◆◆ 1-7 宰相レツドウ ◆◆

 ここからホノカナの前途多難な女官修行を追う……というのは、いささか読者も退屈に感じるにちがいない。

 よって、しばしかの商人・タイシンの様子を追ってみるとみるとしよう――


【 タイシン 】

「ご無沙汰しております、閣下――」


 その日の夜ふけ、彼女の姿はとある屋敷の一室にあった。


【 男 】

「まったくだな。以前はもっと足繁く通ってきていたものを」


 不服げに応じたのは、恰幅のいい壮年の男だった。

 身なりからして、貴人であるのは明らかだが……

 しかしどこか冴えがない、とタイシンは感じた。


【 タイシン 】

「これも時の勢いというものです。どうかお恨みあそばされぬよう」


【 男 】

「ふん、心得ておるわ。お前たち商人は、儲けになるなら妖魔にでも頭を下げるが、そうでなければ神仙にも唾を吐くのだからな」


【 タイシン 】

「これは耳が痛い……しかし、時勢というのは常にうつろうものです」


【 男 】

「そう、その通りだ。今はいささか勢い衰えてはいるが……」


【 タイシン 】

「……時が来れば、必ずや?」


【 男 】

「さよう。捲土重来してみせようぞ……!」

 *捲土重来……敗れたものが巻き返すこと。


【 タイシン 】

「お待ち申し上げております、宰相閣下」


 男の名は〈ラク・レツドウ〉、宙帝国の宰相である。

 つい数年前までは、帝国を牛耳る大物であったが、今は見る影もない……とまではいかずとも、雌伏を余儀なくされている。


【 タイシン 】

「かえすがえすも、皇叔こうしゅく閣下に武運がありますれば、このようなことには……」


【 レツドウ 】

「閣下にはお気の毒なことであった」


 レツドウは嘆息する。


【 レツドウ 】

「だが、正しい志がかならず報われるとは限らぬものだ。そうであろう?」


【 タイシン 】

「まことに」


 タイシンは、大げさなほどにうやうやしく首肯してみせる。


【 タイシン 】

「もし、ことが成就していれば、今頃は……」


【 レツドウ 】

「もうよせ。思案してもせんなきことだ」


 宰相は、忌々しげに手を振ってみせる。

 すでに終わったことに拘泥こうでいしないあたりは、さすがにまだ政治家として鈍ってはいないらしい、とタイシンは思った。


 数年前――先帝が健在だったころは、帝国の宮廷は二つの勢力が拮抗していた。

 すなわち皇太后ランハと、その取り巻きである十二佳仙の派閥。

 それに対して、皇帝の弟〈エン・タクマ〉と、宰相レツドウが手を組み、覇を競っていたのだ。

 先帝ムジカには実子がなかったため、その後継者は皇弟タクマしかいない、と見なされていた。

 レツドウはかねてよりタクマに肩入れしており、惜しみなく助力し、いわば二人三脚で声望を高め、皇太弟誕生ムードを形成していたのである。

 だが、そんな状況が一変したのは、ムジカが危篤となったおり、ひとりの少女が宮城に迎えられたためだった。

 すなわちエン・ヨスガ――隠されていたムジカの実子。

 これ幸いと皇太后と十二佳仙はヨスガを奉戴ほうたいし、後継者の座をめぐって皇弟・宰相派と抗争を繰り広げた。

 しかし、なんといっても皇帝ムジカの強い意志がものをいい、ヨスガが第207代皇帝として側位したのである。

 もちろん、収まらないのは皇叔となったタクマであり、政争に敗れたレツドウであった。

 こうなれば実力行使あるのみと、タクマは挙兵、己こそ真の皇帝なりと称した。

 レツドウもまた、表立っては動かなかったものの、ひそかにタクマを支援したのである。

 のちに〈皇叔タクマの変〉と呼ばれるこの事件は、天下を二分する内乱となってもおかしくなかった……が、思いのほか短期間で決着した。

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