ピンク頭と王家の思惑
エサドと巡回に出た僕は、真っすぐ受け持ちの地域へと坂を下りて行った。
日が長い季節とはいえ、夜八時を過ぎたのでもう外は真っ暗だ。
「やっと卒業だな。……近衛がいろいろうるさいようだが、お前ちゃんと戻ってくるんだろうな?」
「もちろんそのつもりだよ。そのために色々と学園長や王家の無茶な『お願い』を聞いてまで原隊に所属したまま通学していたんだから」
王家からの最初の無茶振りは、十三歳の夏。王立学園の入学にあたって、近衛に異動して同学年のクセルクセス殿下の側近になれと言われたことだ。
僕はその半年ほど前に戦場で大きな武勲を立てたものの、目の前で師匠と兄同然に慕っていた先輩を亡くしてしまった。武勲と言えば聞こえは良いが早い話が大量殺人を犯した僕は、己の罪や親しい人達の死といった事実を受け止めきれず、幼い心身はボロボロだった。
師匠の死後、ずっと忍耐強く指導を重ねてサポートしてくれたアーベリッシュ小隊長をはじめ、部隊のみんなのおかげでようやく回復してきた矢先の無茶振りに、彼らと引き離されるのが怖くてたまらなかったことをよく覚えている。
上司たちが辛抱強く学園や王室に無理な異動をしないで済むようにとかけあってくれたおかげで、最終的には原隊に所属したまま普通の学生として通学することが認められた。
何故か王弟殿下が強く口添えして下さったことも幸いした。
その代わり、学内では護衛という名目で多少無茶だったり理不尽だったりしても学園長や王室の『お願い』を聞かなければならないが、基本的には原隊の任務を優先させることを認められている。
入学以来、近衛からは卒業後は移動してくるようにと執拗な勧誘を受けたが、大国オストマルクから打診された武官外交のための交換留学をちらつかせて断り続けている。
「本当に王室も近衛の連中も諦めたのか?王命で強引に異動させられる可能性もあるはずだ」
僕のような治癒術師はきわめて数が少ないため、王家に取り込まれてしまえば政治的に利用され尽くしてすぐに使い潰されてしまう。
上司たちは治癒術師の心身が安定しない状態で術を使うと失敗して思わぬ事故が起きやすいことや、師匠の死後に僕が戦闘神経症で不安定になって闘病に半年以上かかったことを盾に、環境を変えると何が起きるかわからないと異動を拒んでくれていた。
「まぁ、こんなことになっちゃったし、近衛への異動は外部から見たら栄転だからね。あちらに移るって事だけはあり得ないんじゃない?
王室が強権発動してむりやり異動させるって可能性もゼロではないけど、軍の反発を買ってまで強行するほどのメリットはないだろうし。
僕自身、クセルクセス殿下にはこれ以上ないってくらい嫌われているしね」
今は幸か不幸か僕がクセルクセス殿下から徹底的に疎まれていることもあって、近衛の方も僕の取り込みは半ば以上諦めているようだ。今回の失態もある。
表向きは栄転とされる近衛への異動はほぼあり得ないだろう。
「もっとも、殿下に毒を盛られていたことに気付かなかったんだから、その責任を問われて物理的に首が飛ぶ可能性はけっこうあるけどね」
「冗談でもそんな事は言うな」
冗談めかして言うと、思いがけず強い語気でエサドにたしなめられた。目が笑ってない……というよりはあからさまに怒っている。
彼は小隊長……アーベリッシュ師の弟子で、僕が師に預けられてからずっと弟のように可愛がってくれた。むやみに心配をかけてはならない。
「ごめん、そんなことにならないように真相究明に全力を尽くすよ」
慌てて謝ると、怒ったように歩調を速めた彼の後を追った。
ちょうど港にほど近い、倉庫の立ち並ぶあたり。この時間は人通りもなく、周囲は真っ暗だ。
何かが暗がりで動いた気がする。犬や猫ではなく、もっと大きくて……ちょうど大人の男性くらい。
「エサド、今の」
「ああ、港の方へ行ったな」
二人で短く言葉を交わすと頷きあって、影の立ち去ったとおぼしき方向へ走ろうとしかけた時。
「きゃああああああっ!!」
ちょうどその方向から若い女性の悲鳴が聞こえた。何だかとても聞き覚えのある声のようだが……
「ちょっと先に行く。後からサポートお願い」
僕が魔術で副腎の機能を少し
血流の増大に筋収縮能力の向上、視覚や聴覚の鋭敏化……そして痛覚の麻痺。いわゆる「火事場の馬鹿力」を自在に引き出す魔法だ。
人体に元々備わっている強化システムを利用するので、身体強化魔法の中では魔術的な負荷は少ないが、心臓に負担がかかるのであまり頻繁には使えない。
魔術の発動を確認してすぐに悲鳴の聴こえた方向に向かうと、十秒と経たずに現場に到着した。
暗がりに複数の人影が見える。大人の男性とおぼしきシルエットがいくつかと……夜目にも鮮やかなストロベリーブロンド。
「……君はこんな時間にこんなところで、一体何をしているんだ?」
僕はあまりに意外な人物に、怪訝そうな声をかけずにはいられなかった。
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