南海の蠱毒(3)火宴
深夜も近いのに──いや、だからこそか〈緑の目の令嬢〉亭には大勢の島民が詰めかけていた。おそらく今の時間、〈海賊の楽園〉のどの飲食店もこんな調子だろう。今夜は新月の晩、〈奔流〉が間もなく始まるからだ。食事に加えて酒も振る舞われており、歌ったり踊ったりしている者、オッズについて激論している者、激論が高じて殴り合い一歩手前の者も珍しくはない。
アイシャは店の一角に陣取り、黙々とビールを瓶で呷っていた。彼女も既にこの島でそれなりの位置を占めており、また今日はやけに不機嫌そうでもあった。血の気の多そうな男たちですら声をかけづらい雰囲気だ。
ドアが開き、パオラがいつもの静かな足取りで入ってきた。黙ってアイシャの傍らに座り、給仕の娘にコーラ瓶を注文する。
「……私たちを襲ったあの
「フリーの傭兵であることはわかった。誰に雇われたかまではわからない」直前まで調査をしていたのだろう。パオラの声色は静かだったが、徒労感が隠し切れていなかった。「東欧・中東・アフリカと国籍もばらばら。思想的背景も特に偏向はなし──つまり殺せと言われれば殺し、壊せと言われればそうする、どこにでもいるごろつきどもだ。一流からは程遠いが、素人とも言い難い」
「〈代理人〉の線からは追えた?」
「途切れた。子請け孫請け、いやそれ以上を噛ませている可能性もあるし、そもそも背後を辿れなくするための〈代理人〉だ。お手上げだな」
「私たちを殺すつもりだったのか、単なる警告か、それすらもわからずじまいってわけね」
「ああ。だが一つだけわかったことがある。奴らへの送金記録はほんの一週間ほど前──そう、あの二人を島に運んだ日だ」
アイシャの目の奥で何かが瞬いた。「偶然にしちゃおかしな話ね」
「彼らの入島を知って即座にパートタイムの殺し屋どもを雇い、私たちを襲わせた」
「そして〈代理人〉を幾人も介して送金ルートを辿れなくする用心深さ……〈
「そうだ。これほど先の先を読める〈設計者〉なら、凄腕どころか
「……気に入らないわね。私たちの頭上で、知らない誰かが高笑いしてるってのは」
「『人は企み、そして神はお笑いになる』とは言ったものだ」パオラは給仕の娘からコーラの瓶を受け取る。「そろそろ始まるな」
島民たちはスマートフォンの画面へ釘付けになっているが、店の一角にも中古の液晶テレビが据え付けられている。その画面が切り替わり、黒い鉛のような海面を映し出した。
月のない夜の底、龍一は舷側に打ち寄せる波の音を聞きながら、他の参加者たちととともに耐熱・対赤外線シートの下で息をひそめていた。船自体は改造漁船に毛が生えた程度の代物だが、性能──今夜の「標的」に近づくための性能に不足はない。
「へへ……お前、びびってんだろ?」腹這いに近い格好の龍一に、同じく腹這いに近い格好の小男がにやつきながら話しかけてきた。確か皆からザジと呼ばれているジャマイカ人だ。「隠したってわかるぜ……何しろ初参加なんだからな」
そういう小男の顔面には明らかに暑さのためではない大粒の汗がびっしりと浮かんでおり、龍一はまああんたほどじゃないけどな、と言いたくなるのを我慢した。「緊張はしてるな」
「へっ、余裕かましてられるのも今のうちだぜ」ザジはせせら笑ったが、どう見ても顔が強張っているのであまり腹は立たなかった。「難しいことをやるわけじゃねえ。乗り込んで、ぶっ放して、掴めるものを掴むだけ掴んでおさらばすりゃいいんだ。ま、せいぜい俺様の足を引っ張らねえこったな」
傍らでやはり腹這いになっていたアレクセイが、このお兄さん腕の一本も落としたら黙ってくれるかな、と言わんばかりの目つきになったので龍一は目だけで制した。
「さっきからうるせえぞ、ザジ! てめえがびびってるからって新入りを脅すんじゃねえ!」
「び、びびってなんかねえぞ! これから働く蛮行を考えて胸踊ってるだけだ! なあペック!」他の参加者に悪態を突かれてザジは言い返し、ついでに相棒らしき白人の大男に同意を求める。ペックはうっそりと頷いたが、あまり同意しているようには見えない。
「そろそろ静かにしろ、本格的に
なるほど、参加者の顔ぶれを見ても道端の物売りや漁師、職人のはずの男たちも少なからず混じっている。そもそも元々の島民と、〈黒王子〉についてきた海賊たちと、そして政変から逃れてきた難民たちの境目が極めて曖昧なのだ、と龍一もようやく気づき始めたところだ。
そして龍一とアレクセイの参加も拍子抜けするほど呆気なく認められた(受付の男は極めて事務的に書類を受け取り、バインダーに挟んで『次』以上のことを言わなかった)。早い話この〈奔流〉には、島にいる者なら誰でも参加できるようだった。
もちろん、その競技の内容と言えば……。
『所属不明船舶へ、こちらは貨物船ノヴァク号』誰かが持ち込んだ無線が耳障りな雑音混じりの音声を吐き出す。『貴船は本線の予定航路に近づきつつある。所属と目的を教えられたし』
貨物船からの無線は困惑を隠し切れていない。まあ、近づく他船に自動火器をぶっ放すようなメンタリティの持ち主では船長は務まらないだろう。
『ノヴァク号へ、こちらはインドネシア船籍のブルーホエール号。航海中にスクリューを破損、現在漂流状態にあり』
『ノヴァクよりブルーホエールへ。そのような名称の船舶は確認されていない』こちらの嘘の解答(もちろん嘘に決まっている)を信じてはいないが、嘘だと断言もできないでいる。だから現状は警告しかできない。
当然ではある。昨今の貨物船に据えられた防衛システムがどれほど自動化されていても、最終的には人間のゴーサインを待たなければならない。セキュリティ機器のメーカーも開発者も、無人兵器が無関係の人間を傷つけた際の責任などという厄介な裁判の中心になりたくはないからだ。
それこそが龍一たちの付け入る隙なのだが。
「ウェアラブルカメラが作動しているかどうかチェックしておけよ。これはショーなんだ。撮れていなかったら失格扱いだからな?」
ダニーの声に従い、龍一を含む全員が左肩部のマウントに装着したウェアラブルカメラをチェックする。同時大量注文された安物らしいが、動作は問題ないようだ。
それにしても海賊のブロードキャストとはね……龍一は密かに唇を舐めた。裏社会限定とは言え、自分の海賊行為が全世界にリアルタイム動画として発信されてしまうのはなかなか複雑ではある。いちおう龍一はシュマグ、アレクセイはバラクラバ帽で顔のほとんどを覆ってはいるのだが。
「初参加者もいるからもう一度確認しておくぞ。乗組員を殺した奴は失格! 地上の視聴者と結託してイカサマを行った奴は失格! その他、違反行為で他の参加者を出し抜こうとした奴は失格だ! 特にリュウ、一度海に落ちた奴は失格だからな! お前は特に気をつけろよ!」
「うるさいな……」
ダニーにつられて、周囲の者が忍び笑いを漏らす。まったく、こうもしつこく擦られるとは思わなかった。もっとも龍一たちの参加に、特に悪意を持たれていないのはありがたくはある。背後から撃たれたらたまったものではない。
「……しかし、君がこの話に乗ってくるとは思わなかったな。正直、反対されると思っていたんだが」
龍一はアレクセイに小声で話しかける。そう、龍一の予想に反して〈奔流〉への参加について彼は一才の異を唱えなかったのだ。
アレクセイは微笑を返す。「案外、搦め手で行くよりも正攻法でぶつかった方が道が開けるのかも知れないと思ってね。実際に、君の一見無茶苦茶なやり方で思いも寄らない突破口が開けたことは何度もある」
「結果論だと思うがな……」そう褒められるとくすぐったくはある。「いざとなれば潜入って手もあるし」
潜入とはもちろん〈黒王子〉の寝ぐらに直接忍び込んで〈白狼〉との繋がりを調べる、という意味である。確実性が低い分最後の手段にしよう、とはアレクセイと相談して結論を出したが。
「それに……もしかしたらあの〈黒王子〉、僕が思っていた以上に厄介な相手かも知れない。正確にはその背後にいる存在、かな」
「へえ……?」
「後で話すよ」アレクセイには何か思うところがあるらしい。
「初参加者には特典として装備品はただで貸与する。競技である以上、フェアじゃないとな」ダニーが笑いかけてくるが、すぐに眉根を下げた。「それにしてもリュウ、本当に工具類と『それ』だけでいいのか? 中古のAKくらいならただでレンタルできるんだぜ」
ダニーが言っているのは、龍一の背に背負われた一メートルを越える鉄棒のことだ。約180センチ──六尺棒と同じ長さの鉄棒。
「ああ。どうも銃の扱いは得意じゃなくてな。それに揺れる甲板の上じゃ、自分の足を撃ちかねない」
「へっ、若えってのは怖さを知らねえよな。俺くらいになっちまうと、はったりでもあんなことはできねえってのによ。なあペック!」
ザジが性懲りもなくペックに同意を求めるが、肝心の相棒は面倒臭そうに唸っただけである。余計なお世話かも知れないがあの二人本当は仲が悪いじゃないか、と龍一はちょっと疑い始めた。
そうしている間にも、いよいよ貨物船との距離は縮まりつつある。
『ブルーホエール、このままでは衝突するぞ。こちらからの回避行動は間に合わない……!』
『ちょっと待ってくれ、応急処置で今……』
事情を知るこちらからすれば猿芝居もいいところのやり取りの間、両船の間隔はもはや回避不能なまでに接近していた。ダニーが低く呟く。
「カウント始めろ。10秒前……5秒前!」
貨物船が耳をつんざく大音量で警笛を鳴らす。だが、もう遅い。
「偽装解けぇ!」
参加者たちが一斉にシートを引っぺがし、目の前の壁──貨物船の船舶に向けワイヤーガンを構える。
軽く、頑丈で、信頼性の高いワイヤーガンは特殊作戦で、そして海賊行為で使わない理由がないほどのものだ。たちまち数十本ものワイヤーが射出される。龍一も負けじと放つ。船の手摺に絡ませるつもりだった狙い自体は外れたが、内蔵された電磁石が作動、確かな手応えが伝わってくる。龍一の全体重をかけてもびくともしない頼もしさだ。
「突入!」
ダニーの号令下、海賊たちは腹の底から、あるいはやけ気味に雄叫びを上げて改造漁船の甲板を蹴った。
「おー、始まった始まったー」タブレット端末を覗き込んでいたアイシャが歓声を上げる。「うっわそれにしてもよく動くわねー」
「それはそうだろう。参加者にとっては生死がかかってるんだからな」スマートフォンを覗き込みながらパオラが答える。店内でも他の客たちが自分のスマートフォンやタブレットを見ながら、あるいは店の液晶テレビを見ながら自分が賭けた選手に声援や罵声を飛ばし始めた。
「あ、やっぱパオラ、あの兄ちゃんに賭けたんだー」傍らからパオラのタブレット画面を覗いたアイシャがにやつく。「なかなか目が高いじゃーん」
「しっかりしてくれ、私たちの監視対象なんだぞ。注目しないでどうするんだ……そう言うアイシャは誰に?」
「もち、アレクセイ」アイシャが笑って画面を見せる。「なんてったって、腐っても元〈ヒュプノス〉だもんねー。賭けない手はないわー」
「……アイシャはこの〈奔流〉をどう思っているんだ?」
「頭のいいやり方だと思うわー」パオラの目つきに気づき、アイシャはやや表情を改める。「この島の生い立ちを考えたら無理ないわねー。血の気の多い荒くれたちのガス抜きになるし、動画はダークネット経由で島の外に流れて外貨獲得にもなるしー。犯罪者の中では頭のいい部類に入ると思うわよ、〈黒王子〉はさー」
「それだ」パオラの目が鋭さを増す。「私の考える『頭のいい犯罪者』が、わずかな人と警備ロボットを積んだ貨物船を襲うだけで満足できるとは、とても思えないんだ」
貨物船ノヴァク号のクルーたちにしてみれば悪夢そのものの光景だっただろう。こちらへ向けて接近してくる船が消えたと思ったら、人相の悪い男たちを満載したぼろぼろの改造漁船群に取り囲まれていたのだから。
つぎはぎだらけのパラポラアンテナを船体に据えている漁船は、ジャミングを行い無線通信を妨害するハッキング班の専用船だ。
そしてもちろん、貨物船側が衝撃から立ち直るのを待つほど親切な男たちではない。何人かは不運にも足を滑らせ、あるいはワイヤーから手を離してしまい海中へ落下したが、大半の者は無事に手摺を乗り越えて甲板へ降り立った。
『ジャミング開始! 無線通信及び警備ドローンの操作帯域無効化に成功!』
「自動砲塔から優先して壊せ! ジャミングは長くは持たないぞ!」貨物船の甲板へ着地したダニーが腹の底まで響く声を上げる。さっそく数人が反応し、古ぼけた貨物船にあまりそぐわない新品の自動砲塔──後から無理やり取り付けたのだろう──に罵声とともに銃弾を浴びせ、あるいはハンマーや鉄棒で殴りつける。軽機銃と暴徒鎮圧用の音響発生装置がセットになった自動砲塔も、ジャミングで狂わされた上に多数へ接近されたのではどうしようもない。打ち壊されてたちまち鉄屑と化す。
「コンテナをこじ開けろ! 誰かトーチ持ってこい!」
「いや操舵室だ! 先にブリッジを制圧するんだ!」
当面のセキュリティを制圧した海賊たちはここで二手に分かれる。コンテナの積荷を奪うか、それとも船内の金品を掠奪するかだ。ダニーもここはそれぞれに任せるつもりなのか、特に号令は発さない。
「……龍一、僕らはちょっと出遅れたみたいだけどどうする?」
「海の上だとやっぱり勝手が違うな……」龍一はようやくワイヤーを昇り終え、甲板に足をつけることができた。陸での強盗稼業はともかく、海賊行為については新入生からやり直すつもりでいた方がよさそうだ。「ブリッジへ行こう。コンテナだと開けるまで中身もわからないし、壊すのに時間がかかりそうだ。ブリッジの方がまだ検討がつきそうだしな」
「同感だ。それにしても、君もそれなりに海賊の思考が身についてきたみたいじゃないか」
「そうかなあ……」
ブリッジに続く廊下まで走ると、他の参加者たちの背中が目に入った。銃を構えてはいるが、中に入ろうとはしない。
「どうした!」
「立て篭もられた」ダニーが黒い顔に苦々しい表情を浮かべて言う。「こういうことになるから、さっさとブリッジを制圧したかったんだが」
確かに、ブリッジへのドア前には船員たちの手でバリケードが築かれ、強張った表情の船員たちが護身用の拳銃を数丁こちらに向けていた。廊下が狭いので大の大人がどんなに無理しても、二人通るのがせいぜいの広さだった。守るに易く、攻めるに難い状況だ。
「発煙弾みたいなもので燻り出せないのか?」
「距離がありすぎて、投擲前に狙い撃ちされる。実際に何人かやられた」
廊下に転々と散らばっている血痕はどうやらそれらしい。「まずいぞ……あまり時間をかけすぎるとジャミングも保たなくなる」
「てめえが悪いんだぞ、ザジ! 欲を掻いてブリッジそっちのけで船員の私物を漁りやがって!」
「う、うるせえな、漁ってたのはおめえらも一緒だろうが! 俺一人が悪いんじゃねえ!」
横を向くと処置なし、といった顔のアレクセイと目が合った。まあ、プロの軍人でもない海賊たちに一糸乱れぬ連携など期待する方が悪かろう。
「俺の得物なら制圧はむしろ簡単にできるが、強力すぎて皆殺しにしちまうしな……」苦い顔をするダニーの手には、黒光りするロシア製の重機関銃が握られている。「お前らも薄々勘づいているだろうが、この貨物船を保有する海運会社からして〈黒王子〉の持ち物だからな……面識はなくても身内みたいなもんなんだ。それを差し引いても、乗組員を殺したら失格扱いだからな」
「わかるよ。あんた一人にババを押しつけるつもりはない」龍一は頷き、一歩出る。「俺が出る。援護してくれ」
「お前がか? わかった、おい、誰かリュウに銃を……」
「必要ない。得物ならもう持ってる」背からあの鉄棒を引き抜き、握り締める。
「あ、おい……!」
ダニーの制止を背で聞きながら走る。アレクセイの傍らを通り過ぎる時、「またか」と言わんばかりに苦笑していたように見えたのは気のせいだろうか。
たちまち銃弾が頬や肩をかすめる──だが当たらない。鉄棒一本持っただけで突っ込んでくる龍一に、船員たちの腰が明らかに引けている。我ながらひどい話だが、龍一は彼らの良心につけ込んだのだ。
鉄棒の先端を床に突き、跳躍する。
「……せっ!」
掛け声とともに身体を丸めてドア上部とバリケードのわずかな隙間をくぐり抜け、回転しながらバリケードの内側に降り立つ。
「なあっ!?」
驚きに硬直する船員の腹を鉄棒で突き、反対側で拳銃を握る手首を打つ。骨を砕かないようにする方に気を遣った。やぶれかぶれで掴みかかってきた残りの船員たちは、身を縮めて一気に足元を薙ぎ払った。したたかに足首を打たれた船員たちがまとめて倒れる。
「降伏しろ。一度しか言わない」とは言ったが、英語とフランス語でそれぞれ繰り返した。壁際で拳銃を構えていた船長らしき男が観念して両手を上げる。その時になって、ようやく背後から罵声とバリケードの破壊音が響いてきた。
ほぼ一瞬でブリッジを制圧した龍一の動きに〈緑の目の令嬢〉亭はもはや大盛り上がりだった。龍一の視点から動画を見ていたパオラは目をぱちくりさせている。
「今のは何だ?」
「えー……」珍しくアイシャがコメントに困っている。「……何だろうね」
「や……やるじゃねえか新入り! 見直したぜ!」
船長以下船員たちを拘束し、海賊たちが今度こそ遠慮なく略奪を始める中、別人のような気安さでザジが龍一を労ってきた。「なあ、これ見つけたんだけどよ、半分お前にやるよ」
渡された袋の中身を見ると、宝石やら腕時計やらがぎっしり詰まっている。
「いいよ、あんたのだろ。こんなの貰えないよ」
「そんなこと言わずに貰ってくれよ! 俺、散々お前にろくでもないこと言っただろ。せめてその詫びだと思ってくれや」
そう言われて受け取れるものでもない。
「ザジ、君の気持ちは充分伝わったよ。でも、彼は自分の取り分は自分で手に入れないと気が済まないのさ」アレクセイが取りなしてくれたと思ったら、とんでもない取りなし方だった。「何しろ誇り高い男だからね」
どさくさに紛れて何てことを、と龍一は目を剥いた。が、ザジはそれで納得してしまったらしい。背後のペックまで、無言だが感心しきりと言った様子で頷いている。どうやら完全に海賊たちの「一味」と見なされてしまったようだ……。
ブリッジの窓から甲板を見下ろすと、海賊たちがなおもコンテナをこじ開けようと悪戦苦闘していた。あっちはあっちで大変だな、と苦笑するしかない。
──轟音とともに巨大な金属製の腕(それとも脚?)がコンテナを内側から突き破り、ドアごと海賊たちを押し潰した。
「……何だ!?」
「サーチライトを集中しろ! 早く!」
ダニーが緊迫した声で号令をかける中、龍一たちの、そして甲板の海賊たちの凍りついた眼差しを浴びながら、その鉄塊がコンテナを軋ませて伸び上がった。
キャタピラではなく太い金属の脚が移動手段であるのを除けば、無骨で四角いシルエットは戦闘車輌に似ていないこともない。異様なのは、上面装甲から蛇腹状で伸縮自在の触手めいたアームが何本もうねうねと伸びていることだった。
「〈ゴルゴン〉だ……」ダニーが呆然と呟く。「都市部に展開する歩兵を積極的に火力支援するための移動式トーチカだぞ。れっきとした軍用兵器じゃねえか……」
激昂したザジが拘束した船長に食ってかかっている。「おい、どうなってやがる!? なんであんなもんがここにあるんだよ! それともてめえら、兵器密輸でもやってやがったのか!」
「し、知らない! あのコンテナの中身は工業機械のはずだ、私たちもそうとしか聞かされてない……!」船長の表情を見ると、嘘はついていないようだった。
「だがおかしいぞ、この一帯に強力なジャミングがかかってるんだ。警備システムも含めて、遠隔操縦の無人兵器はぴくりとも動かねえはずだ……」
「近くにオペレーターがいるのか? だが有線操縦にも見えないな……」
だが龍一たちが相談できたのもそこまでだった。うねうねと蠢くアームの一本が首をもたげ、龍一たちのいるブリッジを向いたのだ。伸縮自在、360度に振り回せるウェポンマウント──その先端に装着されたグレネードランチャー。
「伏せろ!」
龍一の声にシャンパンの栓が抜けるような発射音が重なり、次の瞬間ブリッジの窓を粉々に打ち砕いた。
「ちょっとお……これって
〈ゴルゴン〉の威容に騒然となっている〈緑の目の令嬢〉亭で、アイシャは目を丸くしている。さすがに声はひそめられていたが。
「船長たちも海賊たちも、どっちも嵌められたらしいな」パオラは低く呟く。「……あるいは彼らも、か」
「痛っつ……皆、無事か……?」
全身に降りかかったガラス片を滝のように振り落としながら龍一は身を起こす。事故防止のため破片ではなく粉状に砕ける仕様でなかったら大惨事になっていたところだった。
「無事とは言い難いけどね……でも、生きてはいるよ」アレクセイが答える。周囲を見ても、全員唸ったり呻いたり悪態を吐いたりしてはいるが、重症者はいないようだ。
さすがに顔をいきなり出す気にはなれなかった。恐る恐る窓際まで近寄って甲板を見下ろすと──おおかた予想していた地獄絵図が展開されていた。
AKや機関銃、ありあわせの猟銃まで加えた銃撃がしきりに〈ゴルゴン〉に浴びせられているが、歩兵火器への耐弾性を考慮して設計された装甲に傷一つ負わせた気配すらない。それどころか、必死で銃撃する海賊たちに反撃が開始された。伸縮式アームが展開し、先端の火炎放射器が炎の舌を伸ばす。たちまち数人が生きながら炎の柱と化し、絶叫しながら奇怪なダンスを踊り始めた。
物陰から手榴弾を投げようとしていた数人に、今度は〈ゴルゴン〉本体の装甲が展開する。眩い炎が閃き、絶叫すらも飲み込む轟音が響く。炎が消えた時、海賊たちは隠れたコンテナの一部ごと消滅していた。炎を浴びた箇所は溶岩でも浴びせられたようにひしゃげて崩れかけていた。
「何だあれ!?」
「
ジョークにしてもきつすぎるな、と龍一は内心で呻いた。「どうするんだよ? これじゃ競技どころじゃなくなっちまうぞ」
「……それに、僕たちも他人事のように眺めていられなさそうだね」
別のコンテナが展開し、中からいくつもの塊を吐き出した。大きさは小型のドラム缶ほど、上下で回転する二重反転式ファンで空を飛ぶらしい。
小型ドラム缶の群れは逃げ惑う海賊たちに次々と機体下部のノズルから炎を吹きつけ始めた。まるで虫のように海賊たちが燃えながらぽろぽろと海へ落下していく。
「市街掃討戦用の〈ハーピー〉だ……いよいよもってこれは嵌められたっぽいな」
〈ハーピー〉の群れは洋上のハッキング船にも殺到していた。悲鳴まじりの銃火が閃くが、それだけで押しとどめられる勢いでもない。たちまち炎が船体を包み、次の瞬間、船体そのものが火の玉と化した。夜の海が赤く燃え上がる。
「ハッキング班がやられた! まずいぞ、セキュリティも無線通信も復活する!」
「それにしてもどうするんだよ……これじゃ逃げようがないぜ!」
龍一たちのブリッジの高さまで数機が迫ってきた。海賊たちが必死で銃撃するが、当たらない。まるで水の中の小魚を狙っているようだ。
「くそ、当たらねえ、こいつら当たらねえよ!」
「弾道予測による回避システムだ! でたらめにぶっ放しても無駄だ、
「龍一、僕らはどうする?」
「……試したいことがある。手伝ってくれるか」
「もちろん」
龍一とアレクセイは顔を見合わせ、そして窓から飛び降りた。
「……おい!?」
ダニーの声が裏返ったのも無理はない──龍一は身を躍らせると同時にブリッジの外壁を駆け下り、そのままの勢いで鉄棒を〈ハーピー〉に突き刺しながら甲板へ叩きつけたのだ。一瞬遅れてアレクセイが続き、二機の〈ハーピー〉を同時に〈糸〉で両断している。
甲板に降り立った二人に〈ゴルゴン〉が向き直る。数本のアームも同時に鎌首をもたげて狙いを定めた。
「
「一人で大丈夫かい?」
やや無理してではあったが、笑みは浮かべられた。「上手く行かなかったら死ぬだけだな」
龍一もアレクセイも、ほぼ同時に左右へ分かれて飛んだ。
「え……ちょっとマジ? あの二人、〈ゴルゴン〉に生身で立ち向かうつもり?」
「無謀にも程がある」素っ頓狂な声を上げるアイシャに、パオラもまた口をへの字に曲げて答える。「自殺志願者にも見えなかったが」
振り回されたアームが積荷の小型発電機を弾き飛ばした。あわてて身を縮めた龍一の頭上を、唸りを上げて鉄塊がかすめる。発電機をぶつけられたコンテナが紙のようにひしゃげたのを見て、龍一は震え上がった。あんなものが頭に当たったらなどと考えたくもない。
ブリッジには既に無数の〈ハーピー〉が羽虫のように群がっている。ダニーが粘り強く海賊たちの指揮を取っているためどうにか潰走に至らず済んでいるが、とても龍一たちの援護をする余裕はなさそうだ。
銃撃と、アームと、炎が背後から追いかけてくる。甲板を蹴り、傾いたコンテナを踏み台にして蹴り、〈ゴルゴン〉に向けて飛んだ。
案の定、アームが一斉に空中で身動き取れない龍一に狙いを定める。だがそれこそが龍一の狙ったものだった。
考えるより先に身体が動く。上空から掴みかかるアームの先端、カメラとセンサーが集中するユニット部に渾身の力で携帯用トーチを突き込んだ。通称〈ライトセイバー〉、
だが驚いたことに、アームの何本かは龍一の動きに反応した。サーボやアクチュエーターの制約を受けず自在に振り回せる無関節アームにしても恐るべき反応速度だ。機械の判断では不可能な瞬時の判断。これが操縦士の技量によるものなら、見事としか言いようがない。
背に羽根でも生やさない限り、人が空中を移動できるはずがない──
「……アレクセイ、〈糸〉だ!」
龍一の望んだ箇所へ寸分の狂いもなく〈糸〉が展開する。──さもなくば、宙から足場を生やすかだ。
切断機能をオフにした〈糸〉を踏み台になおも飛んだ。銃撃と炎がいずれも空を切る。
なおも突進してくるアームに手を突いて踊り越え、もう一本のアームに自分から抱きついて根元まで一気に滑り降りる。
アームを生やした〈ゴルゴン〉の背、そのわずかな隙間へ着地。掌を装甲に押し当てる。
思い出せ、ペルーであの半身義体の大女と戦った時を。
既に傷だらけの龍一の腕から鮮血が滴り落ち、装甲を濡らす。だが血液は血液のままだ。何の変化もない。
駄目か。
お前が血液を制御できるはずがないだろう──誰かが頭の中でそう嘲笑った。血液そのものの意志に任せるのだ。
そうだ、あの大女と戦った時も。別に俺は血を動かそうとしたわけではなかった──
装甲に滴った血の滴がぴくりと動いた。それはまるで別の生物のように蠢き見る見るうちに面積を増し装甲の隙間へぞよぞよと殺到し内部に浸透して声にならない歓喜の叫びを上げて精密部品を侵食しぞろりと揃ったちっちゃな牙を立てて齧りつき飲み込みまだ足りないもっとよこせ貪り尽くし喰らい尽くし
〈ゴルゴン〉が震えた。戦闘時の駆動音ではない、まさに断末魔の身悶えだった。まるで寄生蜂の卵を植えつけられた巨大な芋虫が、孵化した蜂の群れに身体の内側から全身を食い破られるように。小爆発が何度も連続して起こり、黒い煙が〈ゴルゴン〉の各所から噴き出した。耳障りな軋みを上げ、金属の足が力尽きたように折れる。背から伸びていたアームも全て、萎れた茎のように力なくうなだれている。
〈ゴルゴン〉は完全に機能を停止していた。もはやぴくりとも動かない。
「や……やったぞ! あいつ、本当にやりやがった!」
ブリッジから響くザジたちの歓声を聞きながら、当の龍一は困惑していた。自分の掌を見る。何の変哲もない、乾きかけた血だ。
単なる思いつきだったのに、本当にできるとは思わなかった。
それとも──龍一は考え込む。できると思ったからできた。そういうことなのか?
(無線はジャミングで使えない。かといって有線制御でもない。おそらくは短距離のレーザー通信か何か……いずれにせよ、そいつが隠れている場所はもう見えている)
ただ自分たちが気づいていないだけだ──甲板を走るアレクセイの目が一画を捉える。激しい戦闘で潰れ、あるいは完全に砕けているコンテナの中、そのコンテナだけが傷一つついていない。
(そこだ!)
アレクセイは跳んだ。〈糸〉を振るい、上空から急降下する〈ハーピー〉を縦に両断、返す手首の動きでコンテナの扉を横に切断する。
崩れ落ちる扉から見えたのは、
(やはり……!)
頭部に装着された冠のような付属機器、そこから伸びる何百本ものコード。そこに膝をついた姿勢でうずくまっていたのは、紛れもなくHWだった。なるほどHWなら、冷暖房どころか水も食料も必要なしに何日でも、何十日でも、身じろぎ一つせずにコンテナの中で耐えられるだろう。
瞬時の躊躇いすらなく〈糸〉を繰り出す。人間相手ならともかく、HW相手にアレクセイの慈悲はない。
だが。
(何……!?)
アレクセイの〈糸〉は早かったが、HWの反応はそれ以上に素早かった。速さ、タイミング、そして技術。全てが揃ったアレクセイの刃を、コードを引きちぎりコンテナの壁を駆け昇って躱したのだ。
アレクセイの傍らをすり抜け、初速からトップスピードに近い速さで走り出す。そのまま、海に身を躍らせた。
アレクセイは舷側に駆け寄ったが、HWは急速に水中へ潜航していた。何らかの水中用装備を身につけていたのか生身より遥かに速い。追跡はもはや不可能だった。
(それにしても今の動き……)
ブリッジの方から歓声が聞こえる。制御を失い、弾道予測もできなくなった〈ハーピー〉が銃火を浴びせられて次々と落下しているのだ。だが、苦さを噛み締めるアレクセイはそれどころではなかった。
HWは複数体が揃っただけで無条件に思考共有によるネットワークを形成する。いわば全世界の〈同胞〉とリアルタイムで接続されているのだ。
(過去の戦闘情報ダウンロード……〈ヒュプノス〉と同じか)
いや、それよりも今の動きは、と思う。まるで龍一そのものじゃないか。
これ以上は無理なほどの盛り上がりを見せる〈緑の目の令嬢〉亭の中、アイシャとパオラはアレクセイとは別の理由で憂い顔をしていた。
「……どういうこと? HWがドローンを制御していたってのは……」
「これは由々しき事態だぞ。HWの泣き所は、他の通常歩兵や兵器との連携の弱さだった。HWの指揮統制システムがあまりにも独特すぎて、他兵科との戦術ネットワークが形成できない。できなかった……はずだ。これまでは」
「で、それを可能にした誰かさんがいたってことよねー。イカサマか何かはわからないけど」
「ああ。欧米をはじめとする先進諸国ですら、成功例を聞いたことがない」パオラの声は苦い。「皮肉な話だな……世界を揺るがすテクノロジーが第三世界で実現していたとは」
「それはそれで気になるけどさー……結局、誰が誰に嵌められたわけ?」
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