清算

「よくわかったね」


 そう微笑む僕に、安藤は大層意外そうにしていた。


「隠さないんだ」


「隠さないよ。言っても信じてもらえそうもなかったから、わざわざ別の理由を探して嘘をついたんだ」


「でも、あなたが先輩みたいってことは、すぐ気付いたよ。あなたが先輩だったならって、いつか私言いましたよね」


「記憶が全て戻ってないんだ、僕。君のことも、再会するまで思い出せなかった」


「そうだったんだ……」 


「そう。だから納得させられないと思った。怒られると思ったんだ」


 安藤は何も言わなかった。多分、僕の言い分を理解してくれたのだ。

 安藤だって、自分で僕が僕と気付けたから納得できた。僕からこんな話をしたら、多分荒唐無稽だと笑い飛ばしたか。もしくは死者を弄ぶなと怒ったか。


「ま、積る話もあるからさ。どっかの喫茶店にでも入らない?」


「うん。それはいいけど……」


「そこで、全て話すよ。どうして僕が今こんな姿でいるのか。まあ、わかる範囲でだけどね」


 僕は苦笑して、肩をすくめた。

 出版社傍の喫茶店に、その足で僕達は入った。すっかり陽が暮れた外を、店内から見ていた。少しだけ、ノスタルジックな気持ちになっていた。


「それで、どうして先輩は今、私の推しの姿でいるの?」


「推しかどうかは興味ないけど。僕と彼、接点がないように見えて、実はある事件に一緒に巻き込まれたんだ」


「事件?」


「そう」


 彼女に再び奢ってもらったオレンジジュースで喉を潤して、僕は続けた。


「彼、電車に飛び込み自殺をしようとしたんだ」


「えっ」


 安藤の顔が、悲痛でゆがむ。


「それを助けようとして手を伸ばしたら、僕も一緒にホームに落ちてさ。一緒に電車に轢かれた」


 安藤は口元に手を当てて、目を潤ませていた。


「そこからは何があったかはわからない。ただ気付いたら僕は、電車に轢かれたはずの鈴木高広になっていたんだよ」


「そんなことが……」


「そう。そしてそれが、四月七日の出来事だ」


「え? その日って、先輩が会社を無断欠勤した日」


「そう。そして僕は、僕がその日無断欠勤した日を君に聞いて、一つの悪い予感が浮かんだ。どんな超常現象かはわからないが、僕達の体が入れ替わってしまったのではないかってね」


 そう言いながら、僕はスマホを操作した。壊したスマホから移動させておいたメモ帳の遺書を、安藤に見せた。


「そんな……」


「それを見つけた時は、憤ったよ。こんな奴のせいで、僕は死んでしまったのか。こんな奴のせいで、僕の二十五年は台無しにされたのかって」


「こんなこと、絶対に許せない」


 まるで自分のことのように、安藤は憤りを見せていた。


「ああ、僕も許せなかった。一時自棄にもなった。でも、色々あって、彼に自分が捨てた人生はいかに惜しいものだったかって認めさせてやろうと思って。今に至った」


「……そうですか。救われたのなら、良かった」


「うん。それからはこの体で青春を謳歌しようと、頑張っていた。色々やったよ。この体で」


「へえ、白石ちゃんとの関係もその一環?」


「うぐ。うるさい後輩ですね」


「今じゃ私のほうが年上だし」


 安藤は微笑んでいた。


「……ただね、最近僕は不審を抱いたんだ。僕の体で死んだ鈴木君へ」


「どうして? こんな入れ替わった人を煽るような文章を残した人なんだし、何もおかしくないと思うんですけど」


「本当に偶然だった。偶然、白石さんが持ってきたドライブレコーダーの映像の中に、僕が映っていたんだ。僕は、白石さんの車に轢かれかけたんだ。

 四月八日の映像だった。でもその日、僕の体に入っていたのは僕ではないはずだったんだ。鈴木君が入っていたはずなんだよ、その日、僕の体には。

 その時の彼、とても怯えた顔をしていた。あれは、これから自殺しようとしている人間の顔じゃなかった」


「でも、人がどんな顔して死のうとするかなんて……そんなの誰もわからないじゃないですか」


「わかるよ。ホームに落下した時、僕は鈴木君の呆然とした、無気力な顔を見ていたんだから」


 苦笑しながら伝えて、僕はスマホに載っている遺書の一説を指差した。


「それに、ここ。ここの文を読む限り、彼はもし他人と体が入れ替われたとしたら、その人の人生を謳歌する気だった。自殺する気なんて、なかったんだ」


「だから、何とか死の間際の彼の行動を追いたくて、また私に近寄ったんだ」


「ああ、迷惑をかけてごめん」


 頭を下げると、僕達は黙りこくった。静まり返る店内に拍車をかけて、虚無の時間が流れた。


「そういえば、よく僕が僕であることに気付いたな」


 しばらくして、ふと思ったことを口にした。


「言ったでしょ。あなたが先輩だったらいいのにって。本当に、そっくりだった。すぐふて腐れるところも、オレンジジュースが好きなことも。私がウザ絡みすると、少しだけ迷惑そうにしているのに、なんだかんだ話し相手になってくれるところも」


 自覚あるならウザ絡みするなよ、とは言えなかった。寂しそうに俯く安藤に、かける言葉がわからなかった。


「ま、それだけじゃないですよ? 今回の一件、先輩の話はあまりにも筋が通ってなかった。確か、弔うため? に先輩は自分の死んだ日の行動を振り返ろうとしたんでしょ? 死者を弔いたい人が、普通出版社に調査をさせようなんて思う?

 先輩の目的が、弔うことじゃなくて、死んだ日の行動を探りたいんだなってのはすぐにわかった。

 まあ後は、先輩のついた嘘だね」


「嘘?」


「先輩、自分の死に際を知りたいために、鈴木君の怪我の時期を口走ったこと覚えている?」


「そ、そんなこと言ったっけか?」


 覚えていなかった。少しだけ困惑気味に言ったが、安藤は「言いましたよー」と力強く頷いていた。


「先輩、その右肩の怪我を中三の夏にしたって言ってましたけど、それが間違い。鈴木君が怪我したのは、中二の冬よ。全国大会の三回戦で四回で途中交代したんだから」


「そうですか」


 饒舌に語る安藤に、僕は目を細めていた。さては君、その試合見に行っていたな?


「いつかの取り乱し方。出版社を頼る行動目的。そして、怪我の時期の嘘。

 もしかして、と思って……それで、油断しているであろうタイミングにカマをかけたの」


「なるほどね」


 怪我の件はいざ知らず。確かに振り返ってみれば……。

 僕の行動はあまりにも死者を弔う行動とはかけ離れていた。そんな怪しさ溢れる僕の話に乗ってくれただなんて、相当なお人好しか。

 もしくは、本当に。とっくの昔から気付かれていたのかもしれない。


「それで、先輩はどうしたいの?」


「え?」


「鈴木君の死の真相を知って、それを知った後、先輩はどうしたいの?」


 僕は、俯いた。安藤を今回の一件に巻き込む時、それは考えたはずだった。

 でも、


「わからない」


 答えは出なかった。


「わからない。でも、知りたい。知らないといけないと思っている」


「何故?」


「……わかんない」


 迷宮に一人迷い込んでしまったような孤独感が襲った。僕は今、何を思って行動をしているのだろう。

 安藤を悲しませて、両親にも迷惑をかけるかもしれなくて。


 それでも何故、僕は今、真相を探ろうとしているのだろう。


「先輩。私さ、先輩のことが好きだったの」


 安藤は微笑んでいた。


「一生を添い遂げたいと思ったこともあったよ。それくらい好きだった。

 仲良くなる前は親切そうに仕事を教えてくれたのに、仲良くなった後はすぐうんざり顔をするようになったけど、それでも困った時は真っ先に先輩が助けてくれた。

 長電話に文句は言うけど、精神的に参っている時にはいつも先輩は甲斐甲斐しく面倒を見てくれた。

 他部署の人と喧嘩した時にはさ。仲を取り持ってくれたり、その人の愚痴をずっと聞いてくれたり。

 そんな先輩が、大好きだったの」


 そして、涙を流した。 


「でも、転職を機にさ。変わろうと思ったの。だってさ。だってさ……




 先輩は、もういないんだもの」


「僕は……」


 ここにいる。そう言いたかった。でも、安藤に遮られた。


「先輩は、もういないよ。あなたは、先輩じゃない。あなたは、鈴木高広だよ。

 あなたの築いていく結果や成果はね。

 鈴木高広君の成果なんだよ」


 僕と鈴木君は、接点が一切ない。そして僕の肉体は、もうない。ならば、そうなるのは至極必然だ。


「だから私は、過去を清算したかった。転職を機に、心機一転したかったの。多分、先輩も同じだよ」


「……僕も?」


「そう。先輩は今、先輩ではなく鈴木君の人生を歩もうとしている。想い人と共に、先に進もうとしている。成長しようとしているの。


 だから先輩は、過去との因縁を分かつために、清算するために。

 先輩は、彼が死んだ理由を知ろうとしているんじゃないかな」


「……清算するために」


 口に出した途端、その言葉が驚くほど早く僕の心に浸透していった。先もわからない迷宮にいたのに。一筋の道しるべが。光が差し込んだ気がした。


「そうか。そうか……僕は……。


 清算したかったのか」


 ようやく、自分の進むべき道を理解して、溢れる思いがこみ上げてきた。

 でも僕は、その思いを堪えるように唇を噛んだ。


 多分、僕を好いてくれた彼女に、格好悪い姿を見せたくなかったんだと思う。

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