12段目 ピュグマリオン

「裏切る?」


 問い返すイェルノの声に答えようと、ロウが息を吸った瞬間。

 背後から轟音が響いた。


「――壁を突き抜けてきやがった!?」


 通路の奥の壁をフォークリフトが突き抜けている。

 慌ててイェルノの腕を引き、アマルテアの首根っこを掴んで通路の出口側へ向かわせた。

 歩きにくそうなイェルノの背を支えながら、ロウも踵を返して駆け出す。

 裏道を出て太い通路に合流しようとしたところで、前方を小型の作業用ロボットに塞がれた。


「っ二体目だぁ!?」

「おかあさん、だめ」

「あっちもおかあさん、こっちもおかあさんかぁ!?」


 威嚇するカマキリのように二本の腕をもたげ、四足で身体を支えている。

 縦に伸びたシルエットは細い――蹴倒せばイケそうだ、というのがロウの判断だった。

 即座に前方のイェルノの身体に手をかけた。


「――うわ、ちょっと!?」


 肩に担ぎ上げられたイェルノが悲鳴を上げるが、当然のごとく無視する。

 重量を増やしておいて、再び作業用ロボットが塞いでいる通路の出口に向かって駆け寄った。


 足音が聞こえたか、それとも熱反応に気付いたか、キュインと機械音が響いてロボット上部のカメラアイが回転する。

 その目が――確かにロウ達の姿を捉えた。


 ロウは勢いを止めぬまま小型ロボットに向けて突っ込んだ。

 体重をかけてアームを踏みつける。

 助走の勢いと自重、そして弱そうなアームの先を狙う卑怯さが、ロボットの妨害に勝った。

 外れた部品をばら撒いて落としながら、作業用ロボットがぐらりとバランスを崩す。


 その折れたアームを踏み越えて、イェルノを抱えたロウは通路を走り抜ける。

 後ろで、崩れた作業用ロボットを建築用ロボットの巨体が踏みつぶす音が聞こえた。


 イェルノの身体を肩に担ぎあげたのが良かったのだろうか、胸の前で抱えていた先ほどよりも走りやすい。

 抱えられたイェルノがロウの背中をばしばしと叩く。


「ロウ! ロウ、アルキュミアを呼び出せ!」

「――あるキュミアあああっ! マップっ! 逃っ走っルートぉ出せぇ!」

『――メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、建築物内のマップを表示します』

「ホログラム、背中に回して!」


 ブレるマップを、背後のイェルノが読んで、足であるロウにルートを指示する。力を合わせてなんとか建物を抜けたが、背後の轟音はまだ消えなかった。

 それどころか、いつの間にか機械音に囲まれているような気さえする。


「おい、アマルテア、まだ走れ――って飛んでんじゃねぇか!?」

「あまるてあ、は、とべる、みたい……?」

「自分でも知らなかった能力が、追い詰められて開花したのかな。えらいね、アマルテア」

「そういう話か!? いや、もういい。アルキュミアに戻るぞ!」


 浮遊するアマルテアを連れ、ロウはイェルノを抱えたまままっすぐに宇宙船を目指した。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



『おかえりなさいませ、マイマスタ』

「――アルっキュミ、ア……い、今すぐ飛ばすぞっ! っは、がはっ……エンジ、ン点けろぉ!」

『かしこまりました、マイマスタ』

「クッソ……全速前進、とっととケツまくって逃げるぞ!」


 コントロールルームに立つアルキュミアを見た途端――ロウの肩から力が抜けた。

 荒い呼吸のままコントロールシートに腰を下ろし、背を預ける。


 一拍も置かず、エンジンの唸る音が聞こえ始めた。

 アルキュミアの話の早さ――絶対服従の安心感が、今だけは気を落ち着かせてくれる。


 アマルテアがふわりと着地し、ロウの足元にうずくまった。

「おかあ、さん……」

「おい、お前の言う母親ってのは、あの――」

『――アルキュミア、離陸します』


 一瞬、加速による圧力が身体にかかった後、すぐにアルキュミアの疑似重力に緩和されて和らいだ。

 ほっと……ようやく息を吐く。


『離陸完了、高度上昇。本船アルキュミアは間もなく、地表より高度三千mに達します。……ちなみに、あなたのアルキュミアはどこへ向かえばよろしいのでしょうか?』


 問われてはじめて目的地を設定していないことに気付いた。


「ねぇ、ロウ……お願いだから、おろして……」


 ついでに、肩に担いだままだったイェルノが弱々しい声を上げ続けていたことも。 

 頭が下になっていたので、血流――アンドロイドにそんなものがあるのかわからないが、苦しいらしい。

 抱えていた身体を黙って床の上に放り出す。

 乱暴に降ろされたイェルノが何やら小声で罵り言葉を吐いたようだったが、肉体的にも精神的にも疲労がひどくて、言い返す気力も沸かない。


 イェルノが傍に降りても、アマルテアは反応しない。

 顔を覗き込めば目を閉じている。どうやら眠り込んでしまったようだ。

 『おかあさん』とやらについて尋ねたいところだが、彼女を溺愛するイェルノの前で叩き起こすのは憚られる。


「……あー……じゃあ、二時の方角に適当に五百kmくらい飛んで、適当に降りてくれ」

『かしこまりました、高度を一万mまで上げます』


 抑揚のない答えを聞きながら、ロウはパイロットシートに腰を下ろした。


「……っだー、何なんだよ、ありゃあ!?」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、その質問に対する答えを持ちません』

「求めてねぇ」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、慰労として、温かい飲み物のご提供を提案します』

「いらねぇ」


 片手を振って断っておいてから、ロウはジャケットの内ポケットから、しまっておいた情報記録媒体ストレージメディアを取り出した。


「アルキュミア、ほれ」

『先ほど通信のあった媒体ですね。今すぐ解読を始めますか?』

「頼んだ」


 放り投げた先には少女の姿をしたホログラム。

 その微かに膨らんだ胸元を、媒体が通り抜けた。

 無機質な直方体が床に落ちる前に、いつの間にか伸びていたアームがキャッチする。

 壁にアームごと吸い込まれていくメタリックカラーを見送って、ロウは両眼を右手で覆い視界を遮断した。


 疲労がひどい。パイロットシートに後頭部を預けてぼんやりしていたら、頭の上から優しい感触が降ってきた。

 指の隙間から様子を伺うと、正面に立ったイェルノが残った左手でロウを撫でている。

 その碧眼に愛情のような労りを見て、舌打ちしそうになった。


 あんた、ただの人工知能のクセに。

 そんな優しさなんて、幻でしかないものなのに。

 人工物に心があるなんて、思わせないでくれ。


 目を逸らした途端、視線が勝手に半ばから断たれた右手へ向いてしまう。


「……それ」

「ん?」

「そのままでいいのかよ」

「よくはないが……現実的に、今のところ出来ることはないな。ベリャーエフINC.と連絡が取れれば、修理も出来るだろうけど」


 左手をすかすかと動かして失われた右手を掴む真似をしながら、イェルノは苦笑している。


「笑い事じゃねぇだろ」

「問題ないよ。とりあえず、これ以上液漏れしないように応急処置しておくから。……そんな顔しなくていいって」


 どんな顔だよ、と問い返そうとして、止めた。

 問えばきっと、正しく答えが返ってくる気がしてしまうから。


 かわりに、上に乗せていた手をどけて、見下ろしてくるイェルノに目を合わせた。


「あんたさ……」


 いつも黙ってロウの言葉を待つ人工物が――何故か、このときは少し焦っているように先に唇を開いた。


「ねぇ、ロウ。俺、あなたに言わなきゃいけないことが――」

『――解析が終了しました』

「ぅわっ!?」


 ロウの耳元で、アルキュミアの合成音声が響く。

 驚かされたようにシートから肩が跳ね、ちょうど減速を始めた圧力に背中を押されて、転げ落ちそうになった。


 直後、宇宙船アルキュミアの疑似重力で圧力が掻き消え、おかげで引き戻された身体が思い切り背もたれにぶつかった。


って!」

『お預かりした情報記録媒体の解析が終了しました。目的地まではもう少しかかりますが、その間に解析されたデータをご覧になりますか?』

「お、おぅ、映してくれ。早かったな……」


 上ずった声を抑えて座り直したロウの腕――肘掛けの辺りに、イェルノは今度こそ口を閉じ腰を引っ掛けるようにもたれている。

 二人の視線を受けてホログラムはそっと腕を振り、前方に画像を映し出した。


『結論から申し上げれば、先程の媒体に危険プログラムは認められませんでした。情報を整理したところ、中に入っていたのは少量のテキストデータです』

「テキスト……」

『テキスト分析によるといわゆる日記形式の文書と判断できました。確認した限りでは文中の日付と上書きされた日付の記録に、大きなズレはないようです』

「日記――この星をテラフォーミングしてたヤツの書いたもの、なのか。日付が合ってるってこた、ある程度信頼出来るってことか」

『はい。勿論、全てがこのテキストデータ作成者の妄想や作り話という可能性もありますが……それは、現状のデータだけで、あなたのアルキュミアには判断できません』


 アルキュミアとロウの会話を聞いているのかいないのか、イェルノは口を閉じたまま、断たれた右腕をぐっと引き寄せている。

 その姿を見ながら、アマルテアのことを思い返した。


 いつの間にか大きくなった妖精。

 紅のはねから七色の鱗粉を落とす亜人類フェアリィ

 ――そう言えば、この媒体を見つけたのもアマルテアだった。


「こいつ、なんか企んでるのか?」

「また、そんなこと言って」

「だって、これを渡してきたのも、あの建物を勝手にずんずん進んでったのも、あのロボットを『おかあさん』って呼んでたのもこいつだろ」

「怯えてるの?」

「アマルテアみたいなこと言うなよ。オレが怯えるなんてそんなこと――」

『テキスト内容を表示しますか?』


 言葉を遮るように、アルキュミアの声が響いた。

 ロウはイェルノと目を合わせ、小さく頷いて見せる。


「……読もう」


 決断とともに、ホログラムのアルキュミアが視線を前方のパネルへ向けた。


『――投影します』


 無機質なアルキュミアの声を聞きながら、ロウはこみ上げてくる何かを、ごくりと飲み込んだ。

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