第26話「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」

 一つのイントロダクション、三つの短編集は、どれもが愛に包まれている。雑誌を作る愛、書くことの愛、記者への愛、囚人と女看守との愛、活動家の男女の愛、父と息子の愛、料理・味への愛、これらが時に切なく、時にユーモラスに見事に凝縮されていて愛の結実となっていた。

また、ウェス・アンダーソン監督の映画愛もにじみ出ていた。一本の映画で、カラー・モノクロ撮影、演劇の要素、アニメーションを使用し、唐突なアクションや奇抜なカメラアングル、何物にもとらわれない映画の多様性を駆使し、どのようなスタイルでも「映画だ」という、映画そのものを再構築し提示した監督の映画愛が、この映画に込められていた。そして何より伝わってくるのは、映画作りの愛だ。スタッフ・キャスト達が、自由に細かな計算や演出ではなく、映画の軸にある「愛と自由」に向かってそれぞれの役割を果たしているように感じられるのだ。スタッフ・キャスト達の多様性も取り入れられ、映画を作る愛があった。

何故、舞台がフランスなのか。カンザス・イヴニング・サン別冊として雑誌は、フランスで発行されている。アメリカ中西部に位置するカンザスシティにはない、多様な文化と許容できる自由がフランスにはあふれているからだろう。それゆえ、編集長は、フランスで雑誌を発行する異国人であり、記者達も異国出身であり、みなこのフランスが持つ文化力の高さに憧れを持っているのだ。編集長室には、「泣くな」と書かれている。異国では、寂しさは当たり前、負けるなという矜持とそれでもフランスの文化、自由を愛する社員全員の強さが伝わってくるのだ。

絵画、自由への渇望、そして食。三つの短編は、それぞれジャンルが異質ゆえに、文化の多様性と美しさにあふれている。ウェス・アンダーソン監督が持っているアートの多様性と美しさ、自由、それらを心から愛している姿勢そのものが、投影されていた映画であった。

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