第4話 「偶然と想像」軽妙な台詞を引き立てる映像力

 濵口監督独特の演出手法が、またも心の襞を揺さぶる映画として結実していた。台詞が頭に、身体中に充満しているから、長回しで相対する役者同士の台詞のやり取りの中で、お互いが化学反応を起こしているところをしっかりと映像化しているから映画として説得力がある。

第1話は、古川琴音と玄理のタクシーの中での長回しの軽妙な会話。会話が途切れなく繰り返されるが、タクシーのどこにカメラを置いているのか、二人の表情、仕草がヴィヴィットに伝わるこのカメラアングルはすごい。琴音の幼顔から一挙に変貌し中島歩に迫ってゆく長回しは、ある種の本性・狂気すら感じるのは映像の力だ。

第2話は、森郁月の美しい声の朗読に惑わさられ渋川清彦のあられもない返答をする展開。誘惑しようと朗読する、森郁月自身が、うっとりとした表情に変わっていき、長回しで森郁月が、撮られている快感すら映像化され、ある種のエロスを感じてしまう。誘惑され、動揺していく渋川清彦の素っ頓狂な返答に映画館には大きな笑い声が起きた。自分の理性は「扉を開けている」だけだ。扉を閉めたらと思うとエロスを感じる、ギリギリの境界線に立っている二人をとらえているのは映像の力だ。

第3話は、占部房子の勘違いを受けても昔からの親友に会ったように接していく河井青葉の演技は、長回しで撮ることによって、役者自身台詞のエネルギーに突き動かされ、ある瞬間スクリーンに充満しスパークし爆発するそんなスリリングな快感に浸らされた。会話だけではなく、会話をする二人の語気・表情や仕草を的確に映像化することによって、二人の会話に力が出てくる。二人が別れる時のエスカレーターでの運動は、まったく見知らぬ者同士が、双方の会話から自分を見つめなおし、見つけだし愛しい人と別れるような、まさに映像の力だ。

 この映画は、三話から構成されているが、オムニバス映画ではなく、濵口監督・脚本による短編集なのだ。一人の作家による三話の短編小説にように、一話一話味わってみる楽しみも与えてくれた映画でった。一話目が終わったとき、次はどうなるという期待感が膨らみまたそれを満足させる三話の短編映画であった。

しかも、映画のタイトル通り、三話すべてが「偶然と想像」から構成されていて、ある一つの偶然の事象からドラマが始まりその中で相対する人物が想像というイメージの拡がりを描くことによって、役者達が不可思議な行動をとっていく、ちょっとしたウィットさも含んだ映画になっていた。ただ、単にそれだけで終わらないのが、濵口監督のすごさだ。

 この短編集には、三話とも一貫したテーマが描かれていた。それは、「胸に穴があいたような喪失感」である。そしてこのテーマをしっかりと映像にしていることだ。元カレと再会するがやはり一人になる、二人の会話を録音していて拡散したことによって地位と家族を失う、学生時代別れた恋人への内なる告白、主婦という立場に幸福ではあるが何かがない生活を続けるといったように。登場人物達、それぞれの喪失感を味わった人間には、その人間が持つ素の部分や業といった人間の奥底にあるものを濱口監督は、見事に掬い取ることによって、ウェルメイドな人間ドラマを映像化したのだ。改めて感じる。映画とは、映像と音だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る