第14話「Ribbon」コロナ禍に誠実に向かい合ったクリエータのん

 朝ドラ「あまちゃん」でブレークしてから「ホットロード」を観てなにか独特の間を持っている女優さんだなと気になっていたが、事務所のゴタゴタからしばらく姿を消し、どうしたのかと思っていた。すると名前を「のん」に変えて片渕須直監督の「この世界の片隅に」ですずさん役の声を演じて、のんびりとした中にも一本芯ががあるすずさんを見事に現出させカムバックしたことがとても嬉しかった。その後、大九明子監督の「私をくいとめて」で神経質ながらちょっとコメディチックな演技でのん健在と安心していた。そして今回、のんが、監督・脚本・編集・主演をつとめたこの「Ribbon」を期待を込めてテアトル新宿に見に行った。

 のんが、果敢にもコロナ禍を真正面から撮ったことにのんの芯の強さを感じた。コロナ禍で誰もが当たり前の日常を維持できなくなったのは、今なお続いている。その中でも映画の設定は、緊急事態宣言が初めて発出された時期に持ってきている。誰もが経験したことのない未知のウイルスとの闘い。舞台は、美大。緊急事態宣言によって、大学への登校禁止、卒業製作展覧会の中止を受けて、4年間精魂傾けて作り上げた作品を泣きながら自ら壊す学生達。芸術作品が「ゴミ」になった瞬間だ。いつか(のん)も親友の平井(山下リオ)も同様で当たり前の日常が一瞬でひっくり返ったとき、そこには、「虚無感」とどこに向けていいのかわから「憤り」しか持てない。のん監督は、この映画の記号・象徴であるリボンで覆われた衣装を着ながら倒れそうに歩く、そして大学から持ち出した自分の絵を引きずりながら「重い」と言いつつ歩く。部屋に帰り着き床に寝そべっているとリボンがどんどん降り落ちてきていつかの全身を覆う。この「重さ」こそがコロナ禍の制約、日常の束縛を見事に描き出している。

 緊急事態宣言が発出されたとき、よく言われた言葉がある。「不要不急」だ。現実に映画・演劇・音楽・スポーツ等が「不要不急」と言われ全てストップした。これらの業界で働く人すべてが、葛藤したと思う。自分達の行為が「不要不急」だと言われたのだから。この現実に起こった状況をのん監督は、大学への登校禁止と卒業製作展覧会で描き、映画で描いた美大生だけでなく、コロナ禍で苦悩した全ての人の「虚無感」「憤り」の代弁者となっているのだ。

 いつかの部屋に両親、妹が相次いで訪れる。ウイルスから身を守るために全身を覆いつくす服を着ている、また、ソーシャルディスタンスを維持するためのへんてこな道具を持ってやってくる。大げさではないのだ、未知のウイルスとの闘いだから。実際、「そこ密だよ」なんて言う人もいたのだ。それだけ社会が日常が変化したのだ。ただ、いつかの気持ちを知っている妹(小野花梨)が家にきたとき、マスクをはずし、たわいもない話でリラックスするいつかの姿を見ているとこの部屋にだけ日常が取り戻せた安堵感が伝わってきた。妹役の小野花梨の末っ子らしい大胆さ、積極性がパンチがきいていた。

 いつかの目付きが一瞬怒りに満ちた鋭い眼光になる。母が部屋を掃除して自分の絵をゴミだと思い捨てたと、のほほんと言ったときだ。いつかが最も嫌う言葉「ゴミ」、それも自分が描いた絵をだ。母親の価値観の押し付け、他者への否定が如実に表されている。そう社会全体が芸術を「不要不急」と言ったように。さらにいつかにコロナ禍による就職内定取消が決まる。部屋にある絵をアパートのゴミ捨て場に持っていく、やはり芸術は「ゴミ」であり「不要不急」だとやり場のない怒りと絶望感がいつかの全身からにじみでる。

 田中君の存在。二人は公園でよく会う。この二人の視線のやり取り、見つめる目、そらす目、なかなか交わらない。それでも田中君は、中学の同級生であった。いつかの絵を「かっこいい」と言ってくれて、いつかは、画家になる決意をして、卒業式にその絵を田中君に渡したのだ。ただ、本当に田中君か信じられない。これもコロナ禍の影響、マスクだ。顔全体が見えない。いつかは、あの手この手で田中君のマスクを外そうとするがことごとく失敗する。田中君だと確認できて、いつかは、自分が絵にのめりこんだキッカケを再認識する。

 平井が、自分の超巨大な絵画を家に持って帰りたいと言う。二人で学校に忍び込んで平井の絵画をハンマーを使って壊していく。バラバラにして家に持って帰るのだ。平井が4年間精魂傾けた絵画を壊す、しかし二人の表情には笑顔もある。そう、この行為は、「破壊からの再生」なのだ。バラバラにした平井の絵をいつかが持ち帰り、いつかは、自分の絵を再び描き始める。そのいつかの表情がいきいきしていて、「重さ」の象徴であるリボンが絵の中に吸い込まれていく、うれしそうに、楽しそうに。

 終幕は、いつかと平井、二人だけの発表会だ。平井のバラバラにされた絵がよみがえってデスプレィされている。苦しみの果てにただりついた二人の終着点。

クリエイターのんの誠実で素直でストレートな映画作りは、まだ密度の高い演出・ストーリー展開、役者達の少し大げさな演技、役より過酷な生活を強いられた学生がいたことなど未熟な点はあるが、物語として記号や象徴となるリボンをうまく活用したことと、何より物語を映像にしていることが、のんの才能を感じるのだ。目付き、表情、仕草、俳優の動きが意味を持って映像として伝わってくる。それゆえ、記号・象徴となっているリボンの浮遊の運動も映像になっているから力をもっていて、コロナ禍の重さと解放が見事に映像化されていた。また、特撮監督の樋口監督、特撮プロヂューサーの尾上監督、出演と予告編制作の岩井監督という映画業界からの応援も得てのんは、この映画を作り上げた。これからも名だたるクリエイターに囲まれ、刺激を受け、成長していくクリエイターのんの活躍に期待したい。

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