10段目 記録

 一条の光を首筋に受けながら、ロウの手を引いたイェルノが声を上げる。


「アマルテア! どこに行ったの?」


 足を滑らせないように気を付けながら、ロウは辺りを見回した。押し殺した笑い声が響き、妖精の紅い翅が柱の向こうに覗いている。


「おい、イェルノ。あっちだ」

「アマルテア! ダメだよ、先に行かないで」


 聞こえているのかいないのか、ロウとイェルノを誘うように呼吸に合わせて閉じ開きする翅だけがしばらく動いている。

 が、イェルノが足を踏み出すと同時に、ぱたぱたと軽い足音が遠ざかっていってしまった。


「……ちっ。追うか」

「気を付けて。滑りやすいから」

「言われなくても分かってる」


 駆けまわれるような足場ではない。

 多少は早足になっているが、転倒することも気にせず駆けていく妖精との距離は思うように縮まらない。


「アマルテア!」

「……面倒くせぇ。おい、アルキュミア、聞こえてるか!?」


 ロウはジャケットの袖を軽く引き、手首の携帯端末に声をかけた。

 電子音の直後にアルキュミアの応答が返ってくる。


『お呼びですか、マイマスタ?』

「船体の周辺に建物を見付けた。あんた、こいつの存在を知っていたな?」

『船外センサを利用した簡易GPS機能により、マイマスタの現在位置を把握しました。はい、前回の地表走査の段階で認識しています』


 しれっと答えが返ってくる。


「……何故言わなかった」

『不要と仰ったので』


 イェルノが前方で吹き出した。

 言った通りの応対を耳にして、我慢がきかなかったらしい。そちらを睨みつけておいてから、ロウは続けて問いただす。


「内部構造も確認してあるんだな?」

『通路の位置情報はマッピングしてあります。マイマスタにとって特段の危険物はありませんが、足元にはお気をつけ下さい』

「おい、簡易GPSでアマルテアの居場所も探れるか?」

『建築物内の構造と合わせて、お送りします』


 言葉の直後、ロウの眼前にホログラムマップが広がる。

 そそくさとロウの隣に身を寄せたイェルノが、自分たちの現在位置とアマルテアの位置を確認する。


「えっと、こっちから回った方が近そうだけど」

「ああ……」


 本当は、二手に別れて挟み撃ちにした方が良さそうな気はする。

 しかしイェルノから目を離すのは、それはそれで恐ろしいものがある。

 なんだかんだ言って、イェルノもアマルテア以上に好奇心を前面に動く傾向がある。そのことをロウはこの数日で嫌というほど理解していた。


「じゃ、行くぞ」


 繋がれていたままのイェルノの手を逆に引いて、ロウが先を歩く。

 あたふたと追いついてきた軽い足音が、隣を追い越した。


「待って、俺が先に行く!」

「あ? 順番なんかどっちでも良いだろ」

「ダメだ。あなたに何かあっちゃいけないから」

「てめ……何で今更、そんな普通の人工物アンドロイドみたいなこと言ってる……」

「じゃなくて、何度言えば分かるんだよ。あなたがいないと俺達は誰も生きていけないの。俺が怪我をするより、あなたが怪我をする方が最終的に被害が大きいんだよ」


 ただの数比べだ、とつまらなそうに呟くTシャツに包まれた細い背中に照れのようなものを見て――すぐに打ち消した。

 そんなはずはない、こんなものはただの感傷だ。そうだろう?

 繋いだ手が途端に熱を帯びたように感じたのも、多分同じ理由のはず。

 なんとなく俯いたまま歩く二人の前を、紅い翅がふと横切った。


「――アマルテア!」


 呼びかけたイェルノの声は聞こえているに違いないのに、妖精は反応しない。

 うっとりと手の中の何かを見つめる横顔は、光に照らされて白く輝いていた。


「ダメじゃないか、一人で遠くへ行っちゃ。心配したよ」


 イェルノが、ロウの手を振り切って駆け寄る。

 小さな身体を抱き寄せると、ようやく気付いたようにアマルテアはにこりと笑ってイェルノを見上げた。


「いぇるの、これ、みつけた」


 差し出してきたソレは遠目に見る限り、足元に散らばる機械屑スクラップと大差はない。

 手のひらサイズの長方形の塊で、メタリックな外見からして、ただの石ではないと見えるのは確かだが。

 受け取ったイェルノの不思議そうな顔を見て、ロウはアルキュミアを呼んだ。


「おい」

『本日はマイマスタのお呼び出しが多いようです』

「不満かよ」

『いえ、単に、黙っていろと仰る方がお好みであると認識しておりましたので意外に感じただけです』

「んなこたどうでも良い。呼ばれたら応えるのが、お前の仕事だろうが」


 ロウの苛立ち紛れの言葉にも、アルキュミアは声の調子を変えもせず即座に応えた。


『はい、メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、マイマスタの快適な宇宙生活を支える為に――』

「うるせぇ。あれは何だ?」


 長い口上を遮って、ロウの差しす機械部品に、腕の小型端末から発せられたアルキュミアの走査光スキャナライトが当たる。数秒の分析時間を置いた後、回答が返ってきた。


『一世代前に流行した情報記録媒体ストレージメディアです』


 一世代前ぐらいなら、さして古いものではない。アルキュミアにも十分に読めるレベルだ。ただし、母親マーチの仕事に何の興味もなかったロウの記憶には、その知識はないが。


「中身も読めるよな?」

『破損の有無にもよりますが、実物をあなたのアルキュミアまでお持ち帰りいただければ可能かと』

「読んで危険なことはないな? 質の悪いコンピュータウィルスが入ってたり……」

『それは実際に内部を解析してみなければ……ご心配なら、閉鎖環境をアルキュミア内部に作成して、そこで解析するように致します』

「そうしてくれ」


 なんの記録かは分からないが、好奇心旺盛なイェルノはきっと読んでくれと言うだろう。そのくらいの推測は出来るようになった。問題は――


「おい妖精、お前、なんでこんなもん拾ってきやがった」


 まだじろじろ眺めているイェルノの手から、ロウは媒体を取り上げた。媒体に誘われたように、紅い瞳がイェルノからロウの方へと視線を移す。


「ろうにみてほしいから」

「はあ? オレに?」

「まだはやいけど、きっとだいじょうぶ。あまるてあは、しってるの」

「……おい、イェルノ」

「知らないよ。どうせ大した意味はないって」


 なにを言っているのか分からない上に、通訳に役割放棄されれば、もうどうしようもない。つたつたと近付いてきたアマルテアが、ロウの身体にしがみついた。


「ろう、ねえ、いっしょによもう!」

「まあ、アルキュミアに戻れば読めるだろうよ」


 まるで絵本をせがむ子どものような口ぶりに、反射的に答えを返した。

 イェルノはどこか微笑ましそうにロウ達を見ているが――密着されたロウの方はそんな思いにはなれない。

 ちろりと唇を舐めた舌の赤さが、ロウの視界を掠めた。

 ――次の瞬間、轟音が鼓膜を震わせる。


「な、なんだ!?」

「どっかで天井でも落ちたのかも。危ないな、早く戻ろ……」


 イェルノの言葉の途中も、轟音は止まない。さすがに顔色を変えたイェルノがアマルテアの身体を抱き上げた。

 耳をすませば、どうもただの崩落のようには聞こえない。何か巨大なものがガラクタを掻き分けているように聞こえる。しかも、徐々に近付いて来ているような。


「――近い!」


 反応が早かったのは、意外にもイェルノの方だった。

 アマルテアの身体をロウに押し付けると、二人を背中に庇い腰から電子銃を引き抜いて構える。

 そんな武装をしていることも、ロウは知らなかったのに。

 イェルノに遅れること数秒、ロウも渡されたアマルテアの身体を下ろして構えようとしたが、張り付いた妖精は手を放そうとしない。


「ろう……来るの」

「なにが来てるか知ってんのか?」

「……おかあさん、が、来る」

「お母さん?」


 意味を問いただすより早く、轟音の主が前方から姿を現した。


「――建築用ロボット!? この施設で使ってたものが、まだ動いているのか」


 イェルノの声が跳ねる。

 細い背の向こうに覗く巨大な金属の塊は、確かに、様々な惑星開発の建築現場でよく操作される見慣れた機体だった。

 大きさで言えばロウの身長の数倍はある。これまでこんなに近くで見たことがなかったためか、いつにない迫力を感じた。

 簡易的な人工知能を載せ自律的に動くようになっているそれは、クレーンやショベルのついたアームをぶら下げ、重々しい四足で近寄ってきている。


「ロウ、ダメだ、こんなのじゃアレは止められない! 逃げよう」


 振り向いたイェルノの焦った声に、先に応えたのはアマルテアだった。


「おかあさん――だめ!」


 いたいけな声に重なるように建築用ロボットの中央に据えられたフォークリフトが、真っ直ぐにロウの腹へ向けて突っ込んできた。


「ロウ――!」


 声を上げながら、イェルノが身体をぶつけてくる。

 ロウを押し倒した小柄な身体の真上を、フォークリフトのツメが勢い良く突き抜けていく。


「……ぐっ」

「おい!?」


 床に押し付けられながらも、真上で絞り出された悲鳴に反応し、ロウは慌てて身を起こす。

 微かに眉を寄せたイェルノの視線は、自分の右腕――いや、右腕があった場所、へ向けられている。


 握っていた電子銃諸共、イェルノの肘から下が失せていた。

 人体には有り得ない色とりどりのコードと、半透明に透けたオイル様の液体がねじ切られた断面から垂れ下がっている。


「――あんた……っ!」

「だ、大丈夫……痛覚は切ったし……うっ、く……今、血管も塞いだ、から」


 狼狽するロウを嘲笑うように、建築用ロボットがクレーンの腕を振り回す。

 イェルノの身体を抱いて、ロウは後ずさる。


 その背中から、アマルテアが薄い翅をひらめかせて飛び出した。

 血の色をした髪が、建築用ロボットの起こす風に煽られてはためいた。

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