白石宅にて
「ほら、上がって」
白石宅。僕は呆然と玄関に立っていた。連れて来られたはいいものの、こういう時どうしたらいいかわからないし、何かをしようという気力もなかった。
白石さんは佇む僕の右腕を強引に掴み、家に上げた。
「いてえ!」
右肩に痛みが走った。
しかし白石さんは、そんなことに気にする素振りもなかった。
「右の扉の先がリビングだから、ソファで休んでて」
僕がだらしなく脱ぎ捨てた靴を均しながら、白石さんは言った。
「ほら、早くっ」
また呆然と佇んでいると、叱られた。
渋面を作って、僕はリビングの扉を開けた。部屋は真っ暗だった。
白石さんは背後から腕を伸ばして、リビングの明かりのスイッチを入れた。
パッとリビングに光が戻った。重厚そうな木製のテレビ台の上に、四十インチくらいのテレビが置かれていた。その向かいには、これまた重厚そうな革製のL字ソファと机。
「ほら、座ってて」
呆気にとられていると、背中を押され、テレビの向かいのソファに腰を落とさせられた。
「ほら、適当にくつろいでいて」
僕の返事も聞かず、彼女はテレビのリモコンを使って、テレビを点けた。しょうもないバラエティ番組が映った。ガヤの笑い声が不快だった。これじゃひな壇の声が聞こえない。
僕がぼんやりしている内に、白石さんが着替えを持って現れた。
「お父さんのだけど。お風呂に入って着替えてきて」
「え、ああ。うん」
うだつの上がらない返事をして、僕は立ち上がった。
彼女が家で匿うと言ってから、僕の脳はずっとフリーズしっぱなしだった。ここまで来て尚、正常に稼動を再開する見込みは立っていない。
「ほらっ」
白石さんと目が合うと、胸にドシッと着替えを押し付けられた。
「お風呂は向こうだから」
差し伸ばされた方向に歩き出し、脱衣所であられもない姿を見せて、手軽にシャワーを浴びて、着替えた。
「早いのね」
お風呂から上がると、彼女はソファに身を預けていた。
「今日、ご両親は?」
熱湯を浴びて、少しだけ放心が冷めた僕は、彼女の言葉に返事をすることなく返した。
「出張中」
「両親揃って?」
「うん。二人とも海外」
「へえ」
彼女から一番遠いソファに腰を下ろして、
「海外っ!?」
僕は声を荒げた。海外出張だなんて、このご時世中々帰って来れないのではないか? それじゃ彼女、ずっとこの広い家に一人でいるのか。
「ずっと一人でこの家で生活しているのかい?」
「ずっとじゃないわ。でもそうね、かれこれ二ヶ月以上は会ってない。二人ともビザ取って行ったし。帰ってこようとすると問題が起きて、隣国に出国、即入国なんてこともしてたから。最後に会ったのは入学式の翌々日だったかしら。あたしの晴れ舞台だからって、入学式は参加してくれてね。それから三日間はいてくれたから。その間は車で駅まで送り迎えもしてもらってたわ」
「そんな前なんだ」
「でも、もう慣れたわ。最近始まったことでもないし、一人でいるほうが気楽と思う時もある」
その辺が、白石さんが昼休みに一人になりたがるルーツなのかもしれない。
「さて、私もお風呂入ってくるわね」
「あぁ、はい」
会話もそこそこに、彼女は立ち上がった。ジトッとこちらを睨んでいた。
「覗かないでよ?」
「しないよ」
呆れたように言うと、僕が少しいつもの調子に戻ったからか、彼女は少しだけ安堵したようだった。いやもしかしたら、連れ込んだ相手が痴漢の現行犯を犯さないでくれて安心しているのかもしれない。
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「で、何であんな場所であんなことをしていたの」
パジャマに着替えて、長髪を乾かす白石さんが咎めるように言った。
「まあ、聞くだろうとは思ってた。でも答える気はないよ」
というか、話して信じてもらえると思わない。
「同級生が家に押し入ってきたって警察呼ぶわよ」
「何ですぐ脅しの方向にシフトする」
いつかもそうだったが、彼女力技に頼りすぎだ。
「まあ、それでも話す気にはならないね。警察に突き出したければどうぞ、ご自由に」
「頑なね」
「そもそも、知って嬉しいことでもないだろう」
同級生が自殺を図った理由だなんて、誰が好んで知りたがる。
「確かに、知って得する話じゃないわね」
「そういうこと」
「でもあたしは、知りたいと思った。他でもないあなたのことだから」
白石さんは、真剣な眼差しをこちらに向けていた。その真剣さに気圧されて、僕は視線を無意識に外していた。
「意味わからん。僕が知れば知るほど面白い人種ってことかい? そりゃ、皆目見当違いだ。僕ほど蓋を開ければ面白くもない人間、他にいないよ」
「謙遜しないで」
「どこが謙遜だ。これは事実だよ」
僕なんて所詮、ただのサラリーマンだ。
白石さんは黙った。でも、真剣な眼差しは変わらない。多分、言い返す言葉でも考えているのだろう。
「はあ」
しかし、妙案浮かばずといったところか。大きなため息を一つ吐いて、俯いた。
「ねえ鈴木君。あなたこの前、約束したわね」
「約束?」
「上野の動物園。一緒に行ってくれるって」
「ああ、したね。そんなこと」
「明日行きましょう。動物園」
「明日?」
僕は声を荒げた。
「えらく急だね。まあ、いいけど」
明日は日曜だし、構わない。何なら、この邪な感情を誤魔化すのにもってこいかも。
「そ、なら後は、ちゃんと電話して頂戴」
「電話?」
僕は首を傾げた。
「親御さんに、今日ウチに泊まること。今頃心配されているでしょうから」
白石さんがそう言うと、僕は露骨に眉間に皺を寄せた。
「無理だ。スマホ、壊してきたから。連絡する手段がない」
「はい」
白石さんは、躊躇する素振りもなく、彼女のスマホを僕に差し出した。いつの間にか彼女、鈴木高広の母親と番号交換していたらしい。そういや、PTA総会で僕が熱を出した時、見舞いに来たとか言っていたか。
「嫌だ。話す気はない」
「どうして?」
どうしてって、そんなの……。
「あの人は僕の親じゃない」
それはまぎれもない事実だ。
「ここでは、そう言ってて良いわよ。好きにして」
でもね、と白石さんは続けた。
「当人の前で、絶対にそんなこと言わないで」
咎めるように、白石さんは僕に言った。
でも僕は、その言葉に苦虫を噛んだかの如く渋面を作った。
違うんだ。これは本当のことなんだ。
彼女は僕の親ではない。僕は鈴木高広ではないのだから。だから彼女が僕のことを心配する必要なんて、ないじゃないか。僕が彼女に遠慮しないことは、当然ではないか。
「電話はあたしがしておくから」
そう言って、白石さんは一旦リビングを出た。遠くから、洗濯機が回る音と白石さんの話声が聞こえてくる。
僕は何も間違ったことはしていない。
なのに、胸に募るこの罪悪感、疎外感は何なのだろう。
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