南海の蠱毒(2)人類最後の海賊島

 柄の悪い地域など見慣れているはずの龍一とアレクセイでさえ、こうも一つの通りに良くも悪くも多彩な店舗が林立しているのを見るのは初めてだった。

 吊るした豚を捌いている肉屋がある。干した魚をビニールシートの上に並べているだけの魚屋がある。埃まみれの雑誌に加え、雑誌からの切り抜きらしきピンナップまで打っている出店がある(そもそも紙媒体からして、龍一たちの世代には珍しい)。怪しげな煙が通りまで漂ってくる煙草屋の向かいには、基盤の上を掌サイズのドローンが忙しく動き回ってハンダ付けしている電子部品屋がある。銃器ショップぐらいあるだろうとは思っていたが、店先に野菜よろしく手榴弾が箱詰めにされて売られているのを見た時はさすがに度肝を抜かれた。

 段ボールハウスから木の枝で作った掘立て小屋が大半で、コンクリート以上にしっかりした作りの建物は見当たらない。いつでも壊して移動できるようにしているのだろう。店先の看板に書かれているのは英語、ハングル、中国語、ロシア語、ハイチの公用語であるハイチ語やフランス語など。しかもあらゆる店舗が自己主張のため気の狂ったような極彩色のペンキと布切れでデコレーションされている。目がおかしくなりそうな光景だ。

 行き交う人の肌の色も多彩だった。中国系らしい物乞いの老婆の傍らを黒い肌の子供たちが全裸で駆け抜けていく。ロシア人らしい大男と小柄なジャマイカ人が商談なのかフランス語で激しくやりあっている。これなら日本人の龍一が紛れ込んでも目立つ心配はなさそうである。

「人、多いな……」

「メインストリートだからな。ただまあ、この島のどこもそうってわけじゃない」前方を行くダニーが振り向いて白い歯を見せる。龍一たちが滞在予定のホテルの名を聞くと、頼みもしないのに案内役を買って出たのだ。迷うような道程や距離でもないのだが、島についての情報は少しでも集めたいからありがたくはある。「港とこの通り、それに居住区を除けば、後はこの島が〈海賊の楽園〉になる前と変わらない、ただのジャングルさ」

「それでも大したもんだ」龍一の感心は一向に収まらなかった。「ずっと無人島だったんだろ? それをここまで立派な『街』にするなんて並大抵のことじゃないぞ」

「……まあ、ここにやってきたのが食い詰めた犯罪者や、本国から逃げてきた難民ばかりってのもあるけどな。他に逃げ場所がなかったのさ……それもまた〈人類最後の海賊王〉の名声を嫌が上にも高めたってわけさ」

「なるほどね。ところでダニー、その海賊王殿に、ええと、お目通りはできそうかい?」

 アレクセイの質問はさりげなくはあったが、龍一にとっても重要な問いではあった。何しろそのためにこの島へやってきたのだから。

「……そいつは、どうだろうな」ダニーはやや難しい顔つきになった。「何しろあんたらはあの〈代理人〉に金を払ってここへ来た客人だ。入る分には構わないが、〈黒王子ブラックプリンス〉も何かと忙しい。誰かの紹介でもなければ、おいそれとは会えないだろうな」

「やっぱりそうか……」

「ま、焦ることはないさ。あんたら、当分ここにいるんだろ?」ダニーが再び白い歯を見せる。「それに、全く手がないわけじゃない。この島では定期的にあるがあってな……」

「それは?」

 龍一が聞き返そうとした時、鈍い地響きが周囲の空気を揺るがした。

「島の自警団だ。まあ大半の仕事はちょっとした喧嘩の仲裁くらいだが、ああやって見回りしているだけでも効果はあるからな……」

 通りを闊歩しているのはサウジ製の半自律式多脚砲台〈ザッハーク〉と、その上へ腰かけてAKやロケット砲をこれ見よがしに構えた男たちだった。半裸の上から軍放出品のジャケットを引っかけている者、あるいは刺青をびっしりと入れた裸の上半身に弾帯を吊るしている者。兵士から軍装を剥いだゲリラといった風情の連中と、連装式の対空機関砲を角のように空へ向けた卑猥な落書きだらけの多脚砲台と、どちらが物騒かは判断の難しいところだった。

「あれを『自警団』と呼ぶのは、シャチを金魚と呼ぶようなものじゃないかな……」

「はは、見ての通り強面ばかりだからな。それを取り締まる側も自然と大げさになっちまうのさ」

 しかし……何か違和感があった。

「どうした?」よほどおかしな表情をしたのか、ダニーから怪訝な顔をされた。

「いや……何でもない」横目で見ると、何かを黙考しているらしいアレクセイと目が合った。どうやら彼も、龍一と同じものを感じたらしい。

 ダニーとは〈和平ホテル〉の前で別れた。「俺もこの辺りに住んでいるから、見かけたら声をかけてくれや」とのことだった。

「違ったら悪いが、あんたも海賊なのかい?」

「いいや。島の住人ではあるがな」気を悪くした様子もなくダニーはにやりと笑ってみせた。「それに、どちらも大して違いはないんじゃないのか? だろ?」


〈和平ホテル〉の内装は昼だというのに薄暗く、石造りの建物は外の熱気から切り離されたかのようにどこもかしこも冷んやりとしていた。

 部屋に着くと溜め息を吐いて座り込みたいところだったが、そうも行かなかった。アレクセイと手分けして盗撮・盗聴デバイスのチェックに取りかかる。ヨハネスの勢力圏「外」とは言え油断はできなかった。犯罪者たちの楽園ともなればなおさらだ。

 一通りチェックが終わると、ようやく話ができるようになる。

「本当にこの島のどこかに〈白狼〉がいるのか……?」

 龍一は呟きながら、ブラインドの隙間から通りを見下ろした。陽が傾き始めた街角からは、早々に商売を切り上げて帰り始める人々も見える。それだけ見ているととても海賊の根城とは思えない、南国の午後の光景だ。

 そのはずだ、とアレクセイは頷く。「まあ〈白狼〉自身が国籍も性別も不明、生い立ちも不明なら〈連合〉壊滅後の消息も定かではないんだけどね。でも『精神のみを電子空間サイバースペースに転送した』だの『仮死状態となって柩に入ったまま衛星軌道上を回っている』だの、愚にもつかない都市伝説レベルの馬鹿話を除いていったら、一番信憑性が高いのが『この島に匿われているか、あるいは捕らえられている』なんだ」

「〈連合〉ってのはちょっと聞いたことがあるな。手を組んでヨハネスに対抗しようとした、各犯罪組織の寄り合い所帯みたいな奴らだっけ?」

「そう、南米の麻薬カルテルやイスラム原理主義組織、日本のヤクザやロシア系列の軍事請負会社、プレスビュテル・ヨハネスの〈王国〉に対抗していたって言っても天使のような連中じゃない。でも、最後までヨハネスと戦ったことに間違いはない。負けたけどね」

 アレクセイはやや口元を引き締めた。「それに、曲がりなりにもヨハネスと戦った者をこの島以外で匿うのはまず不可能と言っていいんだ。アジアどころかユーラシア大陸、中東欧、イベリア半島からアフリカ大陸全域まで、今や〈王国〉か〈王国〉の息がかかった犯罪組織によって制圧されていない地域は地球上にはほぼない。例外と言ったら北極か南極、あとはチベットやゴビ砂漠のような生きていくだけでも過酷な地域くらいだ。それだって『手』を伸ばせないわけじゃない」

「地球を征服したようなもんじゃないか……」改めて〈王国〉の規模を思い知らされ、龍一は苦い顔になる。そんな存在を敵に回したらどうなるのか、龍一自身がそれを身をもって思い知らされているところだ。

「そもそもこの〈海賊の楽園〉だって、直接ヨハネスに楯突いているわけじゃない。ヨハネスの〈王国〉の主なが違法技術・兵器流通、経済犯罪、そして人身売買に特化しているのに対して〈海賊の楽園〉が行っているのはただの略奪行為だ。幸か不幸か、住み分けが成立しているに過ぎないんだよ」

「そこだ。どうも腑に落ちないんだよな。大航海時代の私掠船でもあるまいし、海賊が馬鹿正直に海賊やってるだけで食っていけるのか?」

 龍一も現代の海賊について詳しいわけではない──ないが、今どき割に合わない犯罪行為だと思う程度には知っている。重要な貨物を積んだ船舶ほど積荷と船体には多額の保険金をかけているし、重武装の軍事請負会社や半自律・全自律防衛システムに護衛を任せている会社だって珍しくはない。大手の海運企業ほどそうだ。それに、あまりにも大っぴらな略奪行為は国家軍の、特にハイチ=ドミニカ連邦海軍の出動を誘発してしまうだろう。

「そうだね、この島はやっぱりおかしいよ。港に停泊している戦闘艇も、街中に配備されている兵器も、どれも二線級・三線級の兵器ばかりだ。確かに信頼性は高いし、それなりに訓練されているけど、でもそれだけだ。はっきり言って、近年軍備増強著しいハイチ=ドミニカ連邦軍の敵じゃない」

「ああ。戦闘艇だって軍の型落ちか、改造漁船や改造タグボートが大半だったからな……通信施設や発電所、島内のインフラを誘導砲弾なりミサイルなりで狙い撃ちして、混乱に乗じて歩兵部隊を上陸させれば半日足らずでケリがつくだろう。こっからハイチ=ドミニカ連邦主島までは海を隔ててはいても、ほとんど目と鼻の先なんだぜ。大兵力を送るのに遠慮する理由なんて何もない。なんでそうしないんだろうな?」

 つまりは、この島には見た目以上の秘密があるということだ。

「……これはまだ予想だけど、案外そのあたりの事情と〈白狼〉は僕らが思っていた以上に密接に絡んでいるのかも知れないね」

「だとするとちょっと厄介だな……〈人類最後の海賊王〉にお目通りかなったとして『〈白狼〉に会わせてください』とお願いしてもすんなりとは会わせてくれそうにないぞ」

 もちろんここに来る前から答えが道端に落ちているか、または〈白狼〉本人がそのへんをのこのこ歩いているとは思っていなかった。だが、想像以上に手こずりそうだとの予感はある。

「明日からの調査は、それを踏まえた上で行った方がよさそうだね」

「そうだな……まあ、明日のことは明日考えよう。そろそろ夕食の時間だろ? さすがに腹ぺこだ」

 立ち上がろうとした龍一は、その時部屋へ響いたノック音に反射的に身構えた。

「どなた?」

『当ホテルの支配人でございます。お客様へ挨拶に参りました』

 支配人が直接の挨拶? 試しにドアアイから覗いてみたところ、つるりとした笑みのアジア系の男が立っていた。武器を帯びている様子や、他に誰かを連れている様子もない。

「どうぞ」

「失礼いたします」龍一がドアを開けると、男は静かに一礼して入ってきた。「この度は、当ホテルへのご宿泊誠にありがとうございます。支配人のウェイと申します。以後お見知り置きを」

「どういたしまして……と言いたいところだが、支配人御自らが挨拶を? フロアマネージャーならわからなくもないけど」

「何ぶん見ての通りの小さなホテルですし、私自身、この島へはほとんど着のみ着のまま流れ着いたような身分ですので。それに、相良龍一様と〈A〉あるいはアレクセイ様とあっては、これはもう、私自身がご挨拶しないわけにはいきますまい」

 いくら疲れていても、その言葉を聞いては顔色を変えずにはいられなかった。「俺たちの素性なんてとっくに把握済みってわけか」

「ご安心ください。当ホテルに宿泊なさっている限り、お客様の身の安全は保証いたします。たとえそれが〈犯罪者たちの王〉相手であったとしても」

 つるりとした支配人の笑顔からは、愛想の良さ以外何一つ読み取れなかった。

「あなたやこのホテルの従業員から、僕らの情報が漏れない保証は?」

「完全にないとは申せません。ですが当ホテルは〈人類最後の海賊王〉の庇護下にて経営されております」アレクセイの静かな問いにも、支配人は如才なく応える。「それに対する攻撃は〈海賊の楽園〉そのものへの攻撃と見なされるということです。〈犯罪者たちの王〉がその程度の道理もわきまえぬ愚か者ではありますまい」

「……わかった。その言葉を忘れないでくれ。それはそうと、そろそろ夕食だったか?」

「もちろんでございます。では、どうぞ食堂の方へ」


 次の日の朝から龍一とアレクセイは手分けして聞き込みをすることにした。

「いいんじゃないかい? その服、君に似合ってるよ」

「そうかなあ……」日本だと筋者くらいしか着なさそうな趣味の悪いアロハシャツと迷彩柄のハーフパンツを、龍一は複雑な顔で見下ろした。露店街で適当に買い求めたものだ。実際、この街ではこのくらいの格好でないと目立ってしまうのだが。

「じゃ、健闘を祈るよ」

「ああ……」ちらりと微笑して街中に向かうアレクセイの背を、龍一はやや羨望を感じながら見送った。彼が着ているのは紺色のシャツに普通丈のスラックスというまるで常夏の島向きではない服装なのに、汗ひとつかいている様子もない。しかも、違和感なく見事に溶け込んでいる。

 さて、と龍一は顔を平手で叩いて気合いを入れた。雲をつかむような話でも、まずは始めなければ何も始まらない。

 ──数時間後。

 意外にも、市井の人々は気さくに龍一の聞き込みに応じてくれた。これは昨日の見事な「入水」も一役買ったのだろう(口づてで今じゃ島中の皆が知ってるぜ、と香辛料を袋詰めしていた露店の中年男は大笑いしながら教えてくれた)。何が幸いするかわからないものだ。

 だが、それが役に立つ情報につながるかはもちろん別の話だった。

「名前だけなら聞いたわ。私の兄貴の知り合いの親戚が直接会ったらしいね。口から虹色の光を吐きながらジェット機と同じ速度で飛んだんですって。全身からはトイレの消臭剤の匂いがしたらしいわ」と代金を受け取りながら話す串焼き屋の女主人。

「もちろん知ってら。米国防総省ペンタゴン中国軍総司令部レッド・ペンタゴンの両方のスパコンにハッキングかけて『キルロイはここに来た』って書き残した凄腕だろ」と大真面目に頷きながら説明するカセットテープ売り。

「昨日の夕方、そこの辻の木の枝に腰かけてた」と気だるげに言う廃品回収商。

 市井の人々では埒があかないと見て、地元のハッカーコミュニティにも足を運んでみた──これは大失敗だった。龍一が〈白狼〉の名を出した途端、おととい来やがれとばかりにドアを閉じられたのだ。もっとも龍一をたじろがせたのは心ない応対よりも、どちらかと言えばドアの隙間から漏れ出てくる不健康そうな色と臭いの煙の方だったのだが……。

「これじゃ駄目だ……」昼を前にして、龍一は早くもめげかけていた。知りたいのは噂話ではなく直接的な居場所なのだが、考えてみればそんなピンポイントな情報を市井の人々が知るはずもない。〈犯罪者たちの王〉に最後まで楯突いた〈連合〉最後の生き残りともなればなおさらだ。

 頭を切り替えるためにも一息入れた方がよさそうだった。何より暑い。日本とは違って湿気た暑さではないのが救いだが、過酷な暑さなのは違いない。

 傾いた看板にフランス語で〈緑の目の令嬢フィル・ジュ・ベート〉と書かれたカフェが目に入った。正直、砂漠でオアシスを見つけた気分ではある。

 雅な名にそぐわない、申し訳程度の屋根に木の椅子とテーブルを並べただけの居酒屋のような店だった。客も地元の人々がほとんどのようだ。やたらとにこやかな黒人の母親が店主で無愛想極まりない娘が給仕であるのもこの手の店らしくはあった。

 幸い昼前なので座ることはできた。さて何を頼もうか──例の仏頂面の娘は、メニューなどという上等なものはくれなかった──と考えているうち、

「こちら、いいだろうか?」

 目の前に長身の影が立った。聞き覚えのある声だった。顔を上げると、そこにパオラの顔があった。あの二人組の〈代理人〉の片割れだ。

「もちろんいいけど……相棒は一緒じゃないのか?」

「彼女はまた別の仕事だ」パオラは頷いて座る。「話の前に、私も昼にしていいか? コーヒーだけでいい」

「いいとも。この店のおすすめがあれば教えてくれないかな? 正直、何を頼めばいいのかさっぱりなんだ」

「お安いご用だ」パオラは初めて歯を見せた。初対面に比べればずいぶんと打ち解けた態度だ。「コーヒーとカリビアンソースくらいかな」

「じゃ、それを」龍一は手を上げて注文した。給仕の娘が相変わらず仏頂面で厨房に引っ込む。

「苦労しているらしいな。成果が上がっているようには見えない顔だ」

「実際そうだ」隠しても仕方ない話ではある。「想像はしていたけど、それ以上にさっぱりだ」

 ふむ、とパオラはやや考え込んだようだった。「私がここに来たのは他でもない。君の抱えている案件について、手助けできないかと思ってきたんだ」

「それは?」龍一が問うた時、料理が来た。パオラはコーヒー、龍一の頼んだのはトマトソースのかかった鶏肉入りライスのような料理だ。辛めのハヤシライスみたいなもんか、と検討をつけて食う。口に入れた途端、思った以上にがつんとした辛みが口の中で炸裂した。

「おう……」あわててコップの水を飲んだが、それでも目に涙が滲んだ。「お……おいしいな」

 口元にカップを運びかけていたパオラが吹き出しそうになり、飲むのを断念して一度カップを置いた。「気に入ったのならいいことだ。地元の料理が口に合わないほどつらいことはないからな」

「リアルタイムで痛感している……」半分泣きながら食べているうちに、これも案外悪くないのではと思い始めた。味覚が麻痺してきたのかも知れないが。

 結局全部食べてしまったところで、パオラがやや真面目な顔になった。「先ほどの続きをしようか。〈白狼〉を探しているらしいな」

「何でそれを……なんて聞くのも間抜けか。あれだけ大っぴらに探していればな」

「なぜそうも〈白狼〉にこだわる? 〈連合〉最後の生き残りにどんな用が?」

「そうする必要があるからだ、としか言えない」龍一はふと思いついて言った。「パオラ、君は〈代理人〉だろう? 君からこの島の主に── 〈黒王子〉につなぎをつけることはできないか?」

「予想されてしかるべき頼みだが、難しいな」パオラはやや眉根を寄せた。「確かに彼とは頼み事をすることも頼まれることもある間柄だが、〈白狼〉がらみとなると話は別だ。どうも彼の前では〈白狼〉については不可触アンタッチャブルに属する話題らしい。私は一度彼の前で〈白狼〉について不用意に口にした子分の頭を、問答無用でぶち抜くのを見たことがある」

「そんなか……」口にしたばかりの料理が急に腹もたれしてきた。〈海賊の楽園〉と〈白狼〉が思った以上に密接な関係なのではないか、というアレクセイの推察は当たっていたわけだ。

「だが、手がないわけでもない。龍一、君はこの島の〈奔流カスケード〉という行事を知っているか?」

「……そのものじゃないけど、何だか祭りみたいなのがあるって聞いたことはあるな。詳しくは聞けなかったけど」

「祭りか……まあ、間違ってはいないな」パオラはやや苦笑する。「龍一、君は、この島の人々は何で生計を立てていると思う?」

「何って……何かを作って売ったり、接客をしたりしてだろ?」

「そう、その通りだ。だが〈黒王子〉や、彼の掲げた旗の元に集ったごろつきたちは、当然そんなやり方を生業にするには血の気の多すぎる連中でな」

「そうだな、何しろ海賊だもんな。……ちょっと待て。じゃ海賊行為やって食ってるのか? そもそも食ってけるのか? 見たところ、結構まともなインフラがあるみたいだけど」

 そこで龍一はふと周囲を見回して、愕然とした。あまりに自然なので見逃していたが、周りの客は当たり前のようにスマートフォンや携帯電話を使っている。「そもそもここ、スマホ使えるのか? まともな電話局まであるのか?」

 パオラは頷いた。「気づいたか。そう、何から何まで海賊行為で食っていくことはできない。だが同時に、ここへ祖国の政変を逃れてきた人々に、まともな仕事だけやって生きろと言うのも酷な話だ。そもそも国連も、米国も、名だたる大国は全て、真っ当な就職先とインフラをこの島中にもたらす余裕はないんだからな。そのジレンマを解決する方法が一つだけある。〈奔流〉は、ただの海賊行為ではないんだ。海賊行為も含めた、あー……一種の娯楽遊戯エンターテインメントでな。もちろん、かなりダークサイドの意味でだが」

 パオラの説明を聞いて、龍一は久々に「開いた口が塞がらない」という言葉を思い出した。

「それじゃ、その〈奔流〉ってのは何だ? 海賊行為に、競馬と宝探しを足し合わせたようなイベントなんだな?」

「そうだ。標的となった貨物船に乗り込む各〈選手〉たちにはそれぞれオッズが設定され、略奪行の一切は同行するドローン撮影班によってリアルタイムで全島に中継される。映像はダークウェブも通して全世界に配信されるから、その収益も馬鹿にできたものではない」

「ううむ……」龍一は唸った。唸らざるを得なかった。

「しかも、だ。襲われる貨物船自体、〈黒王子〉がダミー会社を通して株式を保有している、事実上この島の持ち物なんだ。ロボット貨物船だから乗員は最低限しか乗り合わせていない。保険金も払われるから誰も傷つけないし、誰も困らない」

「一石二鳥どころか、五鳥か六鳥くらいは得ているな……」何かくすんでいるものは感じなくもなかったが、考え抜かれていることは確かだ。

「龍一、私もこんな商売だ。この島の人間は誰しも何らかの犯罪行為に関わっている。褒めるつもりはないが、責める資格もない。それに、これには君にとって素晴らしい利点がある」

「それは?」

「〈奔流〉優勝者には〈黒王子〉御自らの表彰と、多額の報酬が与えられる。〈船長〉は優勝者の要望を、まあ不老不死だの全世界の富だのといった無茶な要求ではない限り応えなければならない。意味がわかるな?」

 龍一は軽く息を吸い込んだ。「〈黒王子〉に接近する、最短ルートってわけか」

「そう、この島の最高権力者であろうと、優勝した君の望みを無碍にはできない。競技そのものが成り立たないからな。君に積極的に犯罪を犯せとは言えない。だが他に勧められる方法も、またないんだ」

 龍一は頭を巡らせる。確かに、他に方法があるかと自問しても、答えはさっぱり見つからない……。

 失礼、と言ってパオラがスマートフォンを取り出す。その顔にやや影が差した。「すまない。ちょっとしたトラブルだ。話の続きはまた今度としよう」

「助けは必要か?」

「いや。君の手をわずらわせる必要もない」パオラは微笑して立ち上がる。「例の話、一考はしてみてくれ」

「わかった。いろいろとありがとう。そうだ、料金は……」

「私のコーヒー代だけでいいさ。これもまた商売、としておこう」

 彼女が立ち去った後、龍一はコーヒーを口に含みながらしばし考えてみた。

 一考か。考えるまでもないんじゃないか?


〈緑の目の令嬢〉を出たパオラは即座に全力疾走へ移った。地べたに棒切れで落書きする子供たちを飛び越え、荷車に果実を満載した物売りと衝突しかけて罵声を飛ばされながらも、目的の路地まで数分とかからなかった。

 首を巡らす。果たして、三人の男に囲まれて歩いていく──いや、おそらくは歩かされているアイシャの後ろ姿が路地裏へ消えるところだった。

 駆け寄ろうとして、彼女はかろうじて自制を働かせる。おそらく数日前か、それ以上前から彼女たちの様子を伺っていたのだろう。アイシャをこうも易々と拉致した連中が、パオラの行動を計算していないはずがない。つまり罠だ。

 確実に伏兵がいる。そいつらもろとも殲滅するしかない。

 アイシャが足取りを乱し、大きく前のめりになる。おい、と男の一人が短く鋭く叫んで腕を掴もうとするのと、パオラが抜き放ったベレッタが火を噴くのは、ほぼ同時だった。

 アイシャの腕を掴もうとした男の眉間が弾け飛んだ。懐に手を入れようとした傍の男の首筋を、アイシャが足首のホルスターから抜き取ったナイフが切り裂く。噴水のように噴き出る鮮血をまともに浴びながら、最後の一人に抱きつくようにして胸と脇腹を鋭く数度刺した。ざっざっと肉を切り裂く音、ごぼごぼと呼吸音に混じる詰まった排水管のような濁音。

 パオラの動きも止まらない。半分身を投げ出すようにして走りながら撃つ。素焼きの瓶が砕け散り、隠れていた男が散弾銃をあらぬ方向へ撃ちながら崩れ落ちる。パオラはなおも前進し、倒れた男の頭部へ二発撃ち込んでとどめを刺す。

 身を翻したアイシャの手からナイフが飛んだ。あばら屋の窓枠から身を乗り出してスコープ付きの大型拳銃を構えた男の胸に突き刺さり、男は悲鳴を上げてそれを抜こうとした。距離を詰めたアイシャが窓枠を乗り越え、体当たりしながらナイフをさらに深く突き刺す。容赦なく男に足を絡めて引きずり倒し、馬乗りになって引き抜いたナイフを男の顔と、喉元に連続して振り下ろす。

 悲鳴が止んだ。

「生きてるー?」

「……それはこちらの台詞だ」周囲にこれ以上の敵影がないことを確認し、パオラはようやく銃口を下ろす。「こいつら何者だ?」

「さあねー」アイシャは刃物から血を振り飛ばしてホルスターに収めた。「私たちの商売敵、のライバル企業、〈王国〉の工作員、いくらでも考えられるからー」

 そして、ようやくぶるりと身を震わせた。「助かった。ありがとう」

「いいさ」首を振る。「とにかく移動しよう」

 返り血を浴びて凄惨な姿になっているアイシャに、ブルカのように死人から剥いだジャケットをかぶせる。珍妙な出立ちだが、どうにか誤魔化せそうだった。

 銃声を聞いた者はいるだろうが、誰も彼女たちを呼び止めなかった。

「……ねえ、あの噂どう思うー?」

「どの噂だ?」

「『本社』のが、と組んでるって例の噂よー。それも比喩じゃなくて言葉通りに」

「イスラエル政府の一部と〈ダビデの盾〉上層部が、終末思想に侵食されているというあの噂か。くだらない陰謀論だといいたいところだが、我が社に限ってはあり得ないとは言い切れないところが痛いところだな」

「で、その背後に例の〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスがいる、と」

の考えていることは察しがつく」パオラは腹立たしさを抑え切れないといった口調だった。「あの二人を使って〈犯罪者たちの王〉の動きを誘発するつもりなんだろう」

殿の考えそうなことはわかるわー。ヨハネスと『最終戦争ハルマゲドンクラブ』の繋がりが明るみに出れば、我が社としては違約金を払ってさっさと撤退し『全くとんでもないことです。私どもの預かり知らぬところで、そのような恐ろしい陰謀が企てられていたとは』とか何とか、カメラとマイクの砲列を前に白ばっくれられるって魂胆でしょー」

「軍事請負会社にとって終末戦争など血まみれの烏滸の沙汰だからな。明るみに出る前に葬り去るか、ダメージを最小限度に留めるか、それしかあるまい……それもまたの考えそうなことだ」

「それで? パオラ、は撒き終わったー?」

「……ああ。食いついてきた。何もかも君の狙い通りになった。自分がしくじるかも知れない、なんて考えてもいない。あのくらいの男の子は、皆そうだ」

 パオラの口調に含まれる苦々しさを相棒は聞き逃さなかった。「パオラ。まさか、あの二人に同情してるのー?」

「したら悪いか? 私の弟や妹たちと大して変わらない年頃だ」

「あは、そういうところ。パオラってやっぱり本国生まれ本国育ち、中東系ユダヤ人セファルディムのお嬢様よねー」アイシャがジャケットの影でわざとらしく笑う。「私、血の重さ? とか家族の大切さ? とか、そういうのわかんなくって。命からがらネオナチのリンチを逃れてきたドイツ系ユダヤ人アシュケナージでストリート育ちの餓鬼だったからさ。お袋さんだって今どこにいるかわからないしねー」

「お嬢様って……父親がうだつの上がらない考古学者で、母親だってただのアナウンサーというだけだぞ」

「私から見ればどっちも雲上人よー。何にせよ、肩入れもほどほどにしといた方がいいよー? この仕事やってて『監視対象』に感情移入するの、いいことなんて何もないじゃないー」

「……わかっている」

「ま、今のところは順調って言っていいんじゃないのー? さっきのごろつきサグどもはまた別として」アイシャの眼差しが何を見ているのかは、長年のパートナーであるパオラにも読み取れない。「あの二人なら頼まれなくても〈白狼〉の居場所まで案内してくれそうだしー」

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