18段目 エクス・マキナ

 イェルノは、背後のアマルテアに片手を上げて合図する。


「俺はアマルテアと一緒に後から行くから。あなたは先にアルキュミアの中に戻ってなよ」

「いいけどよ。あんた、搭乗員登録どうしてんだ。頭の中身が生体脳でも身体が人工体なら登録できないだろ」


 この宇宙船のそもそもの持ち主、唯一の搭乗員であるロウの許可がなければ、誰のことも搭乗員としては認められない。ロウ自身は、誰のことも許可した覚えはない。

 一瞬考え込んだイェルノの様子に、不穏なものを感じてロウは言葉を促した。


「おい、黙るなよ……なんなんだ」

「あのさ、言っただろう、『人工知能にだって愛はある』って」

「それは――」


 あんた自身のことじゃないのか、と言おうとして、口を噤んだ。

 そもそも、イェルノの脳は生体脳だと聞いたばかりだ。それに、この言葉をそのまま当てはめると、イェルノが誰かを愛していることになってしまう。――誰を、とは思い浮かべることさえ憚られるが。


 ロウの想像が伝わったかのように、タイミング良く振り向いたイェルノは、形のよい唇を歪めていた。


「コントロールルームに行こう。人工知能の愛を見せてあげるよ――」



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 アルキュミアの案内に従って、コントロールルームまでの通路を歩く。

 そんなロウの後ろを、手を繋いだイェルノとアマルテアが距離をおいてついてくる。


「なあおい、アルキュミア。さっきのイェルノはいったいなにを――」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは――』

「――だめだめ。アルキュミアに答えを先に聞くのはなしだよ。あなた、きっと驚くから」


 イェルノはやがて辿り着いたコントロールルームの扉を開き、中へと滑り込んだ。


「さあ、こっち」

「こっちったって。ここにある人工知能はメインコンピュータ:アルキュミアだろ? こいつに愛なんてないのは俺が一番――」

「よく知ってるって? へえ、すごい自信。あなた、アルキュミアのメンテナンスってしたことある?」


 途端にロウは言い返せなくなった。

 正直に言えば、自分でメンテナンスをしたことはない。


 なにせ、アルキュミアは人の手によるメンテナンス不要のフルオートマティックである。専門業者に多少の整備を依頼することはあっても、ロウ自身には、宇宙船に手をかける為の知識はまるでない。


「だから知らないんだろうね。俺はこの宇宙船ふねに乗ってすぐに気付いたけど」


 呟いたイェルノが、パイロットシートの背に手をかけた。

 跪いてシートの裏側を探る。いつもロウが腰かける座席の裏側――下方に、ロウが今までその存在に気付きもしなかったレバーがあった。


「……んだ、これ? こんなのあったか?」

「ほらね。しっかりしてくれよ、マスタ」


 レバーが引かれた途端、スライドしたシートの下に穴がのぞいた。ひと一人は余裕で降りられそうな縦穴だ。穴の口から真っすぐ下に梯子ラダーが伸びている。


「さ、行くよ」


 片腕のイェルノは、右の二の腕で横棒を挟み器用に梯子を降りていく。ロウもその後を黙って追った。しばらく間をあけて、アマルテアがふわふわと浮かびながら降りてくるのが見える。


 穴はさほど長くはない、すぐに広い空間に辿り着いた。明るさは若干落ちるが、ここにも上のコントロールルームと同様、自動でライトが点灯している。

 降り切ったところで、イェルノがアマルテアの身体を押さえ、適度な距離を取らせる。


「ロウ、先へ行って。アマルテアはそれ以上はロウに近付かないようにね。アルキュミア、室内の換気を強めにして」

「既に実施しています。オピオイド系の薬物に近い未知の成分を検出。マーチの周辺が最も濃度が高いですから……マイマスタ、それ以上は距離を縮めないように」


 両側から先回りで言われて、ホールドアップの印に両手を上げた。そこで二人に視線を向けて、ふと気付く。


「……あんたら、普通に会話してるじゃねぇか」


 いつだったかイェルノは、人工物の自分はアルキュミアに無視されていると言ってなかったか。いや、本当は生体脳なのだから、やはりそれは嘘だったのだろうか。

 表情に疑惑が顕になっていたらしい。イェルノが肩を竦めた。


「あなたは、俺が生体脳を持っているからって、アルキュミアとは意思疎通が図れていると思ってるようだけど、コトはそう単純じゃないんだ。この身体じゃ生体認証キーは大抵反応しないから、アルキュミアに搭乗員として認めてもらうにはマスタにその命令オーダを出してもらわなきゃいけない」

「だから、オレはそんな指示してないぞ」

「そう、あなたがその命令を出してくれないから、俺は酸欠で死ぬとこだった」


 くすっと笑う様子は軽いが、ロウの方は笑い返すことができなかった。

 むしろ、状況のあまりの重さに気付いて、一瞬気が遠くなりかけたくらいだ。人工知能と違って、人間は再起動など出来ない。


 アマルテアの傍を離れたイェルノが、突き当りの壁を軽くノックする。

 軽い反響音――軽すぎて、そこに空洞があることがすぐに分かった。音の様子からするにかなり広い空間があるらしい。


「……何だ? 保温か何かのための空隙か?」

「いいや、あなたの代わりに、俺の搭乗員登録をしてくれた人さ」


 イェルノの白い手が壁の凹みにかかり、そのまま一息に両手を開いた。

 向こう側の広い空間の中央、ぽつんと置かれていたのは一台の大型コンピュータだった。ロウに背中を向けたまま、イェルノが囁く。


「……この宇宙船の、サブコンピュータだ」

「サブコンピュータ?」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアが正常に稼働しない際の、安全弁として設定された存在です』


 アルキュミアが背後から答えを返してきた。

 そう言えば、さっき表で会ったときにもそんな報告があった気がする。つまり、ロウの放った電子銃は、メインコンピュータが正常稼働できない程の破損をもたらしていたらしい。

 振り向いたイェルノの眼が、ロウを通り越してアルキュミアを見る。


「アルキュミア、サブコンピュータの起動を」

『非常時以外にサブコンピュータを起動する場合、マイマスタの命令が必要です』

「……ってことらしいよ、ロウ」


 向けられた視線を、ロウは黙って受けた。

 背後からは指示を求めるアルキュミアの視線。

 アマルテアもまた、状況は理解していなくても、ハンドルを握る人間が誰か分かってロウを見つめている。


 以前なら、こうして見つめられると、なにを答えれば良いか分からなくなっていた。求められる答えと自分のやりたいこと、どちらを優先すればよいかが分からない。

 いつだって逃げ出したかった。マーマがいれば、決めてくれるような気もして。

 だが、そんなものは妄想だ。

 本当は、なんだって自分で決めるしかないのだ、いつだって。

 なにも知らずにただ誰かの庇護の下、平和に過ごすだけの日々はとっくの昔に終わっていたのだから。


「……アルキュミア。サブコンピュータを起動してくれ」

『かしこまりました、マイマスタ』


 あっさりと頷いたアルキュミアの姿が、頭の先から宙に散らばるように消えていく。

 その不可逆の変化に、少しだけ自分の中からなにかが失われた気がした。

 アマルテアがこちらに近付こうとして、再びイェルノの腕に止められているのを目の端でとらえる。


「アマルテア、だめだよ」

「でも、イェルノ――ロウが泣いてる。寂しいって言ってるよ?」


 泣いてねぇ、と言おうとして止めた。主張しても、多分意味がない。

 アマルテアが読み取っているのはロウの言葉ではないのだろう。電脳を操るときと同じく、ロウの脳に直接アクセスしているのかもしれない。操るまでの力を持たず、複雑な感情の判別が出来ないとしても。

 イェルノの指先がそっとアマルテアの頬を撫でた。


「ロウは巣立った雛鳥なんだ。もう戻れない」

「わたしが慰めてあげたい。だって、寂しいのは嫌だもの」


 震える翅に頬から下ろした指先を這わせて、イェルノは小さく笑った。


「あなたが連れて行くことが出来るのは別の地獄だけさ。もちろん俺にだって。重力に逆らって羽ばたく鳥を地に落とすのは難しいことじゃない。だから――」


 アマルテアの身体を引き寄せ、イェルノはロウに道を譲った。


「――あなたの知りたいことは、この先にある。落ちるか飛ぶかは自分で決めればいい」


 その言葉に促され、ロウは開いた壁の向こうへと足を踏み入れた。

 中央のコンピュータが稼働するごく小さな音だけが、薄暗い空間に低く響いている。


 人工知能に愛はあるのか。

 その答えを知っているというのなら。そこにあるのは、きっと。

 サブコンピュータとは、きっと――


「――マーマ」


 呼びかけたロウの声に応えるように、コンピュータの傍に光が集まり、ホログラムが組み上がっていく。

 足元から積み重なる輝きが、女の足を――長いスカートを――ざっくりと編まれたニットを――そして、輝く碧の瞳を作っていく。


 最後に見た時と全く同じ、記憶通りの若い女の姿がそこに立った。


『……ロウ、大きくなったわね』


 優しい声が、微笑みとともにロウを包む。

 伸ばした手が、結局はなににも触れぬまま空を切った。

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