第4話

 やっぱりいた。

 夢でもいい。夢でも、一目見たかった。

 一目見て、謝りたいと心の底から願っていた。

 段々と彼と出会った人のことを思い出してきた。


 あの日あの時も、川の中に彼がいた。まるで今から川で入水じゅすい自殺するかのような顔をしていた。そうだ。その顔を見た時、ソラはとても焦ったのを覚えている。しかし、その表情から読み取った考察には前者と後者が存在する。


 前者は、彼が自殺をするのではないかという焦り。

 後者は、後先考えずに川に向かって直進してしまったことへの焦りだった。


「ちょ……と、待った! っておわぁあ!」


「――え?」


 そうだよな、急に目の前に自転車で川に突っ込む方が頭おかしいよなと、落ちそうになりながらもソラは思考をフル回転させた。


「邪魔! どいて、危ない、危ないから!」


 ブレーキを掛けているのに自転車は止まる気配が無い。というか少しタイヤから煙が出ている。

 とりあえずソラはどうすることも出来ず、スピードそのまま川へ突っ込んでいった。バッシャーンと水の音が大きく跳ねた。川のおかげか所為なのか。クッションになったようで多少の衝撃は吸収されたようだった……と信じたい。背中を打撲して痛めた。信じられなくなった。とても痛かったことだけは覚えている。


「ぶわっ!」


 そこまで深くはない川の水面から顔を出すと、目の前には心配そうな表情の彼がソラのことを窺っていた。


「えーと……大丈夫?」


 “大丈夫?”と言われ、ソラの中で何かが吹っ切れた。


「お前……危ないだろ、川に入るなんて! そのままバランス崩して流されて死んだらどうするつもりだったんだよ!」


「えっと、ごめんね?」


 これがソラと、星川夏人こと、ナツとの初めての出会いだった。


 急に知らないやつに腕を掴まれてナツは目を2回ほど瞬かせた。それもそうだろう。いきなり知らないやつに叱られてそりゃあびっくりもするだろう。ソラ自身、正直どうしてこんなことをしたのか分かっていなかった。


「……君も相当危ないことをしていたと思うけれど。大丈夫かい? 自転車から川へ飛んでいたけど」


 ナツはくすくすと笑っている。さっきまで自殺する寸前みたいな顔をしていたくせに。


「……大丈夫だ。服と自転車以外はな」


「そうだね、確かに。大怪我にならなくて良かったよ」


 川から脱し、次に自転車を引き上げる。思い切り前輪についているかごが歪んでいた。タイヤも若干パンクしている。これは手で押して帰らなければならないパターンだな、と肩を落とした。濡れた制服の裾辺りを絞る。川の水を大量に吸っていたからかバシャバシャと水が地面に落ちる。


「…………ところで、なんで川に入ってたんだよお前。危ないだろ」


「あー……。えと、川にちょっと落とし物して。探してたんだけど」


「何を落としたんだよ」


 本人はあまり自覚していないんだろうが唇から色が無くなっている。制服は夏服だが、彼がカーディガンを羽織っているところを見ると、まだ衣替えの季節だということが分かる。ということは今は大体5月下旬だということが推測できた。

 ソラが来るまでの間、どれだけの時間あの川に浸かっていたのだろう。沈黙も相まってか吹く風が冷たく感じ、その空気感に耐えられなくなってソラは声を発した。


「……だから、何を落としたんだよ」


「……探してくれるの?」


 ――おっと?


 ナツは、ソラが落としたものを探そうとすると何故か心から嬉しそうにしていた。思えば、初めて会った時もこんな表情をされた。


 ――そんなピュアな目で見るんじゃない、俺を。


「これも、何かの縁だろ。勘違いした俺も悪いしな」


「冗談で言ったんだけど、律儀な人だな、君」


「うるせー。それで、何を探せばいいんだ」


「本当にしょうもないものだよ?」


「しょうもないかどうかは聞いてから決めることだ。人の価値観は人ぞれぞれだし」


 んー、とナツは頬を掻いた。よほど、本人にとってこの案件は“しょうもない”のだろう。わざわざ人の力を借りるまでもない。そんなところか。


「家の鍵を落としたんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、ソラの中の理性のネジが5本ほどどこかへ飛んでいったのはいうまでもない。


「くーーーーっそ大事なモンじゃねえか!」


 この時の彼の怒鳴り声は山代町全体に響き渡ったという(いない)。


 家の鍵を川の中に落とすなんていったいどういう状況でそうなったんだ。いや、おおよそ鍵を探しているような様子は窺えなかったが、まあ本人が『探し物』だというのだからきっとそうなのだろうと、ソラは言いたいことを心の奥に留めておくことにした。

 理由を聞いてソラはナツを問い詰めてやろうかとも思った。

 だが、出会いが出会いで、勢いが勢いで、初めて会う人に対してどこまで踏み込んでもいいものかと彼は思い止まった。

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