命の付加価値

「いやあ、まさかそんなことを知りたいと思ってたなんて。お姉さん困っちゃうな」


 しばらくして、安藤は場を茶化すかのように頭を掻いた。

 

「真奈美さん、僕は本気です」


「ど、どうして?」


 うろたえながら、安藤は続けた。


「どうしてそんなことを知りたいの」


「そ、それは……」


 僕は拳を握った。

 素直に、僕がその元サラリーマンだから、とは言えなかった。言って信用されるとは到底思えなかったし、もし信じてくれても、彼女は余計取り乱すだけだと思った。

 ただそうすると、今の僕には元の僕との接点が皆無だったことを思い出す。言い訳の言葉は、浮かばなかった。


「私をからかったの?」


「ち、違う! そうじゃない」


 必死さのあまり、椅子から立ち上がっていた。

 涙目で睨む安藤は、いつもとは違い少しだけ怖かった。


「……違うんです」


 安藤の凄みに怯み、萎縮して僕は椅子に座りなおした。

 しばらく、僕達は互いに何も喋ることは出来なかった。喫茶店に流れる明るめのクラシックが、その場の空気と合わさり、不協和音のような不快感を僕に与えていた。


「まあ、あの日の君の取り乱しようは少しだけ驚いたよ」


「あの日……。ああ」


 あの日とは多分、池袋で僕の身に起きた全てを彼女から聞いたあの日。確かに彼女から見れば、一切元の僕と接点を持たない今の僕が、あれだけ取り乱したのは予想外だったろう。


「ねえ、どうして? どうして君は、それほどまでに先輩に興味を持ったの?」


「……僕も自殺しようとしたことがあったんです」


 この時の僕には、真実を伝えようとする気持ちは皆無だったのだと思う。

 全てを伝えるのが、怖くなり始めていたのだと思う。

 

 いつもあれだけ笑っていた彼女が一変した。それだけで僕は、真実を話すことを恐れてしまった。もし信じてもらえなかった時、この身がどうなるのかわからなくて、怖くて、僕は嘘を重ねた。


「丁度、肩を怪我した中三の夏の時でした。全てに絶望して、電車に飛び込もうとしたんです。でも、それさえも怖くて出来なかった。

 今は落ち着いています。好きな人が出来て、毎日が輝いていて。

 でもいつか、またその頃に戻るんじゃないかと思うと、怖いんです。

 だから、真奈美さんの先輩の話を聞いて、僕は自分と彼を重ねてしまった。だから、あの時、異様に取り乱した。そして今、彼がどうして死んでしまったのかを知りたいと思った。

 多分、一度でも重ねた彼のことを。僕は弔いたいんだと思うんです」


 途中から、喉がカラカラになっていた。これまでだって、ハッタリに似た嘘は何度も重ねてきた。

 でも、こと彼女にするこの嘘だけは、心が痛んだ。

 一通り喋り終わった僕は、残ったオレンジジュースに口を付けることはしなかった。緊張していることがばれたくなかったというのが半分。もう半分は、どこまで彼女がこの嘘を信じてくれるのか、恐れていた。


 ……彼女は。


「そう。そっか」


 寂しそうに、呟いた。

 心の中で安堵のため息を吐いた。


「でも、ごめんね。私も先輩の亡くなった日のことはそこまで知らないの。同僚ってだけじゃ、警察もそんなに詳しくは教えてくれなかった」


 まあ、そうだろうな。


「彼のご両親なら詳しく教えてもらっているでしょうけど」


「それだけは出来ないです」


 僕は俯き、震える声で言った。多分、父さんも母さんも。ようやく僕の死に一区切りをつけて、落ち着いた頃だと思う。

 そんな二人の心をかき乱すような真似、出来っこない。


「今更聞きに行っても、警察はまともに取り合ってくれないでしょうしね」


 あれから。

 僕の体の死から、半年以上の時間が経過している。時間が流れてしまった。それだけで事態はあまり芳しい状態とは思えなかった。


 何か案はないのか。

 僕の死の真相を探れる案は。


 僕は必死に考えた。

 考えて考えて、ようやく一つだけ案を思いついた。ただ、彼女が乗ってくるかは、果たして……。


「週刊誌に情報提供するってのはどうでしょう?」


「週刊誌?」


「ええ、ブラック会社の激務に耐えかねて命を落とした社員って見出しで、記事にでもしてもらう。記者ならある程度警察から情報も得られる」


「でも、それも彼のご両親に迷惑がかかるかも」


「その時は、真奈美さん。お願いします。ご両親のインタビューの分まで、あなたのインタビューで枠を埋めてくれ。美人後輩の供述とかにでもすれば、向こうも乗ってくるかもしれない」


「それはいいけど。……でも、一番の問題点があるよ?」


「いかに、ぼ……彼の死を、記事にするか。記者をやる気にさせるか」


 正直、ブラック会社の激務に耐えかねての死なんて、今時珍しいものでもない。一般人の僕の死に、どれだけの付加価値を付けられるか、か。


「……それは、僕がどうにかします」


「出来るの」


「してみせます」


 顔を上げると、安藤と視線がぶつかった。安藤は、真剣な眼差しを僕に向けていた。

 この視線から目を逸らすことは、出来なかった。

 多分これは、関門だ。

 僕の体の死。鈴木高広の死の真相を探るための、最初の関門だった。


「わかった。任せる」


「ありがとう。それで、彼の職業とか、会社の情報をもらえますか?」


「えぇ、わかったわ。じゃあ、インタビューの内容と週刊誌へのアポイントはやっておく。一週間後でいいね」


「一週間後?」


 随分と近い。

 僕の驚きの言葉も、文句も一切聞かず、安藤はレシートを握って立ち上がっていた。


「私もさ、次の職場が決まって。そろそろ仕事が忙しくなり始めているの」


 安藤は続けた。


「ごめんね。多分私、もう清算をつけたいんだと思うんだ」


 安藤は寂しそうに言った。 

 清算、か。当然だよな。

 亡くなった僕のことを、彼女がいつまでも気にしているわけにはいかない。

 だって、彼女は生きているのだから。


 だって、彼女は今、彼女の生きるための成果を積み上げているところなのだから。


「わかりました。ありがとうございます」


 僕は元同僚に再び頭を下げた。

 彼女は言った。

 子供は大人にサポートされるものなのだ、と。


 でも、彼女に僕がサポートされるのは、きっと今回が最後だろう。


 真実を知って、僕が何を思うのか。どうしていきたいと思うのか。


 それはまだわからない。


 でも、これほどまでに彼女を苦しめてまで、悲しませてまで、彼女を頼ってはいけないと思った。

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