第19話

 翌日。というか朝。というか3時間後。

 何年も前からこの家に泊まっていたりするのでカイたちは勝手に台所に立ち朝ご飯を作って食べていたり洗面所で歯磨きをしていたりとまるで自分の家のように過ごしていた。ソラと言えば目の下にクマを作り髪はぼさぼさ。目なんて半開きと酷い有り様だった。現在朝の6時。3時間程度しか寝ていないのだからそうもなるだろう。

 そして気になることがひとつ。やはり今日も元の世界には戻っていない。その事実に分かってはいたものの少しだけ期待した自分がいた。


「おはようソラちん。今日はなんだか凄い髪型だね」


「はよ……。学校行く時はいつもワックスつけてるからな。寝癖はひどい方なんだ」


「いつも凄いな。芸術的だ。おはようソラ」


「はよ、リク」


 そうして10分もしないうちにいつもの面子が居間に揃う。しかしそこにはいなかった。


「……あれ? ナツくんは? まだ寝てるのかな」


「え。起きてるでしょ。さっきトイレに行くのを見たよ」


「そうなの? じゃあ起こしに行かなくても大丈夫だね。いただきまーす」


 はむはむと可愛らしくトーストしたパンをかじるカイ。可愛いが、今食べているものは冷蔵庫から勝手に取り出した賞味期限が近いパンだろう。いやそれにしても何故勝手に漁ったんだ。親しき仲にもなんとやらである。


「おはよう。みんな早いね」


「……?」


 ナツが顔を出した。ソラは彼が不自然だと感じた。右手には何故かスマートフォンを持っていた。先程まで使用していたのだろう、画面が明るい。……いや、違う。そうじゃない。

 ナツの顔面が、なんとなく普段よりも白い気がした。

 体調が優れないのだろうかと声を掛けようとしたが、目が合って何も言えなくなった。


 昨日。というか3時間前。たまたまお手洗いに行く途中に彼を見掛けた。基本宵っ張りである為、ソラが縁側にたそがれていたのを見て話しかけてやろうと思った。見掛けた時も思ったが、ソラはどこか辛そうだった。

 それは体調不良というような辛さではなくて、何かを思いつめているようなそんな感じだった。傷と年齢はナツにとっては過去の出来事に過ぎない。

 だからこのことを話した時、「だから気にすんなよ」と言いたくなった。

 4時……というかもはや朝のこと。

 ナツは腹部に少し違和感を覚える。嫌な予感がした。昨日も感じた痛み、というか気持ち悪さ。これは――。

 あの時ジュースをもらったのがいけなかったか? と考えるが、今までそんなことはなかったし、きっとそれだけの理由ではないと思った。とりあえずナツは吐くかもしれないと感じたので急いでトイレに駆け込もうとした。隣にはカイが口を大きく開けて気持ち良さそうに寝ていた。そのすぐ近くには二人もいる。みんなを起こさないように移動しなければ。


 ――吐くものなんて、何もないのにね。


 結局、夜中に3回トイレに行った。いつもよりも長引いた発作だった。顔が白いのは元からだったのが救いか。

 もう眠くもない。このまま起きていた方がまだ対策も取れると思い、時刻を確認すれば6時だった。居間の方から声が聞こえる。彼らは起きており、朝食を食べていた。何故か机の上にはナツの分も用意してあった。


「あ、おはようナツくん。パンを用意したんだけど、ご飯派だった?」


「お前、用意する前にまず勝手に人ん家の冷蔵庫を漁るな!」


「ソラちんのおばあちゃん、前にいいって言ってたもん。ね、リっくん」


「うん」


「なっ……!」


「美味しそうだけど……ごめん。いつも朝は牛乳とヨーグルトなんだ。あるかな?」


「漁れば?」


 ソラはもう諦めていた。なんだか気力が無くなっているように見える。ツッコむのも面倒になったのだとナツは思った。ナツは冷蔵庫を開ける。牛乳とヨーグルトが綺麗に陳列されていた。取り出し、コップに牛乳を注ぐ。ヨーグルトはフタを開けて机に置き、ナツは着席した。無糖タイプのヨーグルトだった。


「……ごちそーさん。俺、部屋にいるから何かあったら呼べよ」


 一番にソラが食べ終わり、さっさと部屋へ戻ってしまった。


「どうして?」


「ソラは今から昨日撮った動画を編集するんだよ」


「編集……」


「そう! あ、今までの動画見てみる?」


「え。う、うん。それは見たいんだけど……。二人はこれから何をする予定なの?」


「どうしようか」


「お昼ご飯の買い出しとかかな?」


「うん。そうだね。ナツくんはゆっくりしてなよ」


 カイとリクは外出の準備をする。いつの間にかナツはまた独りになっていた。

 特にすることも無い。ナツは先程カイに教えてもらった動画を見るべくアプリを起動する。『アナザーデイズ』と入力するとチャンネルのひとつがヒットした。タップすると動画が再生される。ソラが、二人と一緒に映っていた。


 ――楽しそうだな。


 ぐしゃっと、変な音が心の中に響いた。なんとも言えない感情が沸々とナツを侵食していく。ああ、そうか。ナツは今、彼らに嫉妬しているのだと自覚した。

 死ぬことが無いから。生きていられるから。自分でいられるから……。

 そういう感情たちがナツの心を段々と埋め尽くしていく。黒く、どろどろと。


「――何してんの、お前」


 ナツは不意に声を掛けられ驚いた。手首がちくりと痛んだので目を向ける。ナツは手首にフォークをたてていた。こんなことでは自殺など……できないのに。一瞬、軽く指していただけだったので、ソラには手が滑ったと思われていたのではないかと、思う。

 彼は特には何も言わなかった。


「なんでもない。どうしたの? 編集、してたんじゃなかったの?」


「んー。ちょっと集中できなくて。こっちでやってもいいか?」


「いいよ。もとより君の家でしょ?」


 変なことを言うね、とナツが笑う。ソラは、少しだけムスっとしてジュースを取り出した。そして机上にノートパソコンを開く。


「……な、なんだよ。見つめんなよ」


「編集って、どうやるのかなって思って?」


「……やってみるか?」


「いいの?」


「いいよ。減るもんじゃなし。それに別の人の視点も聞いてみたいし」


 ソラは昨日撮ったものを画面に開く。1時間以上の動画を5分程度にするのだそう。1分程度見て、ソラが止める。そして画面にカーソルを合わせてそこに文字を入力した。先程見た動画もこうした地道な作業のたまものなのだろう。


「さっき、カイくんに教えてもらった君たちの動画を見たよ。面白いね」


「お、おう、ありがと。……俺さ、ミュージックビデオとかを作る人になりたいんだ。クリエイターというか。いつか俺の作ったものが沢山の人に見てもらえるようになったらいいなって思ってる」


 ナツはキラキラした目で言われても、少し困ると言った表情になる。心の中でバレないように苦笑いをした。


 ――僕には夢が無いから君が羨ましいよ。


「もしいつか君が夢を叶えた時は、いちばんに教えてね」


 なんて、心にも無いことをナツは口にした。でもそんな言葉でも彼は信じたようで笑顔になった。少しだけ苦しくなった。


「あ、ここのシーンに音を付けたいんだけど、どういうのが良いと思う?」


 その後も作業が続き、2時間かけて出来たのは特別な8分間の動画だった。

 外出からカイとリクが帰ってきた。手にはお弁当でも買ったのかコンビニの袋を2つ程持っていた。のり弁当やからあげ弁当など、王道ジャンルのお弁当たちが詰まっている。


「えっ、もうそんな時間か」


「お弁当買ってきたよ! どれがいーい? ナツくんが最初に選んでいいよー」


 ナツは特にお腹など空いていなかったが、とりあえず一番量が少なくて添加物の少なさそうな野菜の多いパスタを選んだ。


「……これかな」


「えー! もっと食べようよ! これからの夏もたないよ~」


「これくらいがちょうどいいんだ」


「そっか。……ま、無理強いはダメだよね! それはナツくんの。はい、次リっくん」


「なんで俺じゃねえんだよ」


「だって、ソラちんはいつも食べるやつ決まってるじゃん」


「……じゃあ、これだな」


「はーい。ソラちんはこれでしょ?」


 そう言われて渡されたのはからあげ弁当だった。ソラは図星をつかれたようで気に食わないといった表情をしていたが、すんなりと受け取っていた。


「いただきまーす!」


 ナツがコンビニ弁当を食すのは実に入院する前以来だった。しかし、内臓がイカれているため、飲食は特に抑制されてた。何よりも、母親に「食うな」と言われてきていたことの方が嫌だった。

 ナツはこの後、あの母親の呪いを聞かなかったことを物凄く後悔することになる。

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