【2022年クリスマス特別編】趙安国の災難

「しかし龍一、君の計画を実行するにしても、そのための装備をどう調達するつもりだ? さすがに大使館経由では、手持ち火器を持ち込むくらいで精一杯だぞ」

「ああ、それについてはもう当てがあるんだ」


【クリスマス前夜イブ夕方、ハイドバーク、ホテル・バークレー】

「……ロンドンの『黒い旦那集』ってのは金持ってるもんなんだな。いざ商談に漕ぎ着けるまではちいっと苦労したが」

 チャン安国アンクオは上機嫌で喋り続けていたが、油断なく左右に目を配り続けるボディガードのリウチンは返事どころか、頷きさえしなかった。別に腹は立たない。返事など最初から期待してはいないし、そもそもボディガードの仕事は主人のご機嫌取りではないからだ。

「しかし、こんだけ大口の取引も珍しいぜ。長物ライフル花火ロケット砲チョコレートプラスチック爆薬、それも全部トン単位でだぞ。ああ、この国じゃポンドだったか……にしても、豪気なもんだ。戦争でも起こす気じゃないか?」

 上機嫌で馬鹿笑いする趙に周囲の客やポーターは眉をひそめるが、本人もボディガードも気にした様子はない。

 クリスマスイブのデコレーションを施されたホテルのロビーは夜遅くにも関わらず人が行き交う。暴力や犯罪の欠片もない光景だが、ボディガードたちは警戒を解いていない。趙の懐事情ならその気になればもっと高級なホテルに泊まれないこともなかったが、実のところ彼は最高級から1ランク落ちる宿に泊まる方が好みだった。あまり安っぽくてもセキュリティ上の問題があるが、カフェで一服するにも正装しなければならないようなホテルでも肩が凝って全然くつろげないからだ。

「こんな調子で注文が舞い込んでくるなら、この国に支店を出すのも悪くねえな。〈のらくらの国〉がぶっ潰れた時はさしもの俺も世をはかなんだが、人間万事、塞翁が馬よ。ひたすら励む者に向けて日は昇るってこった……」

 趙が借りている部屋の前まで来ると、二人のボディガードは初めて言葉を発した。「では明日、いつもの時刻に」

「おう、ご苦労」

 部屋へ入ると自動的に照明が着いた。室温は既に適温へと暖められている。後ろ手にドアを閉めると、趙は何となく溜め息を吐いた。ホテル側のサービスだろうか、部屋のそこここを彩る飾り付けもどこか虚しく見えるのは……彼自身の心境の反映だろうか。

「よ、おかえり」

 ソファに腰かけていた相良龍一が手を振ってきた。趙はおざなりに手を振り返し、腹の底から息を吐き出しながら盛大に溜め息を吐く。

「どうした? 商売が上手く行ってないのか?」

「商売は上手く行ってんだよ。上手く行ってないのは、俺の家庭だけだ」

 スマートフォンの画面を見る──こちらから送った『クリスマスプレゼントは届いたかな?』『愛しているぞ、パパより』といったメッセージに「既読」マークは付いているが、娘からの返信はない。

 趙は口をへの字に曲げた。妻に別れ際言われた「あなたの側に置いておいたら、この子はとんでもない我が儘娘になってしまうわ」というあの言葉を思い出したのだ。実際、妻の言い分に一部の理を認めないわけにはいかなかった。俺はこの仕事から足を洗うつもりはないし、女房は女房で一度決めたら絶対に折れない女だ。だから言われた通り別居に応じて、娘の養育費も月々送って、日に何度もメッセージを送っているのに、何が不満なんだよ。

「ああ、やめだやめだ!」

 くさくさした気分を吹っ切るため、ネクタイを乱暴に解いて放り投げた。何しろビジネス自体は上手いこといっているのだ。慎重さはもちろん大切だが、必要もないのに自分から水をぶっかけるのも馬鹿馬鹿しい。

 いつもなら頭をしゃんとさせておくため、酒は一滴も飲まないのだが、

「……ロンドン進出成功の前祝いに、今日ぐらいは飲むか!」

「いいんじゃないの? はい、どうぞ」

「おう、ありがとよ」

 差し出されたワインを一気に飲み干す。最高級のコルトン・シャルルマーニュが食道から胃袋へ下っていき、全身が熱くなってきた。あまりの美味さに趙は満ち足りたげっぷを漏らし──それから妙な違和感に首を傾げ、数秒ほど考え込み、そして大声で叫んだ。

「なんでてめえがここにいるんだああああああ!」

「あ、やっと気づいた」

「何で人の部屋に勝手に上がり込んでおいて馴染んでんだよ! どうやって入った!」

「そりゃ、まあ、ドアを開けて」

「そんなトンチは聞いてねえんだよトンチは!」

「100点満点中60点、というところかな」ミネラルウォーターを手にしたアレクセイが身を起こす。「どちらかと言えばそういう場合は、右足から先に、というのが気が利いているよ」

「大して変わらねえよ!」

「で、このやたら偉そうなおっさんはどこの何ちゃんなんだよ? 中国の皇帝か何かか?」先の二人よりさらに幼い、ソファでぼりぼりとチョコを貪り食っていた小汚いガキ──タンがソファから身を起こす。

「あ、てめえそれ、よりによって俺が楽しみに取っておいたナッツ入りの奴を……!」

「そうよ、タン」蜂蜜色の髪をシニヨンに結い上げた、歴史画の女神のように美しい娘──ブリギッテが姉のような口調で諭す。「人のものを残らず食べたら駄目じゃない。ちゃんと残しておくのよ」

「ちぇー」

「そもそも人のものを勝手に食べたら駄目なんだよ! 何なんだよてめえら! てめえらの頭の中が既にクリスマスじゃねえか! クリスマスってのはな、マナーをかなぐり捨てる日じゃねえんだよ!」

 妙に倫理的な犯罪者だな、と額の禿げ上がった中年男──オーウェンが感心したように呟く。

「犯罪者じゃねえよ! 武器商人だよ!」

「ああそうそう、話があって来たんだった。趙さん、売って欲しいもんがあるんだ」

「なら先にそれを言ってくれよ……こっちだって商売となりゃ、そう無碍に断りはしねえよ」留守中に人の部屋へ大勢で上がり込むのはどうかと思うが。

「よかった。そう言ってくれると思ったよ。さすが趙さんだ」

「心にもねえ世辞をぬかすと、生皮が剥がれるまで鞭でしばくぞ」龍一が笑顔で差し出した紙片を、趙は仏頂面で受け取る。正直なところ、この若造に護衛の指をへし折られた上、地べたに叩きつけられた恨みを今だ忘れてはいなかった。

「で、何が欲しいんだ。またどうせ得物だろ?」

「いや、今回は得物自体じゃなく、情報が欲しいんだ」

 紙片に目を通した途端、趙は口の中のワインを吹き付けそうになった。「何だこれ!?」

「情報だよ」

「そんなこたあわかってんだよ! どれもこれも、提供した俺の首が締まりそうな超ド級の厄ネタばっかりじゃねえか!」趙はカーペットに紙片を叩きつけようとしたが失敗し、紙片がひらひらと宙に舞っただけだった。

「やっぱお前ら出てけ! よく考えたらどいつもこいつも指名手配中の凶悪犯じゃねえか! いいか、通報されたくなかったらとっととその汚ねえケツをまくって」

 しゅっ、と蛇が威嚇するような音が趙の耳を打った。

 栗色の髪に青灰色の目の女──アイリーナが、耳元まで裂けるような笑みを浮かべて趙が捨てたネクタイを手にしていた。しごいただけで、とてもネクタイの音とは思えない鋭い音が響く。「私たちユダヤ人のジョークも難解だって言われるけど、中国人のジョークもなかなかよねー。私たちをどうするってー?」

「よせよ、アイリーナ」肌の浅黒い女──フィリパがにこりともせずに口を開く。こちらはこちらで怖い。「ちんけな武器商人が、ちんけな職業意識のみを心の拠り所に、ちんけなプライドを奮い起こしているんだ。わざわざ褒める必要はないが、けなす必要もないだろう」

「それもそうねー。さっきの啖呵はなかなか迫力あったものー。バスケットに入れた仔犬くらいにはねー」

 そして二人は、まるで示し合わせたように同じタイミングで笑顔を見せた。魂が底冷えするような笑顔だった。これを笑顔と呼ぶなら、笑顔など見たくもないと心底思わせてくれる笑顔だ。

「龍一。腕にする、足にする?」

「暴力はだぜ、ブリギッテ」雪山で食べるシャーベットより冷たい声のブリギッテに、龍一は首を振ってみせる。「趙さんは理性の人だ。切った張ったがなくたって、最終的には俺たちの意を汲んでくれるさ。な、そうだろ?」


 結局、趙は全部喋った。


【クリスマスイブ深夜、ボートンダウン、国防先端技術研究所・応用材料工学研究セクション】

「……ラボに侵入者?」

 はい、と答えたレイチェル・ダンスタンの声は既にすくみ上がっていた。彼女の視線の先ではセクションの主であり彼女の上司──応用材料工学の一人者でありセクション室長でもあるダフィ・ショーン博士が、きりきりと音のしそうな機械的な動きでゆっくりと首の向きを変えつつあった。

「それが……変なんです」

「変とは? 曖昧な表現を避けて説明したまえ、ダンスタン室長補佐」

 彼女はその場でぴょんと飛び上がりたくなるのを必死で堪える。彼女が今の役職に就いてから数週間と経っていないが、灰色混じりの髪に灰色の目、イメージカラーで例えるなら灰一色、といった感じのショーンを怖いと思うのに時間はかからなかった。口さがない彼女の同僚は「あれは自分を人間に似せた機械と思い込んだ、人間のふりをしたナナフシウォーキングスティックだ」と陰口を叩く。「はい……侵入者があったことは確かなのですが、何一つ盗まれたものもなければ、壊されたものもないのです」

 ショーンは一瞬だけこめかみに指を添えるような動きを見せたが、途中でやめたらしかった。「経緯を」

「はい。昨日は施設警備システム全般のメンテナンスがあったため、監視カメラの映像をリアルタイム監視モードから順に録画監視モードに変更していました。メンテナンスが終わり、カメラの録画をチェック中に初めて侵入者があったのに気づいたとのことです」

「侵入者は当然、そのメンテナンスもチェック済みということか」

「おそらくは……それが発覚の原因になったのも皮肉ですが」

 レイチェルもずぶの素人ではないので、盗難も損壊も発生していないからといって安心できないことぐらいはわかっていた。何しろ施設内での研究は、弾道学からサイバー戦、細菌・化学兵器の対策研究まで多岐に渡るのだ。当然セキュリティも軍事施設に匹敵する厳しさである。それを突破されただけでも深刻ではあった。

 ショーンは唐突に立ち上がった。本当に等身大の昆虫が直立したような威圧感がある。「案内してくれ」

「は……はい!」もちろん否応はない。


 ラボの入口に集まっていた研究員たちはショーンを見るなり話をやめたが、彼は周囲に目もくれずラボへと足を踏み入れた。「それで? 侵入前と侵入後に、全く変わったことはなかったのかね?」

「いえ、正確には……ラボ内で大量の電力が使われた形跡がありました。電力消費記録も隠蔽マスキングが施されていましたが……」

「ハッカーの協力者がいる。それもかなり腕の良い」

 灰色の目がラボの中央、まるで棺桶のような大型機械に向けられる。「目当ては、あれか」

「クッキークリッ……失礼、電力の使用箇所と時間と消費先から考えても、やはりナノ鍛造形成機フォギングマシンかと」

 地殻中心部のマントル層に匹敵する圧力とナノサイズ形成により、従来では難しかった超硬度金属の形成を行うナノ鍛造形成機はラボの最先端機械の中でも秘中の秘ではあったが、(例によって)口さがない研究員たちはこのマシンのことを『クッキークリッカー』と呼んで腐している。

「侵入者はこれで何かを作った、ということか。しかし、何を?」

 走査するように向けられていたショーンの目が何かを捉える。節くれだって見えて意外に繊細な指がそっと機械に張り付いていた何かを拾い上げる。

「……室長?」

「何だこれは……」レイチェルは自分の上司がそんな顔をするのを初めて見た。「。こんな物質が……こんなものが存在するのか?」

 レイチェルもまた目を見張らずにはいられなかった。眼球が痛くなるほど目を凝らさなければ、上司の指先に摘まれている何かの破片が見えないのだ。きらり、と一瞬光はするが、少しでも焦点を逸らすとすぐ見えなくなってしまう。

 だが、ショーンの動揺はわずかな間だった。「解析に回してくれ」

 差し出された透明な破片を手頃なプレパラートに乗せる。本当に透けるようだ──うっかりするとガラスと見分けがつかなくなりそうだ。

「警察の現場検証が済むまでラボは封鎖。何か手がかりが残っているとも思えないが」

「はい」レイチェルにもわかっていた──何しろ盗難も損壊も一切なかったのだ。罪状にしても不法侵入に問うのがせいぜいだろうし、それも『犯人』が捕まればの話だ。

「……しかし、一体何を作っていたのだろうな?」ショーンの呟きにレイチェルは身をすくませたが、それは彼自身に向けてのようだった。「責任者にあるまじき考えだが、できれば本人に話を聞いてみたいものだ……」


 この夜の椿事をきっかけに、ダフィ・ショーン博士は応用材料工学、いや人類史に残る大発見をすることになる──が、無論それはまた別の話ではある。


【同時刻、ポーツマス海軍基地正面ゲート付近】

 ポーツマス市の入江東岸に位置するポーツマス海軍基地はクライド、デヴォンポートと並ぶイギリス海軍最大の軍港であり、規模こそデヴォンポートには譲るものの、それでも数度の大戦で海軍を支え続けてきた歴史ある軍港には違いない。もっとも、それは基地で働く無数の兵士、および彼ら彼女らの生活を支える職員にとってはどうでもいいことではある。

 クリスマスイブの夜遅く、数台の護衛車輌に挟まれて基地正面ゲートを出発した大型トラックの運転手と、助手席に座るその助手も、ご多分に漏れず表情は苦り切っていた。

「クリスマスイブの深夜超過任務かよ……将校から一兵卒、売店の売り子に至るまでクリスマスで浮かれまくってるこの夜にお前のツラをお供に深夜のドライブをしろなんて、こんな不幸ってあるか?」

「俺の不幸はてめえのお喋りを聞くことだよ。その口を閉じて正面を見ろ」不機嫌そのものの顔をした助手に、運転手もまた無愛想に返す。「スクラップ同然でも軍用品だぞ。こんなふうに護衛付きだし、てめえの表情だってAI連動の車内カメラで監視されているからな。締まりがないのはてめえの母ちゃんのあそこだけにしておけ」

 そういやオーウェルってこの国の生まれだったな、と助手は呟きながらシートベルトを締め直す。「残業手当てだけじゃ割に合わねえよ、こんな退屈な上に居眠りもできねえ仕事なんて」

「ぼやくな。ぼやいたって仕事は楽しくならねえ」

「口を閉じたって楽しくはならねえよ。こんな辺鄙な港町、テロリストどころか食い詰めた追い剥ぎだって呆れて近寄らねえよ……」

 突如、目も眩む閃光とそれに続く轟音が炸裂し、二人はシートベルトにも関わらず座席から飛び出そうになった。

「……くそ、落ち着け! ただの花火だ馬鹿野郎、停まるんじゃねえ! 襲撃を受けたら止まらず突っ走れって危機管理マニュアルで学ばなかったのか? 今日の護衛は毛も生えてねえボーイスカウトなのか?」

「おい! 護衛どころか警備兵が逃げ出してるぞ! お前らが逃げたら俺たちが逃げられねえだろうが!」

 他ならない護衛車輌で前後を塞がれてしまったトラックに、いくつかの人影が迫りつつあった。しかも暗くてよくは見えないが、うち数人は銃よりも遥かに物騒な代物を手に持っている。

 バックミラーで確認すると、トラックの後部ドアに二人がかりで何かが取り付けられていた。塩水の入ったパック状の容器と、それに付随する電子部品らしきもの。突入用の含水爆薬だ。

 さらにトラック正面には覆面姿の、やたら図体のでかい若造が立ちはだかり、手に持ったプラスチック爆薬数個で、こともあろうにお手玉をしている。その傍らに立つほっそりした人影──シルエットからしてもかなり若い女、というより少女だ──がラウンドガールよろしく手にしたホワイトボードを掲げてみせる。『生きるか挽肉かライブオアミート?』

 運転手と助手は顔を見合わせる。「生か肉か、だってよ。どうする?」

「どうするもないだろうが。やっぱりクリスマスはついてねえ……」


 運転手と助手が手を上げて渋々降りてくるのを、手近の丘からオーウェンは双眼鏡で観察していた。傍らには仕立ての良いコートと背広の、役人然とした同年代の男が一人。

「さすがに手際はいいな。素人の犯罪者にしては、と但し書きは付くが」

「君が思っているより彼らは凄腕だよ。何があろうと殺しはなし、と言い聞かせたからな」双眼鏡から目を離さずオーウェンは呟く。

「それでいい。あの運転手と助手も別の方法で補償はしよう。今回の一件で咎められたらこちらから手を回す」

「頼む。そう聞けばこちらも少しは良心の呵責が減る。ブルネットの素敵なあの子については忘れるとしよう」

 これで本当に貸し借りはなしだからな、憮然と男は言う。「彼女とは綺麗に別れたぞ。まったく、ここまで嵩にかかって脅されるとは思わなかった」

「それは私ではなく、君の奥さんとお子さんに弁明するべきだな。浮気なんかする方が悪い」

「お前を見くびっていたよ。長いことただ息をしているだけのような生き様だったのに」

「息をするだけの自分に嫌気が差したのさ」

 オーウェンは双眼鏡を下ろし、初めて男に目を向ける。「今回の頼みにしても、やけにあっさりと承知したな」

「知っての通り、陸軍と海軍の仲は険悪だ。〈将軍〉の息がかかった陸軍の目から隠れて何かをやりたければ、海軍を噛ませるのは手だな」

「本当にそれだけか?」オーウェンの目が鋭さを増す。「実は私が話を持ち込む前に、もう話はついていたんじゃないのか? 海軍どころか、遥かにその上の」

「……油断のならない奴だったな。昔から」男は苦々しげに呟く。「たぶん、お前が思っている通りだ。上では承認済みだよ、からの」

「……女王陛下ユアマジェスティか」

「陛下は〈将軍〉の暴走をひどく憂慮なさっている。だが止める手段がない。何しろ近衛、いや切り札中の切り札であるSASからして信用できないのだからな」

〈将軍〉に汚染されている可能性を考えれば、むしろSASこそが信用できないだろう、オーウェンは頷く。国家のエリート部隊である特殊部隊は、エリート部隊だからこその過激化、カルト化を免れ得ない。

「だから独立愚連隊に等しい私たちに託すのか? それが臣民に対する親愛か?」

「嫌味を言うな。他に良い方法があればとっくにそれを選択している」

 オーウェンは重い溜め息を吐く。「わかった。ではやんごとなきお方に君から伝えてくれ。せめて邪魔をしないでいただきたい、と。全てが終わった後、酔っ払って川に落ちたなどという言い訳のついた死体にはなりたくないからな」

 踵を返したオーウェンに、男がなおも言葉を投げかける。「オーウェン、お前は本気でロンドンを救うつもりなのか? お前が戦おうとしているのは、確実に国家の一部なんだぞ」

「そのつもりだ。国家が自らの手でロンドンを滅ぼそうとするのなら」

 オーウェンは一瞬だけ足を止めたが、すぐに歩き出した。「それにその問いは、むしろ君自身に向けるべきじゃないのか? 自分はロンドンを救えるのか……とな」


【翌日、クリスマス当日の朝】

「……まあ何であれ、客が満足してくれんなら情報提供したこっちとしちゃ言うことないんだけどよ」

 一同の顔を見回して趙はもう昨日と今日で何回目になるかわからない怒声を上げた。「何だって俺の部屋でクリスマスパーティをやるんだよ!」

「いいじゃないか。今のロンドンは事実上の戒厳令状態でさ、監視が厳しすぎて他に隠れられるところがないんだ」

「俺の部屋を反政府ゲリラのアジトにするな!」

「あ、このテリーヌおいしい」

「えっ、どれどれ?」

「人の話聞けよ!」

 趙はとうとう頭を抱え込んでしまった。「もう駄目だ……これだけはやるまいと思っていた顧客情報をこいつらに渡しちまった。俺は商人失格だ……」

「龍一、そろそろ教えてもいいんじゃないかな」先ほどから水しか飲んでいないアレクセイが眉をひそめる。「ここまで協力してもらっているのに、肝心のあれについてだんまりなのは悪いよ」

「それもそうだな。俺もちょっと気がとがめてきたし。……趙さん、こんなもんお礼って言われても嬉しくないだろうけど、どっちみちロンドンでの商売は当分諦めた方がいいよ」

「何でよ?」

「もしかすると核で吹っ飛ぶかも知れないからさ」

「…………は?」

 龍一はかいつまんで説明したが、それでも趙の顔から色という色が見る見る消えていくまで数秒とかからなかった。

「俺の苦労が」彼は呆然と呟いた。「俺がこの国に足場を築くまで、どんだけ走り回って金をばらまいて木っ端役人どもに頭を下げたと……」

 オーウェンが鼻を鳴らす。「この国で一番腐った奴らを賄賂漬けにしたことを誇られてもな」

「……少々気の毒ではあるな」とフィリパ。

「商売は商売だしねー」

「まあ、恨むんならマギー・ギャングを恨んでほしいんだけどな。ロンドンを月まで吹っ飛ばそうとしてるのは俺たちじゃないし」

 まるで四肢の錆びついたロボットのような動きで趙はぎくしゃくと全身の向きを変え──そして目当てのものを見つけたらしかった。

 一同の注視をよそに、趙は普段なら口をつけるのも恐ろしくなるほどの高級ワインを音立てて嚥下した。ごっごっごっと異様な音が静まり返った室内に響く。

 やがてようやく瓶を口から離した時、彼の目の焦点は遥か北京──あるいはアマゾンの熱帯雨林あたりへと吹っ飛んでいた。

「てめえら、好きに飲んで食え! 俺のロンドン進出の夢が泡と消えたせめてもの弔いだ! ただで幸福をわけてやるぞ! 誰も不幸のまま返しやしねえええ!」

「やった、そうこなくっちゃ!」

「君は商人の鏡だよ。よし、この際だ、ル・モンラッシュも頼もう」

「それだけじゃ駄目よ。ローストチキンも頼みましょう、それも特大の!」


 翌朝、趙の部屋を訪れた掃除係はノックをしても返事がないので作法に則りドアを開けた。荒れ放題の室内と、カーペットに横たわり空の瓶を後生大事に抱き抱えて安らかに眠っている趙を見て、彼はお大尽ってのは大したもんだな、一人でここまで散らかすなんて、と呆れるより先に感心した。

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