アルビオン大火(9)探索行

【ダートムア地方、ブラック丘陵ダウンハウスの広大な原野】

 朝から龍一は不貞腐れていた。

「そら! 行け! どうどう! はいし! ゴー!」

 ──なぜなら『ワイルドバンチ』から『ホース・レンジャー』『戦火の馬』に至るまで、馬の出てくる映画で覚えたありとあらゆる掛け声を試しても、全身真っ黒なこのはまるで動かず、涼しげな顔でのんびり草を食んでいるのだ。

「まだ龍一のことをリーダーと認めてないのね」童話の中から抜け出てきたような美しい白馬に乗ったブリギッテが、微笑みながらすっと前に出て黒馬の手綱を取った。身体にぴったりした濃紺の乗馬服が、尋常でなく似合っている。

 彼女に手綱を取られた馬は大人しく従って歩き始めた。現金な奴だ。内心でますます腹が立ってきた。

「完全に舐められてるな……」

「舐めているんじゃないわ。龍一じゃなくって私をリーダーだと思っているのよ」苦く呟く龍一をブリギッテが嗜める。「さっき乗ったばかりだもの、無理もないわ。それに言ったでしょう、馬は人のそういう態度を敏感に感じ取るのよ?」

「……まあ、頭のいい生き物だってのは認める」

 頭がよすぎて言うことを聞いてくれないのが問題なのだが。

「何でえ大将、馬の扱いはイマイチかよ?」

 意外にも斑毛の馬を見事に乗りこなしているのがディロンだった。龍一よりよほど堂々と操っている。「まあ、気にすんなって。誰にでも苦手なことはあらあな」

 悪気はなくとも、余裕こいてアドバイスされるとちょっと腹が立ってくる。

「バランスがいいね。体幹がしっかりしていないと馬に乗るのは難しいはずだけど」

「へっ、パクったバイクの癖を、走りながら掴むのにゃ慣れてるからな」

「その理由はあまり感心できないかな……」

 いつもは彼に辛辣なブリギッテも認めないわけにはいかないようだった。「今日初めて馬に乗ったにしては、やるじゃない。ちょっと見直したわ」

「だろ! ブリギッテ、どうせなら俺と一緒に」

「嫌よ」

「何でだよ!? 見直したんじゃねえのかよ!?」

「見直したから余計に腹が立ったのよ。まったく」

 そういうところなんじゃないかな、とアレクセイがディロンの肩に手を置いて慰めている。

「まだ姿勢が悪いわね。揺れに合わせて自分から身体を揺らしてみて。そうそう、そんな感じよ」

「猫背だと安定しない。思い切って背筋を伸ばした方が上手くいくよ」

 などと二人から教わりながら、姿勢を変えてみる。

「おう……」

 馬の背で背筋を伸ばした瞬間、不意に視界が広がり、龍一の口からそんな歓声が漏れた。決して平坦ではないヒースの高原が地平線の彼方まで続き、そのそこかしこにひねこびた灌木がぽつぽつと植わっている。

 眺めがいいのも当然である。何しろ今乗っている馬の背中は、直立した成人ほどの高さがあるのだから。

 手綱を取ったままのブリギッテが横に並ぶ。「来てよかったでしょう?」

「うん? ああ……」

「とーめーてーくーれー!」

 素っ頓狂な悲鳴に目をやると、ディロンを乗せた斑毛の馬がすごい勢いで龍一たちの目の前を横切っていった。調子に乗って尻を叩きすぎたらしい。

「ディロンったら。あれだけ気をつけなさいって言ったのに」苦笑しながらブリギッテは馬首を巡らす。「アレクセイ、龍一をお願いね」

「お安い御用だ」

 蹴飛ばされたような勢いで走り去っていくディロンの斑毛とそれに追いすがるブリギッテを見て、龍一もまた苦笑を禁じ得なかった。「それにしても馬とは考えたな。この視界の高さなら探し物も見つけやすい。しかもそれが四人だ」

「僕や君じゃ逆立ちしても出ない発想だね」アレクセイも笑うが、その後で少し真顔になった。「しかし、彼女……本当はまず君と一緒に馬に乗ってみたくて、その後でそれらしい理由を思いついたんじゃないかな?」

「……やっぱりそう思うか?」

「思うよ。どう見ても普段の倍くらい上機嫌じゃないか」

 確かに……と龍一は思う。いくら週末でカレッジが休みでも、いや貴重な休日を費やしてまで探索を行う彼女の意気込みが痛いほどに伝わってくる。もちろん龍一たちにとって彼女の乗り気は好都合なのだが、それにしても。


【数時間ほど前】

「……なあブリギッテ、ここでいいんだよな?」

「そうよ。ここが当面の目的地」

 龍一たちが連れてこられたのは、広大な牧場だった。まばらに草が生えた敷地の中で、さまざまな毛色の馬たちがのんびりと草を食んでいる。

「こっからまだ先があんのかよ……」ディロンはまだ目が覚め切っていないらしく、しきりとあくびをしている。「日の出前からさんざん電車に揺られまくって、それからたっぷり一山分は歩いたってのに……これじゃ着く前に日が暮れっちまうぞ」

「気持ちはわかるけど、私たちの目的は探し物なのよ。明るいうちに目的を果たして、今日中にロンドンへ帰りたいでしょう?」

「そ、そりゃそうだけどよお……」

「何ならあなた一人でロンドンへ帰ってもいいのよ。帰りの電車の中でたっぷり寝られるじゃない」

「勘弁してくれよ! あんたらを見張ってなかったら殺されちまうって言っただろう!」

「だったら眠いくらい我慢しなさい」

 本当にどちらが年上かわからない。

「マシューおじさん! いるんでしょう?」

「……おお、ブリギッテお嬢様、よく来なすったあ!」

 出迎えたのはあちこちがほつれた作業服を着た、龍一の腰ほどもないほど小柄な老人だった。ただし、足取りは相当にしっかりしている。

「マシューおじさんは父の古い知人なの。牧場のついでに、夏の間は別荘の管理人も兼ねているから思い出したのよ」

 龍一とディロンは思わず顔を見合わせる。「別荘だって」

「なーんか世界が違うよなあ……」

「おじさん、この人たちが話した友達よ。長い距離を移動するから、できる限り良い馬を貸してほしいの」

「おお、聞きしに勝るごついあんちゃんたちだあ」老人は龍一たちを観察した後からから笑い出した。「下手な馬ならすぐに潰れっちまいそうだ。ようがす、うちでもとびっきりの良い馬をお貸ししやすよ。待っててくんなせえ!」

 龍一は瞬きした。「ちょっと待ってくれよ。馬って……あの馬か?」

「ええ、たぶんあなたが考えているのと同じ馬よ」

 そうこうしているうちにマシュー老人が手綱を引いて馬を連れてきた。いずれも堂々とした体躯だ。

「観光シーズンから少し外れてはいるけど、それにしてもついているわ。一人につき一頭借りられるなんて」

 ディロンは今まで見たこともないほど目を真ん丸くしている。「お、俺もこれに乗っていいのかよ!?」

「もちろんよ。あなた一人だけ仲間外れにできるわけないでしょう。どうしても徒歩で着いて来たいのなら別だけど」

 彼は感激のあまり天に登らんばかりだった。「じ、じゃあよブリギッテ! どうせなら俺と一緒に」

「嫌よ」

「まだ最後まで言ってないだろ!?」

「最後まで聞かなくてもわかるわよ。あなた全身の毛穴から下心が滲み出ているんだもの」

 そういうところだぞ、と龍一は内心で思った。

 ブリギッテはまるで童話の中から抜け出してきたような美しい白馬。アレクセイは見事な栗毛。ディロンは白と茶の入り混じった斑毛。そして龍一の馬は……。

「……これ?」

「ちょっと、馬に向かって『これ』はないでしょう。馬はそういう人の感情を敏感に感じ取りますからね? あなたが馬を馬鹿にしたら、馬の方でもあなたを嘲るのよ?」

「ごめん……いやそれにしても……」

 全身真っ黒の堂々とした体躯は他の馬に勝るとも劣らなかったが、何だかこいつだけは妙にずんぐりしている。足も不格好なほどに太い。たくましい、力強いよりも「ふてぶてしい」と呼んだ方がしっくりくる姿だ。

 龍一が目の前の馬を見ると、馬の方でも黒々とした目で龍一を見返した。どうもこっちが値踏みされている気分になってくる。いや、実際そうなのかも知れない。

「何だい、自分の馬だけ不細工だってがっかりしてんのかい、あんちゃん? 人だって馬だって見かけで決めつけちゃいけねえや。こいつはうちでも、他のどの馬にも負けない名馬だあ!」龍一の顔を見て、マシュー老人はからからと笑った。「山だって谷だって、こいつにかかっちゃないも同然さね!」

「それに龍一の体格じゃ、並の馬だとすぐに息が上がってしまうわ。このくらい頑丈な馬でちょうどいいんじゃない?」

 そう言われると乗る前から先入観を持つのもよろしくないと思えてくる。

「よ、よろしくな……」

 龍一の作り笑いなど見透かしたように、全身真っ黒のはぷいと横を向いてしまった。しかもついでに鼻で「ぶひん」といなないている。

「……おい! こいつ今、俺のことを鼻で笑ったぞ!」

「龍一……馬は鼻で呼吸するものだよ」

「いや今確かにフンて鼻で笑ったって! フンて!」

「龍一……」

 堪え切れずにブリギッテが噴き出し、マシューが大口を開けて笑い出した。ディロンなどは文字通り腹を抱えており、アレクセイまで口元を歪ませている。龍一の苦り切った顔を見て、一同の笑いはさらに大きくなった。

「いや、こりゃ愉快な御一行だあ」マシュー老人はようやく笑い止んだが、笑いすぎて目の端の涙を拭っている。「いい旅行になりますよ、ブリギッテお嬢様」


 上空に薄く綿毛のような雲がたなびいている以外は、素晴らしい晴れの空だった。

「おーい、せめて真っ直ぐに歩いてくれよ……」

 さっきから龍一は手綱を操り悪戦苦闘だ。草を食みながら梃子でも動かない、という状態は脱したものの、少しでも手綱を緩めるとすぐあらぬ方向へと歩き出してしまう。正直、景色を楽しむどころではない。

「まだあなたをリーダーと認めてないのね」ブリギッテはくすくす笑っている。ちょっと上機嫌すぎやしないかと思えるほどだ。「さっきに比べれば姿勢もずっとよくなったわ。ほら、私の後についてきて」

「助かる……」まるで母親の手拍子に合わせて歩く赤ん坊だが、この際恥ずかしさはうっちゃるしかない。

 どうにかのったのったと歩き始める龍一の馬に、ディロンが足並みを合わせてくる。「なあ、あんた。一つ聞きたいんだけどさ」

 珍しく真剣な表情に龍一もやや緊張する。「どうした、改まって」

「ブリギッテ……さんってさ、その、男とかいるのかな?」

「はあ?」もう少しで馬からずり落ちるところだった。あのなあ、俺が今、必死で何をやってると思ってるんだ?

「なあ、その辺どうなんだよ?」龍一の困惑をディロンはまるで察してくれない。そういうところだぞ。

「いや……いないんじゃないかな」何しろ良家の子女だし、本人の性格からして怪しげな男に入れ上げて将来を台無しにするタイプにも見えない──どころか、下手な男なら敬遠して近寄ってこなくなるタイプだ。そう考えると彼女が自分たちとつるんでいる理由が余計にわからなくなるのだが。

 たちまちディロンは喜色満面になった。「じ、じゃあ、俺にもチャンスはあるってことだな!」

「ああ……まあ……頑張ってな」龍一は乾いた笑いを浮かべるしかない。頑張っても無駄かもしれないけどな、とは言わなかった。

 十数メートル先の馬上からブリギッテがこちらに手を振っている。「みんな、お疲れ様ー! いい時間だから、あの丘を越えたところでお昼にしましょう!」

「昼だってよ! 今行くぜ!」

 たちまちディロンは龍一を尻目に走り去ってしまった。走っていった先でブリギッテにあなただけ真っ先に来ても仕方ないでしょう、龍一たちも待ちなさいよと叱られている。

「……今までの龍一とブリギッテのやりとりを見てああ言えるんなら、彼もなかなかの強者だね」

 苦笑を禁じ得ないアレクセイの視線を受けて、龍一の疲労感はさらに増した。「意地悪を言うなよ……別にあいつは敵じゃないんだから」

 龍一のさほど多くない人生経験から考えても、色惚けした奴に何を言っても無駄である。

「味方でもないけどね」

「それはそうなんだが。夢を見るくらいなら自由だろ」かなうかどうかはともかく。

「否認、という言葉を思い出したけど、僕の気のせいかな」

「だから意地悪を言うなって……」

 龍一たちの会話に、馬まで心なしか馬鹿馬鹿しそうな顔をしている。いや、最初から興味はないのかも知れない。

 全く俺は、いや俺たちは何をしているんだろうな?

「こうも空が高いと、何だか気分も違うなあ。俺、よく考えたらロンドンから外へ出るのガキの頃以来だよ」珍しくディロンがしみじみとした声を上げる。「昔はポーツマスにいたんだけどよ、親父がくたばって、仕方なくお袋や妹と一緒にロンドンへ越してきたんだ。港沿いでいっつも潮の臭いがして、おまけにいっつも気の滅入るような曇り空でよお。都会なら少しはマシかと思ったら、人が多いのと潮の臭いがしないだけで全然違わなかったからがっかりしたぜ」

「あの刑事さんも、元はスコットランド出身だったわね」ブリギッテが考え込む。「元からロンドンに住んでいる人って、意外に少ないのね……」

「そりゃそうだ。なんせロンドンだけがイングランドじゃないからな」

「まさかあなたに諭されるとは思わなかったけど……その通りね」

「だろ? だからブリギッテ、俺と」

「嫌よ」

「そこは頑なに変えねえのかよ!?」

「変える必要がないからよ。呆れた人」

 しかしその諦めの悪さだけは大したもんだと思う。

「それにしても、さっきから蝿がすごいな……」

「生き物だものね。鞍に霧吹きが括りつけてあるでしょう? 虫除けになるから、時々吹きつけてやって」

「こうか?」

 二、三吹きほどしてやると、心なしか馬が気持ち良さそうだ。

「そうそう。それと、馬があなたの言うことを聞いたら、必ず馬の首を手で叩いて褒めてやって。こんなふうに」ブリギッテが手袋を嵌めた手で白馬の首を叩く。なかなか良い音が響いた。

「……痛くないのかな?」

 あなたが力一杯叩いたらもちろん痛いわよ、とブリギッテは笑う。「馬の皮膚はかなり分厚いから、軽く叩くくらいなら大丈夫。そうすると馬の方でも『ああ、これでいいんだな』って学んでいくの。あなたが馬に慣れていくのと同様、馬の方でもあなたに慣れていくのよ。あなたが心を込めれば込めた分だけ、馬の方でもそれに応えてくれるの」

「なるほどね。人が馬に夢中になる理由がちょっとわかったような気がしてきたよ」

「素敵でしょう? 馬はとても力強くて、それに繊細な生き物なの。……少し、龍一に似ているかな?」

 彼女の丁寧に編み込んだ髪の後れ毛が微風に揺れ、陽光で輝く。

「……うん?」

「冗談よ」ブリギッテはやや上目遣いで、小さく舌を出した。内心でどぎまぎせざるを得ない──初めて出会った頃、弓矢を手に追いかけ回された時とは大違いだ。それだけ心を許してくれたのだろうが、それにしても。

 目標の丘を越えたところで、休憩も兼ねて全員で食事を摂ることになった。アレクセイが温かい飲み物の入ったポットを出す一方、ブリギッテは用意してきたサンドイッチをバスケットから取り出す。

「これ……君が作ったのか?」

「普通よ。そんなに凝った作り方はしてないわ」

 一口齧って、龍一は唸った。野菜のカットといい、マヨネーズやマスタードの配合といい、申し分ない。

「いや、本当にうまいよこれ」

 ディロンは感激のあまり食べる目が虚ろになっている。「すげえ……こりゃあ金取れる美味さだあ……」

「そんな凝ったものじゃないって言っているのに……」

 と言いつつ、彼女もまんざらではなさそうな顔だ。

「あ! じゃあよブリギッテ、食い終わった後で俺と一緒に」

「嫌よ」

「だからなんで全部言わせてくれねえんだよ!?」

「全部聞く必要もないからよ。懲りない人ね」

 そういうところだからな、と言いながら龍一はアレクセイと二人でディロンの肩に手を置く。

 皆が休んでいる間に、馬はその辺の草をもぐもぐやっていた。歩くのと同じぐらい熱心に食べている。

「なあ、こうもぐもぐしているついでに、うっかり毒草とか食ったりしないのか?」

「ああ、それなら大丈夫よ。この辺りには馬の毒になるような草は生えていないし、生えていても食べないもの」

 なるほどな、と龍一は感心した。やはり頭のいい生き物だ。

 ふと、龍一はここに夏姫がいてくれたらどんなに嬉しいだろう、と思わずにいられなかった。かつて龍一と夏姫の命をつけ狙ったアレクセイが、今では頼もしい相棒だと知ったら彼女はどんな顔をするだろう。彼女も馬に乗ったらさぞかしはしゃぐに違いない。広大な青空とヒースの荒原の下で、彼女はどんな顔になるだろう?

「どうしたの、龍一? 今、少し……」

「何でもないよ」首を振るしかなかった。アレクセイがこちらの心情を察しながらも、黙っていてくれるのには感謝しかなかった。


【同じ頃──ブラックダウンハウス上空、数百メートル】

「どうだ、何かセンサーに反応はあったか?」

「今のところは何も……大体、このヘリ搭載のセンサーでこの高度からじゃ、人間と兎の識別だって困難ですよ」

 パイロットの返事に〈猟兵〉はかろうじて舌打ちを堪えた。そもそも、このヘリからして〈将軍〉からの借り物である。あまり文句も言えない。

「……まあいい。連中の行き先はわかっている。道中での襲撃は諦め、先回りするぞ」彼は後方を飛ぶ残り二機のヘリに目をやる。「このためにスケジュールを前倒しにしたんだ。今度こそ仕留めてやる」


 ──上空をヘリが通り過ぎると、カムフラージュマットの下に隠れていた龍一たちは偽装を解いた。

「よしよし、よく我慢できたな。えらいぞ」教わった通りに黒馬の首を叩いてやったが、馬はと鼻で返事をした。ブリギッテはディロンに当たりが強いが、馬はどうも俺だけに当たりが強い。

「変だな。紛争地帯でもないのにヘリ三機が編隊組んで飛行か?」

「イギリス軍が偵察に使うアグスタに似ているけど、細部が少し違うな」アレクセイが望遠鏡を下ろす。「パトロールにしては大袈裟すぎる。ただの侵入者対策ならドローンで充分だろうに」

 龍一は頷く。「ヘリって燃料食うんだろ? 軍なら余計に予算だのコストだの気にするはずだ。やっぱり只事じゃないな」

 ブリギッテが手綱を改めて握り直した。「あまりのんびりしてられないわね。急ぎましょう」

 やがて一行の馬の行手に、川が現れる。川と言っても深さはそれほどでもない、馬が歩いて渡れる程度の川だ。そしてその向こう岸に何かが、明らかに人工物らしき何かが点在している。

「航空写真からだと、この地域で流れる川はこの一本だけみたいだ」

「行くわよ。向こう岸へ渡って、河沿いに進みましょう」ブリギッテは率先して馬をざぶざぶと流れに分け入らせる。見ている方がはらはらしそうな思い切りの良さだ。

 瞬く間に白馬は川を渡り終えてしまい、向こう岸から彼女が手を振る。「いいわ。急な深みもないようだし、こっちへ来て!」

「……手助けは必要なかったな」

 ディロンは当てが外れた顔をしている。「流されそうになったら、俺が颯爽と助けるつもりだったのによ……」

「初めから彼女の危機を期待するのもどうなのかな?」

 あまり正直すぎるのも考えもんだな、と龍一は思った。

 一行が渡り終えると、ブリギッテは興奮気味に近寄ってきた。「見て! これは……あの写真のあの場所じゃない?」

 彼女の取り出した写真を見て龍一は唸る。荒れたヒースの荒野、遥か彼方の山脈、そして朽ちた教会とその周囲の建物がほぼ一致している。

 ブリギッテは驚嘆を隠し切れない様子だった。「信じられないわ……この辺りだけまるで時間が停まっているみたい」

「ジェレミーが見つけた後か、下手するとその前からずっとこんなじゃないかな。国防省の敷地になった時も、ただ周りにフェンスを立てただけみたいだからね」

「ありえる話だな……」

 そこらへんの廃屋を覗き込んだディロンが舌打ちする。「シケてるどころか、シケまくってんな。この様子じゃ、金目のものなんかありそうにねえよ」

「金目のものがあっても持っていったら駄目だろ……」

 あなたそういうところよ、とさっそくディロンに説教を始めているブリギッテを横目に、龍一は目当ての教会を探した。それはすぐに見つかった──どころか、探す必要もなかった。

 壁は剥がれ、漆喰も崩れ落ち、値打ちあるものなど何一つない朽ちた教会の地下聖堂への入り口はすぐに見つかった。意外に真新しい南京錠は、龍一が針金を差し込むとあっさりと開いた。

「油が差してあるな」

「定期的に出入りしていたのかも知れない。入ってみよう」

 先ほどのヘリを警戒して、馬は建物の中に入れておくことにした。本当に降りてこられたらどうしようもないのだが、それは賭けだ。

 狭い階段を降りた先の地下聖堂は──少なくとも地上部分よりは、遥かに見応えがあった。壁は石造りで全体的にひんやりとしており、湿気も少ない。

 壁際にはグリーンに塗装された鋼鉄製のケースが幾つも並んでおり、壁の注意書きによれば、中身は全て銃や手榴弾、小型無線機や起爆装置、地雷の類だとある。

 試しに一つをこじ開けてみると、精確に分けられたいくつもの仕切りの中に小さな部品が何十と収まっていた。銃や手榴弾はともかく、これらの部品は大量のスペアがあり、複雑な構造でもない。充分に使えそうだ。

「……俺、そのジェレミーってやつの気持ちがちょっとわかってきたぜ」ディロンは感心しきりといった顔で頷いている。「ガキの頃にこんな宝の山を見つけたら、てめえだけで独り占めして、他の誰にも教えてやるもんかって気分にならあな。よっぽど仲の良いダチ公以外にはよ」

 俗っぽいがその分同意しやすい意見だ、と龍一は思う。

 しっ、とアレクセイが口の前に指を当てる。「今、何か音がした」

「お、脅かすなよ……くだらねえホラー映画じゃあるまいし、こんな地下の穴ぼこに何かいるわけないだろ」

 早くもすくみ上がっているディロンを尻目に、ブリギッテは早くもあの複合弓を背から下ろして構える。「誰かいるのはわかっているのよ。出てきなさい」

 龍一も身構えるが、一番最初に気づいたアレクセイは眉をひそめる。「何だこの気配は……敵意はないが、こんな人間がいるのか?」

 果たして、暗がりから何かが歩み出てきた──妙に滑らかな動きで。

 ドラム缶のような円筒形のボディ、多関節からなるフレキシブルなマニピュレーター、胸のタッチパネルと頭部のモニター。学園・保育園などで児童の情緒教育に用いる育児用ロボットだ。

 頭部のモニターが点灯し、あっけに取られているブリギッテたちに向けて太い横棒数本で抽象化された笑顔らしきものを作り出した。『識別完了。当施設の児童を確認──

 スピーカーから男とも女ともつかない、柔らかな電子合成音。『私はアテナテクニカ社謹製育児・情緒教育用ロボット〈乳母ナニー〉タイプ。小さいブリギッテ、あなたの音声を認識したことで節電機能から復帰しました。ただし、ネットからは切断されているためスタンドアローン状態です』

 呼びかけられて、彼女は思わず構えた複合弓を下ろしてしまった。「私を……知っているの?」

『はい。あなたは小さなブリギッテです。は一緒ではなかったのですか?』

「も、もしかしてそれは……」ブリギッテはあの二人の少女が映った写真を示す。「この子と、私のことなの?」

 軽快な電子音とともに顔のモニターが「◯」を表示する。『はい。私たちはあなたと彼女を「大きなブリギッテ」「小さなブリギッテ」と呼んで区別していました。あなたがたがそれ以外の名乗りを望まなかったからです』

「〈コービン〉のことは知っているの? 誰のことだかわかる?」

『〈コービン〉……ジェレミー・ブラウンの本名ですね? はい。彼とあなた、それに大きなブリギッテは一時期ここで暮らしていました』

 よく見るとロボットの表面はあちこちに汚れとへこみが目立つ。相当以前から活動しているようだ。

 動揺のあまり、ブリギッテは複合弓を取り落としそうになった。「私が……彼と彼女と……あなたとここで、暮らしていた?」

 呆気に取られたのは龍一たちも同様だった。ディロンなどは驚きのあまり、蛸のように口を尖らせている。ジェレミーの過去を探ることは、ブリギッテの過去を探ることに繋がる、そう薄々と予想はしていた。だが、ここまで直接的な物証が得られるとは。

 モニターの表情が切り替わり、口元が「へ」の字になる。『ゲスト以外の不審者を確認。排除あるいは治安当局への通報を推奨します』

「おい、やけに物騒なことを言い出したぞ」

「なんかこのロボット、ブリギッテ以外への当たり強くねえか?」

「この人たちは不審者じゃないわ。私の、ええと……友達として扱って」

『……………………………………了解しました。「小さなブリギッテ」に加え、「その他ゲスト3名」を登録しました』

「了解までに妙な間が開いたな。えらく渋ってないか?」

「ロボットにしては微妙に自己主張が激しいね……」

 露骨に対応の差が出てくるので、結局ブリギッテが率先して質問する。「もう一度確認するわね。ええと、それじゃ、あなたをここに配置したのはジェレミーなの?」

『はい。もしあなた、「小さなブリギッテ」が成長してここを訪ねてきたら、これを渡すようにと」

 ロボットのマニピュレーターが収納スペースから一冊のバインダー式ファイルを取り出す。書類だけでなく写真まで挟み込まれているらしく、かなり分厚い。

「そうだ、このタイプのロボットには3Dプロジェクション機能もあったわね。そこの壁にこのファイルをスキャンして、全部を投影できる?」

『可能です。ちなみにスキャンの必要はありません。もうしてありますので』

 それと同時に、施設の壁全体が投影されたファイルで埋め尽くされる。

「何で先にそれを言わねえんだよ!」

『聞かれなかったからです』ディロンへの返答が冷たい。やっぱり妙なところで我の強いロボットだ。

「これなら全員で閲覧できる。手がかりを探そう」

「何かの研究の報告書と、子供の日記がごちゃ混ぜになっているのか。ばらばらの書類を手当たり次第にかき集めてきたのかもな」

 ディロンが顔をしかめる。「何かの計算式と、専門用語と、わけわかんねえ図面と、書いた奴の覚え書きまで混じってるぞ。読んでるだけで頭ん中に悪魔が入ってくらあ」

 ブリギッテが目敏く一点に目を留める。「これは……ブロジェクトの責任者名かしら。トウコ・シラキ……名前からすると日本人みたい。龍一、どう思う?」

 だが、龍一はブリギッテの疑問に答えるどころではなかった。「これは一体……何の冗談なんだ?」

 龍一の顔色に気づいたブリギッテがぎょっとする。「どうしたの、龍一? 幽霊でも見たような顔よ」

「幽霊ならまだいい……」龍一はかぶりを振るのが精一杯だった。「?」

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