悪役令嬢の決意

 このところポテスタース卿……いえ、ヴォーレ様の様子がおかしゅうございます。

 いつも弾むような足取りで生き生きと振舞っていらしゃるのに、ここ数日は顔色も悪く、時折溜息をついては宙を見つめて放心しておられます。

 闊達な笑顔も曇りがちで、どこかお加減でも悪いのでしょうか?


 先日、ラハム令息に言いがかりをつけられたところを彼に庇っていただいた後、驚くべきことを伺いました。

 クセルクセス殿下から命じられてパブリカ令嬢、スキエンティア令息とともにクリシュナン嬢への苛めの調査をした結果、確認できた範囲では彼女の訴えていた被害は全て狂言だったこと。

 彼女が何者かにそそのかされ我がアハシュロス公爵家を陥れ、排除せねばと思い込んでいる事。

 そして彼女が殿下や側近の方々に向精神薬を混ぜたお菓子を食べさせ、自分に好意を向けさせ操ろうとしていた事。


 わたくしは婚約者でありながら、殿下がそのような危険な状況にある事に気付きもしなかった自分が恥ずかしくてなりませんでした。

 しかし、お三方ともわたくしに「何の証拠もなく疑いをかけてたばかるように内密に調査していた」と心苦しく思っておられたようで、何度も丁寧なお詫びをいただきました。


 ですから、わたくしは皆様を許す代わりにお友達になっていただけるようお願いしました。そして晴れてお互いに愛称で呼びあうお友達となっていただいたのです。

 もちろん学園の中だけの限られた場の間柄ですが、それでも安心して楽しい時間を共有できるお友達ができたのはとても喜ばしいことです。


 この『学園』という、大人たちに守られた箱庭で、クセルクス殿下は公務をはじめとする様々な義務や責任から解き放たれ、お友達と一緒に青春を満喫していらっしゃいます。


 それにひきかえ、わたくしはこの五年間というもの公務と王妃教育に明け暮れ、学校でも次期王妃として恥ずかしくない成績を取る事に必死で、お友達と言えばジェーンだけ。

 もちろんジェーンはとても良い子で、仲良くしてもらえるのはありがたいのですが、やはりお友達が一人だけというのは寂しいもの。


 卒業までのわずかな間ですが、わたくしも学生らしくお友達と楽しく過ごす時間が欲しい。大人になってから心の支えとなる素敵な思い出が欲しい。


 そんな我儘わがままをみなさまご理解下さって、快くお友達になって下さいました。


 明日はクリシュナン嬢の訴えていた『苛め』について王宮で殿下に報告する席を設けるそうです。その場で彼女が狂言で我が家を陥れようとした事、殿下たちに致死性の高い毒物を飲ませた事を明らかにするとか。


 もちろん、馬鹿正直に本来の目的を申し上げても、自分に都合の悪い話は一切聞く耳を持たない殿下が話し合いの場にいらっしゃるはずがございません。

 そのため、表向きはクリシュナン嬢への無礼を働いたコニー様、ヴォーレ様が謝罪するという名目で私的なパーティーを開くこととなったのだとか。

 その席で、わたくしとパブリカ嬢にも証言して欲しいと、学園長先生から協力を求められました。


 もちろん、わたくしに否やはございません。

 今まで半年近くの間、殿下によからぬ下心を抱いて近付いてきた女性が致死性のある毒物を繰り返し服用させていたという、重大な危機にも気付けなかった不甲斐ない婚約者です。

 今更とは申せ、少しでもお役に立てるなら喜んでお手伝いさせていただく所存です。


 今日、いつものように王宮に赴いて公務に取り組んでおりますと、珍しいことにクセルクス殿下がわたくしの執務室にいらっしゃいました。


 王太子妃教育はとうに終わり、王妃教育もほとんど完了しているのですが、残念ながら公務は増える一方。本来ならば王太子と手分けしてこなさなければならない業務のはずでございますが、クセルクス殿下が王宮にいらっしゃる事はほとんどないので、わたくしが処理しなければ、書類がたまってあちこちの部署にご迷惑がかかってしまうのです。

 このまま殿下の気紛れで邪魔をされて処理が遅れるのでは、今日は何時に帰れるかわかったものではございません。 

 そう思って内心でため息をつきながら、顔には無理やり笑みを貼り付けて殿下をお出迎えしました。


「ごきげんよう、王太子殿下。わたくしに何か?」


 「どうした風の吹き回しです?」と訊かなかった自分をほめてやりたいです。


「父上のたっての命令だ。仕方ないから明日だけはエスコートしてやるのでありがたく思え。しかし、宴が始まればお前に用はない。俺は可憐なエステルと素晴らしい時間を過ごさせてもらう。彼女の愛らしい姿を見て嫉妬にかられるだろうが、お前など公務の処理のためにお情けでまだ婚約者でいさせてやっているだけだ。分をわきまえておとなしくしているんだな」


 あらあら。ずいぶんな言われようですわね。

 少しだけ心が波立ってしまいましたが、手がけている書類をおさえるガラス細工のペーパーウェイトが目に入って頭が冷えます。


「王太子殿下、わたくしどもの婚約は殿下の後ろ盾にアハシュロス公爵家の力をと願った国王陛下の命によるもので、本人同士の意思とは関係ございません。現状では、わたくしどもはお互いに愛情の有無にかかわらず、義務として結婚せねばなりません。ですが、身近にいらっしゃる、魅力的な方にどうしても心惹かれてしまう気持ちは、わたくしにもわからなくもありません」


「ほう。愚か者にしては良い事を言う」


「しかし、王命による結びつきをなかったことにするならば、それはきちんと手順を踏みませんと要らぬ争いの元になります。殿下がわたくしとの結婚をお厭いといになるお気持ちはわかります。ですが、もし殿下のお心のまま愛する人と結ばれるのであれば、正しい手順をお踏み下さいませ。さもなくば、わたくしはもとより殿下も殿下の愛する人も、破滅の道しか残りませんわ」


 六年前のダルマチア戦役も、殿下がわたくしを気に入らないと所かまわず悪口を言いふらしたことに端を発しています。わたくしのみならず、わたくしと縁続きのダルマチア王家に対してもとんでもない暴言があったのだとか。

 王太子自らがダルマチア王妃の縁戚であるわたくしをおおっぴらに侮辱したのです。もともと決して良好とは言えなかった両国の関係にひびが入るのも致し方のない出来事でした。

 あの戦争で、双方少なからぬ数の人の生命が奪われたはずですが……殿下は何も学ばなかったようでございますね。


「……黙れっ! 小生意気な。明日は覚悟しておけ。その澄ました面を屈辱と恐怖に歪めて破滅させてやる!!」


「あらあら、それでは何か良からぬ事を企んでいるとおっしゃっているようなもの。恐ろしゅうございますわ」


「なんだその馬鹿にした物言いは!? ……まぁ良い。大きな顔をできるのも今のうちだけだ。明日は覚悟しておけ!!」


 殿下はまるで場末のならず者のような陳腐な捨て台詞を残して立ち去られました。


 正直に申しますと、このままあの方と支えあってこの国を治めていくことは、今のわたくしには到底無理でございます。

 陛下の御前での報告会、もともとはクリシュナン男爵令嬢がわたくしを陥れるための「断罪」の場だそうですが、皆様とご一緒なら怖くはございません。

 身の潔白を晴らして殿下を狙う不貞の輩の企みを暴き、殿下を正気に戻して心置きなく残り少ない学園生活を楽しみたいものです。

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