律する

 四月十二日。月曜日。

 今日は前の週作戦を練った新入生オリエンテーションの実施日だった。今は午前中。午後になれば僕達生徒会役員メンバーは、授業を抜け出して件のオリエンテーションの主催者として格技場に向かわなくてはならなくなる。

 他の生徒会メンバーは、授業サボれてラッキーみたいな認識でいたが、僕はどうもそんな気になりきれなかった。特に三年生である会計君と副会長はそんな認識でいいのか、と少しだけ不安に駆られた。後悔だけはしないようにしてくれ。


 さて、そんな中僕はといえば。


「ちょっと、鈴木君」


「……んがっ」


 きっちりと授業中にうたた寝をかましていた。クラス替えが行われたというのに、去年同様同じクラス、隣の席に腰掛けている安藤さんが、先生の目を盗んで僕を起こしてくれたのだった。


「もう。今授業中なのに寝てていいの?」


「ごめんごめん」


 ボーッとする頭を数度軽く叩いて、寝ぼけている目を擦った。


「もう。よだれも垂れてる」


「うっそ」


 慌ててポケットからハンカチを取り出して、口元を拭った。ハンカチは少しだけ濡れていた。本当によだれを垂らして寝ていたようだ。


「まったく。生徒会役員なんだからたるんだ姿を見せちゃ駄目でしょ?」


「はい。すみません」


 少しだけ柔らかい物言いの安藤さんに、僕は申し訳なさそうに謝罪をした。今回はこちらに完全に非がある。素直に謝るのは当然だった。


「そんなに生徒会忙しいの?」


「まあ、それもある」


 含みのある言い方をしてしまったと自分でも思った。まあ、雑用ばかりの生徒会活動で疲れを感じないはずがないのは事実。ただ、他にも僕が疲れを感じる理由はいくつかある。

 それはバイトとテスト勉強である。

 僕は去年、進級し別のクラスになってしまった岡野さんに相談しコンビニバイトを斡旋してもらっていた。そのバイト先で、去年までは土日の勤務は店長の計らいで免除されていたのだが、今年から日曜日にもシフトが入るようになったのだった。

 何でも、昨年冬にコンビニ傍に建てられた住宅施設が高所得層に流行り、コンビニの客足増に繋がったのだそうだ。高所得層もコンビニ愛用するんだな、なんてことも思ったが、確かにコンビニの一足は増加したと実感させられる日々だ。

 そんなわけで、人手不足に陥ったために高校生である僕達も土日シフトに入り始めたのだった。


 だが、GW明けにある中間テストの勉強とかみ合うと、こうも体力的に疲労を感じるとは思わなかった。これはテスト週間に入ったらバイトのシフトを減らさないとまずそうだ。


「まあいいけど。美穂ちゃんに迷惑かけちゃ駄目だよ。美穂ちゃん、お父さんのことで少し参ってるみたいだから。フォローしてあげるくらいじゃないと」


「うす」


 軽く返事をしたら、安藤さんは呆れたようにため息を吐いていた。

 というか白石さん、そんなに彼女のお父さんのことで悩んでいたのか。先日上野で軽く聞いていたが、そこまでとは知らなかった。

 まあ、一旦それは置いておくとして。


「あ、安藤さんは勉強は順調なの?」


 安藤さんのあからさまなため息に少しだけ傷ついた僕は、話を逸らそうと思い言った。


「全然だよお」


 あ、いつものやつだ。最早お馴染みになった安藤さんの勉強出来てないアピール。彼女のために、白石さんと僕の三人で彼女の家で勉強会を開くことにした経緯もあったりして、彼女の実力を知る今、最早言葉通りに彼女のアピールを聞き入れられない僕であった。

 ちなみに、先の言い方だと僕の方が安藤さんよりもテストの点数が高そうだが、それは違う。

 安藤さん、白石さん、僕の三人だと、テストの点数が一番悪いのは決まって僕だ。それでも毎回全教科八十五点にいるのだから褒めて欲しいものである。

 ただ、目標が高い我が彼女白石さんにより、いつも褒められるどころかどうしてそんな点数なの、みたいなお返事を頂戴しています。悲しいね。


「そろそろ怒る点数のボーダーラインを下げて欲しい」


「未だ九十点なんだ」


 机に突っ伏した安藤さんが黙って頷いた。

 そりゃ確かに、大変だ。


「でも、何とか頑張らないとなー」


 しばらくすると、渋面を作った安藤さんが顔をあげた。幾ばくか抱いていたであろう不安も、その顔からは感じられなかった。


「鈴木君もだよ」


「何が?」


「鈴木君も、生徒会役員として毅然とした態度を振舞わないと駄目だよ」


「勿論さ」


 さっきはちょっと眠ってしまったが、そんなの当然することだ。そう、さっきはちょっと寝てしまったが。


「……後ろは振り返らなくていいの?」


 わかってらい。安藤さんの呟いた言葉で、僕はさび付いたネジのようにゆっくりと後ろを振り返った。

 僕の左斜め後ろ。窓際の最後尾の席。

 何故か彼女もまた、去年同様僕と同じクラス、同じ座席で日々勉学に励んでいた。


 目が合った。白石さんは僕に微笑みをくれた。


 良かった。寝ていたこと、バレてないみたいだ。

 いくら恋仲になり甘くなったとはいえ、白石さんはこういうことはキチンしていないと必ず怒るからな。僕のためを思っての行動なので嫌というわけでは勿論ないのだが、正直恋仲の彼女に怒られるというのは、精神的に少しだけクるものがある。


 ただ寝ていたことに気付かれていないのであればよかった。

 残りの時間はまじめに授業を受けて、ほとぼりを冷まそう。


 そう思った僕だったのだが、不意に白石さんが口パクで何かを僕に伝えようとしていることに気がついた。


 何だ?


『ア・ト・デ』

 

 後で。

 後で……何?


 少しだけ眉をしかめて白石さんを凝視していると、見惚れる微笑を返してくれた。


 ……そして。


『チャ・ン・ト・シ・テ』


 ちゃんとして。

 これ寝てたことばれてるやん。終わった。

 新入生オリエンテーション前に恋仲である白石さんに怒られることが確定して、少しだけ気が滅入った僕は、残りの授業も結局集中して受けることが出来ずに、余計に白石さんの琴線に触れることになるのであった。

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