第9話 火の精霊カネル

な、何?!


部屋が一気に明るくなり、ガランとした空間が広がる。

さっきまでいた宿屋の食堂の1/3ほどの広さの何もない部屋があり、奥にはどうやらカウンターと台所らしき物が見える。


「こっちだ。」クローディアがカウンターの向こう側に案内するとやはりそこは一応台所というよりは小さな厨房といった作りになっていた。


「以前、譲り受けたのだが、私も使っていなくてもう随分空き家になっていてな。」


それにしても、さっきの火はどこから飛んできたのだろう?

クローディアは火の魔法は苦手だと言っていたけど。


「クローディア!クローディア!クローディア!」


いきなり厨房の一角から火がボウッと燃え上がった。炎は小さな人の形を作り、魔女の名前を3連打した。


「ひどいよぉ!こんな空き家に放置しておいて。暇すぎて消えちゃうよぉ。」

その人型の炎はゆらゆらと揺れながらクローディアに苦情を申し立てた。


「安心しろ、もう暇じゃなくなる。こいつがここで料理をするからな。」

そう言ってクローディアは僕の方を指さした。

まだ、何も言っていないのに、クローディアの中では決定事項になっているのだろうか。不思議だ。


「本当!?おまえ、ここに住むの?!」


「えっと、クローディア。これはもしかしてさっき言っていた?」


「火の精霊のカネルだ。カネルに言えば火の調節もしてくれるし、さっきみたいに部屋の中のランプに明かりも灯してくれる。」



なるほど。カネルがユラユラと揺れながら立っている場所には灰が敷き詰められてあり、確かにコンロの五徳のような鍋を置く金属の物体が3個ほど据え付けられていた。


「水は井戸から直接引いてあるから料理にも使える。」


シンクは四角い形の石造りで出来ていて、水道らしき物がついている。レバーを倒すと水が勢いよく出てきた。


「ずいぶん使っていなかったから、水は少し出しっぱなしにしておいた方が良いぞ。こっちが魔法で管理された保冷庫だ。」


クローディアが保冷庫と言ったのは、壁に据え付けられた扉だった。

開けるとヒヤッとした冷気が感じられる。

中を覗き込んでみると左右の壁に棚がある細長い小部屋になっていた。広めのクローゼットのようだ。


「一番下の棚が温度が一番低い。」


「もしかして、氷を作ったりもできる?」


「ああ、この箱に水を入れればできる。」


棚の一番下に腰丈くらいの高さの木箱が並んでいる。

蓋を開けると更に冷たい空気が顔に掛かる。


一個が氷であとは冷凍庫として使えそうだ。


「これってクローディアの魔法で管理しているの?」


「保冷庫はそうだ。だから時々魔法をかけ直す必要がある。」


なるほど。


「で?あとは何が必要だ?」


「え?何がって?」


「肉じゃがだ!肉じゃがを食べたいんだ!」


「ええっ?今すぐ?」


クローディアは真剣な顔をしてコクコクと頷く。



(えー!今すぐですか!?)

僕は心の中でもう一度叫んだ。





「材料はあるから分けてあげられるけど、醤油はさすがにないよ?」


ですよねー。


一度、叔母の働く宿屋に戻り、肉じゃがを作る材料がないか聞いてみた。少し客足も落ち着いてきたからか、叔母も話を聞いて自分も食べたくなったらしく、使えそうな材料を探してくれる。


まず、肝心のじゃがいも、これはさっき食べてみたけど普通にじゃがいもだった。

肉は、僕はいつもは豚肉で作るのだけど、先ほどシチューに入っていたのは牛肉に近い肉だった。

これの薄切り肉があるそうなので問題なさそうだ。

他の野菜類もシチューに入っていたもので大丈夫そうだ。


ただ、和風の調味料!

これがさすがにない。


まあ、予想はしていたけど、砂糖はあるし、料理酒もまあこの国の酒で代用するとしても醤油はどうしよう。


なんかものすごーく楽しみにしている二人には悪いけどさすがに醤油がないと全く別物になってしまう。

「えっと、クローディア?」

僕は恐る恐るクローディアに声を掛けた。


「何か足りないのか?」


「うん、同じような調味料がこの世界には無いらしくて。」


「お前の世界にはあるなら、取りに行けば良い。その程度なら持ち込んでも問題ない。」


「えっ?!そんなに簡単に取りに行けるの?」


「簡単ではない。だが、私の得意な魔法は時空系だからな。どっちにしろお前がこちらに残るなら行き来できる扉が必要だろう。」

なるほど、つまりクローディアじゃないと難しいってことか。


さっきの空き家に戻り、どこに出入り口を作るか検討した結果、簡単に他人に見えない場所ということで保冷庫の奥に作ることになった。ここなら、他の人間が入ってくることは無いだろうし、出入り口の扉を開けても薄暗くて直ぐには外からは見えないだろう。


「向こうの世界はどこに扉を開ける?」


う~ん、もちろん家の中だとして、僕の部屋かな?


「ねえ、その扉って、向こう側から扉と分からないように出来ないの?他の人にばれないように。」


「出来ないこともないが...。お前と叔母さん以外が触れないと現れないようにすればいいか?」


クローディアは少し考えるとそう提案してくれた。


「うん、そうしてもらえると助かる!」


良かった、言ってみるもんだ!



「では、そこに立ってお前が繋がりたい場所を思い浮かべろ。」

え?僕もやるのか。


扉を開く予定の壁に向かって立たされる。

クローディアが僕の後ろでブツブツと呪文らしきものを唱えると目の前の壁に長方形の光の線がうっすらと浮かび上がる。


慌てて自分の部屋を思い浮かべる。

扉が開いてくれると良いかと思う壁も思い浮かべる。

自分のせいで変なところに扉が出来ても大変だ。


クローディアの声は続いていて、最初はうっすらと細い光の線が、少しずつ濃く太くなって眩しくなり終いには目を開けていられなくなった。光に吹き飛ばされるような気がして思わず顔を手で覆う。


ふと気が付くと、クローディアの呪文を唱える声が止まっていた。恐る恐る目を開けると。目の前の壁に扉が出来ていた。


色は元々の材質の木目調だが、凝った紋様が彫ってある。


「...できたぞ。...開けてみろ。」


すぐ横で声がして見ると、クローディアが右手の壁に寄り掛かってしゃがみこんでいた。


「クローディア?!大丈夫?」

明らかに具合が悪そうにぐったりしているクローディアに驚いて慌てて駆け寄る。


「...お腹すいた。」


あ、あ、そう言うこと。

ガックリしたのとほっとしてたので思わず僕も彼女の隣にしゃがみこむと彼女の顔を覗き込んだ。


「さっきあんなに食べた分は使い果たしたの?」


「簡単ではないと言ったろう。」

クローディアが不満げに口をへの字に曲げる。初めて見るすねたような顔が彼女の顔を幼く見せる。


なるほど、それだけ消耗するほど難しい魔法だったらしい。


「早く、肉じゃが…」


「分かったよ。直ぐに醤油を取ってくるから。」

元はと言えばクローディアがどうしても直ぐに食べたいと言ったのが原因なのだが、何か申し訳なくなってしまった。美味しい肉じゃがを沢山作ってあげよう。


「もう、扉を開けても大丈夫?」


口をきくのも億劫なのかクローディアがこくんと頷く。


よし!っと扉に近づいてソロソロと押してみる。


一体、この世界に来てどれほど時間が経ったのか分からないが、同じくらいの時間が向こうでも流れているとすると、叔父さんは今週末から出張だから、家には誰も居ないはずだ。


僕の背丈ほどの小ぶりな扉は、思いの外スッと音も立てずに軽く開いた。

そして真っ暗な僕の部屋が扉の向こうにあった。


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