第47話

「――ナツ‼」


 勢いよく体を起こした所為か、カクンとちからが入らない。目の前がチカチカとしていて、今がどちらの世界なのか理解するのに多少時間が掛かった。


「……、戻ってきた、のか?」


 冷や汗がソラの頬を伝う。落ち着こうと深呼吸をしながら周りを見渡す。

 やはりここは10年前に行く前の魚波家……ソラの部屋の中だった。

 いつの間にかナツの携帯を右手に握っていた。これを握っていたから、10年前に戻ったのだろうか。そして戻ってきた。


 過去は、変えることができただろうか。いや、まさか。今までの行動が全部、本当に全部夢だったとしても。


 ソラはナツに、10年前の自分に。


 やりたいことを、伝えたいことを伝えることができた。そのことについては、不思議と達成感があった。


「ソラ、もうそろそろ夕飯が……。なんだ、今の今まで寝てたのか?」


「じい、ちゃん……」


 新太郎の顔を見るとソラはほっとして張っていた気を抜いた。新太郎は脱力したソラを見てそっと側に近付いて、冷や汗を手で拭う。


「汗びたびただな~。嫌な夢でも見たか?」


「……いや。……とてもいい、夢だった」


「そうか」


 新太郎はにこりと微笑んでそのまま台所へ戻っていった。夕飯はきっと肉じゃがだ。美舟直伝の肉じゃが。そのにおいがソラの鼻をくすぐると、なんだかじんわりと現実の世界へと戻ってきたんだと実感する。


「あ、ソラくん起きました?」


 ふと、10年前に行く前には聞かなかった声がソラの脳を刺激した。


「――っ奏子⁉」


 部屋の外から聞こえた声に驚いたソラは手に握っていた携帯を充電器から外し、勢いよく部屋から出る。すると、目の前に現れたのは――。


「あら、おはようソラくん」


「どうして」


 口をぱくぱくとさせ驚きを隠せないソラに、奏子はくすくすと笑っていた。


「どうして? 変なことを言うのね。あなたが今朝言ったのよ。兄さんとお婆さまとお義母さまのお墓参りに行くって」


「で、でも今日は仕事じゃ……」


 そうだ。仕事だったはずだ。とソラは記憶を呼び戻す。


「? 今日は有休を使ったわ。結婚のご挨拶も兼ねるから、一日使うと思って」


 用意周到。とは、まさにこのこと。ほんの少しだけれど、どうやら過去が変わっているようだった。

 本来であれば奏子は仕事で来られなかった。だが、10年前を少しだけ変えられた(変えることに成功した?)ことで、彼女と実家に帰ってこられたのだとすると、これは彼の意図なのかと疑わざるを得ない。

 どうしても、何年経っても、どうやらナツには敵わないらしい。そう思うと、自然と笑いが込み上げてくる。


「……変なソラくん。もうすぐご飯できるから、先にお風呂に入ってきたら?」


「え……ああ、そうだな。入ってくるよ」


 今は、戻ってきたことだけを喜ぶことにしよう。べたべたとしていて気持ちが悪いはずなのに、どこか生きているんだということを思い知らされてくすぐったい。


 その日の夕飯は涙が出そうなくらいに美味しかった。


 翌日『知らない昨日の約束』である、お墓参りにやってきた。しかし今日は祖母と母に会いに来ただけ。ナツのお墓もこの墓地にあるのだが、それは少し離れた場所にあり、一日では回れないということで今回はこの二人に対しての報告会だった。

 父との確執が肥大し、家族から距離を置いていたからか、ここに来るのは実に10年以上振りのお墓参りだった。


「……。奏子、何をそんなに拝んでるんだよ」


「え? だって、お義母さんにご報告をしに来たんだもの。初めまして、私があなたの息子さんの妻になる星川奏子ですって」


「抜け目ねえな」


「そういうソラくんは? お義母さんに何か伝えないの?」


「……いや。特には」


 言われてみると、小さい頃に亡くなったからか母親に対していったい何を言えばいいのか。なんだか考え出すと恥ずかしくなってしまう。


「……ばあちゃんには伝えたしな。一緒のこと言っておけばいいか」


「そんなのでいいの? って、ちょっと待ってよ!」


 ちゃんと伝えると、今にも泣き出してしまいそうだから。照れ隠しの為に桶の水をソラは捨てに行った。


 明日はいよいよ結婚式だ。

 実家から戻り、あの夢から覚めて二日で結婚て。凄いスパンだと自分でもつくづく呆れる。いや、そもそもあの夢自体がイレギュラーなだけなのだが、体の疲れはなくとも心の疲れは二日では戻らなかった。

 さらに式の前日ということもあり、ソラはなかなか寝付けずにいた。本来ならば寝なければいけないことは頭で理解していても体がそれを許してくれない。仕方なく、ソラはベランダに出て冷蔵庫から出した炭酸飲料のジュースを片手にスマートフォンの着信を確認する。


 まずは新太郎から「おめでとう」メールが来ていた。明日も会うからその時に言えばいいのにと苦笑する。次に、小・中学校の友達からメッセージが届いており、招待できなくて悪いなと返事を返す。久し振りに会いたいとも思ったが、今度クラス会でも開こうかということで話が付いた。

 他にも、当時お世話になった人や職場の同僚から沢山のメッセージが届いていた。

 あの夢の時間は3か月程あったのに現実世界ではたったの3時間程度しか進んでいなかったかと思うと、少し変な気持ちになった。だが、どちらもソラにとっては現実なのだ。


「……おっ」


 最後に目に留まったのはやはりカイとリクからのメッセージだ。

 まずカイから読もうとトークチャットを開くと、彼らしくもない大量の文字列がびっしりと画面を埋め尽くしていた。驚きのあまりソラはジュースを吹き出しそうになった。


 『ソラちん結婚おめでとう。……きっと、ソラちんもナツくんの夢を見てたんだよね。あれは、夢じゃなかったんだよね? ――』


 云々うんぬん

 内容的には、あの夢のことしか書いていなかった。けれども、カイはカイなりに何かを伝えたかったのだと思う。


「お前はそんなタイプじゃないだろ。もっと気楽でいいんだよ」


 また明日会った時にでも聞いてやろうと、いや、いじってやろうと思った。

 リクと言えば。


 『おめでとう。また明日』


 としか書いていないものだから、これはこれでソラはスマホを落としそうになって慌てて受け止める。

 深夜2時を過ぎたあたりでやっと眠気がソラを迎えに来る。欠伸も出てきて本格的に眠くなってきた。


 ――また明日。


 その言葉は妙に心に響く。また、過去を乗り越えよう。ソラはジュースを飲み干しそのままクシャリと缶を潰してゴミ箱へ捨てた。

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