第5話 匂い。
「ん…、頭言った―――!!」
「おぉ、起きたか?」
「え?和…?なんで和が…。あれ?私、昨日…どうしたんだっけ?」
「永生君て子がアパートまで送り届けてくれたんだよ。お前、酒なんか飲めないくせに全く世話が焼けるなぁ」
口では文句を言いながら、顔は笑っているし、何だか嬉しそうだ。
「和…」
「ん?」
「あ…いや、ごめん」
「ほら、パン焼けたぞ。それ食って早く自分の部屋言ってシャワー浴びて会社行け」
「…ありがと」
一晩、和俊のベッド寝ていた雪の体を和俊の匂いが纏っていた。
二日酔いが嘘のように、雪は、ほわわ~んとした気分だった。
「あの永生君て、この前言ってた滅茶苦茶嫌な感じって言ってた人?」
「あぁ、そうだけど…なんで?」
「うーん、永生君はそんな悪い人じゃないと思うぜ?ここまで雪を送って来てくれたんだから」
「…でも…酔っ払ったの…和のせいでもあるんだからね…」
雪は小さな声でイラつきをこそっと零した。
「ん?なんか言った?」
台所で先に自分の食べた食器を洗いながら、和俊が聞く。
「なんでもない!パンありがと!部屋戻る!」
和俊の部屋を出ると、
「はぁ…」
雪は深い溜息を…深呼吸をした。
和俊が、全く知らない男性と自分が一緒にお酒を飲んだというのに、ヤキモチを焼くどころか、〈悪い人じゃない〉とにこやかな笑顔で言われた事に、雪の『すき』が苦しかった。体中纏わりつく和俊の匂いに、『やっぱり好き』が離れない。
和俊が好き。和俊が好き。和俊が好き。和俊が好き。和俊が好き。
シャワーで匂いを消した。
会社に行こうとすると、ポケットのスマホが鳴った。
〔雪ちゃん、おはよう。昨日は大丈夫だった?雪ちゃんが言ってた和って人に雪ちゃん預けちゃったけど、平気だった?色んな意味で〕
さすがプレイボーイ。
女性の事なら、なんでもお見通しだ。
雪が、和俊の部屋で眠って、起きた時、どんな風に驚いたか、どんな想いだったか…。
嬉しさと、脱力感が雪を襲ったことなど、永生には簡単に想像できたのだろう。
〔昨日は、お酒飲めないのに、失礼しました。〕
見透かされた事に、自分勝手にも憤りを感じた雪は、何ともシンプルで、そっけない返信をしてしまった。
けれど、雪は昨夜の事を思い出し、少し永生に好感を持っていた。たった十分のデート。
デートとは、雪は露も思ってなかったが、自分を介抱してくれた事には素直に感謝した。
だって、そのお陰で、もう何年も泊まった事の無かった和俊の部屋に泊まる事が出来たからだ。
会社に着くと、着くなり、再び永生からメールが届いた。
〔雪ちゃん、昨日十分で酔っ払って俺に口説く時間もくれなかった事、少しでも申し訳ないと思ってるんだったら、二回目のデート、誘っても良いよね〕
雪は柄にもなく、さすがに申し訳ないと思っていた。
この際本気かどうかは別として、自分を好きだと言ってくれた人に、好きな人がいると突き放した上に、その相手の部屋に泊まらせるしか選択肢を与えなかった自分の行動が、完璧主義の雪の心に罪悪感を抱かせた。
その上、あんなに冷たいメールで、碌に謝る事もしていないのだ。
この誘いを断る事はさすがの雪にも出来なかった。
〔解りました。でも、あくまでお詫びなので、誤解しないでくださいね〕
雪は何処まで行ってもそっけない。
しかし、雪の可愛げのなさが、永生の男心意外にもつかんだのだ。
永生は、これまで何人の女性と付き合ったか解らない。
しかし、ただの女友達の延長線に過ぎなかったのかも知れない。
その証拠に、何の悪気もなく、何人も同時に付き合っていたことも何度もあった。
初恋をいつまでも諦められない雪と、本気の恋をまだしていなかった永生。
あの日、雪と永生が出会ってなかったら、雪は一生和俊を諦められなかったかも知れない。
あの日、雪と永生が出会ってなかったら、永生は一生本当の恋を知らなかったかも知れない。
幸か不幸か、二人は出会ってしまった。出会ってしまった。
もう、戻れない。
二人が出会う前の雪にも、永生にも、そして、和俊も。
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