数々が、当時の混乱を現している。幾度となく通った愛花には複雑な気分になる眺めである。

 書棚を強引にどかしてフロアの中央に設置されていた怪しげな大型機械は、愛花のパンチ一発であっさりと全壊した。試しにスマートフォンを使ってみると、問題なく通じる。

「やったよ、藍くん。藍くんの言った通りになったよ!」

『やっぱり電波妨害装置だったか……これで警察も少しはやりやすくなるだろ』

「うん。でも……変なんだ。さっきまであの兵隊の人たち、本当に死に物狂いで立ち向かって来たのに、このフロアに上がってからは誰もいないの。まるで夜逃げみたい」

 藍の舌打ち。『やべえな。もしかすると、奴ら本当に逃げるつもりかも知れねえぞ。人質を連れて警察の包囲を突破されたら厄介だな』

「ええっ!? ど、どうしよう……それじゃ何にも解決してないじゃない!?」

『あのな、もう言ったろ。あんたは警官でも兵士でもヒーローでもないんだぞ。できることは全部したんだ』

「う、うん……」愛花の表情が曇る。納得はできないが──藍の言葉に反論できるものがあるわけでもない。

『それより自分のことを心配しろよ。その腕、俺以外の奴が見たらどうなると思うんだ。下手すると捕まって何かの研究所に送られっちまうぞ。最悪、解剖されちまうかも知れねえ』

「か、カイボー!? カイボーはイヤだよ藍くん! 私、標本のカエルじゃないもん!」

『だから自分のことを心配しろって言ってんだよ。待ってろ、俺もそっちへ行く』


「やはり『司令塔』が居たか」


「誰!?」

 愛花は驚いてスマートフォンから耳を離す。その女が目の前に来るまで、まるで気づかなかったのだ──今の彼女の感覚を持ってしても。

「真っ先に電波妨害装置を無効化しに来るか。最小限の目標で最大の戦果。手本のような戦争のやり方だ」

 目を見張らずにはいられなかった。愛花より頭二つ分──下手すれば三つ分ほども差のある長身で、足音一つしないのだ。

 作り物めいて見えるほど硬質な美貌の女は、艶然と笑ってみせた。額は秀で、色が抜けるように白く、伸ばした髪は夜のように黒い。口から出てくるのは、これまた並の日本人よりよほど流暢な日本語だ。

「あなたは誰? あの兵隊たちの一味?」

「一味、とはまた古風な表現だな」女は苦笑。「あの兵隊たちの軍事指導を任されているという意味なら、その通りだ。〈百八星〉の、貴様たちの言う……ああ……コードネームでよければ〈呼延灼〉と呼ばれている」

「『水滸伝』の?」

「我が国の古典がこの国でも根づいていると知るのは悪い気分ではないな」女はしげしげと愛花を観察する──何かのセンサーにスキャンされているような気分になる。

「古典の英雄の……それも天下の大逆人たちの名前を借りるということは、自分たちが犯罪者という自覚だけはあるんですね」

「泥棒が自ら牢獄に入ってくれれば、この世はさぞかし住みやすくなるだろう」女は急に真顔になる。「しかしここは泥棒が警官を名乗り、無実の人が牢獄に叩き込まれる国だ。そのような国では泥棒が警官となるしかない」

「……自分たちの犯罪は世直し、とでも言いたいんですか?」

「いや。理想と現実のせめぎ合いの結果だ。私たちも霞を食べて生きるわけにはいかないのでな。ただ〈自殺軍〉の兵隊どもは人を殺したり物を壊したりは得意でも、例えばダミー会社を介しての資金洗浄マネーロンダリングや、司法当局の摘発から資金源を守るための資産ポートフォリオ化となると、FXでの小遣い稼ぎを思いついたそこらの学生や主婦以下だからな。勢い、そこには犯罪組織同士の交流と……ああ、ビジネスチャンスが生まれるのさ」

 この人カタカナの発音があんまり上手くないな、と愛花は内心で思った。見たところアジア系の顔立ちではあるが、英語ネイティブではない国の出身なのだろうか。英語の稚拙さとなると自分もどっこいだが。

「しかし、貴様をこうして見ると本当に子供だな。大規模な身体改造に耐えられる年齢ではないし、そもそも兵士にも見えん。何者だ?」

 愛花はここぞとばかりに胸を張る。「問われて名乗るもおこがましいが……私は叶愛花! いずれ天下を取る女よ!」

「天下を取る、とは大きく出たな。が、概して世を変えるのは無知で無謀な若者だ」意外にも〈呼延灼〉は笑わなかった。「このところは現実に負けた者ばかり目にしている。新鮮だ」

 愛花もしばしきょとんと目を瞬かせる。「笑わないんですね。私を笑う人たちと仲良くしても仕方ないですから、あまり気にしてませんけど」

「笑いはしない。私自ら戦術指導を行った兵たちを苦もなく捻った相手だ」

『……何すんだよお前ら! やめろ、放せ!』

 スマートフォンから漏れた藍の叫び声に愛花は目を見開く。「藍くん!?」

「敵の最も弱い部分を責める──貴様たちの取った戦法は実に効果的だった。ならば我らも真似るまでだ」

「やっぱりあなたも悪者で卑怯者だったんですね……どいてください!」

「退くとも。ただし、腕づくで私をどうにかできたらな」

 何かを感じて愛花は跳躍した。間髪入れず、彼女の立っていた床が。

 まるで刃物で切られた紙のように、大きく裂ける。

「……!」

「生身の人間で、この鉄鞭ティエベンに数打と耐えた者はいない」

 女の身の丈と変わらぬ長さの鉄棒の、それを引き抜く手つきは全く見えなかった。「耐えられれば生身ではないことになる。貴様の正体を見極めるには、実に単純で効果的だ」


 ずたずたの制服の上からカーテンを巻きつけた少女と、漆黒のライダースーツの女が改めて向かい合う。

 愛花はダンスが好きである──天下人は教養のみならずダンスにも堪能であるべきだからだ。当然、動画で海外のダンスも観る。まともに踊れた試しはないが(何しろ身体が思うように動くようになったのは数十分前からなのだ)。

 だからすぐにわかった。この〈呼延灼〉と名乗る女は、とんでもない使だ。両手の指先から両足の爪先まで、神経の行き届いていない部分が微塵も存在しない。あの鉄棒にさえ神経が通っているのではないか、と思えてくる揺るぎなさだ。なまじ火器に頼らない分〈自殺軍〉の兵士たちより強敵かも知れない。

「どうした? もしかして臆しているのか?」女がわざとらしく小首を傾げる。「それほど小心にも臆病にも見えんが」

 挑発とわかっていても動けない。だが藍が……既に敵の手に落ちている。しかも彼らは脱出の準備を進めている。時間はかけられない。

 だから動いた。退くのではなく、前へ。

 女の足元へ飛び込み、前転したのちほぼ垂直で蹴りを繰り出す。這うような姿勢から爆発的な跳躍は、武術武道ならともかくダンスではそう突飛な動きでもない。

 狙うは顎。どれほど屈強でも鍛えられない箇所だ。

 だがそれが──受け止められた。

「貴様の足取りを見た時から気づいていた」〈呼延灼〉は事もなげに言う。「武術に関しては素人でも、?」

 見抜かれていた。声と同時に鉄鞭の先端が真下から跳ね上がってくる。

 今度はバック転で避ける。直撃こそ回避したが、剃刀で切ったように眉間の皮膚が切れた。

 上体を起こそうとして──反射的に伏せた。空を切る轟音が頭上を通過し、愛花の背後の書棚を粉々に粉砕した。

 顔を上げた愛花は目を疑った。

 女の持つ、あの鉄棒の形態が変化していた。ぴんと伸びていたはずの鉄棒が今では柄からぐにゃりと曲がって床に伸び、しかも蛇のようにうねうねと蠢いている。

「磁力を応用した近接戦用兵器〈鉄鞭〉だ。力の入れ具合で硬軟も伸縮も自由自在──初めこそ胡乱な武器だと思ったが、今では案外と性に合っている」絶句する愛花に〈呼延灼〉は笑ってみせる。ただし、雪山で食べるシャーベットのように冷たい笑みだ。「貴様のような得体の知れない怪物には最適な得物だろう」

「ひ、人を妖怪みたいに言わないでもらえます?」

 さすがにちょっと傷ついた。

「では私を打ち倒して証明するがいい。貴様は退治する方か、される方か?」

〈呼延灼〉の方から突進してきた。長身とほとんど霞むような速度と裏腹に、足音が一切響かない。

 愛花も退かない。前進しながらジャブ気味の数打を繰り出す、が、見様見真似のジャブはいずれも鉄鞭に弾かれる。

 だが鉄鞭の打撃もまた愛花を捉えられない。今の愛花の感覚なら〈呼延灼〉の至近距離から繰り出される突きと払いにも充分対応できる。

「やるな。ではこれならどうだ?」

 不意に一本の鉄鞭が中央から二つに分かれ、左右それぞれに手に握られた短い鉄棒となる。

「ずるっ……!」

 短くなった分、棒の旋回速度が上がる。上下左右から繰り出される打撃を愛花はかろうじて避けるが、彼女の感覚と動きを持ってしても対応に一苦労する疾さだ。

 時間差で左右から襲いかかってくる鉄棒を、両手で払いのけはしたが、

〈呼延灼〉の膝が突き出されてくる──そこから露出する大口径の銃口。

 凄まじい轟音とともに、愛花の身体がアッパーカットのように跳ね飛んだ。背中から床に落ちカーリングのように滑っていく。慌てて起き上がり、身体をまさぐる──意外にも、痛みも出血もない。

〈呼延灼〉の方が呆気に取られている。「羆の頭部ですら吹き飛ばす一粒スラグ弾だぞ……」

「……何これ!? 気持ち悪っ……!」

 愛花がそう呟いたのも無理はない。彼女の身体の全面は、半透明のゼラチン質に一瞬で覆われていたのだ。まるでゼリーか、さもなければクラゲにでも覆われたような姿だ。すっかり勢いを失った大口径弾がぽろりと落ちる。

「生きた爆発反応装甲リアクティブアーマーだと……」〈呼延灼〉も驚きを隠せていない。「そんなものまであるのか。全身武器庫のような娘だな」

「あなたに言われたくないんですけどお!?」愛花は憤然と起き上がった。

「初見で私の鉄鞭をこうもことごとく躱すとは。今までの相手は機能の大半を使うまでもなく血を吐いて斃れていたのだから驚きだよ。

 真下から振られた鉄棒が、無数のパーツに枝分かれした。磁力線に導かれながら飛ぶ拳大の金属塊が、四方八方から愛花に襲いかかった。

「がっ!」

 腕を交差させて防いだものの、全身にボクサーのストレートを同時に食らったようなものだからたまったものではない。悲鳴すら上げられず、愛花の身体は数メートルほども吹き飛んだ。書棚に叩きつけられ、無数の本を雪崩れ落としながら床でバウンドする。

「……さすがにこれは避け切れなかったか」柄を一振りし、元の鉄棒に戻しながら〈呼延灼〉は軽く吐息。「だが誇りたまえ、私とてこの鉄鞭に搭載された機能の半分ほども」

「あなた、うるさいですね」

 一瞬にして〈呼延灼〉の顔色が変わる。鉄鞭を振るい、同時に跳躍する。

 目に焼きつくほど赤い光が店内を迸った。書棚がまとめて消し炭になる。

 鉄鞭の先端が真っ赤に灼け、溶けて崩れ落ちていた。

「どうせお仲間の時間稼ぎなんでしょ? あなたを慮って付き合ってましたけど、本当ならそんな義理なんてないんですからね。いつまでも駄々をこねていると、本当に消し飛ばしますよ?」

 愛花が立ち上がる。その右腕が変形し、複雑な内部機構を剥き出しにしていた。露出したレンズ状の器官が、次の発射に備えるように不気味な明滅を繰り返している。

「……とうとう本性を剥き出しにしたな」〈呼延灼〉は笑っているが、額の汗は隠しようもない。「怪物め」

「壁の方を向いて、そのカッコいい武器を捨ててください。大丈夫です、変な真似さえしなければ『処刑スタイル』で頭を吹っ飛ばしたりしませんから。

「女学生にしては、脅し文句が豊富すぎるな」

 苦笑しながらも〈呼延灼〉は鉄鞭を放り、壁の方を向き──思い切り、後ろ向きに蹴り上げた。

 もちろん愛花には届かない距離だ。だが、その蹴りが床に散乱していた書物と、光線で黒く焦げた燃えさしの灰を撒き上げた。愛花が怯んだ隙に、

「背面を取れば勝てると思ったか!」

 背中からの体当たり── 鉄山靠てつざんこう。体格差はどうにもし難く、まともに食らった愛花は体勢を大きく崩した。

「光の疾さで動かない限り、光を避けることはできないが」〈呼延灼〉は一瞬で愛花の死角に回り込み、一瞬で右腕を捻り上げる。「からこうしてしまえば問題ない」

「うぅ……!」

 苦しまぎれに愛花は数度光線を放つが、腕の付け根を押さえられては虚しく床を焼くしかない。

「観念しろ。本当に折るぞ」

 が──次の瞬間、目を見開くことになったのは背後から関節を決めたはずの〈呼延灼〉の方だった。

「天下を取る女は……」顔を真っ赤にして踏ん張る愛花が、強引に上半身を引き起こしつつある。圧倒的な体格差とは無関係に、〈呼延灼〉の方が文字通り地に足が着いていない形だ。

「貴様……本当に人間か!?」

「この程度じゃ……負けない!」

 限界まで身をたわめた愛花の右腕が火を噴いた。まるで月へ打ち上げられるロケットのように〈呼延灼〉を背後から組み付かせたまま、その身体が上昇する。避ける間もない。勢い背中の〈呼延灼〉は天井と愛花のサンドイッチになる形で叩きつけられた。

「ごっ……!」

〈呼延灼〉もこれにはたまらず肺から空気を残らず吐き出してしまう。だがその代償として、愛花の肩も鈍い音を立てて外れた。

「うぅ……!?」〈呼延灼〉の右手首から電極が露出して愛花の肩口に突き刺さる。大容量・大出力の蓄電器ダイナモを応用した電撃が放たれる。数度目でようやく愛花の全身から力が抜けた。

 姿勢の制御を失い、二人はなおも絡み合ったまま空中を数度回転した。床に叩きつけられ、また天井に叩きつけられ、なおも床を数度バウンドしたのち、植え込みをまとめて薙ぎ倒してようやく止まった。

『代表! 脱出の準備は整った! こちらは撤退を開始する!』

 エリックからの無線に〈呼延灼〉は舌打ちする。一応の時間稼ぎは果たせたわけだが、まるで勝った気になれない。

「とんでもない泥試合に付き合わされたものだ……」息も絶え絶えの愛花と同じくらいに彼女も散々な有り様だった。何しろ床と天井に何度も叩きつけられたのだ。

 愛花はと見ると、もう上体を起こし始めている。だが肩を外され、電撃をまともに受けたショックから完全に立ち直れてはいない。

 鉄鞭を拾い上げた〈呼延灼〉は素早く計算する。首を落とせば確実に死ぬだろうが……何よりもまずその余裕がない。それに、と〈呼延灼〉は自分でも不可解な戦慄に身を震わせる。

「……悪運の強い娘だ。追ってくれば今度こそ殺す」

 言い捨て、〈呼延灼〉は壁の大穴から身を躍らせる。重力に引かれて落下する先には、走り始めたトレーラーのコンテナがある。


 ──ほんの少しだけ、気を失っていたらしい。

 私……落ちそうになっている?

 逆さまになった視界に全てが飛び込んできた──声を枯らして群衆を制止している警官たち、右往左往する救急隊員たち、そして警察車輌の群れ。

 そして割れた人垣の中をゆっくりと遠ざかっていく〈自殺軍〉のトレーラーの群れ。

「藍くん……」


「例の少年は捕らえたか」苦もなくトレーラーのコンテナに滑り込んだ〈呼延灼〉の第一声がそれだった。「よかったよ。子供一人の捕獲にすらしくじられたら、私も指導のしようがないからな」

 あからさまな嫌味にコンテナ内のほぼ全員が顔をしかめるが、情けなさの自覚はあるのか誰も反論しない。

 結束バンドで手足を拘束されて気絶している藍を覗き込んだ〈呼延灼〉は顔をしかめる。「殴ったのか?」

「やむを得んでしょう。見てくださいよこの腕、5箇所も噛まれたんですよ。それも血が出るくらいの強さで」覆面の一人が口を尖らせる。

「女子供に引っ掻き回される真の男たちの群れ、か」嘆息しながら〈呼延灼〉はエリックに鋭い目を向ける。「これからどうするつもりだ、代表」

「体勢の立て直し以外ないだろう。無論真っ直ぐ拠点へ戻るわけにはいかないから、折を見て各グループに分裂する。この国の犯罪予測システムもそれなりに侮れないからな。がバレては元も子もない」

「無難な回答だ。だがそれでいいのか?」

「何が言いたい?」

〈呼延灼〉はエリックに向き直る。「人質の中からが現れて襲ってきたのはまあ不測の事態と認めよう──むしろ予想できる方が阿呆だからな。だが実際の『戦果』を見ればどうだ? 占拠に失敗した挙句に重火器の大半と人員の半数近くを喪失、戦って死ぬどころか人質を盾にどうにか逃げ出す始末だ。貴様のがどう判断すると思う? 笑い者になるならまだましな方で、下手をするとその場で銃殺されるぞ」

 エリックは重い息を吐いた。「……わかったよ。確かにあんたの言う通りだ。このままではおめおめと戻れん──たとえ小娘相手でもな。どこかに腰を据えて確実に迎え撃とう」

〈呼延灼〉は薄く笑う。「さすがと言いたいところだが、そのための人質だ。今度こそ有効に使えよ」


 私、何やってるんだろ? あんな大口を叩いておいて、藍くん一人守れないのに?

 折られたはずの関節が音立てて元に戻り、筋肉の断裂がゲル状の分泌物で塞がっていく。が、愛花にはその自覚すらない。


(何だ……?)

〈呼延灼〉は目を凝らした。強化された視覚が、遠く小さくなっていく未真名駅ビルの外壁に開いた大穴を捉える。

 あの娘が──叶愛花が動き出していた。ダメージが大きいのか立ち上がれてはいない。が、死んでもいない。確かにとどめを刺す余裕はなかったが、しかし。

「エリック。速度を上げろ」

「しかし、これ以上速度を上げると警察を刺激するぞ。後続部隊も追いついてこられなく」

「上げろ!」

 自らの大声に彼女自身が驚いた。何かを察したのか、エリックがレシーバーを通して運転手に命じる。「全速前進!」

〈呼延灼〉の判断は正しかったが、同時に遅すぎた。


「……人だ! 女の子が落ちそうになっているぞ!」

「くそっ、梯子車じゃ間に合わない! エアクッションを持ってこい、大至急だ!」

「頼むから動かないでくれよ……ちょっと! 写真は遠慮してください! あんたがた、せめて邪魔しないでくれよ!」

 救急隊員たちの口調も荒くなろうというものである。だが、

 次の瞬間、救急隊員たちも、警官たちも、そして野次馬たちですら目を疑うような光景が現出した。


「藍くんを……」

 一気に意識が覚醒した。跳ね起きた愛花は身を翻し、クラウチングスタートに似た体勢で全身をたわめる。

「……返して!」

 ビルの外壁を蹴って飛んだ。無事だった窓ガラスが残らず砕け散り、ビル自体が耐えかねたように鳴動する。

 砲弾より疾く、彼女は1キロ近い距離を一瞬で飛び越えた。


「お……おい、今の見たよな」

「ああ、見た……何だったんだ今の? どう見ても人……女の子だったよな?」

 スマートフォンのカメラで撮影していた野次馬たちも、自分たちの目が信じられない様子である。

「とにかく画像は保存したんだ、もう一度よく見れば……あれ?」

 一人ではなく、少なくない数のざわめきが上がる。「消えてる……今、確かに撮ったはずなのに?」


「待ちなさいよ!」

 トレーラーまでの距離はわずかに足りなかったが、大した問題ではなかった。路面を蹴り、一歩、二歩でトレーラーのわずか後方を走るSUVのボンネットに着地し、間髪入れずに跳躍する。ハンドルを切り損ねたSUVは中央分離帯へ乗り上げ、派手に横転する。

「こ、この小娘、俺たちの車を飛び石代わりに……!」

「どいて! どいてってば!」

 周囲を走るSUVやピックアップからも発砲が始まる。だがその時には愛花は別の車へと跳躍しており、銃弾で穴だらけになるのは車と仲間のみである。

「さっきから何をしている! 味方に当たってばかりじゃないか!」

『しかし代表、このままでは阻止できません! 突破されます!』

 無線を握り締めたままエリックは歯噛みしている。トレーラー内から後方の様子は手に取るようにわかるだけに、もどかしさもひとしおである。

「阻止だ! 何としても阻止しろ! 擲弾の使用も許可する!」

 だが諦めるわけにはいかなかった──このままでは何のために逃げ出したのかわからなくなる。

「藍くんを……」

 愛花の右腕からまたも赤光が溢れ出る──光線ではなく、サーベルのような光の刃を形成。

「返してって言ってるでしょ!」

 一閃。まるでケーキでも切るように、金属のコンテナが大きく裂けた。貨物室が露出し、恐怖に顔を引きつらせているエリックや兵士たちが見える。それに縛られて気を失っている藍の姿も。

「藍くんっ!」

 手を伸ばそうとした愛花はのけぞる──その顎を掠める鉄鞭。

「追ってきたら殺すと言った。覚悟はできているだろうな?」

「どいてください。あなたと真正面から殴り合っている時間なんてないんです!」愛花は大きく拳を振りかぶる。「それにあなたへの対処法は、もう考えてあります!」

「世迷い言を」〈呼延灼〉はせせら笑ったが、それもその瞬間までだった。

「ぶよぶよ……パーンチ!」

 愛花の腕の振りに応じ、あの大量の分泌物が彼女の全身から吹き出した。半透明のゼリーは〈呼延灼〉に襲いかかり、鉄鞭ごとトラックのコンテナに押しつけてしまう。

「なあっ!?」

「やった!」愛花はすかさずガッツポーズを取る。「言ったでしょ、殴り合っている時間なんてないって。そこで大人しくしててください!」

(くっ、まさか防御手段をこんなふうに使ってくるとは……!)

〈呼延灼〉は必死で手足を動かそうとするが、半透明のクラゲめいた粘体は強化された筋力をもってしてもびくともしない。

〈呼延灼〉は咽頭マイクで呼びかける。「〈轟天雷〉! 貴様の出番だ、〈連環砲〉を出せ!」

 露骨に息を呑む気配。『ひ!? し、しかしあれには調整に若干の時間が……』

「一刻も早く起動しろ! それとも、あの怪物を拠点まで引きずっていくつもりか!」 

 あの時首を落とさなかった自分の過ちを悔やむしかないが、取り返しのつかない過ちではない。

「藍くん、目を覚まして!」今度こそコンテナの裂け目を強引に押し広げ、愛花は必死で手を伸ばす。悲鳴を上げながら兵士がアサルトライフルを発砲するが、

「邪魔しないで!」

 銃身を掴まれ、一瞬で後方へ放り投げられた。悲鳴が途切れる。

「藍くん!」

 ようやく裂け目が広がった。上体を突っ込もうとした時、

「……!」

 何かを感じてまたも身を引く──その傍らを掠めて高速で飛ぶ何か。

「遅いぞ、〈轟天雷〉」〈呼延灼〉の口調は安堵を隠せていない。「とは言え、よくやった」


「……ひひひひっ、お褒めに預かり恐悦至極でございまする〈呼延灼〉殿!」

 風除け一つない〈自殺軍〉ピックアップの剥き出しの荷台で、頭部に大型のHUDを装着した女が歓喜に打ち震えている。同乗する兵士たちは奇妙な笑い声を上げる女を薄気味悪そうに(あるいは迷惑そうに)見つめるだけである。もちろん本人は意に介してすらいない。

「ひひひひ! 戦の基本は砲! 即ち敵兵器の射程外からの一方的な火力、欧米人が言うところの超長距離砲撃アウトレンジにございまする! この〈轟天雷〉、戦さ場に直接立つ勇気など持ち合わせてはおりませぬが、どのような敵であろうと消し炭にする火力と精密狙撃能力ならば有り余るほど持ち合わせておりまするぞ! 〈呼延灼〉殿も小生の〈連環砲〉のその威力をご覧になれば、必ずやご満足いただけるでしょう!」


 愛花の目が捉えたのは音もなく空中を漂う流線型のドローン群だった──そう、音がしない。二重反転タンデムローターや四連クアッドローターではなく、内蔵ファンと圧縮空気で姿勢制御を行うタイプらしい。これほど静かなら近づいても囁き声程度の音しかしないだろう。

「お仲間がいたんですね……いかにも悪党らしい卑劣さです」

「私に言わせれば、命のやり取りをする場での一対一など児戯だ」

 しかし厄介だとは愛花も思った。静けさはそれだけでも驚異だ。ドローンの形状も妙だった──球形からブロックのような立方体、剥き出しになったシリンダーやエンジンのような形状など、機体に全く統一性がないのだ。まるで機械の部品がそのまま空中を飛んでいるように……。

 理由はすぐにわかった。ドローン同士が空中でより集まり、合体し始めたのだ。接触し接続し噛み合わさり組み合わさっていく──歪だが巨大で長大な砲身へと。

 自ら姿勢制御・照準・発砲を行う、空飛ぶ巨大砲。

「な……!?」

 轟音。砲身は大きく揺れたが、自動安定装置オートバランサー反動消去装置スタビライザー、それに姿勢制御用バーニアは見事に発射へ耐えた。

 ばぢっ! と空電を発しながら迫る何かに向け、愛花はとっさに右腕を大きく振る。切り裂かれたそれは後方を走る不運なピックアップを巻き込み、高圧電流を発して一瞬でエンジンを焼き切った。

「……暴徒鎮圧用の電撃ネット!?」

 愛花も愕然とするしかなかった。あいつ、砲弾の種類を変更できるのか……!

『ひひひひ! 今のを避けるなんて大したもんですねえ! じゃ絶対に避けられない弾を差し上げましょうか!』

 再び砲弾が発射──だがそれは空中で分裂し、無数の子弾を撒き散らす。砲弾ではない、何千発もの対人用小型誘導弾。

「く……このおっ!?」

 愛花はすかさず右腕から赤光を迸らせるが、その全てを撃墜できるものではない。たちまち小爆発が愛花の全身で炸裂し、彼女をよろめかせる。

 その隙に〈呼延灼〉は半透明のゼリーからどうにか脱出している。まだ髪にもライダースーツのあちこちにもゼリーをこびりつかせた悲惨な姿だが、

「〈轟天雷〉! このトレーラーを撃ち抜け! 弾種、粘着榴弾だ!」

『何ですと!? しかしそれでは……』

「代表も人質もこちらで何とかする! やれ!」

『……わかりました!』〈呼延灼〉の声に何かを感じたのか、無線からの声質が一変する。

「させません!」

 いつの間にか、愛花に足首を掴まれていた──しまったと思った時は遅い。

「が……!」

 力一杯振り回され、コンテナに背から叩きつけられている──逆さになった視界が高速で流れ去っていく。さすがの〈呼延灼〉も肝が冷える光景だ。

「自分だけ逃げようなんて卑怯です! 車を停めるようお仲間に頼みなさい!」

「卑怯、卑怯と連呼してくれる……!」〈呼延灼〉は顔を歪めるが、自分の耳にすらそれは負け惜しみとしか聞こえない。

「三つ数える間に降参しないと本当に放り出しますよ! 二! 一!」

「早すぎるだろう!?」

 だがのしかかっていた愛花が急に後方へ吹き飛ぶ。飛来した砲弾が分裂、全身に強力な鋼線が絡みついたのだ。

「しまっ……!」

 咳き込む間も惜しみ、〈呼延灼〉は身を起こす。「やれ!」

 全てが同時に起こった──〈呼延灼〉がコンテナ内に身を滑り込ませ、ワイヤーをふりほどいた愛花が必死に手を伸ばし、〈連環砲〉から発射された砲弾がトレーラーにへばりついて爆発。

 トレーラーが内側から炸裂した。

 どうにか姿勢を立て直したばかりの愛花に回避する余裕はなかった。ひとたまりもなく吹き飛ばされ、空中で幾度も回転する。身を支えるもの何一つなく、彼女は陸橋から川面めがけて垂直に落ちた。空と、燃えるトレーラーがどんどん遠ざかる、と思った瞬間に意識は途切れた。

 ──エリックと気絶した藍を抱えてトレーラーから跳んだ〈呼延灼〉は、カーブを曲がり損ねたトレーラーが逃げ遅れた兵士もろとも横転するのを眺めていた。

「あの娘は?」

「川に落ちた──追いかけて首を切り落とす余裕は、まあないな。つくづく悪運の強い小娘だ」溜め息。「言うまでもないが、代表、あれを迎え撃つのは容易ではないぞ」

「わかっているさ。俺のコネを総動員してでも戦力をかき集める。死ぬにしても、奴も道連れだ」

 悲壮感あふれる顔にこれだから男は、と〈呼延灼〉は思ったが口には出さなかった。〈自殺軍〉が自分たちの面子にかけて必死になってくれる分には〈百八星〉は痛くも痒くもないからだ。どのみちしくじったら銃殺されるのは、彼であって彼女ではない。


 どうやって川から這い上がったのかわからない。

 気づくと、愛花は無数のゴミや流木に混じって川岸に打ち上げられていた。風景にまるで見覚えがないところから、相当に長い距離を流されたらしい。

 既に日は沈みかけており、川面に浮いた油も、愛花が唯一身に巻きつけているもはやボロ切れとなってしまったカーテンも、何もかもが茜色に染まっている。

「藍くん……」

 立ちあがろうとして──倒れた。思っていた以上に限界らしい。

 驚きの声にどうにか顔を上げると、土手の上から中学の制服を着た二人の少女が目を真ん丸にしてこちらを見下ろしていた。

「……ほらあれ、やっぱり人だ……人が倒れてるよ……!」

「お、落ち着けよ、いま警察を……いや、それより先に救急車……!」

「ま、待って……」舌が膨れ上がったようになっていたが、どうにか言えた。「警察も、救急車も呼ばないで……藍くんを助けられなくなっちゃう……」

 二人の少女は顔を見合わせている。「呼ぶなってさ」

「そう言われてもな……歩くどころかまともに立てないんだぞこの姉ちゃん?」

「お願い……」そこまでが限界だった。愛花の視界は急激に暗くなった。


「どうすんだよ……〈みまなセントラル〉でなんかでかい占拠事件があったってニュースでやってたけど、絶対それの生き残りだぜ。いや、ひょっとすると犯人の一味かも……第一、いくら本人に頼まれたって、サツに黙ってたら後々とんでもなく面倒なことになるだろ!」

「……連れていくよ。可乃子かのこ、そっち持って!」

「マジかよ……わかったよ、腹括れってんならそうするよ! ああもうっ、佳澄かすみのバカを見舞いに行くだけで、何でこんなことになったんだよ……」


 ──唇を伝う冷たい感触で目が覚める。

 うっすらと目を開けると、あの少女たちが傍らに膝を突いてペットボトルの水を愛花の口に流し込もうとしている最中だった。うおっと声を上げて片方の少女がのけぞる。

「目を覚ましたぞ……!」

「だ、大丈夫ですか!? 大丈夫なわけないけど……大丈夫ですか!?」

「だい……丈夫だよ」愛花はようやくうっすら微笑むことができた。「君たち……いい人だね……」

「いや……人が倒れているのを見たら、とりあえず心配すると思いますけど。まず人として」

「私は……叶愛花。いずれ天下を取る予定の女……君たちは?」

「やっぱり頭打ったんじゃねえかこの人?」

 しっ、と友人を睨みつけてから、少女は向き直る。「名乗るほどの者じゃないんですけど……僕は新田にった真琴まことです。こっちは友人の可乃子」

「真琴……ちゃんは、勇気があるね……私のこの腕を見て、感染うつるか心配にならない?」

 真琴はきっぱりと首を振る。「病気じゃないんだから感染しませんよ。その腕、見覚えがありますから」

「……今、なんて?」


 ──叶愛花と新田真琴、運命の邂逅である。

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