第40話

 父・雅治も缶ジュースを購入し、ソラの隣に座った。そしてコーヒーを彼に返したかと思えば煙草を取り出した。


「吸っていいのかよ」


「ここはいいんだよ」


 雅治は指を休憩室の看板に指した。確かに、喫煙所のマークが描かれている。


「……久し振りだな。5年振りか」


「どうでもいい」


「そう言うな。元気そうで良かった」


 昔、まだソラの母・沙世子が生きていた頃に家で嗅いだことのあるにおいがソラの鼻を刺激する。少し懐かしいと思ってしまった反面、自分も近い未来同じ銘柄のものを使用していたことに気付かされる。やはり腐っても親子というわけだ。少し胸がもやっとした。


「――夏人くんのことなんだがな」


 ふとナツの話題を切り出され、ソラは過敏に反応した。


「我慢強い子だから、今まで何事もなく過ごしてきたようだけれど今度はもうそうはいかない。あの子の内臓は限界を超えている」


「助かる方法は」


「無い」


 その瞬間、ソラの中で何かがブチ切れた。


「――ッ。医者のくせに患者を捨てるのか! 母さんの時みたいに‼」


 ソラは勢い余って雅治の胸ぐらを掴んだ。缶2つが彼らの手から離れ、待合ルームの床にカランと落ちた。蓋の口から中にまだ残っていた液体が溢れ出る。


「……母さんの時は仕方がなかった」


「言い訳はいらないんだよ! ……どうすればナツは助かるんだ」


「ドナーを見つけることが出来れば、生きることはできる。だがそのドナーの臓器が完璧に夏人くんと適合するとは限らない。最悪の場合は死に至る」


「可能性が1ミリでもあるなら――」


「そうだ。医師としても提案はしている。だが、何より彼がその手術を


 掴んだ手が反射的に緩んだ。


……?」


 ソラはソファへとへたり込む。ナツを救うことでこの夢は醒めるのではなかったのか? 手術を望まないと言う彼に、果たして自分たちは何をすれば抜け出せるのであろうか。


 ――ナツはいったい、何を望む?


「……今日はもう遅い。早く寝なさい」


 雅治はそう言って、その場を後にした。不意にソラのスマートフォンが振動する。音がしないと思ったがマナーモードのままにしていたことを忘れていただけだった。電源を入れると、何件か着信があった。それは全て記者の夏目からだった。


「……そういえば、今日だったか。取材日」


 今日は色々あり過ぎて、になってしまった。あと10分で今日が終わるが、何もしないまま終わるのは申し訳ないので電話を掛けてみることにした。

 3コール目で繋がった。

 今までの経緯を話し、取材の件はやはり断らせてほしいと伝えると、彼はその意図を組んでくれた。


「……本当、どうすればいいんだよ俺は」


 電話を終え、ソラはもう分からなくなった。


 その日眠りについたソラは夢を見た。

 沙世子と雅治が幼い頃の自分と一緒に遊園地に遊びに行っている夢だ。でも不思議とソラはそれが幸せなものではないと思ってしまった。

 夢から覚める時、沙世子が口を動かす。

『あなたなら大丈夫。夏人くんのことを、一番理解してあげられるのはソラたちだけだもの。だから焦らないでゆっくり彼について考えてあげなさい』と。

 その言葉の意味は、今は分からなかった。


 翌日。なんの噂を聞きつけたのか、ナツの元には彼の母・唯子と妹の奏子、そして叔父の唯一郎までもが見舞いに来ていた。きっと、心の優しいソラのことだ、気を利かせて唯一郎に連絡をしたのが始まりだろう。

 しかしそれは逆効果だった。


「見ての通り元気なんだから早く帰って」


 いつもであれば唯子は一区切り分ナツに対して説教をしていくのだが、今回はなんだか違った。すんなりと帰宅の準備をしたのだ。そこでナツはこう思った。


 ――僕はもう永くないのか、と。


 三人が帰宅した後、ナツは一人可笑しくなっていた。


「は、ははっ。そうなんだ。僕、もうすぐダメになるのか」


 不思議と死ぬことに対して怖さは無く。ただそこに“僕”という空っぽの何かが残るだけなんだろうな、と思うだけだった。

 7年前に一度死にかけたこの体も、一度は再生したがそれももう限界。


 ――やっと死ねる。


 そう確信すると、無意識のうちにナツは声を出してひとり笑っていた。

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