安藤姉、再び
いつかの池袋のカフェとは違い、安藤姉が指定した喫茶店は、随分と落ち着いた雰囲気の個人喫茶店だった。
「おっすー、鈴木君」
安藤姉は、まるで自分の推しアイドルにでも会えて嬉しいかの如く、大層嬉しそうに微笑んでいた。
僕は肝を冷やしていた。何せ、先に彼女の今の微笑を推しアイドルに会えたから、と語ったが、それがあながち間違いではない。だから、肝を冷やした。
昔の同僚に肝を冷やす日が来ようとは、人生何があるかわからない。だから面白いっ。
「いや、君とまた会える日が来るなんて。お姉さんちょう嬉しい」
「はあ。それは良かった」
引きつった笑みで、僕は言った。
「ほら、君はどう? 君はどうなのよ!?」
「はあ。とても嬉しいです」
「きゃー!」
彼女一人の出現で、落ち着いた喫茶店が一転。喧しい居酒屋にでも迷い込んだ気分を抱き始めていた。お店の人に迷惑だから、せめて騒ぐのはやめようね。
「で、今日は何の用? この私に」
「えぇと、今日安藤さんにはお願いがあって」
「チッチッチッ。違うでしょ?」
「は?」
「安藤さんはやめて頂戴。ま・な・み・さんって呼びなさい」
う、うぜえ……。
出会い頭からフルスロットルな彼女に、僕は再び引きつった笑みで、乾いた笑いを見せていた。
「ほら鈴木君。何飲むの?」
「えぇと、じゃあオレンジジュース」
「はーい。マスター。オレンジジュース一つ。本当、可愛い味覚しているね」
安藤姉の微笑みに、僕は照れながら顔をそらした。喧しいわ。
しばらく(安藤姉の)話題がつきない話しをしていると、気の良さそうなマスターがオレンジジュースを運んできた。
おお、待っていた。待ち望んでいた。
オレンジジュースを幸せそうに、僕は味わうように喉に通していった。
「そういえば、聞いたよ」
「何を」
「白石さんと付き合ったんだって?」
むせた。下世話好きとか救えないぞ、安藤姉。
「つ、付き合ってない」
事実を、僕は伝えた。
「でも、随分と仲睦まじいみたいだけど? 茜がそれはもう楽しそうに電話で教えてくれるよー?」
嫌味な笑顔で安藤姉が言った。
おのれ、安藤さんめ。姉妹揃って下世話好きかよ。まったくもう。
「それはもういいだろ?」
「えー、良くないよ。あなたの気持ちを知れないと、お姉さんやる気でない」
「うぐ」
大人気ないな、もう!
わかった。わかったよ。言えばいいだろ、言えば。
「す、好きですよ」
「ん?」
「白石さんのこと、好きですよ……」
思わず言葉尻が弱くなった。何で元同僚相手にこんなこと赤裸々告白せにゃならんのだ。
「へへえ。ふうん。そっかー」
中身がサラリーマンだからいいけど、高校生相手には絶対にやめろよ?
まったく。彼女の悪乗りする癖、まったく直ってないみたいだな。
『君が先輩だったら良かったのに』
でも、そんな彼女がいつか前、他でもない僕のために涙を流してくれた日があった。彼女の内なる思いを知ってしまい、それなのに彼女の前から消えてしまい、とても後悔した日があった。
本当に、彼女を巻き込んでいいのだろうか?
今更、そんな疑問が浮かんだ。
僕に好意を持ってくれて、僕に気取らない態度で接してくれて、僕のために涙を流してくれた彼女を。
僕は、巻き込んでしまっていいのだろうか。自分のことのために、再び悲しませてもいいのだろうか。
だって、そうだろう。
悲しまないはずがない。
真実が全て明るみになっても。真相がどれだけ意外性のあることでも。
僕の肉体が死んだことは。
鈴木高広が僕の体で死んだことは、決して変わることはないんだ。
きっと最後に残るのは、空しさだけ。
それなのに何故僕は、真実を知りたいと思ったんだろう。
……わからない。
でも、知りたいと思ってしまったんだ。知らないといけないと思ってしまったんだ。
「で、今日呼んだ要件は何かな。鈴木君」
安藤が思い出したかのように言った。
思考が未だまとまらないのに、なんて最悪なタイミングで彼女は思い出すのだろう。
「鈴木君?」
眉をしかめて俯く僕の顔を、安藤は心配そうに覗きこんでいた。いつもはすぐ悪乗りするが、彼女の根は、とても優しい。
何度も一緒に仕事をした。何度も一緒に飲みに行った。何度も一緒に電話した。
彼女の性格はよく知っているはずだ。彼女の脆さはよく知っているはずだ。
なのに僕は、彼女を頼っていいのだろうか。
「遠慮なんてする必要はないと思うよ」
「え?」
安藤は、優しく話し始めた。
「大人ってのはね、子供をサポートするためにいるの。あなたはまだ、未成年。いくら大人への階段を歩み始めたとはいえ、まだまだ子供。
だから、大人である私があなたをサポートするのは当然なの。
だから、余計な遠慮は無用。
君は、目的のために尽力しなさい」
「……ハハハ」
まるで僕みたいなこと言ってら。
そうか。彼女もまた、僕や僕達の会社の先輩から、僕の今の礎となる言葉を、思いを、受け継いできた人なんだ。
そんな彼女に今、子供の僕はどう写る?
危うく見えるのだろうか。
生意気に見えるのだろうか。
それはわからない。人の本心を理解しようだなんて、そんなこと出来っこない。
でも、これだけはわかる。
彼女は今、僕の助けになってくれようとしている。僕を助けてくれようとしている。
「真奈美さん、お願いがあるんだ」
「うん」
優しい微笑で、安藤は頷いた。
「あなたの先輩のことを、僕はもっと知りたい。亡くなった先輩のことを、もっと知りたい」
「……え?」
安藤の顔が少しだけ強張った。
……ごめん。
「彼はどうして死ななければならなかったのか。どうして彼は電車に飛び込んだのか、僕はそれが知りたい。知りたいんです。どうしても」
安藤は端から見ても動揺していることがわかるほど、目を泳がせていた。
でも僕は、もう止まらなかった。
「だから一緒に調べてください。彼の死の成行きを。お願いします」
深々と頭を下げた。
彼女は、何も言わなかった。いいや、多分言えなかったのだと思う。
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