17段目 アンドロイドはかたる

「はっ……?」


 目を見開いた。言葉に詰まるロウを尻目に、イェルノは唇を歪める。


「この中にあるのは、生体脳――つまり俺は、あなたと同じ人間だったってことさ」

「じゃあ、なんでセクサロイドだなんて嘘ついた!?」

「嘘じゃないよ、この身体がベリャーエフ・インク製のセクサロイドベースの人工体だってことは真実さ。だから、まあやっぱり俺があなたのマーマと似てるのは偶然だろうね。はは、そんなに心配そうにしなくていい。この右手だって惑星テルクシピアを出てベリャーエフ・インクに連絡すれば、新しい部品を繋いでもらえるから」


 気楽そうに言うその言葉を、さっきまでは信じていた。が、ロウだって母親マーチから聞いたことくらいはある。

 生体脳の場合、痛覚を遮断すると行動に支障が出る。だから、安全性を考慮して、アンドロイド達と同じように痛覚を切るというシステムを取り付けていないという話だ。イェルノは表情にあらわさないだけで、今この瞬間も激しい痛みを堪えているに違いない。


 それなのに、彼の微笑はたじろがない。

 もの言いたげなロウに向かって、イェルノは小さく頷いた。


「あなたがそんな顔をする必要はないんだ。だってこれは全部、俺が自分で選んだ結果の積み重ねだから」

「そんなの事故とか偶然とか……選べないことだってあるじゃないか」

「あるね。だけど、選べることは全部俺の意思通りだ。人間の癖にセクサロイドの身体を使ってるのも、右腕を失ったのも、今ここにいることだって」


 左手が伸びて、そっとロウの頬を撫でた。


「あなたも、ちゃんと選ぶといい。選ぶ前に押し付けられるから、腹が立つだけだよ」


 イェルノの手は温かい、そのこともまたマーマを思い出させた。

 まだ、愛していたのだと口には出せないにしても。

 手を離したイェルノが、再び夜道を歩きだす。暗視センサーがついているのだと得意げに告げ、それからふと口ごもった。


「そうだな。あなたの話を聞いたところで、今度は俺の話をした方がいいんだろうね……」

「あんたの? なんでそんな人工体使ってるかって話か?」

「ま、そうだよ。一応言っておくけどさ、別にこの仕事の為に、わざわざ脳を摘出してセクサロイドに突っ込んだ訳じゃないんだ」


 顎を上げ、やや尊大にも見える姿勢は、どうやらセクサロイドのふりを放棄した結果らしい。これが素なのだろうか。


「そもそも、上もこんがらがる前に教えてくれりゃ良かったんだよな。けど、あなたの話でようやく全部繋がった。俺、あなたとあなたのマーマのことは知らなかったから。分かるのは指示書にあった内容と……自分の経験だけだ」


 失った右手に一度視線を当ててから、ロウを見上げる。


「俺ね、手足を失うのはこれが初めてじゃないんだ。三年前にも一度あって。さっきあなたも言ってたけれど」

「オレ……?」


 なにを言っただろう、と思い返す。

 ロウの心に引っかかっている記憶。

 三年前。手足を失うような大怪我をした者と言えば。


「あんた、まさかマーマの爆発に巻き込まれた汎銀河刑事警察機構パングポールの――」

「だったみたいだね、奇遇なことに。いや……関係者がこの惑星に集まってくるのは偶然なんかじゃないんだろうな、実際」


 独り言のように呟いてから、にこりと笑ってみせた。


「ちなみに、俺達は巷によくあるドラマのように警察手帳なんてのは持ってないから、口頭で信じて貰うしかないんだ。悪いね」

「じゃあ、あんた捜査官なのか!? 指示書ってのは――」

「捜査指示書のこと。うん……この惑星テルクシピアには、とある企業の不正行為疑惑がかかってるんだ」

「企業って――」


 この惑星に関わっている企業と言えば、リュドミーラとも関わりの深い――ベリャーエフINC.。


「そう、ベリャーエフINC.の不正行為、その捜査のために俺は動いてる」

「ベリャーエフが不正? ……や、でもそこはあんたがいた場所で、製作元で……あれ? あんたの中身は人間で、汎銀河刑事警察機構の捜査官で、でも外側はベリャーエフのセクサロイド――?」


 言いかけた唇に、イェルノの人差し指が当たった。力はこもっていないのに、柔らかい感触だけで口をつぐみたくなってしまう。

 ふと、背後にいるアマルテアはロウとイェルノのこの距離を見てどう感じているだろうかと考えた。が、振り向いて反応を見る勇気はない。

 意地悪く笑ったイェルノが、指をどけた。


「ヒント。三年前の爆発事件の際、リュドミーラは情報をもみ消したと言ったね。では彼女は汎銀河刑事警察機構に対してどこを経由して圧力をかけてきたでしょう?」

「どこって……」


 その聞き方から推測するにベリャーエフINC.――ということのようだ。


「そういうこと。爆発に巻き込まれた当時の俺は、内臓半分以上失った生身の代わりに、このセクサロイド――を人間に適用する為に改良した医療用の身体ボディをもらったって訳だ。口止め料として」

「口止め……」

「大体の部品はベリャーエフ製のオーダーメイドラインナップのセクサロイドと共通なんだよね。当時の最新式最高級品だからなぁ。俺個人の財布じゃ絶対に購入できなかったよ。うわぁ、なんてありがたい話だろう!」


 肩を竦める皮肉な仕草に、ロウは息をのんだ。

 ロウの沈黙を良いことに、イェルノは流れるように言葉を続ける。


「あの夜、詳細は現場にいる俺達にすら知らされていなかった。人質がまだ十二歳の少年だってことと、犯人はアンドロイドを使って犯行に及んだってことだけ。リュドミーラが関わってるなんてことは、俺が後追いで勝手に調べて知ったことだ。内部の抵抗を乗り越えて調査が出来たのは、ベリャーエフINC.の影響力が小さくなってきたから。それだけ……今までは内部でも情報がもみ消されていた。多分、リュドミーラが三ヶ月前に死んだのが、大きな引き金だったんだろう」


 イェルノの左手がロウの頬を撫でる。

 くすぐったさに一瞬目を閉じた直後、至近距離から息だけで囁く声が届く。


「……ベリャーエフINC.はあなた達に期待してる」

「お、オレ達――?」

「あなたと、あなたの宇宙船だ」

「……アルキュミアか」

「そう、妖精達がいる以上、惑星テルクシピアに無事に降りてまた戻ってこられるのは、アルキュミアだけだ。電脳を積まない宇宙船なんて存在しない。持ち主のあなたの意思に関わらず、ベリャーエフINC.はアルキュミアを使ってこの惑星に踏み込みたかった」

「待て、アルキュミアにだって人工知能が乗ってるんだぞ!?」


 母親の遺産で偶然手に入れただけのロウに、宇宙船の完全手動操作など出来る訳がない。反論しようとした瞬間、唇に指先を当てて黙らせられた。


「ベリャーエフINC.が偶然を装ってアルキュミアに付近を通らせ、工場に呼び寄せる。そして、アルキュミアを侵入者として追いかけ、この惑星テルクシピアに落とす――ここまでが、ベリャーエフINC.の企みだ」


 そっと指を上げて、イェルノは微笑んだ。


「以上の情報を汎銀河刑事警察機構パングポールは極秘に入手した。で、俺は例の工場へ潜入し、呼び寄せられるだろう特別な存在――あなたとアルキュミアを待っていた訳だ」

「……つまり、ベリャーエフINC.もあんたも、最初から全部分かってたワケだ」

「ちょこちょこっと知らない話はあったけどね。おおむね、あなたよりは知ってたってとこかな」


 闇の中にアルキュミアの船体がぼんやりと見え始めた。

 夜間ライトがついているということは、ロウの撃った電子銃による破損は大きくなかったらしい。


「ベリャーエフINC.の不正とは、この惑星に異星人を発見しながら、それを中央人類政府へ報告しなかったことだ。妖精――内部コードで妖精セイレーンと呼ばれる彼女らは、立派な異星人だ。異星人との接触にあたる危険性は、あなたもその身で理解しただろ? もしもあれが宇宙船を手に入れこの惑星を出て人類の前に立ったとしたら――今頃は大変なことになってたはずだ。なのに、その危険性を知りながらも隠しているらしい、というのが、内部告発によってベリャーエフINC.にかけられた疑惑」

「そ――」


 また塞がれた。黙って聞け、と言いたいのか。

 が、口を塞がれ続ければ、さすがに少し物申したいこともある。わざと不機嫌な顔を作って、乱暴にその手を払った。


「あのさぁ……あんた、不正不正って言うが、黙ってたのは自分も一緒だろ。前なんか『子どもの成長に関する比較データはない』とかわざとらしく言ってたぞ。元が人間ならそんなの知ってるだろ。なんでそういうとこで嘘つくんだよ」

「残念ながら、こっちは円滑な捜査のために致し方なく虚偽の話をしてるってだけなんでね。俺が咎められることなんてないよ。いや、本音を言えば、こんな簡単な偽装であなたが信じてくれてよかった。アマルテアを追い出すよりも人間側こちらに取り込みたいと思ってたから。そもそも俺もアルキュミアも本当に操られてしまうなんて心配はないのにさ……一つ屋根の下にいる謎の異星人の存在に怯えるあなたの顔は、すごく面白かった」

「おい!」


 さすがに苛立ちを覚え、薄い肩に手をかける。

 その瞬間、深い息を吐いたイェルノが囁いた。


「――今回、ベリャーエフINC.がアルキュミアを罠にかける瞬間に便乗して、テルクシピアへ一緒に降りようなんて命知らずの無茶な作戦を立てたのは、俺自身だ。三年前のあの日、俺は、自分の身体と――同じ職場で働いてた婚約者を一緒に喪った。元の性別の身体ボディじゃなく、未分化の身体ボディを選んだのは俺自身の選択だ――」


 弾むような呼吸を繰り返している癖に、なによりもその声が冷え切っていることに、ようやくロウは気付いた。

 見上げてくるイェルノの碧眼が、感情もなくロウを射抜く。その強さには、憎しみすら篭っているように見えた。


 それはつまり。イェルノが身体を失ったのも。婚約者の生命を奪われたのも。セクサロイドの身体を与えられたのも。ベリャーエフの工場でこの宇宙船ふねに乗り込んだのも、今こうして一緒にいるのも――全て、彼自身が選んだことで――同時にそれをもたらした不幸の一端をロウが握っている、ということだ。


「……イェルノ、あんた」


 ロウの首に、左手がかかる。

 引き寄せられるように身体を寄せると、男のものとも女のものとも違う柔らかく平らな胸元が押し付けられた。


「まさかあの時、俺とあいつが生命をかけて助け出そうとした子どもが、こうして無事に大きくなってるなんて。時間ってすごいな。ねぇ、俺はいまなにを考えてると思う?」


 その答えを聞きたい。同時に、なにより聞きたくない。

 たった一つの答えしか期待していない自分の心が、今のロウには見えていた。

 だから、一瞬だけ頷くのを躊躇った。

 その一瞬、ロウが答えを返す直前に、ロウの目の前に光が灯り、見慣れたホログラムの少女像が組みあがっていく。

 呆れたようにイェルノが身体を離し、ロウから腕を離してそちらへ向き直った。


「……あなたは本当に職務に忠実だな。そんなに先走らなくても、連れていくつもりだったのに」

『おかえりなさいませ、マイマスタ。メインコンピュータ:アルキュミアは、ただいまをもって再起動処理を完全に終了しました。サブコンピュータをスリープ状態に戻し、これよりメインコンピュータ:アルキュミアがコントロールを実行します』

「サブコンピュータ……?」


 問い返したロウを、イェルノは首を傾げて見上げた。

 既に瞳の冷たさも溶け、あっけらかんとしたいつも通りの表情に戻っている。

 どれが本当のイェルノなのかもわからない。

 最後の答えを聞けなくて、惜しかったような、安堵したような。


 ロウが改めてホログラムに向き直ったところで、くす、とイェルノが笑った。


「知らないのが不思議なくらいだ」

「なにがだよ」

「あなたの宇宙船なのに、あなたが知らないなんておかしすぎるってこと」


 苦笑じみた微笑みを受けても、ロウはまだなにを言われているのか理解できなかった。

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