第55話
結婚式も無事に終了し、ソラたちは地元に引っ越すことにした。何かと頼れるところが多いし、何よりも二人の意志だったからだ。
奏子は看護師ということもあり、雅治のいる病院で働くこととなった。雅治も珍しく嬉しそうにしていたようだし、結果オーライである。奏子も再就職のことは心配していたがこれなら安心である。
ソラはといえば、今まで世話になっていた会社を退社し、フリーでの活動を始める。大学卒業後、映像関係の仕事に就職し、一度は夢を叶えたソラだったが、映像クリエイターとしての経験を活かす為、そしてナツの望みである自身のやりたいことの為にフリーで活動すると決めたのだ。今後はアナザーデイズのような動画を撮るのではなく、ミュージックビデオ制作や短編映画などを主に撮影する。会社を辞職した時はどうなるかと思ったが、SNSとは便利で、フリーになった今でも、少しずつ映像の仕事が来ているというのは実にありがたいことだ。
実家に引っ越した後、ソラはひとりでナツの墓に墓参りに行った。
今まで避けてきたが、あの体験がソラに一歩を踏み出させた。
その礼を言いに来たのだが……。
「やっぱ、何を言えばいいのか、分からないな。お前を目の前にすると……」
ありがとう、や、すまなかった、などは言い疲れたし、いい加減分かったからいいよ、と言われそうなフレーズだ。ソラも自分がナツの立場になったらあれだけ言われればうざいとさすがに思う。いざナツを目の前にして、分からなくなってしまった。
「……あれから10年。ここへ来るのに、10年掛かっちゃったな」
墓石に汲んできた水を掛けてやる。9月の中頃だというのに日中はまだ暑い。
「……あのさ。俺、お前に謝らなきゃいけないことがあるんだ」
1回、2回、深呼吸をし心を落ち着かせる。まだ整っていない、言いたいことを申し訳なく思いつつ言葉を出していく。
「俺さ、お前の死に際に立ち会えなかったこと、今でも後悔しているんだ。一度目も、二度目も。ナツ、大丈夫だったか? 血を吐いて苦しんで、倒れなかっただろうか。奏子に最期のことは軽く聞いた。……やっぱり、辛かっただろうか?」
問い掛けたところで、目の前の彼は応えてはくれない。もしかしたら、ずっと恨んでいたんじゃないか、なんて考えてしまう。許してほしいなんて言わない。だから――。
「俺は、ナツの“何”でいられただろうか?」
答えのない応えを、この先も考え続ける。でもそれは永遠の課題ではあるかもしれないが、意外と苦じゃないことに気が付いた。一重にそれは結婚式の日に流れた映像内でナツが、ちゃんとナツ自身の言葉で“生きる”と言ってくれたことにあると思うのだ。ずっと死にたがっていた彼を“生かす”ことが少ない時間であってもできたのだから。
「あの時のお前の目は、最初に会った時と違って、ちゃんと生きていたよ」
人生を諦めたような目はもうしていなかった。
「生きること、諦めなくてありがとう。天国から俺たちのこと、見ててくれよな、ナツ」
――うん。見てるよ、ずっとね。
「え?」
不意に秋風が背中から勢いよく吹いた。何故だろう、いないはずのナツの声が一緒に聞こえてきた。
――俺の妄想の産物だったとしても、空耳だったとしても。
「……ああ、約束だ。夏人」
――お前がそこにいて、見てくれていることは分かったから。
水を捨てて車に戻る。なんだかとてもスッキリとした気分だった。
今日は帰ったら今控えているミュージックビデオの構成でも練ろうか。それとも奏子の為に菓子でも焼こうか。それもいいな、なんて一人で妄想しては笑う。変人だと思われても仕方がないかもしれないな、とソラは思った。
車の後部座席に水桶を置き、運転席に乗ろうとした時、トントンポスと何かが足元に転がってきた。平和公園と云うだけあって周りを見渡せば家族連れの人たちが
「…………君、は」
きっと、目の前に立っている子がこのボールの持ち主なのだろう。まるでナツの生き写しのような少年がこちらを窺っていた。少年はどうしてソラが驚いているのか分からなかった。ただただソラはその場に立ち尽くすだけで何もできずにいた。……息ができない。心の中の何かがソラの胸を締め付ける。
「あの、大丈夫、ですか?」
「え」
目元に人差し指を指す。触れてみると一筋に濡れていた。どうやら無意識のうちに泣いていたらしい。
「あ、ああ、ごめんね。驚かせたね」
「……ううん」
少年は不思議なものでそこを動くことはなかった。それどころか彼は隣に寄ってきた。
「お、おい……」
君、と声を掛けようと思ったが、少年はどこか
その焦燥感にも似た感覚はナツがいた頃にも感じたことがある。
どことなく、少年はナツに似ていた。
「……お兄さんは、迷子ですか?」
「え?」
「だって、泣いてたから。知ってる人がいなくなっちゃったのかなって」
妙に鋭い子だ。違うがソラは頭を抱える。
「……そういう君は? お父さんかお母さんはどこにいるんだい?」
「はぐれちゃった」
「そっか……。ボール、悪かったな」
手に持っていたボールを少年に返す。少年は何故かボールが戻ってきたというのに、どこか嬉しそうではなかった。
「……どうした?」
「僕、どうしてだか分からないけど、お兄さんを見つけてからなんだか放っておけないんだ。なんでだろう」
その言葉にソラは自分の耳を疑った。
「……君、名前は?」
「
年の頃はちょうど10歳だろうか。本当にナツの生まれ変わりのようで、運命なのかと錯覚してしまう。その話し方も雰囲気も、ナツにしか見えなくなってしまう。もはやその感覚は変人の域だ。
――この思考はもはや犯罪者だろ……。
「……僕、お兄さんと会ったことあるかな?」
そんな澄んだ目で見るんじゃない、少年。ソラは更に頭を悩ませた。
「いや……無いと思うぞ。こっちに戻ってきたのはついこの間だし。見たところ、10歳くらいだろ」
「……うん」
「君が産まれた時は俺、もう卒業してこの町にはいなかったから……会ったことは無いと思う」
「そっか……。でも、僕、絶対お兄さんと会ったことあると思うんだけどな」
どこか寂しそうに気を落とす。
声を掛けようとしたその瞬間、どこからともなく『七つの子』のメロディーが公園内から流れてくる。小さい頃はよくこれが聞こえてくると帰らなくてはと焦ったものだ。
「……お父さんもお母さんも、僕のこと嫌いなのかな」
それは、いつか聞いたことのあるフレーズ。
ソラが小さい頃、雅治と遊びたくて院内でナツに出会った時にどうしてだか親の愛を信じることができなくなった。その際、彼に言った言葉と似ていた。
「……そんなことは無い。俺も昔そう思っていた時期があったが、それでも俺の大切な人が、父さんは俺のこと好きだってことを教えてくれたんだ」
「……その大切な人って、今は」
「死んじゃったよ。10年前にね」
「……悲しい?」
悲しい? 今まで言われてこなかったからかソラは
「そうだな。でもそれ以上に、前を向こうと決めることができた」
どうしてだか、10歳の子供に本音を言ってしまう27歳。夏生にはやはりナツのような空気を感じて、つい喋ってしまう。
――大人びているって怖いな。
「じゃあ、お兄さんにとってその人は、人生で欠かせない人なんだね」
何故夏生は過去形に言わなかったのだろう。無意識だったのかもしれない。だがその言葉はソラの心を軽くした。
「……そうだな」
――夏生ー!
遠くから女性の声が聞こえる。夏生の名前を呼んでいるところを見ると、彼女は恐らく夏生の母親だろう。もう一人、隣に父親らしき男性も確認できた。
「夏生くん、あれ」
「お母さん、お父さん」
その姿を確認すると夏生は声を震わせて両親を呼んだ。強がっているようだったが、いくら大人びていても夏生はまだ10歳の子供だ。その目には涙が溜まっていた。
「ほら、お母さんたちが待ってる。行ってこい、夏生くん」
「でもお兄さんは」
「俺は大丈夫だ。大人だからな」
「……うん」
夏生は少し別れるのが寂しいと言った表情でソラのことを見ていた。いや、そんな顔をされても、俺は君の親じゃないぞ。このままだと本当に犯罪になりかねない。なんて冗談半分に思いながら彼を送り出した。夏生はボールを両手に持ち両親のもとへ駆け寄った。
ナツのことに干渉するのもこれが最後か、なんて思いつつ腰を上げた時「お兄さん!」と夏生の呼ぶ声がした。
「どうした?」
「ボールありがとう! また、会える?」
「ああ、きっと会えるさ。生きてる限りな」
「……。」
夏生はすぅと息を吸い、そして吐き、こちらに目を向けた。
「そっか。そうだよね。またね! ――ソラ――」
それだけを言い残して、夏生は両親と共に帰って行った。空耳だっただろうか。いや、それでもいい。ソラはもう一度、生きたナツに出会うことができたのだ。
「……そっかぁ。またね、か……!」
その言葉だけで生きていける。
あぁ、早く帰って奏子に報告しなければ。きっと彼女も喜んでくれることだろう。生まれ変わりだとかタイムスリップだとか、そんな夢のような、まるでおとぎ話のような夫の戯言を信じてくれるだろうか?
信じなくてもいい。
それでも、ソラたちにとっては全てナツとの思い出になるのだ。
「ありがとうナツ」
10年経っても、見守っていてくれて。
「はー……、帰るか!」
いい気分転換になった。たまには墓参りも悪くない。これならいい作品が作れそうだ。
ソラはナツにもう一度お礼を言い、車を回した。ふと、ナツが去り際笑っていた気がして、なんだか嬉しくなった。
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