第41話

 あの花火祭りの日から3日目。精密検査も終わり、やっと身の回りが落ち着いた。検査着から着替えていると、担当医である雅治がその重たい口を開いた。


「……夏人くん。心して聞いてほしいんだが、君に……、余命宣告が出た」


「やっとですか。はい。何年ですか? あ、前は1年だったから何か月? それとももっと短いですか? まあ、何日、何時間でも僕はもう受け入れる準備が出来ているので、遠慮しなくても大丈夫ですよ先生」


「――良くて、あと3週間程度だ」


 3週間程度、と聞いて特に驚く素振りは見せず、ただ彼は意外とあるなと感じていた。


「大体夏休みが終わるくらいか……」


「今回の倒れた原因は胃の内膜が破れたことで出血したと考えられるが、手術の際、他の器官にも損傷が多発していたことが分かった。……夏人くん。やはりドナーは、」


「ドナーを探す気は無いと、以前からお断りしているはずですが?」


「考え直す気は無いのか」


「無いですね。僕は誰かのものを奪ってまで生き永らえたくはないんです」


 その目は本気だった。彼の意思の強さに負けた雅治は一呼吸置いた。


「…………そうか」


「はい」


 着替え終わりベッドに寝そべる。そして大人しく(本人曰く意味がないが)点滴を打たれる。


「また点滴が終わる頃に来るよ」


「……全然関係ないんですけど、先生って、本当ソラと似てますね」


「……そうか?」


「うん。あ、お気遣いありがとうございました。母さんたちに宜しく~」


 雅治は背中を向けながら手を振りナツの病室を退室していった。

 3週間か。意外と時間があると感じた。だがそうこうしているうちにその3週間はあっという間に終わってしまうんだろうな、きっと、と感じることもある。


「よ、よお。元気か?」


 目にクマを残したソラが何やら、ぎこちなさそうに入室してきた。ナツは少しだけ面白くなり、くすりと笑った。


「やあ。体調はいいよ。検査も終わったとこ」


「そっか。……それは、何より」


 嘘は言っていないのだが。

 ソラはまだぎこちない。彼は目を背けて前髪をくるくると回している。その仕草は何かを隠している時の仕草だ。何故その仕草のことを知っているのか。それはきっとが同じ仕草をしていたからだろう、と思い出しながらナツは腹部を軽くさすった。


「ねぇソラ。花火の動画のことなんだけど、」


「別に気にしてないから謝るな。……そうだ。ジュースを何個か下で買ってきたんだ。これくらいなら飲んでもいいってあいつも言ってた。どれがいい?」


「お父さんのことを“あいつ”って言ったらダメだろ」


「なっ! お前も似たようなもんだろ。ほら」


 勢いよく差し出された下の購買部で買ったであろうパック型のジュース。りんご・みかん・ぶどうなどのラインナップが揃っていた。


「この中だったらりんごかな。ありがとう」


「おう」


「あー、そういえば花火の翌日って取材の日だったよね? ごめん。せっかくメディアに注目されるいいチャンスだったのに」


「だから別に気にしてないって!」


「あの日から動画撮ってる?」


「……撮ってるよ、そりゃあ」


 それも嘘。またソラは前髪をくるくると回す。あの日の動画が上がっていないことは確認済みだ。それにあまり寝ていなさそうなところを見ると学生であるのに何をしているのか急がしているようだった。

 いち視聴者であるが故に、ナツの心の中はそれなりに怒りが込み上げていた。


「……何、してんだよ」


「ナツ?」


「何してんだよ! お前の動画楽しみにしてるやつら沢山いるんだよ? なんで僕のところにいるんだ。お前のいるべき場所はここじゃないだろ!」


 ソラはぎょっとした。その言葉を吐き出した本人でさえ、自分の声量に驚いていた。


「お前のいるべき場所は……カイくんとリクくんと一緒に動画を撮ることだろ……。僕はみんなの動画が見たいんだよ」


「――じゃあ、どうして手術を受けないんだ」


「…………は?」


 その言葉は今のナツにとって地雷に近い単語であったが、ソラはおじけることなどなかった。ここがチャンスだと思ったからだ。ナツの豹変した顔を直視することは出来なかったが、本音をぶつけている彼を見るのは初めてだった。ここでこちらからの本音もぶつけずしてこの夢を終わらせることはできない。10年分の想いを、伝えるべきだ。


「ドナーさえ見つかれば手術して、また俺たちで動画が作れる。なのにどうして受けないんだ。どうして未来を勝手に諦めるんだ」


「ソラに分かるわけないだろ‼」


「ああ分からないさ。分かりたくもないね。だけど、力になることはできる。俺がドナーになってもいい! 俺はどうしても、お前に生きていてほしいんだよ!」


「……うるさい! 僕の苦しみなんか分かられてたまるか! ドナーがいたとしてもその人との相性がいいとは限らない。拒絶反応で死ぬかもしれない。そんなの耐えられない」


 ナツは自分でも信じられない程、本音が次々と口から零れてくる。ソラを傷つけていることを理解していながら、それでもまだ溢れる。まるで子供のように目を赤くはらしている。


「ナツ――」


「どうして僕なんだ……。僕が何したって言うんだ。僕を置いていかないでよ……」


 いつの間にかヒートアップして、無意識のうちにナツはソラをベッドに引き寄せて彼の胸ぐらを掴んでいた。感情が高ぶり、赤くはらした目から涙が自然と出る。

 どうしてこうなってしまったのだろう。どうして泣いているのだろう。『どうして』と考えることをめたいのに、まらないのはなんでだろう。ナツは混乱していた。

 掴んでいた手を緩め、ゆっくりと放す。


「……ドナーはいらない。絶対に手術は受けないよ」


「ナツ、」


「……ごめん。今日はもう帰ってくれないかな。ジュース、ありがとう」


 その時、ソラはナツに何かを言いたげにしていたが、その『何か』を飲み込みソラは静かに退室した。


 ――ああ、僕はどうしてこんなにも馬鹿なのだろう。


 ソラはナツのことをどれだけ心配し、そしてどれだけ恐怖したことだろう。その気持ちは少なくとも自分で理解している。手術した方がいいことも理解している。

 だがそれでも、もう手術はしないと決めていた。

 これでもう彼に会うことは無いだろう。どこか悲しい気もするがそれでいい。

 心が落ち着いた頃、タイミングを計ってか、母・唯子が入室する。


「夏人、入るわよ」


「……母さん」


「何やってるの。ちゃんと寝ていないとダメじゃない」


「別にいいじゃん。関係ないんだから」


「どうしても、ドナーを探す気は無いの?」


 唯子の口からもついに“ドナー”という単語が出てしまうとは、と苦笑する。きっと彼女は主治医である雅治からナツの寿命が残り約1か月だということを聞いたのだろう。仮にも家族なのだから、当然と言えば当然だ。

 それが理由なのかは分からないが、彼女はどこかやつれているように見えた。


 ――僕を縛り続ける母さん。


 腐っても親子という関係は生きている。


「……無いよ。僕はもう、誰かのものをもらってまで生きたいとは思わない」


「でも!」


「ねえ母さん‼ 僕と去年約束したよね? 自分の体がもう永くないことが分かってたから、あの時最期のお願いをしたんだよ。あの頃お世話になった場所でやりたいことだけやって終わりたいって。……どうして僕のお願い、聞いてくれないの……母さん」


 唯子は目を見開き、声を失う。


「…………どうして大切な子供を見殺すような真似をしなければならないの?」


「え?」


「どうして、諦めなければならないの? ねえ、どうしてなのよ、夏人……!」


 こんな母を見たことが無かった。きっと、今までもそういう姿をしていたことはあったのだろう。ずっと苦手だった母さん。ピアノの練習がいやで、彼女にきらわれるのが怖くてずっと下を向いて耳を塞いできた。だけど、もう大丈夫だ。妙に心が落ち着いている所為かもしれない。向き合って話し合える。

 ナツが恐らく唯子とちゃんと向き合ったのは7年以上前以来だった。その記憶の最後の母親より、彼女は痩せて小さくなっていた。

 何も言えなくなった。どうして今まで突き放してきたんだろうと思い返す。あの頃はただの反抗期だったのかもしれない。ナツはそっと母親を抱きしめる。これが最期の親孝行になるかもしれない。そう思うと切なかった。


「……ごめんね母さん。今まで、苦しめていたのは、きっと僕だったね」


 小さな母さん。

 こんな風になるまで、放ってしまった自分を許してほしい。歪んで育ってしまった息子を、許してほしい。


「僕は、充分生きたよ。母さん、奏子、それに彼らのおかげで。だからいいんだ。……ありがとう、母さん」


 ――今まで避けてきた分、やっと僕も大人になれたと思うから。


 唯子はただただ涙を流すだけだった。

 彼女が落ち着き、帰宅したのを見届けるとナツは深呼吸を一度した。


「……ソラのおかげだね、全部」


 彼に酷いことを言ってしまった。きっともう謝らせてくれないだろう。

 だからナツはある決心をした。

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