泥の中に咲いていたはずの花
わたくしたちは滅多に死について話しませんでした。
なぜならわたくしたちの日常の至る所にはびこっていたそれは至る所に待ち伏せていて、容易にわたしたちを捕らえてそのままどこかに連れて行ってしまいそうに感じたからです。
それでも、ごく稀に、とりつかれたように死について話してしまう事がありました。
ある日、いつものように雪解けのぬかるみを行軍していると、やはりいつものように色々なものが泥の中に転がっていました。
その日転がっていたモノは珍しくかなり原形を留めていて、ぬちゃぬちゃした泥溜まりの中、鮮やかな長い金髪のお下げのついた丸い頭が埋もれていました。顔は見えませんでした。
しかし、それもつかの間の事で、仲間の装甲車がそれに気づかず踏みつぶし、ぐちゃりぐちゃりと潰れてただのねばねばした
エルシスがこんなところでだけは死ねないね、とぽつりと言った声が、今でも耳に焼き付いています。泥と、けものたちの糞にまみれて、通りすがりの戦車や装甲車にふみしだかれ、押しつぶされてただのぬっちゃりした悪臭の漂う汚泥の一部となり果てるのだけは嫌だ……と。
その後、林の中の少しだけ開けたところで小休止することができました。
そこは古い木が立ち枯れて倒れたあとの森の中の小さな空白地帯で、木洩れ日の中に
堅い糧食をかじりながら、わたくしたちは「どうせ死ぬならこんなところで静かに死にたいね」と語り合いました。
野営地が襲撃に遭うたびに、わたくしたちは遮蔽物を求めて逃げまどい、ちょっとした窪地や樹々の陰に身を縮めて震えていました。
敵が間近に迫っていよいよ覚悟を決めなければ……と思った時、わたくしたちは必ずと言っていいほど両腕でしっかりと頭を抱え込み、顔だけは潰されないように守ろうとしていました。
男性兵士たちは「どうせ死ぬなら顔が潰れていようがいまいが同じだろう」と言って笑いましたが、わたくしたちにとっては切実な問題でした。
その日も激しい銃撃戦がありました。
わたくしたちは廃村の納屋に逃げ込んで、息をひそめておりました。
大きな音がして、わたくしたちの隠れた納屋がびりびりと揺れ、ガラスが割れてあちこちに砲弾とガラスの破片が飛び散りました。
幸い火災にはなりませんでしたが、エルシスの身体の右側は、無数の破片がささってぐちゃぐちゃに潰れてしまいました。
わたくしは自分が使える最大限の治癒魔法を使おうとしましたが、それでも彼女の生命をこの世に留めるのはおそらく無理だろうと、誰もがわかっていました。
そしてエルシスは苦しい息の中、絞り出すように言いました。
「わたしにはもう魔法は使わないで。他の仲間たちを助ける時のためにとっておいて」
彼女の左手を握り、必死に死なないでと呼びかける仲間たちになんとか笑いかけようとして口の端を微かに引きつらせたエルシスは
「もういいの。もうこんなに潰れてしまったんだもの。女の子でいられないのだから、わたしはもう生きてはいないのだわ」
そして全身の力が抜けて、いくら呼びかけても何も返ってこなくなりました。
わたくしたちは、なけなしの化粧道具を持ち寄って、エルシスの顔の左半分に綺麗にお化粧しました。右半分には、少しでも綺麗な布をかきあつめてかぶせ、そこに
わたくしたちの大好きだった、大輪の華のように可憐なエルシスは、廃村の片隅に掘られた大きな穴の中、
あの輝くような笑顔は、もうこの地上のどこを探しても見ることができないのです。
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