呪者の影 5 エピローグ

霊安室の扉が閉まってから1時間近く経っただろうか。

開閉スイッチの赤いランプが点滅したかと思ったら、鉄の自動扉がゆっくりと開き始めた。

10分ほど前に由香里が、霊安室から滲み出ていたドス黒い気配が消えたと言っていたが、それでも思わず身を固くして扉を見つめる。

「…………」

霊安室の中は扉が閉まる前と違って明るい。

若干疲れた顔の笠根さんと困惑気味の篠宮さん、そして何故かやけに堂々とした伊賀野さんが部屋から出てくる。

なにやらテンションの違う3人の表情に引っ掛かりを覚えるも、とりあえず無事に出てきてくれたことに安堵する。

由香里も安心したようにため息をつく。

霊安室の中にも出てきた人達にも不穏な気配はないようだ。


「お待たせ。ようやく終わったわ。斎藤さん、もう大丈夫だからね」

伊賀野さんがそう言ってニッコリ笑った。

「あ、あの…ありがとうございます。え…と…その…大丈夫でしたか?」

由香里の問いかけに伊賀野さんはウンと大きく頷いた。

「かーなーり手強かったけど大丈夫。しっかり追い払ったから安心してちょうだい」

顔にかかった髪をかき上げつつそう言った。

そのあまりにも堂々とした仕草に由香里はすっかり安心したようだ。

胸の前で手を合わせてホウと深く息を吐いた。

「とりあえず喫茶店に戻りますか。喉渇いたし」

篠宮さんがそう言って、皆で喫茶店に移動する。


疲労はあるものの興奮冷めやらぬ様子の三人とテーブルを囲んでそれぞれのドリンクを注文する。

ドリンクが運ばれてくるのを待たずに、篠宮さんが説明を始めた。

「霊安室に入って、和美さんと笠根さんがお経を唱えたんですけど、それに引っ張られてオバケがすぐに姿を表しました。前田さん、あの時何か見えてました?」

いきなり俺に振ってきた。

「ええ、見えましたよ。なんか…女が」

「私も見ました。お経が始まってすぐに霊安室の中が暗くなって、皆さんのほかに人影が…」

由香里も自分の見た光景を説明する。

「前田さん、何か叫んでたけど、何されたんです?」

篠宮さんの質問が続く。

あの時、霊安室の中から俺を見ていた顔を思い出してゾッとする。

「見られてただけです。霊安室の扉が閉まっていって、マズいと思って開けようとしたけどスイッチが反応しなくて、それで篠宮さん達に何か言おうと思って中を見たら、その女が俺を見てたっていう感じで」

「目、合ってました?」

「いや……バッチリ合ってたかどうかは分かりませんけど、ああこっち見てるって感じで」

「なるほど。私もアイツの顔を確認しましたけど、なんかアレなんですよね。目は虚なんだけど、どこを見てるかなんとなく分かるって感じ」

そう言いながらスマホを取り出す。

「じゃあ見ちゃいますか。本日の衝撃映像」

どうやら映像を再生するようだ。

音量を落として皆に見やすいようにテーブルの端の方でスマホをこちらに向ける。


「うわ……」

思わず声が出た。

スマホの画面には強張った表情の篠宮さんと、その後ろから篠宮さんを見つめる女の顔が映っている。

「こいつです。俺が見たのもこの女でした」

女の目は確かに虚で、一見どこも見ていないように見える。

だが何故かはわからないが、篠宮さんのことを見てるという感じがする。

「すごいわねコレ。こんなにしっかり霊を映した映像なんて見たことないわ」

伊賀野さんが感心している。

「ていうかコレ、見ても平気なんですか俺達?」

俺も由香里も一般人だぞ。

これを見たせいで憑りつかれたりしたら洒落にならない。

「大丈夫よ。念のため後でお祓いするし、お札を渡しておくからしばらくは財布にでも入れて持っていてちょうだい」

伊賀野さんが俺を見ずに言う。

その目は興味深そうにスマホの画面に向けられている。

「これがヨミ……」

由香里の声に篠宮さんが反応した。

「ああいや、これは違う女の霊です。ヨミ……丸山理恵さんの遺体に憑りついていた悪霊ですね」

んん?

「確かに丸山理恵さんとはまるで違うわね」

伊賀野さんも同じことを言う。

「前田さんはともかくとして、斎藤さん、あなたはヨミの遺体を見た?」

全員がスマホから由香里に視線を移す。

笠根さんはさっきから一言も喋らないが、話には参加しているようだ。

まあ当たり前だが。


「いえ。私は担当じゃないですし、そもそも怖くて近寄れませんでしたし」

「そう。この霊はね、ヨミと呼ばれている遺体、丸山理恵さんとは別人の霊なの。それで斎藤さんが怖がっていたのはこの霊のほう。丸山理恵さんはこの霊に憑りつかれていたってわけ」

んんー?

何が何やらわからない。

「ヨミの正体は丸山理恵。その丸山理恵を操っていたのがこの女の霊ってことですか?」

由香里が整理してくれた。

有能な彼女で助かる。

「そうかもしれないけど、詳しくはこれから調べるの。丸山理恵さん自身の霊はかなり弱ってて消えちゃいそうだから、今は私に憑りついて休ませてるわ」

「憑りついて?」

思わず声が上ずった。

「だから、大丈夫よ。憑りつかれてるっていうより保護してるって感じ」

伊賀野さんがさも当然という感じで言う。

また2年前の姿が頭を過ぎるが、目の前の堂々とした振る舞いを見ていると心配するのも馬鹿らしく思える。

「なるほど」

それだけ言って篠宮さんのスマホに目を戻す。

画面の中ではヨミらしき遺体を調べている映像が映し出されていた。

しばらくして再び室内が暗くなり、しゃっくりのような奇妙な声?音?が聞こえて、ふいに映像が乱れて、篠宮さんが苦しげに呻く声が聞こえた。

その直後、「喝!」という笠根さんの怒鳴り声がして、映像の乱れが収まった。

「これ、なんでいきなり叫んだの?」

伊賀野さんが可笑しそうに笠根さんに尋ねる。

「いやあ、なんだか知らないけど突然気合が入りましてねえ。篠宮さんが何かされてるのがわかったんで一喝したと。まあよくわからんですな」

はっはっは、と笠根さんがわざとらしく笑う。

篠宮さんが胸に手を当てて何事かを呟いたのが見えた。


その後、室内が明るくなったり暗くなったりして、笠根さんと伊賀野さんがお経や呪文を唱える声がして、スマホの映像は終わった。

「これを皆に共有して意見を集めたいと思います」

篠宮さんがスマホを仕舞いながら言った。

「まああの呪術に関しては、手がかりでも見つかれば御の字でしょうけどね」

ヨミの遺体に施されていたという呪術。

ヨミの体に女の悪霊を憑りつかせていたと思われる仕掛け。

一連のヨミ騒動の黒幕につながるだろうその呪術を解明すること。

そして伊賀野さんに憑りついたというヨミの霊。

そこから情報を引き出す。

それが現状での最優先事項なのだそうだ。

そんなような話を聞いて喫茶店を後にした俺達は、俺と由香里が伊賀野さんから簡単なお祓いを受けた後、解散した。


由香里と一緒に俺の自宅に戻る。

気が抜けたようで、いつもよりわかりやすく甘えてくる由香里をあやしているとスマホがヴヴッと震えた。

笠根さんからのLINEの着信が表示されている。

「今日はお疲れ様でした。明日は予定通りで大丈夫ですか?」

という確認のメッセージだった。

改めて今日のお礼を伝え、明日も予定通りという旨を返信してスマホを机の上に放り投げる。

明日はハオさんとの約束がある。

ハオさんの先生と初対面して、今後の取材方針を決めるのだ。

うつらうつらし始めた由香里をベッドに寝かせる。

「…………」

寝息を立て始めた由香里の顔を眺める。

今日はこのまま寝かせてやろう。

凄まじい緊張が解けたのだ。

その開放感と安心感がどれほどのものか、俺はよく知っている。

良かったな、と寝ている由香里に呟いて俺は、缶ビールを片手にベランダへ出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る