11段目 2人

「やめて、おかあさん! ろうは、あまるてあの、かぞくよ!」

「おい、やめろ! いくら未確認生物だって、まさかロボットが母親なワケがねぇだろ」


 叫びながら、ロウは床に落ちたイェルノの電子銃を拾い、ロボットに向けて連射した。

 が、放たれたビーム状の電子線は、機体をかすりもせずに宙へ消えていく。

 銃声に気付いて振り向いたアマルテアが、いつになく慌てた様子でロウの腕にしがみついた。


「ろうも、だめよ! おかあさんにあたっちゃう!」

「――ロウ!」

「うるせぇよ! なんなんだ、くそ!」


 何度撃っても電子線は標的を逸れていく。

 まるで、銃を持つ手が逸れているかのように。ロボットは特段避けているとも見えないのに一発も当たらない。


「だめよ、ろう。あぶないのはいたいよ。いたいのはだめ」

「確かに、ここまで狙いから外れる射撃は危ないとしか言いようがないか」

「なに納得してんだ、あんたどっちの味方だよ!? 行くぞ!」


 銃を懐にしまい、空いた手で断ち切られたイェルノの右肩を掴んで引いた。

 軽い身体は簡単に持ち上がり、立たせることができる。

 が、無理に立たせて手を離した途端、バランスを崩して再び座り込みそうになっている。片腕を失った分、重心が取りづらくなっているらしい。

 舌打ちを一つ鳴らしてから、もう一度、今度はしっかりと腕の中に抱え上げた。


「軽……っ、どんだけ軽量化されてんだ、あんたは!」

「こういう場合は逆に良かったって言うんじゃない?」


 軽口を叩いてから、ロウは正面のアマルテアを呼びつける。


「おい、逃げるぞ! さすがに二人も抱えるのは無理だかんな、自分で走れ!」

「……けど、おかあさん、が」

「まだそれ言うつもりか!? イェルノが殺されかけてんだぞ!」


 踵を返し駆け出したロウの後を、ぱたぱたと軽い足音がついてくる。

 それを確認してから、ロウはアマルテアの背を押し前に出した。


「オレがケツ走る。お前は先に行け」

「ろう」

「いいから! お前が迷子になったらまた探さなきゃなんねんだよ!」


 逃げ出したアマルテアの行動に迷ったように、巨大な建築用ロボットもまた鈍い動きで歩み始めた。

 轟音を上げて追いかけてくるロボットの移動速度は、巨体なだけに鈍重ではある。


 ただし、イェルノという重荷を抱えて動くロウにだって、さして余裕がある訳ではない。こんなに必死になったのはいつぶりかと思い返そうとして――そう言えば、つい最近同じような焦りを感じたことに気が付いた。この星――惑星テルクシピアに落ちたあの日から、まだ一週間も経っていない。


 ただがむしゃらに角を曲がり、ロボットとの距離を取り、駆け抜ける。

 アマルテアどころか自分も迷子になりそうだが、どこか落ち着いたところで、アルキュミアのくれた地図さえ見られれば問題ない。

 走りながら声をかける余裕はないが、どこか――身を隠す場所さえあれば!


 壁と壁の隙間、通路から奥まったところへアマルテアの身体を押し込んだ。

 自分もまたイェルノを抱えたまま奥へ入り込む。

 軽いと言っても抱えて走り続けてきただけあって、イェルノの身体を下ろした途端に腕が震えた。

 腕を擦りながら息を潜め、通路の様子を探る。

 建築用ロボットの重い足音は遠くで響いているようだった。


「ロウ」


 通路の奥で囁くイェルノの声に応えようとしたが、乱れた呼吸がそれを許さない。


「っは……だま、てろ……」

「ロウ、俺のことはもう良い。自分で走れるから」

「……るせ」

「何度でも言うけれど、あなたが無事でなければ――」

「っだからって……あんたが、ここで死ん――いや、壊れてもいいっ……って理由にゃならん……」 


 途中で言い直した。認めたくない自分の認識の変化を隠す為に。


「……その腕、オレのせいだ……」

「なに言ってるの。正確にはわからないけれど、俺が変に銃なんて取り出したのが悪かったのかも知れないよ。アマルテアの口ぶりだとあれはお母さんだってことだし。そもそもあの手の建築用ロボットには、簡易的な人工知能が取り付けられてるはずだ。人間に害を与えることはできないはずだから、黙って大人しくしてれば、あのフォークリフトはあなたにだけは危害を加えなかったかも。……はは、ぜんぶ俺が勝手にしたことだ」

「あんたが助けてくれなきゃ死んでたよ。まっすぐオレに向かって突き刺さってきてんだぞ。当たらないなんて信じられないし、誰だって反射的に避ける」

「ああ……まあ、人工知能が人間を襲わないっていうのは故意にそうはできないってだけだから……中途半端に避けたりしたらお腹どころか頭ぶっ飛んでたかもね。まあひとまず、あなたに怪我がなくて良かった。俺のせいで誰かが死ぬのは、もう……二度とごめんだ」


 イェルノはそこで目を伏せてしまったので、ロウにはそれ以上尋ねることができなかった。

 だが、その言い草はどう聞いても、イェルノのせいで死んだ者が他にいるという意味にしか取れない。作られたばかりのセクサロイドに、なんの記憶があるというのか。

 イェルノの歪めた薄い唇が、通路から差し込む灯りに照らされて一瞬だけ見えた。すぐに長い髪の影に隠れてしまったが。


 目の端で、イェルノが優しくアマルテアの背を撫でているのが見えた。細い身体を壁に押し付け身を寄せ合って隠れていると、心臓が早鐘を打っている。


 鼓動がうるさい。まるで一人分ではないみたいに。

 イェルノにも心臓があるのだろうか。人間と全く同じ心臓ではないとしても、似たような機能を持った部品が?


 それとも、これはやはり自分一人の心臓の音なのか。

 頭をがんがん鳴らすような、この大きな音が。


 ロウの背中に触れているイェルノが、安堵のようにため息のように、吐いた息が耳元をくすぐる。

 ロウ、と背中のイェルノが呼んだような気がする。ロウは呼びかけに答えるように、背中を向けたまま口を開いた。


「……あんた、似てるんだ」

「似てる?」


 尋ね返す声は高くも低くもない。

 どこか甘い響きが――なにより、ロウを見上げてくる碧眼が。

 似ている。


母さんマーマに似てるんだよ」

「マーマ? それは……かの人工知能の女神ゴッデス・オブ・アーティファクトのこと? そりゃ光栄って言えばいいのかな……」


 睫毛を伏せて考える仕草は、ますます似ているように思えた。

 イェルノの残った左手が、迷うようにロウの肩へかかる。


「うーん、推測だけど……俺の製作元のベリャーエフINC.は女神ゴッデスの生前、新型AI開発のため多額の資金援助を行っていたんだ。宇宙船もだけど、俺みたいな各種アンドロイド製造も活発だからね。もしかすると俺の電脳にも、リュドミーラの作った人工知能が組み込まれているのかも」

「マーチの作ったものだからマーチに似てるんじゃないかって? は、そりゃあんまりにも単純な話だし、そもそも最初の前提が違うぜ」

「前提?」

「あんたの似てるのは、母親マーチじゃねぇ、母さんマーマなんだ」

「え?」

母親マーチがオレの育児用に使ってたアンドロイドだ」


 母親であるリュドミーラが、ロウだけの為に作ったそのアンドロイドは、リュドミーラと同じ碧の瞳を持っていた。

 そのくせ、まったく同じ外観にするのは嫌だったようで、髪の色や顔立ちは逆に似せなかった。


 真っ直ぐな長い黒髪のリュドミーラと、柔らかいウェーブのある茶色がかった髪のマーマ。

 冷徹に人々を見下ろす『人工知能の女神』と、腕の中にロウを抱えて微笑むマーマ。


 ざっくりとしたニットに長いスカートをはいて、世の母親を体現するかのような優しさでロウを包んでくれたのが、マーマだった。

 同じ碧眼でも、イェルノは育児用アンドロイド――マーマの方に似ているように思える。

 冷たい背中しか思い出せない現実の母親マーチではなく、ロウだけを優しく愛してくれた理想の母さんマーマに。

 学校で虐められ、泣きながら帰ってきたロウを抱きしめてくれたのは、いつだってマーチではなく、マーマだった。眠りにつく時、夜闇が怖くて泣き出すロウに、ずっと子守唄を歌ってくれたのも。


 夜更けまで自分の仕事で忙しかった母親マーチがロウに子守唄を歌ったことなど、一度もなかった。

 それなのに、死んだ途端、これみよがしに自分の歌をアルキュミアに録音なんかしやがって。

 二人の母それぞれに対する怒りと懐かしさで、胸が詰まりそうになる。

 幼い頃から温めていた疼きをそのままに、背後のイェルノに向けているような気がした。


 だから、きっとこれは――こうして惹かれているのは、当然のことだ。

 ようやくこれで告白出来る、と――感傷に浸るロウの耳に、何の感慨もない普段通りの冷静な声が届いてきた。


「じゃあ、なおさらだ……ゴッデスはあくまで人工知能開発の技術者だったから、もしかすると、中身ずのうじゃなくて、素体そとがわをリュドミーラに提供したのがベリャーエフなのかも」


 至って常識的な判断が、背中から発せられる。

 素体の製作元。同じ鋳型から造り出される、ベルトコンベアに乗せられた、同じような白い身体。

 見たこともない工場の様子をイメージして、正直な話、運命に近い何かすら感じていたロウの頭が、少し冷えた。


 なるほど、同じ製造元が作ってるから似てるなんて発想は、ロウにはなかった。

 さすが、夢も希望もない人工知能の判断は冷静だ。


「じゃあ、この宇宙には、マーマとおんなじ顔した人工の女がわんさかいるってことかよ……」

「使用目的から言って、育児用アンドロイドの素体を使ったんだと思うんだ。だから、性的用途向けの俺とはそんなに似せないのが基本だけど。……うーん、でも、ベリャーエフの素体デザイナーは長いこと一人しかいないからね。未分化セクサロイドの俺のことさえ『似てる』って判断するくらいなら、まあそのレベルで似てるアンドロイドは相当数いると思うよ」


 冷めた説明口調とは裏腹に、背中に張り付いた身体は熱い。

 千切れた右手から、透明なオイルが粘りながら床に落ちた。ぽとり、と湿った音が響く。


「ん? じゃ、あなたは人工知能マーマに愛されて育ったってこと? あなたにとって人工知能は愛すべきお母さんなんだ」

「……だったらなんだよ」

「それなら、もっと俺に優しくしてくれても良くないか? 何故、俺をそんなに嫌うの」


 問いかけに用意された答えはあった。

 たった一つで、充分すぎる答え――人工物は、マーマは。あんたは。


「――あんたらは、裏切るからだ」


 自分の声が、ひどく掠れて聞こえた。

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