第13話「国境の夜想曲」日常の中に戦争がある・音として

 この映画をヒューマントラストシネマ有楽町で見たのが2月16日、ロシアのウクライナ侵攻の約1週間前。この映画で起こっていることを1国の主権国家への侵略、殺人が毎日のようにニュースで流されるとは夢にも思っていなかった。しかし、この映画の舞台となっている、イラン・シリア・レバノンは、ほとんどメディアに流れないが、ウクライナと同じように毎日戦争で人の命が奪われているのだ。

 戦禍に襲われている国に共通していることは、日常生活の中に生と死が同居していることだ。ジャンフランコ・ロージ監督は、このドキュメンタリー映画を映像の断片をつなぎ合わせて映像化している。ドキュメンタリー映画にありがちなインタビューやナレーションは一切ない、ただただ、映像を見せつける。

 そして映像とともに音がこの映画の核になっている。音とは、戦禍の中で発せられる音だ。すべての映像にこの音が響いているのだ。ビルの屋上で男女が談笑しているかたわら、砲撃のバンバン、パンパンと乾いた銃声がする。息子を亡くした母親の嘆きの嗚咽と叫び声、ボートで川を下ると遠くで火の手があがる音。精神病院で練習する劇の祖国を守る台詞の声。寝るために布団を敷いて起きて布団をしまう音。車が止まる音を聞きつけてガイドするため母親が子供を起す声。ガイドしてハンターが鳥を打ち落とす音。兵士達がグランドを走り回りカメラの前でいっせいに出すかけ声。兵士達が休むとき、ストーブの上のヤカンがカタカタなる音。全てが、映像と音のみで表現されていて、映像はまったく劇的ではなく、たんなる断片の寄せ集めだ。しかし、この映像と音には、何物も寄せ付けない圧倒的な力があるのだ。

 戦禍にまみれた子供たちが描いた絵を説明するむごたらしい会話、声をなくす大人達、砲撃、殺人、レイプ、拷問、子供たちのかぼそい声から深く苦しいトラウマがうかがえる。今、この瞬間にもこの状況がウクライナでも起こっているのだ。子供達は、殺され、親族を奪われ、ミサイル音に怯え、寒さの中必死に他国に避難し父親と別れる。まさに戦禍の音がウクライナ中に充満しているのだ。

 戦争の悲惨さをジャンフランコ・ロージは、映像と音でスクリーンに提示した。この提示を私達はどのように受け止めればいいのか。ウクライナ侵攻でも目の当たりにした国際協調してもロシアの侵攻を止められない無力さ。自分の国は自分で守らなければならない。それゆえ犠牲者はますます増加する。ごく普通の生活を享受している戦争のない国々の民は、ただこの映画をウクライナを観て「そうなんだ」と実感するしかないのか、本当に無力なのか、他人事なのか。実際ウクライナの支援の輪は世界中に大きく広がっている。

 この映画の舞台であるイラン・シリア・レバノンだけではなく、アフガニスタン・ミヤンマー等々世界中で今この瞬間戦争は起きている。ジャンフランコ・ロージは、映画を観ている全員にウクライナだけでなく他国にも「あなたには、何ができるか」とスクリーンの裏から訴えているのだ。


 

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